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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
第一章 因果から伸びる手
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41 - ブラザーフッド⑫

アーニャ・ペトロヴナはまだ兵役についていない魔法剣技部隊の予備役の子どもたちと共に、学舎の一室に陣取り、焦燥感とイラつきを必死に抑え、禄に眠れぬ夜を幾日も過ごしていた。

シルフを筆頭にした魔法剣技部隊の実働部隊は全て戦闘に駆り出された、シルフは片道切符の戦いだと言ったが、相手がどんなものなのか何も教えてはくれなかった。

とうとう業を煮やしてエドゼル・ハバーへ直談判にいったが、複数の将兵に足止めされ面会すらできない。

自分の部隊の最高責任者に会えないのは一体どういうことなのだろうか、ただの新兵が将校と話すことが常識から外れているのか、それもわからない。

せめて王都内の魔物討伐へ再度駆り出してほしいと進言したが、帰ってきたのは待機命令。

軍の宿舎に戻った折には部屋にだれもいないことをいいことに部屋中の家具や備品をめちゃくちゃに破壊し、なんとか気を収めた。

何もできない腹立たしさと、自分を見守ってくれていた上官たちがいなくなった寂しさで駐屯地を抜け出し、こうして学舎にいる後輩たちと時間を過ごしていた。


幾日か前に大量の武装船団がヘルト内に流れ込んできた。

作戦に駆り出されたのは魔法剣技部隊と一個部隊の騎士団、せいぜい70人程度。

あの船団が負傷者を運び込んできたのなら、明らかに駆り出された人間と人数が合わない。

あの船には必ずシルフもエアンストもアレッサも、カールもヨハンも乗っているはずだ。

なのになぜ、自分に会いに来てくれないのだろうか。



「ああっ! ペトロヴナ伍長!

 あたしのハーブキャンディー全部食べちゃったんですか!?」


「わたしのチョコクッキーも全部ないですよぉ! 一日一枚ずつ大切に食べてたのにぃ!」


「ごめん!アラベラ、イルゼ! なんか勝手に手が出ちゃってた!

 次の給金でちゃんと買って返すから!!」



アラベラ、イルゼと呼ばれた双子の少女は半泣きで頭を下げるアーニャを見て、すぐに半笑いになって責め立てることはなかった。



「いいですよ、ペトロヴナ伍長。別に怒ってません。

 ずっと黙りっぱなしだったから、少し安心しました」


「本当に。窓の外を見たままご飯も食べないから、倒れちゃうんじゃないかと思ってましたぁ」



年下の後輩に心配を掛けてしまったことに気恥ずかしさを覚えたが、孤独感は晴れた気がした。

そうだ、シルフが言っていた、独りじゃない、仲間がいる。

その言葉を思い出した矢先、別部屋の魔法剣技部隊の予備役生が血相を変えて部屋に入ってきた。



「ペトロヴナ伍長! 魔闘士が二人、伍長のことを呼んでいます!

 だいぶ雰囲気悪いんで、早く行った方がいいかと…」


「あっちゃー、黙って兵舎を抜け出したのバレたか…。

 つっても、許可取るやつがだれもいねーから来たってのに…」



---



学舎の門に武装した魔闘士が二人立っていた。

くわえタバコをしながら酷く機嫌が悪いように見える。

腕の腕章を見るに第一魔闘士団、魔法剣技部隊と過去に因縁があると聞いたことがある。

軍人になった以上、序列は大切だ。同胞と問題を起こしてもいいことはない、これはアレッサがよく自分に言って聞かせてくれたことだった。

機嫌の悪さならアーニャも負けない自信があるが、ここは下手に出ておこう。



「アーニャ・ペトロブナ伍長であります。

 このような場所にご足労いただきありがとうございます」


「チッ…、ありがとうございます、じゃねぇんだよ、クソガキ…。

 兵舎にいねぇからどこに行ったかと聞いて回ればこんなところで学生ごっこか?」


「まぁいいだろうよ、どうせこいつは当分駐屯地には帰せない。

 ここにいさせておいた方が都合がいい」


「あぁー、まぁ、それもそうか…」



二人は小声で言葉を交わした後、くわえタバコの魔闘士がアーニャに詰め寄ってきた。



「ハバー少佐から許可が出たから伝えにきたぜ。

 ドレスデン要塞に向かった魔法剣技部隊と騎士隊は全滅。

 任務は達成された。が、魔法剣技部隊は当面謹慎、つーことだ」


「はぁ…? 全滅ってなに……?

嘘……でしょう? だって、シルフが……、みんなが……ッ」


「ああん!? テメェ、俺らがデタラメいってるってのか?」


「おい、やめろって」



出会ったときから酷く不機嫌なくわえタバコの魔闘士はアーニャの襟首を掴み上げた。

もう一方の兵士がそれを止めたが、それはアーニャを心配したのではなく、今にも相方を殺しそうな目をしているアーニャを警戒してのことだった。

あの魔法剣技部隊のシルフが贔屓にしていた新兵だ、兵士として女に弱みを見せたくはないが、喧嘩をしたところでよくて半殺しにされるだろう。

男は伝える情報をさっさと伝えて、持ち場に戻りたかった



「全滅とはいったが、一応生き残りがいる、どっちも死にかけてるがな。

 シルフ上級曹長、それとアレッサ・ベーデカー軍曹、この二人は王立軍病院で治療中だ」


「エアンスト・ナウマン曹長は……? ヨハン・アルトマン曹長…、カール・グレーデン曹長は!!!」


「死体は見つかっていないが生存者のリストにはない、戦死したよ」


「───嘘だぁ!!!」



アーニャの絶叫が木霊すると同時に、彼女の身体が浮き上がり、地面に叩きつけられた。

くわえタバコの魔闘士が彼女を殴り飛ばしたのだ。



「うるせぇ!! 静かにしろ! いいか!?

 いまをもってこの国は戒厳令が敷かれた、お前みたいな新兵に構っている暇は俺らにはねぇ!!

 ハバー少佐の命令だ、魔法剣技部隊、及びその予備隊は命令あるまで謹慎を命ずる!!

 ちょうどいいからここで寝泊まりしていろ、わかったな!?」


「…まぁ、そういうわけだ、なぜかハバー少佐は魔法剣技部隊の関係者に動かれるのをかなり警戒されている。

 大人しくしていろ。 …しかしまぁ、仲間を亡くしたことは気の毒だったな。

 こいつ、ドレスデンの街に兄弟が住んでいてな、連絡が取れない、気が立ってるのはそのせいだ」


「余計なことを言うんじゃねぇ…、いくぞ」



アーニャを殴った男はアーニャに背を向けて歩き出した。

もう一人の男もあとを追っていった。


残されたアーニャは殴られた箇所を押さえながら途方に暮れた。

唇の端からは流れ出た血を拭いながら、胸の中に怒りと悲しみと悔しさが入り混じった感情が渦巻いていた。

行き場のない感情が涙となって溢れ出して、その場に座り込んでしまう。



「ペトロヴナ伍長! 大丈夫ですか!?

 すごい大声がしたから何事かと…」


「大変!ペトロヴナ伍長…口から血がでてますぅ!

 中に入りましょう、手当しないとぉ!」


「ううん…、大丈夫、アラベラ、イルゼ。ありがとう。

 部隊のみんなを呼んでくれるかな、伝えなきゃならないことがある」



シルフは、生きている。

信じている、彼の言葉だけが、彼女の今の心の支えになっていた。



---



整えられた銀髪は優美さを、たっぷりと蓄えられた髭は民をまとめ、敬わせる威厳を放ち、頬に深々と刻まれた刀傷は燦々たる戦場を生き抜いた証として強者たちを導く勲章だ。

ヘルト連合王国国王、アダルハード・プリスタイン、齢50を過ぎても衰えぬ君主の覇気に満ちている、はずである。いつもは。


しかし、その彼は酷く狼狽し、冷や汗を手で拭い、向けられる視線を見たりそらしたりしている。

彼の目の前にいるのは、彼の愛しい一人娘、ヘルトの王女、ソフィア・プリスタインである。


長い銀髪は自分の血筋だろう、なんと美しい、二重で丸い空色の瞳は妻のヴェリーヌ似だ、なんと可憐なのだろう、年頃になっても優しく自分に甘えてくれるその愛しい娘が、今は涙の溜まった抗議の瞳で自分を見ている。

つらい、彼にはあまりにも酷であった。


彼女の母、ヴェリーヌは自分の許可など得るはずもなく、勝手に王立軍病院へと向かっていった。

エドゼル・ハバーからの報告に激怒した彼女は、手元に控えていた兵士を即席の護衛のように自分に従えると、これまた勝手に王室にある小型蒸気船を奪取してシルフの元へと行ってしまった。

彼とてシルフの身を案じているのは同じだ、彼もシルフのことをソフィアと同様に、自分の息子だと思っている。


しかし、背負っている職責は、女王とはまた種類が違った。

ヘルト連合王国の軍事における最高責任者である彼が、いち兵士に過ぎないシルフを特別扱いするわけにはいかない。

それはソフィアも理解してくれているはずだ、だが、彼女はただただ泣いてシルフの元へ行くことを懇願し続けている。

ざっと3時間はこの膠着状態だ。



「お父様、どうかお願いです…、私をシルフの元にいかせてください…」


「だ…、駄目だ」


「なぜなのですか…?」


「もう…なんどもいっているだろう、ソフィア…、あやつはヘルトの兵士、ただの兵士なのだよ…。

 ヴェリーヌがそばにいるだけでも問題なのだ…、それにお前が行ったところで何になる…、死にかけのやつを…」


「し…、死にかけ…?

 シルフがッ…、死にかけとはどういうことですか!!」



しまった、と彼は自分の口を自身の手で覆った。

うっかり口を滑らせた、負傷して入院していることは話していたが、生死の境をさまよっていることは娘に酷な事実であるとして頑なに伝えていなかった。

この長時間の問答に、彼らしくなく口を滑らせたのは、アダルハード自身もシルフが瀕死であることにひどく心を乱されていることの裏返しだった。



「おっしゃってください!シルフが死にかけとは…、一体どのような状況なのですか!?」


「そ…それは…」


「お母様がなぜご不在なのか…、いまわかりました…。

 お母様は、シルフを助けるために病院へいったのですね……?」


「うっ……」


「私はこの国の王女!! ”勇敢なる者の守護者”、ヘルトの守護聖女の末裔でございます!

 シルフだけではありません!! いま苦しむを民を見捨て、何が王女なのでしょうか!!

 私を…、私を行かせてください!! お父様!!」


「いい加減にせぬか!! この強情者め!!

 とうを過ぎた程度で、君主を気取るなど片腹痛い!!

 自らの力を過信し、付き従う者たちを軽視し、何が守護聖女か!?

 貴様が成そうとするものなど、既に多くの者たちが求め、探究し、そして実践している!!

 貴様はただの愚かで幼い女だ!! 私はお前の父である前にこの国の王である!!

 立場をわきまえよ、この程度でべそをかいているような貴様に成せることなど何もない!!!」



畳み掛けるように怒鳴ったアダルハードは、自分が玉座から立ち上がっていることに気づき、静かに腰を下ろす。

彼はソフィアを叱ったことがない、それはヴェリーヌの役目だった。

泣いている彼女を毎回あやすのは、自分か、シルフか、またはシルフと二人だった。

泣いていたソフィアの前で、シルフとの剣術ごっこを見せたことがあった。

シルフが買い与えたという勇者に関する本を、シルフと共にソフィアのベッドの傍らで読み聞かせたこともあった。


重責を前にして怯む姿を家臣に見せられず、二人きりのときに、シルフに愚痴をこぼす日があった。

ヴェリーヌの前では言えないような下世話な話を、二人きりで笑いながら聞いてくれるシルフがいた。

シルフと二人で強い酒を飲み比べ、いつのまにか酔いつぶれた自分を、ベッドまで運び、朝起きると傍らに薬と水がおいてあった日があった。


シルフは、アダルハードにとっても、血の繋がりを超えて結ばれた、自分の息子だった。


不意に目頭にこみ上げかけたものを力付くで引っ込めると、自分の言葉で泣き崩れたソフィアを見て、ひどい罪悪感に苛まれながらアダルハードはソフィアの涙が止まるのをまつことにした。


何者かが彼の私室の戸を叩いた。

ソフィアと二人きりにせよ、と命じたはずだ。

表には見張りの兵士がいる、それを無視して、呑気に戸を叩くやつは、アダルハードにとっても数人しかいない。


許しを得る間もなく、一人の老人が入ってきた。

使い込んだ黒いローブ、もはやどれだけ昔のものか一目では判断ができないほど古い多数の勲章。

艶こそ歳のせいで褪せてしまっているが、見事に蓄えられた白い髭。

今も、ヘルト連合王国魔闘士団の頂点に君臨する魔法使い、アルド・ハバー魔闘士団元帥、その人だった。



「久しいですな、王よ」


「アルドか…、すまんが今は外してくれ、親子水入らずというやつでな」


「それにしては悲壮感の漂う場ですなぁ…、なに、自分の子供とうまくいかんというのは、父親として共通の課題のようですじゃ。

 このように泣いている姫様を見るのは老骨には辛い…。 久々ですじゃ、この老いぼれと話でもしませぬか?

 ここは聞き耳を立てるものが多ございますからな、一番てっぺんの塔まで、いかがですかな?」


「何事かお前にも事情があるようだな、アルド。

 よい、その話とやら、聞いてやろう」



アダルハードは玉座から立ち上がると、泣いているソフィアに手を差し伸べかけたが、なぜだか躊躇してしまった。

それを察したアルドが変わりにソフィアを抱き上げ、共に城の最上部の個室へと登っていった。

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