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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
第一章 因果から伸びる手
40/59

40 - ブラザーフッド⑪

山陰からうっすらと朝日の昇る中、連合国国旗を掲げた大型の高速蒸気武装船がけたたましい汽笛を幾度となく鳴り響かせ、ヘルト領内を航行している船舶に対して優先通行を促した。

ヘルト王立病院と隣接した港に着岸すると、多数の水兵が担架に乗った二人の兵士を大急ぎで船から降ろし、病院内へと運ぶ。

待ち構えていた治癒士と医者、そしてルイーサ・ハバーは二人の患者の様態を診て、即座に指示を飛ばす。



「早く手術室へ、上級治癒士は外科医について手術補助をなさい!! 

 この方を死なせたら、私達の首が文字通り飛びますわよ!

 もう一人の魔闘士様も、早く運びなさい!!」



普段はしとやかで慈愛にあふれる気品に満ちたルイーサ・ハバーだが、重症者としてイの一番に担ぎ込まれるのがシルフと知ったときには、正装のカズラとストラを脱ぎ捨て、白衣に着替え、全身に聖魔法をたぎらせらせながらその到着をまっていた。

なぜこれほどまでにヘルトの兵士たちが外部から戦傷で運び込まれるのか、ルイーサには詳細はわからなかった。

夫が勤めているはずの軍部からは、極めて限定的な情報しか得られず、誰を相手に、何を目的とした戦闘があったのかもわからない。

状況を把握できない苛立ちが募るが、今は運び込まれる兵士たちの命を救うことが、ヘルトの守護聖女の役目だと、己を殺して職務に徹することにした。

何よりも、親友の"息子"であるシルフを死なせてしまっては、ヴェリーヌに面目が立たない。

彼女は今も、広大な湖で孤立したムート区に、何も事情を知らずにいるはずだ。


しかし、救わなければならない人間は彼だけではない。


病院のそばの港に着岸する船は次から次へと入れ替わる。

そのたびに、担架に乗せられた患者が次々と病院に担ぎ込まれる。

ルイーサは日の出を迎えた山を見ると、足早に病院の中へ駆けていった。



---



丸一日掛かっただろうか、シルフの手術は終わり、高級士官しか入院できない貴賓室に寝かされ、絶えず治癒士たちが自己再生促進の治癒魔法を浴びせ続けていた。

若い男性外科医が脈を取る様子をルイーサが見つめている。



「ふむ…、副理事長、脈も呼吸も芳しくありませんね。

 怪我の方はやれることはやりましたので、意識が戻ってくれることを願うしか…」


「そう、ありがとう。

 なにか気になる点はございまして?」


「気になるも何も…。

 医者としてこんなことは言いたくありませんが、出血量と傷口の状況から見て、彼が生きていらっしゃることが奇跡です。

 もう片方の女性の魔闘士様も同じように思いましたが、彼女については命に別状はありませんでした」


「アレッサ・ベーデカー軍曹…、彼女も助かったのですね…」


「ええ…、呼吸、脈拍、体温、全てにおいて生命活動ギリギリの状態で運ばれてきていました。

 まるで動物や魔物の冬眠状態にような代謝、いうなれば仮死状態といっていいと思います。

 残念ながら、右手は肘の下から切断、顔の熱傷は代謝の低下で皮膚移植がうまくいかなったので以後の回復を待つ必要がありますが」


「そう…、顔の傷は…女性にとっては酷なことといえますわね」


「私は命を救うのが仕事ですので、見た目までは配慮できませんよ。

 それより、その……、この方は本当に人間なのでしょうかね、とても信じられないのですが……。

 王都も魔物どもによってこのような事態になりましたし、正直に申し上げて……」


「滅多なことをいうものではありませんことよ、今の聞かなかったことにします」


「あ、いやッ、失礼いたしました…」



けたたましい蒸気船の汽笛の音が鳴り響いた。

負傷者や死者の搬送は昨日の時点でほぼ終わっているはずだ、今こんなに強引に王都内を航行する船はなんだろうか。

不審に思ったルイーサだが、予想は一瞬でついた。

病室のガラス窓からムート区の方角を見ると、王室の旗を掲げた小型の船が向かってきている。

彼女がシルフのこの状態を知れば、必ずや駆けつけるだろうと。

親友の感情が手にとるようにわかるルイーサは、ため息交じりに微笑むと、その場にいる治癒士や医者に告げる。



「ヴェリーヌ女王陛下がお見えになりますわ。

 彼女はきっとここに向かってきます」



治癒士と医師の身体がびくりと跳ね上がった。



「心を乱さないで。治癒魔法に影響が出るわ。

 シルフ様を死なせたら、彼女がどんな癇癪を起こすかわかりませんもの」



そう言うと、ルイーサは病室の椅子に座り、汗だくの額を拭ってお転婆女王の来訪を待つことにした。



---



シルフの病室に入ってきたヴェリーヌは、治癒士も医者も護衛の兵士も部屋から追い出し、一人で治癒魔法をかけ始めた。

唯一その場に残ったルイーサが予想外の彼女の横暴ぶりに呆れ果てた顔で見ている。



「ヴェリーヌ。あなた、シルフ様が目覚めるまでずっとそうしているつもり?」


「放っておいて、私と…この子の問題…」


「放っておけ、と言われてもね、ずいぶん昔にも似たような状況になってシルフ様がここに来たときにも言った覚えがあるけど。

 立場…、それを弁えて欲しいの。あなたはこの国の国王の妻、君主の一人、一人の兵士に肩入れしていい身分ではなくてよ。

 死にかけている兵士はシルフ様だけではないわ。あなたがここにいるせいで、私達がどれだけの迷惑を被っているか考えてちょうだい」


「……エドゼルが…この子がここに運ばれていることを報告しにきたの」



強力な治癒魔法を掛けながら、シルフの黒髪を愛おしそうに撫でているヴェリーヌは、やや怒気のこもった声でそう言った。

不意に夫の名前が出たルイーサの表情も硬くなる。



「いつもの飄々とした口調で…、軍事機密と言って作戦の内容は一切話すことなく、この子とこの子の部隊がその作戦に投入されたこと。

 部隊が全滅して、この子がここに運ばれたことを話したわ…。 誰が作戦を指揮したのか尋ねると、自分だと…」


「何が言いたいのかわからないわ、ヴェリーヌ。

 私の夫を責め立てているのかしら? シルフ様は軍人、あの人も軍人、国を守るために命を捧げるのが軍人の努め。

 その判断をした夫を咎める権限など、いくら女王であってもなくてよ」



椅子から立ち上がったヴェリーヌは常人の魔法使いであれば近くにいることすら多大な負荷が掛かるほど、強大な魔力を発しているヴェリーヌのそばに近寄ると、鋭い視線で彼女を睨んだ。



「あなたは知らないのよ、この子が…、この子が私にとってどれほど大切なのか…。

 この子がいなければ、私も…ソフィアも…。

 この子を軍に引き抜いたあの男を、あのときもっと強く止めてさえいればッ…、この子をこんな目に!!」



ルイーサはカッと頭に血がのぼり、右手の袖を捲り上げると、ヴェリーヌの頬へと平手を振り下ろした。

しかし、その平手はいとも容易くヴェリーヌに防がれ、底しれぬ怒りを孕み、絶え間なく涙を流す瞳がルイーサの心に揺さぶりを掛けた。



「…いま、ここに横たわっているのがあなたの娘だと考えてみなさい…、私の怒りがどれほどか分かるはずよ。

 許さないわ…、私はソフィアになんて言えばいいの……。

 ああ…、シルフ。 今度は私が…、私があなたを救ってみせるわ…、絶対に死なせたりしない…」


「……もう何も言わないわ。

 私は他の患者を見なければいけないから、後はあなたを連れてきた衛兵に引き継ぐわ」



彼女とは、彼女がまだ王室に入る前、共に戦場で命尽きる兵士たちを救っていた頃から知っていた仲だ。

その当時から、常に冷静で、どんな惨たらしい戦場でも決して取り乱さなかった彼女が、ここまで感情を剥き出しにしている姿を見るのは初めてだった。

それだけ、シルフの存在が彼女の中で絶対的に大きいのだろう。


シルフが死んだ場合、彼女の怒りは夫であるエドゼルの立場に相当の悪影響を与えると思われる。

ヴェリーヌがシルフを愛するように、ルイーサはエドゼルと娘のカーリアを愛している。

ヴェリーヌの気持ちも理解はできるが、ここは自分の身内のためにも譲れない。

その意味で、シルフには生きてもらわねばならないのだ。



---



それから丸二日間、ヴェリーヌはシルフに回復魔法を掛け続け、そしてついて倒れた。

飲食もせず、休憩はおろか睡眠も取らなければ当然だ。

彼女はこのまま王立軍病院で静養することとなった。

この結果をある程度予想していたルイーサにとって、非常に頭の痛い話だ。


死者を蘇らせるとまで言わしめた彼女の魔法も、シルフを昏睡から目覚めさせることは叶わなかった。

シルフの容態は変わらず厳しい、傷の治癒も思うようにいかず、不安定な脈と呼吸でいつ様態が悪化してもおかしくはない。


ヴェリーヌには遠く及ばないが、病院に所属する中では指折りの治癒士をシルフのそばにつけた。

今は彼の生命力にかけるしかない。


ふと、重低音の汽笛の音が響いた。

通常はヘルトの外にある軍港に停泊するような巨大な戦艦がムート区へ近づいている。

あそこにはソフィア王女と、ルイーサの娘、カーリアが乗っているはずだ。

王都が安全になるまで洋上で過ごしていたはずだが、あの船が帰ってきたということは王都内の魔物討伐も終わり、安全も確保されたのだろう。

今すぐにでも娘の元へ行きたい気持ちを抑えて、ルイーサ自身もシルフの回復に回った。

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