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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
第一章 因果から伸びる手
39/59

39 - ブラザーフッド⑩

エアンストが自身の命と引き換えに起こした爆炎によって、円筒の砦とを結んでいた階段も下階の要塞もろとも崩れ落ちた。

崖下の海からは波が打ち寄せる音と、強風が崩れた瓦礫の間を通り抜ける甲高い音だけが響く。



「リナス、お前の仲間たちは見事にやり遂げたよ。

 これで兵隊共に掛かった術は解けたはずさ。

 でも残念だね、みんな死んじまったみたいだよ」



ライザは剣を肩に乗せ、瓦解した砦を眼下に見ながら光のない赤い目を歪め、愉快そうに笑いながら言った。

彼女の笑い声を無表情で聞いていたシルフは、一瞬、唇を噛み、腹に突き刺さっているライザのシミターに手をかけると、姿勢を傾け、ズリズリと音を立てながら抜きぬいた。

そして、銃で撃ち抜かれた足を引きずりながら立ち上がり、腹部から吹き出す自身の血を自分の剣に浴びせる。



「ああ…、やっとその気になってくれたか。

 いいさ、待っててあげるから、昔のお前を見せておくれよ」



シルフの剣からどす黒い瘴気が吹き出したかと思うと、とぐろを巻いた蛇のような姿へ変わり、大きく開いた口部から人間の悲鳴のような声が発せられた。

それは空気を震わせ、人間の正気を失わせうる狂気的な鳴き声だった。


その鳴き声に呼応するように白く輝く真球の魂が、この戦いで無惨に散っていった者たちから飛び出し、中を舞い、シルフの周囲に集まると、大口を開いた蛇がそれらを次々に食らっていく。

蛇が魂を食らうたび、シルフは耐え難い苦痛に顔を歪めながら、布を引きちぎるが如く、いともたやすく自身が上半身に身に着けたミスリル鋼の鎧を引き裂いた。

あらわになった上半身に刻まれた血の刺青が鼓動するように赤く煌き、模様の先端が蛇のように這いずりながら新たな刺青としてシルフの身体を犯していく。


全ての魂を食らった蛇は離散し、長い苦痛から開放され、開かれたシルフの瞳は、ライザと同様に真っ赤に光っていた。



「ああ…、とっても素敵…、リナス。

 600年ぶり…、さぁ、仕切り直しさ」



ライザは石畳に転がっていたシミターを拾い上げ、二刀を構える。

覇気を纏い、突進したライザはシルフとの間合いを一気に詰め二刀のシミターを上から薙ぎ下ろす。

凄まじい金属音と衝撃が当たりに轟いたが、それを受けたシルフは剣を持つ左手一本で軽々と受け止めたばかりか、視線は心ここにあらず、というようにライザを見ていなかった。


あっさりと自分の攻撃を防がれたライザは、なぜか酷く高揚し、犬歯をむき出しにして震えるように喜んだ。



「いい! いいよ! リナス!!

 もっと、もっと!! あんたはもっと強いはずなんだからさぁ!!」



石畳に着地したライザは収納していたつま先の仕込みナイフ放つと、体を反転させ、シルフの顎を蹴り上げた。

だが、シルフはその攻撃にも視線を向けることなく、左手に持つ剣で弾いた。

ライザは両手のシミターを振りかざし、シルフの頭部を斬りつける。

シルフはそれも難なく剣で受けるが、今度は受け流すのではなく、シミターに自分の剣の刃を滑らせるように近接し、姿勢を下げ、ライザの腹部に剣で貫き、そのままの勢いで宙へ上昇、風の魔法をまとって降下し、石畳に磔にした。


シルフの剣は石畳に深々と突き刺さり、ライザの動きを完全に封じる。

ホルスターから二挺の銃を引き抜くと、シミターを離さない彼女の両手首へ撃ち込む。

両手首がちぎれ飛び、夥しい赤黒い鮮血の海にライザを沈めた。


だが、ライザは悲鳴一つあげることなく、恍惚とした表情でシルフを見上げている。

シルフは初めてそこで彼女に視線を向け、哀れみを孕んだ目で見つめると弾丸の込められた最後の一丁の銃をホルスターから引き抜き、ライザの額に押し付けた。



「ああ…、リナス…。

 何をためらっているんだい…、撃ちなよ。

 あんたの可愛い部下のかたきを殺せるんだ、何をためらってるのさ?」


「…マスターに伝えてください。

 ”あなたを必ず殺し、冥府に連れていく”…、と」


「なんだ、気づいていたのかい」


「あなたがこんなに簡単に死んでくれるとは思っていません」


「ふっ…、そいつは残念だったね…。

 まあ…いいや…。お前と過ごしたあの場所で待ってるよ…。

 あたしら二人は逃げられないのさ、永遠に…ね」



目一杯に狂気的な笑い声をあげる彼女の眉間みけんをシルフは躊躇することなく撃ち抜いた。



---



頭部を吹き飛ばされたライザの死体は木材の燃えカスのように崩れ、潮風に乗って消えた。

シルフの血のような紅い瞳は消え、髪の色と同じ黒へと戻った。


同時に”力”によって抑制されていた怪我の痛みと、自らの身体に刻み込んだ魂たちの苦痛と恐怖、悲壮な死の間際の想いが流れ込み、その場にしゃがみ込んだ。

見知らぬ兵士の感情、幾度も言葉を交わした部下の感情、一つ一つが彼の心を締め付けていく。


走馬灯のように浮かんでは消えていく感情の中に、ヨハンがいた。

恐怖と怒り、慟哭、彼が散った最後の感情をシルフは必死に受け止める。


次に流れ込んできたのはカールだった。

彼の魂は酷く冷静だった、この世を去るその場所を求めていたかのように安らかだった。

飄々と生きていたように見えた彼には不釣り合いな感情にシルフは酷く戸惑った。


次に流れ込んできたのは、エアンスト。

彼の最後にも、恐怖や怒りといった感情はあまりなく、だが、頑なに何かを護ろうとしていた。

言うまでもなく、アレッサだった。

彼女の今後を憂う深い愛情と慈愛の念が流れ込んでくる。


最後に覚悟していたシルフだが、その魂の感情は流れ込んでこなかった。

アレッサは、彼女は生きている。


その確信と共に、シルフは立ち上がった。

小腸が飛び出してくる腹部をそばに倒れていた兵士の衣類で縛り付け、激痛も無視して、瓦解した砦の瓦礫の中へと身を投げる。


足元にボタボタの血を滴らせながら、瓦礫の下敷きになった遺体の隙間をくまなく探す。


ふと、月明かりに照らされた砦の片隅に銀色に光るものを見つけた。

瓦解した石畳の隙間に落ちていたのは月桂の意匠が施されたプラチナの指輪をつけた、左手の薬指だった。


血にまみれて崩れてなくなってしまいそうなその指を、シルフは震える手で拾い上げ、指から慎重に慎重に指輪を外す。



「エアンスト…、エアンスト…、アレッサは生きています…。

 お願いです。彼女は…どこに…」



自分の胸元に新たに刻み込まれた刺青を撫でながら、自身に刻み込んだエアンストの魂にすがるるように問いかける。

すると、魂の波動が波紋のように広がり、シルフの頭の中に漆黒の海原が浮かび上がった。


シルフは風魔法で跳躍し、砦の縁に立つとはるか眼下に広がる暗い海へと身を投げる。

今にも手放してしまいそうな意識を奮い立たせ、冷たい海を目を凝らしながら泳ぐ。

しばらく沖合を探したが、彼女の姿は見えなかった。

沖合から砦を振り返ると、遠方の浜辺に再び、月明かりに光るものが見えた。


シルフは無我夢中で波をかき分けて泳ぐ。

もう風魔法を使った身体操作が行えるほどの力は残っていなかった。


浜辺に打ち上げられていた人間は、たしかにアレッサだった。

しかし、シルフはそれがアレッサだったと、あの美しく快活な女性であったと受け入れることができなかった。

右半分の顔は醜く爛れ、眼球は潰れていた。

右手は皮膚が殆ど残っていない、骨がむき出しだった。

それでも、左手の薬指に光る指輪が彼女であることを証明している。


シルフはベルトに付けたポーチから銀色の液体に満たされた薬瓶を取り出すと、変則的で弱々しい呼吸をするアレッサを抱き上げ、指先で口を開き、その液体を流し込む。

彼女に薬を飲ませながら、もう二度と合うことができない友との最後の会話を思い出していた。



~~~



─────ドレスデン要塞襲撃の直前、カールの執務室にて


『カール、そろそろ船の準備が整いますが、渡したいものとはなんでしょう?』


『へへ、俺のとっておきの薬をシルフ隊長に渡しておこうと思いましてね』


『…カール、大丈夫ですか? ひどく身体が震えていますが…。

 随分前から体調も優れていないように見えました』


『あー、これでもだいぶマシな方なんすけどね、エアンストにも何度か問いただされて焦っちゃって。

 すんません。隊長の前で駄目だと思うんですけど、最後なんで……』



机に寄りかかった彼は金色の液体の入ったガラスの注射器を口に加え、袖を捲りあげると肘の静脈へ注射した。

そのまま床に倒れ込んだ彼を抱き上げると、捨てられた注射器に視線を向ける。



『アンブロシアですか……』


『の、出来損ないです…。

 血中に入れるのは初めてなんで、効果が切れたら俺はきっと死にます。

 ああ…、落ち着いてきた…。片道切符の戦いの間くらいは持ってくれますよ』


『なぜ、このようなことを?

 こんなものに手を出すようなあなたではなかったはず』


『隊長…、俺の夢って覚えてます…?』


『錬金術師として名を上げる、でしたね』


『こいつは…、この薬は、錬金術師としての俺の集大成なんすよ』


カールは銀色の液体の入った薬瓶を引き出しから取り出すと、シルフの手を取り、握り込ませた。


『もし、隊長が死にそうになったら、その薬を使ってください。

 んで、生きて帰ってきてください。

 そしたら、そこの金庫にある、この薬の製法を記した本を、ベンの旦那に渡して欲しいんす。

 他の誰かに見つかっちまったら、きっと処分されちまうんで』


『今回ばかりは私も約束できませんが善処します。

 それより、生きて帰ったらちゃんと治療しましょう、カール』


『へへへ、それも約束できねーっすね、……へへへ』



~~~



カールとの会話を思い返しながらシルフはアレッサの様態を力のない眼で注視した。

彼女の傷口からの出血が止まった。

呼吸、心臓の鼓動は極端に緩慢になり、体温も低い。

顔色も土気色で酷く悪いが、しかし、たしかに生きている。


いよいよ、シルフも意識を保つのが難しくなった。

誰かにこの場所を見つけてもらわなければ、全てが無駄になる。

シルフは濡れた弾薬袋から、一つの弾丸を取り出した。

ヨハンが考案した、マナ結晶を使った弾丸だ。

使い方は聞きそびれたが、今のシルフであれば、この弾に込められた力を発揮させられる。

シルフは震える手で弾倉に銃弾を込めた後、夜空へ銃口を向け魔力を込めた。

放たれた弾丸は雷鳴のような轟音とともに、アレッサとシルフの真上に巨大な火球を形成し、周囲に強烈な閃光を発した。

それを見届けたあと、アレッサを冷たい波から守るように抱きかかえたまま、シルフは意識を失った。

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