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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
第一章 因果から伸びる手
35/59

35 - ブラザーフッド⑥

各兵科の将校、士官たちがヘルトの地図を広げ、眉間にシワを寄せながらしきりに話し合いを続けている。

実行部隊の指揮官以下は全て市街の討伐に回っており、斥候兵が逐一会議室を訪れては状況の報告を行っていた。

エアンストたち四人は最初こそアドゼルに状況報告をしたものの、ソフィアとカーリアの退避を優先しシルフたちを街に残したため、部屋の隅でうつむいていることしかできない。

駐屯地に残る魔法剣技部隊の実働隊を連れて市街に出陣することを提案したが、市街への出兵はすでに十分、緊急的案件に戦力を温存したい、というエドゼルたちの結論で却下された。



「アーニャ、大丈夫かな…」


「シルフ隊長がついてる、問題ないって言ってるだろ」


「そうだね…」



もう何度も繰り返されるアレッサとのやり取りに、顔にこそ出さないものの少々棘のある口調でエアンスが返答した。


扉の向こうで軍靴の音がする、また斥候隊が報告に来たのかと思い、出入り口に視線を向けた。

開けられたドアからシルフが会議室に入ってきた。

乾いた返り血に汚れた装備の彼に何人かの将校が眉間をひそめたが、彼を知るものとエアンストたちは歓喜の表情で彼に歩み寄る。

だが、アレッサはアーニャの姿が見えずに、不安げな表情でシルフの装備を掴んだ。



「シルフ隊長、アーニャは!?」


「娼館街区でベン様とばったりと会いまして、彼らに追随して市内の討伐を続けるように指示しました」


「そんな! あの子ひとりで行かせたの!?

 あの子、今日が初めての任務なんだよ!?」


「大丈夫ですよ、彼女は本当に強い子です。

 私は彼女を信じて、任せてみることにしました」



四人を連れ立って、地図を囲む将校たちの輪にシルフは近づく。

彼の到着を待ちわびたように、エドゼルがシルフの肩を叩いた。



「お疲れ様、シルフ君。

 その様子じゃ、相当な数の化け物を仕留めたようだね。

 それにしても、ベン殿は一人で街を歩いていたわけじゃないだろう?」


「はい、彼は鉄血労働団結隊を連れてリーベ区からクラフト区へ部隊を動かしていました」


「うっわぁ…、報告は受けてたけど、彼が直接指揮を取ってるのはまずいね。後々が怖い。

 悪いんだけど、化け物共が王都内に入ってこれた理由がさっぱりわからない。

 ただ、東部要塞都市の港から大急ぎでこちらに向かっている連絡船があるらしい。

 僕らはいまそれを待っているところさ。

 なにか食べる?疲れてるだろう?」


「いえ、結構です。

 姫様とカーリア様はどちらに?」


「とっくにヘルトを出てるよ。

 当面は護衛艦を付けたまま洋上で過ごしてもらう予定さ。

 まぁ、両陛下は王城に残っているけれどね」



それほど遠くない距離に蒸気船の汽笛の音が鳴り響く。

おそらくクラフト区の港に外から船が入ったのだろう。

そばにいる将校、士官たちは東部要塞都市方面からの使者をはやる気持ちで待った。



---



ひどく顔色の悪い兵士が三人、会議室に入ってきた。

連絡船の操縦者は埠頭に到着した時点ですでに死亡しており、甲板の上でうずくまっている兵士を複数人で担いで連れてきた格好だ。

先に病院への搬送も考えたが三人がどうしても報告しなければならないことがあると言い張って、ここに訪れた。


外傷もないのに息も絶え絶えの三人のうちの一人が絞り出すように口を開く。



「ドレスデン要塞の街に…、妙な女が現れ…、住民や兵士を捕らえると召喚した魔物に彼らの身体を食わせはじめました…。

 我々は何もできず…、このことを本国へ伝えるように言われ…、こうして参った次第であります」


「それはいつの話だ? その女の特徴は?」



エドゼルが床に這いつくばる兵士に向けて問い詰める。



「三日ほどまえ…、黒い髪に…雪のように白い肌…、ただ…目だけは血のように赤くて…。

 気味の悪い顔で常に笑って…いて…ぐぉぇ…えッ…ええッ」



兵士の吐き出した血がエドゼルの顔に掛かり、瞬時に彼は顔を背けた。

この男がもう長くないと悟った彼は、それ以上の追求はやめ、立ち上がって距離を取る。


すると、その兵士は血反吐を吐きながらしばしのたうち回った末に、それまでの様子が嘘のようにスッと立ち上がり、両手を広げてにやけた笑いを見せた。


シルフを始め、魔法剣技部隊の全員が銃を彼に向ける。



「あはッ…ん…?

 あー、うまく声がでない…おえ…なぁ…、こんな感じかな?

 これうまくいかないなぁ…ああああぁ!!

 ここがヘルトってとこなの? 君たちはここの兵隊?」



野太い声質の中年の男から、年端のゆかないような口調の声が不自然に聞こえ、その場にいる一同が困惑に満ちた表情に変わる。

男は両腕を広げたままぎこちなく後ろを振り返ると、真後ろに銃を構えたシルフと目が合った。

両目の黒目が左右デタラメな方向へぐるぐると裏返り、血と唾液の交じる口元がヒクヒクと痙攣する。



「カッ…カッカッ…あぁッ!

 あぁ!愉快だ!600年ぶりだね!!カッーカッカッ!!」



カタコンペの骸骨が笑ったらこんなようになるだろうか、奥歯をカチカチと言わせながら、糸で釣られたマリオネットのような動きで笑いあげる兵士。

すでに人間の正気を失っている挙動にアレッサの食道に渋みのある胃液が込み上げて、銃を持つ手が震えた。



「ああッ…ああッ…失礼…。

 あまりに嬉しくてね…。

 なんて名乗ればいいだろう?僕にはいろいろな呼び名があるけども…。

 世界蛇…ちがうね、君たちの先祖たちは僕をこう呼んでいたね、”魔王オアマンド”だったかなぁ。

 1000年くらい前にバルドリックたちに八つ裂きにされた魔王だよ。あぁあ、君たちは彼らの申し子なのかなぁ?

 それともあのアバズレの? それともクソッタレのエルフどもの?

 …まぁ、どうでもいいかぁ…」



何かに乗り移られた兵士は首をゴキリゴキリと鳴らしながら、誰を見てるともわからない視線で喋り続ける。



「僕はね、勇者共に邪魔されたことを、もう一回やろうと思う。

 でも、もうちょっと、あとほんのちょっとだけ時間が必要なんだ。

 でもね、あんな惨めなことされたら腹が立つじゃないか、そうは思わないかな?

 僕は故郷に帰りたかっただけなんだよ?

 だからね、僕の忠実な下僕しもべを使ってちょっとだけ遊んでみようと思ったんだ。

 日が沈むまでに、この男が言った女の元までおいで、ちょうどいい要塞があるらしいから、そこで待ってるってさ。

 日が沈むまでに来なかったら、そこにいる人間はぜーんぶ彼女の下僕になるのさ。

 あれ? それは君たちにとって嫌なことなんだよね? 君たちの価値観は今でもわからないや。カッカッカッ。

 あぁ、もうこの身体も限界だね。

 その時が来たら、あのアバズレも、もう一回同じことをするだろうね。

 さようなら、勇者の子孫たち。これは僕みたいな老人の話を聞いてくれたお礼だよ、受け取ってくれたまえ、じゃあね」



糸がブツリと切れたように、操られていた兵士は床に座り込む。

途端に、三人の兵士がもがき苦しみだす。



「いッ、いたいッ! 苦しいッ ああああッ」


「何かがッ…身体がッ…、熱い…いたいぃぃッ」



耳の穴、眼球、鼻腔からおびただしい血液が溢れ出すと、身体が膨張をはじめた。

苦しみ悶えるひとりの兵士が腰に下げた剣を引き抜こうとする右手を、左手で必死に押さえつける。

彼の意思に反して身体が動き始めているようだった。



「もうッ…殺してくれ…!

 これ以上は…、耐えられないぃ…!」



そう叫んだ兵士はついに剣を抜き放った。

二発の銃声、若干遅れてさらに一発の銃声が会議室に鳴り響き、心臓を撃たれた三人の兵士は床に倒れ、血溜まりができる。

シルフは発砲した三挺の銃に弾を込め直すと、たったいま、自分が撃ち殺した兵士を仰向けに寝かせ、血の滲む目をそっと手で閉じ、両手を組んで祈りを捧げた。



「…顔を傷つけないでくれてありがとう、シルフ君。

 きれいな状態で遺族に合わせてあげられるだろう。

 アレッサ君、泣くな。あの様子では、こうするほかなかっただろう。

 同胞を殺したのではなく、解放したと考えよう」



エドゼルの言葉にその場にいた全員、押し黙る。

エアンストは泣いているアレッサをカールとヨハンに預けると、まだかがんで祈りを捧げ続けるシルフの横に寄り添う。



「シルフ隊長、何も出来ず、本当に申し訳ありません…。

 シルフ隊長? シルフ隊長!!」



シルフの祈る手が小刻みに震え、何かに必死に堪えている彼の様子に、エアンストは思わず大声を上げた。



「聞こえています…、エアンスト。

 少し…、お待ちください…」


「どこか痛むのですか!? 怪我をされたのですか!?」


「大丈夫…、大丈夫ですよ…、ハッ…ハッ…」



荒い息を整えながら立ち上がるシルフをエアンストが支える。

アレッサもカールもヨハンも、ただならぬシルフの状態に駆け寄り、カールが目の瞳孔や脈などを測る。


その光景を横目にエドゼルはそばにいる部下に問いかけた。



「すぐに出せる船はあるかな?

 できるだけ早く動けるものがいい」


「彼らが乗ってきた船と、ムート区とこことを往復させている船ならば…。

 蒸気船ですし、小型なので移動は早いかと」


「シルフ君、君の部下たちを全員呼び寄せろ。

 ドレスデン要塞に行ってもらう。

 アルガー、君の精鋭も連れて向かってくれるかい?

 国王陛下に指揮を委ねている時間はなさそうでね」


「ああ、行こう」



シルフは四人に付き添われながら、足早に会議室を出ていった。

アルガー・ルーカスも、吸っていた葉巻を灰皿でもみ消すと、会議室を出た。


エドゼルは大げさに背伸びをして、二、三回ほど首を鳴らすと、息を吐いて近くの衛兵に問いかけた。



「なぁ、君、タバコ持ってる?」


「は? えぇ、はい」


「一本もらってもいいかな?」


「えぇ…、どうぞ。

 少佐殿はタバコをお吸いになるのですね」


「いやぁ、もうとうの昔にやめたんだけどさぁ。

 さすがにまいっちゃってさ、いやぁ…、まいっちゃうよねぇ…」



エドゼルは兵士からもらった紙巻きタバコを口にくわえると指先から出した魔法で火を灯す。

床に横たわる兵士の遺体を見つめ思案に暮れながら、自分の吐き出すタバコの煙を眺め続けた。

そのまま部屋にいる将校たちにぐるっと目を向ける。



「全員、ここで今起こったことは、誰にも言うな。

 国王陛下にも報告するな、いいね?」


「は? 何をおっしゃるのですか少佐殿!!

 あの魔王ですぞ!?魔王オアマンドが復活したのですぞ!?」


「察しが悪いなエトムント、確たる証拠もなし、証言はそこで転がってる死体だけだ。

 僕はアルド閣下に報告してくる。死体の処理は任せた」



エドゼルはタバコを床に捨ててつま先でもみ消すと呆然とする将校たちを背にしたまま部屋から出ていった。

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