45 - ブラザーフッド⑯
関所を抜けてムート区へ入り、住宅街から離れたムート区唯一の港、その近くに陸軍士官庁舎があった。
情報兵に先導されるまま、ある一室の前で彼らが止まる。
「この中にハバー大佐がおられます。
お話が終わったら内側から扉を叩いてください。
我々の同行なしにこの建物を移動されることのないように」
「心得ました」
シルフはドアをノックして部屋の主の返事をまったが、何も返ってこない。
勝手に入れ、ということと察したシルフは、扉を開いて中に入る。
扉を開ける前から気づいてはいたが、部屋の中はむせ返りそうなほどのタバコのヤニ臭さだ。
シルフの記憶ではエドゼルは非喫煙者だったし、会議等でコーヒー片手に葉巻を吸っている将校について愚痴を聞かされたこともあった。
机の上にうず高く積み上げられた書類、吸い殻の山が出来上がった灰皿、空になった蒸留酒の瓶。
くわえタバコに酒の入ったグラスを片手に、なにやらひたすら書類に書き込みをしている部屋の主は、目の下にひどい隈を携え、淀んだ視線で入り口の二人を見た。
彼はアーニャの手を取るシルフを見ると、グラスを脇へ置きタバコを歯に挟んでニヤリと笑った。
「おやおや、いやぁシルフ君、ソフィア王女というお人がいながら…、君も隅に置けないね!」
「少々見ない間にずいぶん趣味を変えられたのですね、ハバー……、大佐殿」
「ああ、待った! 積もる話はあるけど、とりあえず」
エドゼルは席を立ち上がり部屋の壁の一角に手を触れると魔法の呪文を唱える。
魔法使いにしか視認できないマナの放出が複数回行われた後、再び席に戻った。
「ここの連中は僕を信用してなくてね、僕も人のこと言えないんだけれど。
情報部の連中なんかに聞き耳なんか立てられてると世間話もできないからさ」
「盗聴を妨害するだけでなく、部屋の構造物に触れた者を負傷させる魔法ですか」
「もう何人かの鼓膜を吹き飛ばしてやったからさ、流石に連中も学習してるよ。
さて、シルフ君、よく生きて戻ってくれた。僕は嬉しいよ。
ルイーサは元気だったかな? もうずいぶん会えていないんだ」
「ルイーサ様には大変お世話になりました。
今般の事態でかなりやつれておいででしたが、お元気でしたよ。
ただ、今のハバー大佐を見たら卒倒すると思いますのでお会いにならない方がよろしいかと」
「あっはっは! 違いないね!」
「冗談を言ったつもりはありません。ハバー大佐」
シルフの冷めた物言いにシンと部屋が静かになった。
エドゼルはニヤケ顔を引っ込め、咥えていたタバコを灰殻で山盛りの皿に押し付けると、目を細めて語りだした。
「……どこから話そうかな。
大まかに話そう、まず騎士団は事実上解体した。
とてつもない反発を食らったけど、財産、身分を保証するという約束で陸軍に編成したよ。
騎士団のなくなった今のヘルトは陸海軍、魔闘士団での新たな編成で大混乱さ。
騎士団が解体されたことでアダルハード国王直轄の部隊は消えて、国王陛下の軍務最高指揮権は返上頂き、各軍部最高指揮官に移譲された。僕もその一人だ」
「質問ですが、アルガー・ルーカス騎士団長様は?」
「ドレスデンで死んだよ。元々権力闘争と複雑な派閥構造で疲弊していた騎士団をまとめてこられたのは彼の人徳があったからこそだ。
あとは近代化改修のされたこの国の兵器を前にして、もはや剣と鎧の騎士なんてものは役に立たないことが皮肉にもドレスデンの事件で証明されたこと。
騎士団の威光で飯を食っていた実力のない貴族共はこれから凋落の一途を辿るだろう。
ひとつ可哀想なことをしたのは、アルガーの死と騎士団の解体を単純に結びつけた馬鹿な連中がルーカス家へ的外れな恨みで嫌がらせをしていることだ。
彼の息子のエリク君はまだ10歳、公家の跡取りとしては若すぎる……、がそれを憂いている余裕は僕にはない」
エドゼルはそこで話を区切ると、新たなタバコに火をつけ、グラスの中の蒸留酒あおり、グラスを乱暴にテーブルに置き、シルフを睨みつけた。
アルガーの息子であるエリクについてシルフが言及しようとするのを封じるためだった。
「今の陸軍は旧来の部隊と騎士団崩れの部隊、アルガーや国王の求心力に依存した部隊、元魔闘士団だった僕の部下たちで混沌としている。
僕の配下にいる情報部隊も同じ同志のはずが敵なのか味方なのかわからない疑心暗鬼の状態なのさ」
「ドレスデン要塞の事件が魔王オアマンド復活に絡むことだと公表せず、帝国軍の仕業であるという偽情報を流しているのも理由があるのですか?」
シルフの直球な質問に目を丸くしたエドゼルだが、再び酒をあおって続きを話しだした。
「もうそこまで知ってるのか。まぁ、遅かれ早かれ知れることだね。
これからする話は絶対に口外するな。
もし口外すれば、アレッサ君、それに君たち魔法剣技部隊が残した忘れ形見たちの命は保証しない」
「な、何言ってるんですか!ハバー大佐!」
「アーニャ君、僕はいまシルフ君と話をしてるんだ。黙っていたまえ」
思わず険しい表情で前に歩み出たアーニャをエドゼルは深淵へと繋がるような暗い目で見つめる。
彼女が知っているエドゼルのイメージとのあまりのギャップに、アーニャも声が出ずにつばを飲み込んだ。
アーニャの肩に手をおいて後ろに下がらせたシルフが彼女を安心させようと小さく頷いて見せた。
「本当に、少々会わない間に変わってしまいましたね、ハバー大佐」
「違うね。僕はもともとこういう男だ。君たちが知らなかっただけだよ。
僕には絶対に守り抜かなければならない存在がいる、その中でさらに優先順位をつけて生きている。
それ以外のことなんて、矢や銃弾と同じさ、外れたら次を放てばいい。
君だってそうだろう?シルフ君?
一人の人間が守ってやれる者なんか多くない、取捨選択の連続だということは僕より君の方がきっとよくわかっているはずだ。
君は僕に隠し事をしていないのかい?僕を騙せていると本気で思っていたのかい?」
「……何事も口外いたしません。話の続きを」
狂気に駆られているようなエドゼルの目を冷ややかに見つめたシルフは、静かにそういった。
首を鳴らし、タバコを吸い、次に見せたエドゼルの瞳は生気を帯びた元の瞳に戻っていた。
「海軍、陸軍、そして魔闘士、この3つの最高幹部が団結して半分革命のようにがむしゃらに動いている理由はただひとつ。
リヒャード帝国を打倒し、ヘルト連合国に併合する、そのためだ。
ドレスデンの悲劇は何百年とくすぶり続けていたこの国のその野望に火をつけた。これは女神フレイヤから与えられた天命であると」
「……正気の沙汰とは思えません」
冷ややかな表情のまま、無機質に投げかけられたシルフの言葉にエドゼルは拳を前に突き出し、まず人差し指を立てて語りだした。
「……狂気の沙汰を実行する現実的な理由が三つある。まず一つ目。
十数年前か…、ヴォルニー共和国にある我々の聖地を治める首長がマナ鉄鋼の鉱床を手土産に帝国軍に寝返ろうとし、内戦が勃発した。
火消しのためにヘルトが軍事介入し鎮静したと思ったが、それから数年して、当時ソフィア王女を身ごもっていたヴェリーヌ女王陛下の暗殺未遂が行われ、それを契機にヴォルニー共和国とヘルトとの関係におけるバランスが崩れだした。
ヴォルニーはリヒャードとヘルトを二分する奴隷解放戦争の折、帝国側について敗戦した周辺の少数民族をかき集め、軍事的緩衝地帯として無理やり樹立させた国家だ。
言うなれば、生かさず殺さず、帝国との国境を守らせる土嚢のような役割をさせていた。
もっと言えば、長い年月を掛けヘルトの思想を植え付け、傀儡政権を樹立させ、我々の完全な属国にするはずだった。
だが今もなお古き帝国の面影を追い続ける指導者による謀反が多発し、帝国への帰属を渇望する勢力の活動が活発になっている。
もはやヴォルニー自身の自浄作用では本来の役割を保てなくなった」
次に中指を立てる。
「二つ目。
リヒャード帝国の現皇帝には四人の子供がいた。その三男がとんでもない野心家で長男と次男を同時に暗殺し、無理やり次期皇帝の座にのし上がった。
帝国軍も現皇帝から三男まで多様な軍閥に分かれていたため、いきなり次期皇帝の座にのし上がった三男を中心に内部闘争が絶えない状況、さらにこの三男は父親である現皇帝の暗殺さえ目論んでいると言われている。
この皇帝の地位争いで帝国領内の統治は混迷を極め、帝国市民の不満のはけ口はヘルトへ向けられている。
元々帝国を裏切って独立したヘルトが栄え、帝国民が困窮しているのはなぜなのか、それは勇者バルドリックのせいだ、と、1000年近くも前の因縁も今もぶり返しているのさ。
女王暗殺未遂もヴォルニーでの内戦にヘルトが介入したことへの帝国の報復だった可能性が極めて高い。
つまり、今の帝国は治世が極めて不安定で世論がヘルトとの戦争を望んでいる、と見ていい」
最後に薬指を立てた。
「三つ目。これは軍部だけでなく、商工会の意向も含んでいる。
最西端の地域に位置するヘルトは海を挟んだ南側諸国との貿易をほぼ独占しているが、東側諸国、北側諸国との貿易は帝国頼りだ。
これまでの馬車を中心にした商隊頼りの陸路の貿易は効率の面で重視されなかった。海洋輸送が圧倒的に有利だったからね。
だがマナ結晶の発明とそれを利用した内燃機関の発達、新たな資材開発のおかげで陸上輸送の大幅な効率化を成せる技術の目処がたった。
しかし我が国が陸路を伸ばすにはどうしても東側の帝国が邪魔だ。邪魔なら消してしまえばいい。
無茶な話だが、その先に得られる利益は計り知れない」
まくし立てるように言い切ったエドゼルは喉を潤すように蒸留酒をあおった。
酔いが回っているのか、目が座りだしている。
「ハバー大佐、いまの話、あなたが行動する動機はどこなのでしょうか?」
「全てどうでもいい。はっきり言って興味がない。
僕の考えなど関係なく帝国との戦争は避けられそうにない。
僕が怖いのは、この国が内側から瓦解し始め、弱体化し、帝国に負けることだ。
魔王を滅ぼした勇者の威光の上に発展したこの国が、”実は魔王を殺せていませんでした”、などという醜態を晒して求心力を失ってしまったらどうなる?
きっとそうなるのも時間の問題だと思う。 ならできるだけ早く敵対勢力を叩き潰し、刃向かうなら女子供でも皆殺しにする。
その犠牲の先にカーリアの安寧に満ちた人生があるなら、あの子とルイーサの幸せがあるなら、僕はどれだけ血にまみれても構わない」
シルフには独白するエドゼルの目に冷たく滾る炎が揺らめいているように見えた。
彼と出会ってから今日にいたるまで、彼は悟られるぬようにこの炎を燃やし続けていたのだろうか。
「……魔法剣技部隊は、帝国内の反体制勢力に見せかけて諜報や破壊工作をさせるために設立した部隊だった。
一人でも任務を遂行できる兵士を育成する、という思想はそのためだったんだ。
シルフ君、君が育てた部隊は、もはや君とアーニャ君しか残っていない。
ドレスデンで君が死んだら、アーニャ君だけで行かせるつもりだった。
だから、戻ってきてくれて嬉しいよ。君も僕の大切な駒だ。
これまでの話を知っている一握りの人間の中から信頼できる者に今後の君たちの役割を伝えてある。
魔法剣技部隊の予備隊の生活も保証する。アレッサ君の貢献にも報いる。
だから、もう少し、君の上官として、僕に着いてきてくれないかな」
「私が忠誠を誓ったのはあなたではなく、両陛下と姫様です。
我が君があなた方の思惑に従う限り、私も従いましょう。
アーニャ、あなたはどうですか?」
「あたしはシルフについて行くよ」
まっすぐにシルフを見て微笑むアーニャに、荒んだエドゼルの心に僅かな安らぎのような感情が芽生えた。
たったひと月ほどで変わってしまった世界に、笑顔の絶えなかった彼と彼の仲間たちの思い出が蘇った。
彼らと過ごしたエドゼル自身も、その日々に安らぎを感じていたのだと今更気づいた。
「そうか、嬉しいよ、よろしく────」
パンッ、という破裂音が廊下、ドアの向こうから響いた。
綻んでいたエドゼルの表情は再び奈落の底に堕ちたような淀んだ無表情に変わり、シルフとアーニャの横を抜けてドアを開いた。
そこには右耳から大量の血を流し、地面に跪きながらエドゼルを見上げる若い兵士の姿があった。




