37 - ブラザーフッド⑧
エアンストたちが海岸沿いに突入すると同時に別方向で待機していた別働隊も一度に浜辺を駆け抜けた。
大量の海水による津波の直撃を受けたトーチカは地すべりによる土砂で大きな損害を受けていたが、まだ機能している多数のトーチカから銃士隊の発砲音が鳴り響く。
魔法剣技部隊は極力散開しながら砂地の斜面を風魔法を纏って跳躍していく。
「ヨハン! 10時方向の特火点を潰せるか!?
この距離じゃ魔法が届かん!!」
砂丘の影に伏せ、エアンストがヨハンに指示を飛ばす。
ヨハンは銃身を開けガツガツと薬室から鉛を叩き落とすと弾薬袋から付呪済みのマナ結晶を取り出し、銃身に込め、トーチカに狙いを定め撃つ。
着弾地点に強烈な閃光が浜辺を照らした次の瞬間に爆音と熱線が轟く。
爆煙魔法の付呪を施したごく少量のマナ結晶体と鉛を混合したヨハンにしか扱えない弾丸だ。
執拗に向けられていた発砲音が止み、その隙を逃さず砂丘から多数の魔法剣技部隊が飛び出し一気に陣地へ距離を詰める。
無傷のトーチカの隙間に猛烈な火炎魔法を流し込むと灼熱に苦しむ兵士が塹壕を飛び出し、そこを剣や銃でなぎ倒す。
敵ならまだしも、同胞たちの放つ阿鼻叫喚に戦っている隊員の精神も著しく損耗していく。
ガラガラと鉄道線の上を重量物が通る音が鳴り響く。
砲塔の照準を操作する歯車がゴリゴリと音を立て、大口径の砲口が混戦状態の海岸陣地に向けられる。
無表情で虚ろな目の砲兵が拉縄を引き、撃針が雷管を叩き砲弾が撃ち出される。
空中で炸裂した砲弾は暴風雨のような弾片を一帯に降らせる。
その弾片はミスリル鋼製の装備さえも貫通し、地表で混戦していた魔法剣技部隊を一斉に地に釘づけた。
緩慢な動きで次弾を装填しようとした砲兵たちだが、ヴァルター・ラーテナウが同胞から鹵獲したライフルから発射した数発の弾丸が全ての砲兵の頭部に命中したことで次の攻撃は免れた。
敵を沈黙させたことを悟ったヴァルターはライフルを抱いたまま、塹壕の中に崩れ落ちる。
「うそ…、ヴァルター!!
カール!! ヴァルターがッ…他のみんなもッ!
ねぇ…ヴァルター!! 返事してよ!! ねぇ!!
カール!! お願いだから…助けて…」
「無理だ、姉御…、せめて痛みは取ってやる…」
カールはバッグから針のついたアルミニウム製のチューブを取り出すと、ヴァルターの頸部静脈に打ち込んだ。
痙攣と痛みが止まり、薬がもたらす多幸感が苦痛に歪む彼の表情を和らげる。
アレッサはトーチカの中にヴァルターを引きずり、太ももの上に頭を寝かせた。
運良くトーチカによって砲弾の破片から逃れた四人がヴァルターを囲んだ。
「ヴァルター…聞こえる…? 痛くない?」
「あ…、ベーデカー軍曹…?
すみません、何も見えなくて…」
「いいよ…、ごめん、喋らなくていから…」
「ナウマン曹長…いらっしゃいますか…?」
「ああ…、いるよ。
すまないな…、ダメな上官で…すまない」
「あ、違うんです…。
あ、あの、ベーデカー軍曹のこと…守ってあげてください。
あ、僕…、その…、…やっぱり…いい…や……」
ヴァルターの身体から力が抜け、がくりと顎が下がった。
声を殺してしゃくりあげるアレッサの涙が、息を引き取ったヴァルターの鼻先に落ちる。
「静かだ…。 今しかない、一気に要塞に突入する。
泣くのは、後にしよう」
ヴァルターの遺体をその場に寝かせ、塹壕へ続くトーチカから出ようとした四人の目の前に、一人の影が塹壕に飛び降りてきた。
四人一斉に銃を向けたが、すぐに相手が分かり銃口を下ろす。
「エアンスト…、皆さん、無事でしたか」
「シルフ隊長もご無事でしたか…」
「騎士隊がこの要塞に向かってくる残存兵力を食い止めています。
私と一緒に来れますか?」
「いきます…」
シルフはヴァルターの遺体に近づき、白目を半開きにしている両目をそっと閉じ、彼の亡骸を太ももに乗せたまま涙を流すアレッサの肩を叩いた。
アレッサはヴァルターの頭を持ち上げ、両手を組ませて地面に安置させ目をこすりながら立ち上がる。
四人が這い出た塹壕の先には魔法剣技部隊の隊員たちと、この防御陣地を守っていたと思われるかつての同胞たちの遺体が累々と横たわっていた。
夏という季節のせいか、すでに羽虫の類が遺体の周囲を飛び回っている。
シルフは一瞬の暇、両手を組んで祈りを捧げると剣を抜いて斜面を登り、森の中に入った。
その後を四人が追いかける。
しばらくすると、表門の開かれた要塞の入り口が見えた。
その入口に銃を持った兵士が、横一列に並んで構える。
五人は一斉に風魔法の刃を放ち、前列の兵士を牽制したあとに魔法の火球を放ち、火炎にのたうつ兵士の中へ飛び込み、剣でとどめを刺した。
砦内部の散発的な戦闘をこなしながら、階段を上がり、要塞の屋上へと到達する。
胸壁に大砲がずらりと並んでいたが、不思議なことに、ここに操られた同胞の姿はなかった。
広く開けた屋上の最奥に監視塔であろうか、円形の建造物の屋上へ続く石階段が見える。
「静かだな…、シルフ隊長、魔王の使いの女はここにいるのでしょうか」
先頭を歩くシルフに周囲を警戒しながらエアンストがつぶやく。
しばらく歩いたところで、シルフが立ち止まり、視線を上へと向けた。
ポンチョのように全身をすっぽりと覆う黒いローブを身に着け、フードを深く被った正体不明の人物が円形の監視塔から跳躍し、曲刀を両手に握りしめ、シルフへ猛突してきた。
シルフは相手の剣を受け流すと、突進の勢いを生かしたまま相手を要塞の石畳に叩きつけ、胸部に当たる箇所へ向けて剣を突き立てた。
手応とともに黒く、悪臭のする血液が飛び散り、敵の動きが止まる。
シルフが剣を引き抜いて、距離を取った瞬間、その者は再び立ち上がると、また跳躍し胸壁の凸部に立つ。
剣先をシルフに向け、それから監視塔の方へと向けた。”いけ”という意思表示のように見える。
そして、剣先はエアンスト四人に向けられ、剣を持つ手首を上下に振りながら挑発してみせた。
エアンストがその様をみて、シルフに視線を向ける。
「シルフ隊長、こいつは俺たちを相手にしたいようです。
もう間もなく、日が完全に沈みます。
理由はわかりませんが、シルフ隊長はあの監視塔まで急いでください」
「あれには痛覚をはじめとした人間としての感覚がありません。
殺すには身体を物理的に破壊するしかない。
どうか生き残ることを優先してください」
「シルフ隊長こそ、死なないでよね…」
シルフは円筒状の建物の屋上にある監視塔へ走り出した。
夕暮れは夕闇に変わり、もうすぐ日が沈む。
この突発的短期間の戦でどれほどの同胞を自らの手で殺めたのか、四人は怒りの矛先をマントの人物に向ける。
胸壁から四人の前に躍り出たやつは、片手に剣、片手に火炎をたぎらせながら、剣先を上下に動かし、再び挑発してみせた
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監視塔へと続く階段を駆け上がると、その先に大海原が広がり、広い円形の石畳に多数の兵士の惨殺体が転がっていた。
胸壁の隙間から水平線に沈む夕日を赤いローブとフードをかぶった小柄な女が、物思いに耽るかのように頬杖をついて眺めている。
さっと潮風が吹いて、彼女のフードがめくれ背中に落ちる。
ショートの黒髪をたなびかせながら、女は振り返り、完全に大海原へ落ちる刹那の太陽の残光に照らされた表情は、大きく見開いた血のように赤い瞳に犬歯をむき出しにした、世にもおぞましい張り付いた笑顔だった。
「あはっ、600年くらいぶりだね、やっと会えて嬉しいよ、リナス。
あたしにとっては600年だけど、あんたにとってはどのくらい?」
「11年と少しですよ、ライザ。
そして、私の名前はリナスではなく、シルフ。
いったい何百回言わせれば気が済むのでしょうか」
「お前が何回言おうが、あたしにとってお前はリナスなんだよ。
これこそ何百回も言っているだろう?」
「なぜそう呼ぶのか、何も話してくれないから訂正しているんですが」
「何度も言ってるっしょ? 忘れちゃったんだよ、リナス」
両腰に刀身がむき出しのシミターを下げたライザと呼ばれる女が監視塔の中央へと歩み出る。
シルフも銃に鉛を込め、ホルスターに差すと、ミスリル鋼の剣ではなく、自前の剣を抜き、彼女の元へ近づいた。
「もう一度一緒に行こうよ。リナス。
私たちは魂を狩るしかないんだよ。あいつに願いを叶えてもらったときの契約を果たすんだ。
またたくさん人を殺すんだ、面白そうでしょ?わくわくするでしょ?」
「…あなたを見ていてつくづく思うのですが、
なぜあの人は私から”慈愛”の心を奪わなかったのでしょうね」
「さぁ? わたしもずっとわかんないままなんだよね」
シルフの剣が下段から上斜めへ切り上げた。
風を切る音にライザの前髪数本が舞い落ち、上体を後方へ反らした彼女の両腕が両腰に下げたシミターのグリップをつかむ。
シルフはそれを抜かせる暇を与えることなく、右手に構えた銃を彼女の眉間へ撃ち込んだ。




