36 - ブラザーフッド⑦
「なんで!? 意味わかんない!!
あたしも行く!! 絶対に置いていかれるなんて嫌だ!!」
「アーニャ、落ち着いて!
ね! お願いだから!!」
「離せ!! アレッサ姉さん!!
シルフ!! あんた、あたしのこと信じてるって言ってくれたじゃん!!」
信号弾によって王都市内に散らばっていた魔法剣技部隊の実働部隊は魔闘士駐屯地の一室に集められ、ドレスデン要塞への強襲隊として準備が進められていた。
当然にその中に入ると思っていたアーニャは、シルフから強襲隊から外され、ヘルトに残るよう命令されたことに激怒した。
「信じているからですよ。アーニャ。
あなたを信じているから、ここに残ってほしいんです」
「嘘だ!! あんたも同じだ!!
みんな…みんな!! あたしのことなんて見てない!!
勝手な都合でいなくなって…、ひとりにして…、捨てていくんだ!!」
アレッサの手を振り払ったアーニャは風魔法を纏った拳をシルフの鳩尾めがけて突き入れた。
身体が宙に浮くほどの衝撃と打撃音が室内に響き渡る。
あまりのアーニャの剣幕と覇気に、室内にいる誰も彼女を止めることができなかった。
「すごいですね、アーニャ…。
これは、受け止めきれなくて…、肝臓に響くほど…です。
やはり私は安心して、魔法剣技部隊をあなたに任せられます」
「え…?」
拳を引っ込め戸惑うアーニャをシルフはぐっと抱き寄せる。
涙と汗でぐしゃぐしゃの髪を撫でながら語りかけた
「幼い身体で、生きたまま業火に焼かれるような苦しみのなか、それでも強烈に生にしがみつくあなたに最初に出会ったときから確信していました。
あなたは私と同じだと。
きっと強く、優しく、誰かを守っていくことができる人間になってくれると」
「なに…言ってるの…、シルフ…?」
「この戦いは…、おそらく片道切符なのです。
私を含めて、おそらく全員が戻ることができない。
こんな日が来てしまい非常に残念なのですが、次の世代へ託すときが来たのです」
「なんでそんなこと言うの…? あたしひとりで…できるわけない…」
「独りではありませんよ、後ろを見てください」
シルフに促されて、アーニャは後ろへ振り返る。
そこにはまだ兵役についていない、魔法剣技部隊の訓練生たちが、様々な感情の入り乱れた表情で彼女のことを見ていた。
すでに屈強な身体の少年少女も入れば、か細い身体で付呪の魔法書を抱えた少女もいて、カールのまねごとなのか長く髪を伸ばした薬学の本を持った少年もいた。
その場にいる数十人の少年少女は皆、シルフが魔法剣技部隊へ迎え入れた、次の世代を担う子どもたちだ。
「私もひとりではありませんでした。
エアンストがいて、アレッサがいて、カールもヨハンも、たくさんの仲間に支えられてきました。
みんな、懸命にこの部隊のために尽くし、ヘルトの軍人として何かを残すために努力をしてきました。
こんなところであなたがもし、散ってしまったら、私たちがやってきたことが全て無に帰してしまう。
あなたは生きて、私たちがそうしたように次の未来へ繋がる仲間を育ててください」
「そんなッ…そんな最後のお別れみたいなこと言うなよッ!!
嫌だよぉ…、あたしを置いていかないでぇ…」
「頑張って戻ってきますよ。
甘いものを食べに街にいきましょうね、アーニャ」
最後に彼女の頭を撫でてシルフは部屋を出ていった。
エアンスト、カール、ヨハンも去り際に彼女の頭を撫でていく。
アレッサは、泣き叫ぶ彼女を抱きしめ、額にキスをして出ていった。
各々隊員たちは思い入れのある子どもたちに別れを告げて去っていく。
アーニャの慟哭は部隊の全員が部屋から消えても止むことはなかった。
---
「港へは行くな!!
なるべく迂回して、丘陵のドレスデン要塞の近くに止めろ!!
もう日が落ちるまでの時間がない!!」
蒸気エンジンのけたたましい音、流れに逆らって船体にぶつかる波の飛沫、水平線に沈もうとする太陽。
二隻の高速小型蒸気船にシルフたち魔法剣技部隊とアルガー・ルーカスの騎士隊が旗信号と大声を頼りに要塞都市ドレスデンへ全力で向かっていく。
荒れる洋上の甲板の上で、シルフを取り囲んだ50余名の魔法剣技部隊員たちは深くフードを被りながら眼前に見える丘陵にそびえ立つ要塞を眺めた。
「皆さん、見敵必殺です。砦にいる魔王の使いの殺害を目標とし、それを阻む者すべてを殲滅してください。
それが例え、かつての同胞であってもです。
市民の救出は後続部隊の役割、我々は敵の殲滅のみを優先します」
隊員たちがフードの下で無言でうなずく中、アレッサが望遠鏡を構えて要塞を観察している。
何かが、石壁の上で動いている。胸壁の隙間から大きな筒がせり出してきた。
すぐに危機を察したアレッサはフードを深く被り直し、腹のそこから絶叫する。
「みんな伏せろ!!伏せろぉぉぉぉ!!
大砲がこっちを狙ってる!!」
夕焼けに染まる要塞から次々に閃光が煌き、轟音が聞こえるよりも早く、鋼鉄の弾殻が二隻の船の水面を叩き、巨大な火炎柱が吹き上がる。
水面から散らばる砲弾の弾片が船体を貫通し、ミスリル鋼の鎖帷子のフードの隙間を抜け、数名の隊員の喉を突き破った。
彼らは吐瀉物のような血のあぶくを吐きながら、喉元を押さえわずかにもがいたが、すぐに事切れる。
「全員飛べ!!船から降りて海岸まで泳げ!!
岸についたら特火点に気をつけろ!!操られた銃士隊がいるかもしれん!!」
エアンストの号令で隊員が次々に海へ飛び込む。
振り返ったエアンストは砲撃によって死んだ隊員たちのそばに跪き、項垂れているシルフを見て、苦渋の表情を浮かべ、叫んだ。
「シルフ隊長!! 我々は行きます!!
ご武運を!!」
エアンストが叫び海に潜った直後、砲弾の直撃を受けたシルフたちの船は轟音と火炎に包まれ海の藻屑となった。
砲撃の着弾直前に空高く飛んだシルフは、船体ごと海の底に沈む仲間を目下に見ながら、岸へ向かって滑空していった。
---
トーチカからの射線が通る浜辺を避け、岩礁にたどり着いたアレッサは、陸に上がると即座に岸壁に屈み身を隠す。
剣と銃を抜き、四方を警戒しながら、岸壁沿いを歩き、船から降りた仲間がいないか確認する。
上を見上げれば、要塞の一部が見える、ここはドレスデン要塞が建つ丘の真下だ。
あれから何人が生き残れているだろうか、まだまだ砲撃の音が止まない。
部隊の皆は生きているだろうか、騎士隊は、シルフはカールはヨハンは、…エアンストは生きているのだろうか。
アレッサの頭の中をぐるぐると強烈な不安と焦燥感が漂い、孤独が襲ってくる。
海洋を反射する熱い日光が差し込むのに、濡れた身体の震えが止まらない。
これまでも命のやり取りを幾度となくくぐり抜けて来たが、これほど恐怖に支配されたことはなかった。
ザッと波の音が聞こえ、瞬時にそこへ銃口を向けた。
「おい、俺だ…、撃つな」
「エアンストッ」
「シッ!」
エアンストが海から岩礁に上がると、海の方向へ手信号を送る。
ヨハン、カール、ヴァルター、他数名の隊員が海から這い上がってきた。
「よかった…よかったぁ…みんなぁ…」
「安心するのは早いな。
みんなこっちへ来い、作戦を立てよう」
---
「ここはヘルトへの貿易港へ入る船舶を監視するための要塞だ。
だから、ほとんどの武装や拠点は海側を向いてる。
つまり、責める場合、どうしても海岸側へでなきゃならん。
当然だが、この海岸側に多数の防衛陣地が敷かれている」
エアンストが岩礁に石を並べて集まった隊員に状況を説明する。
「ここの真上が要塞だから、この岸壁を登っていくのはどうかな?
僕らならできるだろう?」
「悪くないと思うが、相手の能力がわからないし、要塞の構造を完全に把握できていない。
それに要塞内部に武装した…、おそらく操られた仲間が大勢いる。
盛大に魔力を放出しながらまとまって侵入したところを魔闘士に狙われれば途端に全滅だ」
「近代化改修で飛躍的に性能が上がった飛び道具が浜辺を狙ってんだぜ。
まさか俺たちがそれと対峙する羽目になるとは思わなかったなぁ。
ベンの旦那をちょっとだけ恨みたくなるぜ…」
ヨハンの提案が否定され、武装陣地の只中を突っ切ることになり、カールが特大の溜息を吐いた。
本来なら一服つけたいところ、持ってきた葉巻は全部水で濡れて台無しだ。
人生、最後かもしれない一服ができないことに悔しさが滲む。
「日が落ちる…、もう時間がない。
もし散ったら、”よろこびの家”で会おう」
突如、水平線に落ちかける太陽を覆い隠すような巨大な水壁が空高く吹き出し、エアンストたちの視線が一斉にそちらを向く。
魔法に操られた巨大な津波が海岸を覆い尽くすように打ち付けられ、地響きとともに地盤の崩壊する轟音が辺りに鳴り響く。
「あんなことができる人は一人しかいない。
総員武器を取れ、海岸を突っ切る!! 突撃だ!!」




