44 - ブラザーフッド⑮
ソフィアの絶叫のような泣き声で深い眠りから起こされたルイーサは、てっきりシルフが死んだものかと思い、魔法石のランプでベッドを照らすために勢いよく腕を突き出した。
しかし、そこにいたのはすっかり血色の良い顔でベッドから起き上がり、ニコニコとソフィアを慰めている彼だった。
途端に脱力したルイーサはその場にへたり込む。
「ルイーサ様…、多大なご迷惑をお掛けしたとこと、お詫び申し上げます」
「い、いえ…、いいんですのよシルフ様…、でも正直助からないと…、いえ、野暮なことを言うのはやめておきましょう」
ルイーサはランプをテーブルに置き直すと、つかつかとソフィアの泣き声でも起きないヴェリーヌが横たわるソファに近寄る。
「起きてちょうだい、ヴェリーヌ。
シルフ様が目を覚ましたわよ」
肩を揺らしてみたが、ピクリとも動かない。
連日の治癒魔法の酷使で衰弱気味なのだろうが、王族がいつまでも病院にいると片付かないことが多い。
さっさと安心させて城に帰ってもらいたかった。
ルイーサはひとつ深呼吸をすると、ヴェリーヌの襟首を持ち上げ、怒涛の往復張り手を彼女の頬に叩き込んだ。
「ほらほらほらほら!さっさと起きなさい!
ここはあなたの寝室じゃないのよ!!」
「ル、ルイーサ様! どッ、どうか気をお静めください!!」
「いいえシルフ様!! この人には民の上に立つ者としての自覚がございません!!
ほらほら! さっさと起きないと焼きたてのブレーツェルのようなお顔になりますわよ!!」
スパンスパンと小気味良い音が病室に木霊する
あまりのルイーサの迫力に怯えきったソフィアは狼狽するシルフにしがみついて震えた。
「ふっが! いったぁい!」
「やっと起きたわね、シルフ様が…」
「シルフがなに!? なにかあったの!?」
「…目を覚ましたわよ」
ソファから跳ね起きたヴェリーヌは月明かりとランプが照らすベッドにふらつきながらしがみつき、色濃い隈を携えた瞳をシルフに向ける。
「女王陛下…、状況は理解ができないのですが…、大変なご苦労を…」
シルフが謝罪を言い終わるのを待たずに、彼女の震える両手がシルフの頬を包み、だくだくと流れる涙を気に留める事なく、ヴェリーヌは自らの胸にシルフを掻き抱いた。
凛とした普段の彼女からかけ離れた弱々しい抱擁をシルフが抱き支える。
「シルフ…ああ…、シルフ…、私の可愛いシルフ…。
よかった…、戻ってきてくれて、ああ…」
「女王陛下…」
「二人きりのときはお母様と呼んでといつも言ってるでしょ…」
「二人きりではございません…」
母とシルフの間の抜けたやり取りにソフィアはくすりと笑った。
彼らのやり取りを見守っていたルイーサが両手をパシャリと叩いて、間に入ってきた。
「はい、面会時間は終了です。
シルフ様、目が覚めても怪我が重症であることには変わりございませんわ。
明日以降も上級治癒士の治療を…」
「ルイーサ、この子の怪我、ほとんど治っているわよ。
足の銃創だけ、まだ治療が必要だけど手術痕はほぼ治癒しているわ」
「うそっ…、そんなはずはッ」
ルイーサはシルフに駆け寄ると患者服に手をかけた。
下着を履いていない自分の下半身が露わになるのを悟ったシルフはとっさにソフィアの両目を両手で覆う。
ルイーサが触診をすると、腹部から背中に抜けていた刺傷は傷口が完全に塞がっており、大口径の銃で撃ち抜かれ骨が粉砕されていた大髄も骨が繋がり、縫合後の傷だけ残っている状態だ、この箇所に関しては治癒の順番が真逆である。
「言葉がでないわ…、ヴェリーヌの治癒魔法でも効果がなかったのに…」
「……ソフィア、あなた、どんな魔法を使ったの?」
「魔法は使っておりません、お母様。
シルフ、それよりも私にも傷を見せて?」
「それはだめです。姫様」
「どうして?」
「どうしてもです」
「ええー……」
ソフィアは医学的な知見を深めたく見てみたいだけだったが、シルフが手を離すことはなかった。
服を着直すと、ルイーサがヴェリーヌとソフィアに向き直った。
「今後も経過観察と治療を続けますが、概ね半月程度で退院できるのではないかと思いますわ。
ヴェリーヌと姫様には悪いけれど、今からお城に戻ってもらいます。
いいわね、ヴェリーヌ?」
「ふぅ…、この子のそばにいたいけど、明らかに私たちは邪魔だものね、仕方ないわ。
衛兵に伝えて船を手配してもらってもいいかしら」
「言われなくてもそのつもりよ」
ルイーサがヴェリーヌとソフィアを連れ立って部屋を出ていこうとするのをシルフが止めた。
「ルイーサ様、ひとつお尋ねしたいことが」
「はい、なにかしら?」
「私がここにいるということは、一緒に女兵…、アレッサ・ベーデカーがいたはずなのですが」
「彼女なら無事でしてよ。
一昨日意識を取り戻したけれど、少し意識の混濁が残っていますわ。
怪我の状態は、今となってはあなたよりも重症ですから、絶対安静ですわね」
「面会することは叶いますか?」
「申し訳ございませんが、それはできません」
「理由をお尋ねしても」
「……夫の使いからの伝言ですわ。
”アレッサ・ベーデカー、シルフには何人も合わせるべからず”」
「……承知しました」
「あなたが回復したことは夫にも伝えますわ。
今日はゆっくりと眠ってくださいませ。
ヴェリーヌ、先に言っておくけど、エドゼルが何を考えて行動しているのか私にもわからないわ。
だから、そんな怖い顔で見ないでちょうだい。
あなたとは今後も仲良くしていきたいの、カーリアのためにも」
「そう……、わかったわ」
ヴェリーヌは努めて冷静に返事をした。
しかし、ルイーサは彼女が隠しきれないほどの怒りに、背中の冷や汗を感じる。
「心配には及びません。
動けるようになりましたら、真っ先に伺います。お母様」
「まったくずるい子ね…」
シルフの言葉に表情の和らいだヴェリーヌは持ち込んだ荷物を抱え、去り際にシルフの頬にキスをしてソフィアの手を取る。
ソフィアの不安げな上目遣いにシルフは微笑んで返した。
「姫様、私を呼び戻していただきありがとうございます」
「え?」
「落ち着いたたら、カーリア様と一緒にまたお出かけいたしましょう」
「……うん、楽しみにまってるね」
三人を見送ったシルフはしばし考え込んだように窓の外を見たが、すぐにベッドに横たわり、目を閉じて眠りについた。
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ヴェリーヌとソフィアが去って半月、驚異的な回復力で復活したシルフは晴れて退院の日を迎えた。
私物の整理をしながら、ドレスデン要塞奪還作戦時に着用していた装備品を確認していた。
血で汚れた鎧は洗濯されていたようだが、篭手や革靴はそのまま状態だった。
シルフは革靴の踵、隠刃の収納仕掛けを取り外し、隙間からプラチナの指輪を取り出し懐にしまい込む。
窓からの光を浴びて銀白色に輝く指輪の内輪に”エアンスト・ナウマン”の名前が刻まれている。
これをなんとかアレッサへ渡したかったが、動けるようになったシルフの行動は全て兵士が同行し、厠にいたっては戸を閉めることすらも禁じられた。
彼らへ精神魔法を掛けることも考えたが、ここはヘルト最大の軍病院、シルフの魔法を見破ってくる魔闘士や魔法使いがいてもなんら不思議ではない。
結局、シルフは一切彼らに逆らうようなことをせずに今日まで過ごしてきた。
「シルフ上級曹長殿、失礼いたします」
入り口のドアを開けて兵士が二人訪ねてきた。
入院生活でシルフの行動監視をしていた兵士だ。
シルフは手早く手元の荷物をまとめると、二人に向き直り笑顔を向ける。
「おはようございます。お二人共。
しばらくお世話になったのに、最後までお名前は教えていただけず残念ですが、本日までありがとうございました」
「いえ、シルフ上級曹長殿。
……正直に申し上げれば、我らも帝国軍から同胞をお救い負傷されたシルフ上級曹長殿にこのような態度、不本意でございました。
どうかご容赦いただきたく……」
「……お上の方々にもお考えあってのことでしょう。
謝罪には及びません。…もう、お暇してもよろしいのでしょうか?」
「それが、お迎えに来ている方が三人おられます。
我らはこれで任を解かれますゆえ、これで……。
既に外にいらっしゃったので、すぐにお見えになるかと」
「そうですか、ではもう少々ゆっくりさせていただきます」
部屋を出ていった二人を見送り、そのまま入り口を見つめたまま彼は直立していた。
帝国軍。
彼らは単なる王都守備隊だ、ドレスデンの出来事を詳細に知っているはずがない。
その彼らがシルフの負傷の原因を帝国軍との戦闘によるものだと信じているならば、そういったプロパガンダが軍部を通して王都中に流布されているのだろう。
意識を取り戻した後も軟禁状態にされていた理由がシルフにはそれとなく見えてきた。
バンッと、シルフに気取られることもなく木製のドアが勢いよく開くと蒼色の軽装鎧に身を包んだ黒髪の少女、アーニャ・ペトロヴナがシルフに飛びかかると首に手を回し力強く抱きついた。
シルフにとってもあまりに不意を突かれたため、思わず投げ飛ばしそうになった姿勢を持ち直し、彼女を抱きしめる。
「アーニャ……、心配かけましたね」
彼女はシルフの言葉に返事もせずにただ泣き続けた。
彼女をあやしながら、シルフの視線は入り口に立つ二人の兵士に向けられる。
彼らは先程の王都守備隊とは違う、特殊な雰囲気をまとっていた。
このままだといつまでもシルフにしがみついていそうだったアーニャを横に立たせ、シルフは二人の兵士と向かい合った。
「アーニャ、彼らとは……、お知り合いですか?」
「なわけないでしょ、こんな気味の悪いやつら……。
今朝、学舎へあたしを訪ねにやってきて、シルフと合わせてやるっていってきたんだ。
腕章がないから兵士なのかもわかんないからさ、与太抜かすならぶっ殺そうかと思ってた」
「言葉の使い方には気をつけましょう、アーニャ。
彼らの制服の襟首のボタン、知恵と謀略のルーン。
彼らはヘルト連合陸軍の情報兵です」
赤いヘルトの国旗の腕章、真っ白な綿のシャツに黒の軍服の出で立ちの男二人に、シルフが近づく。
パッとした見た目に武器はないが、ベルトのバックルに小型のナイフ、ジャケットの下に着込んだベストは防弾仕様、袖の中にも何かを隠している気配がした。
「お初にお目にかかります。シルフと申します」
「自己紹介は結構、我々はハバー大佐に命ぜられたことをお伝えに参ったまでです」
二人いる情報兵の一人が一枚の出頭命令書をシルフに渡した。
名義はエドゼル・ハバー、階級はヘルト連合陸軍特別作戦部大佐。
「ハバー…大佐、知らないうちにずいぶんご出世なされたようで。
所属も…変わっておられるのですね」
「詳しくはハバー大佐へ直接伺ってください。
シルフ上級曹長殿、ペトロヴナ伍長はすぐにムート区にある士官宿舎までご同行いただきます」
「出頭前にお願いがございます。
アレッサ・ベーデカー軍曹に、面会の機会をいただけないでしょうか?」
「できかねます。
彼女は既に軍を名誉除隊済み、軍人恩給法に基づく傷痍軍人恩給、退職金、そのほか悪い扱いはいたしません」
「親友として、一目会いたい、それだけなのですが」
「叶いません。
ちなみに、我々の同志が現在彼女の元におります。
彼女は命令解除があるまで我々の監視下に置かれ、元魔法剣技部隊との接触を禁じることに同意いただきます。
それを破る行いが、どういうことかご想像をいただければ」
「…お前ら、アレッサ姉さんに指一本でも触れてみろ…、身体を寸刻みにしてグールの巣穴に放り込んでやる」
アーニャからのむき出しの殺気に二人の情報兵の身体がびくりと跳ねる。
瞬時に袖の内側に指を通す動作から、短銃のような飛び道具が隠されているのがわかった。
「落ち着きなさい、アーニャ。
我々は軍人、命令は絶対、同胞と揉めても……」
「……いいことはひとつもない」
「その通り、すばらしいですね、アーニャ。
面会は諦めます。ただ、ひとつ伝言をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「内容によるな……」
「”君の幸福を願ってやまない。君の燃えるような赤い髪が好きだった”」
「……伝えよう」
「ありがとうございます」
「表に馬車がある…、ご同行願おう…」
アーニャの殺気に当てられたせいか、シルフたちに背後を見せるのを酷く警戒しながらも、情報兵の二人は前を先導していく。
歩きだそうとしたアーニャは空いているシルフの右手に気が付き、思わず両手で握り、身を寄せた。
シルフは肩に寄り添ったアーニャの髪を撫でると優しく微笑む。
「私のいない間、皆を守ってくれたのですね。ありがとうございます、アーニャ」
「ううん、どっちかっていうと、あたしが皆に慰められてた。
ねぇ、シルフはアレッサ姉さんが好きなの?」
「なぜそう思うのです?」
「さっきの伝言……」
「あれはエアンストの遺言です」
「えっ…でも、兄さんたちの遺体は見つかっていないって……」
「そうですね、追々お話します。
私も整理できないことが多いので」
「ごめん……」
「いいんですよ」
シルフが通る先々に控える兵士たちは皆、直立不動の敬礼をしてくれた。
真実を知らない彼らの中に映るシルフは、憎き帝国軍人を屠った英雄に写っているのだろう。
シルフにはその視線が辛かった。
逃げるようにして馬車に乗り込み、慰めを求めるようにシルフからアーニャを抱き寄せた。
一瞬戸惑いを見せたアーニャも、自分の悲しみを共有するようにシルフに身を任せて、何度目かもわからない涙を流した。




