34 - ブラザーフッド⑤
アーニャの操るミスリル鋼の片刃剣から繰り出される風魔法の刃が束になって飛びかかったミミックを八つ裂きにし、血の雨を降らせた。
一般兵科の兵士を援護しながら、アーニャとシルフはクラフト区の市内で信号弾の煙が上げられた区間をひたすら戦いながら走り抜ける。
「シルフ! 次はどこにいくの!?
関所が近いからリーベ区の援護に行く!?」
「いえ、娼館街区からまったく狼煙が上がっていません。
場所柄、あそこは駐在兵が少ない…、夢魔は戦闘が得意な種族ではありません。
彼らの援護にいきます」
「サキュバスの姐さんたちの依頼、何度も受けてきたじゃん!!
なんで兵士が守ってないの!?」
「彼女たちの組合は商工会に所属するギルドではなく、ただの互助組織なのです。
説明は後です。屋根伝いに一気にいきます」
「了解!!」
風を纏いながら二人の走る速度が怒涛のように早まっていく。
道にせり出た看板や出店の椅子、机を吹き飛ばし、地面から離れた足が建物の外壁に吸い付き、街を見渡せるほど高い鐘塔を駆け上がり、空中へ身を投げた。
ムササビのように広げた両手足で空中を滑空し、風に運ばれるたんぽぽの種のように揺れながら、しかしハヤブサのような正確無比な鋭い速度で夏の青空の下を駆けていく。
娼館街区の入り口、人の情欲を掻き立てるような華美で猥雑な彩りの街並みの真っ只中に二人は着地した。
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「みんな!早く!!早く奥の建物に入るっす!!
ここは俺が押さえてるっすから!!」
「マーディン!! てめぇ肩噛まれたろ!!
俺が抑えるからお前は奥に行け!!」
「何いってんすか!! 先輩!!
奥さんと子供さん三人残して、あんたが死んだら誰が面倒見るんだよ!!
俺とあんたとどっちの命が重いか考えろっての!!」
「バカいってんじゃねぇ!!
ちっ、くそ!! 銃も信号弾もねぇんじゃ救援も呼べねぇ!!
生きて帰ったらくそったれの上官どもぶっ飛ばしてやるぞ!!」
雑多な家具を積み上げたバリケードにイナゴのように群がるミミックたちを槍と剣で牽制し続けるヘルベルトとマーディンがいた。
何人かの人間の男、そして女の夢魔が加勢してはいるが、突破されるのも時間の問題だった。
バリケードの外にある建物から赤子を抱えた夢魔の女が飛び出した。
避難に遅れた女はバリケードに群がるミミックに腰が抜けて、建物の入口でへたり込む。
「くそっ!! まだ残ってたのかよ!!」
「馬鹿野郎!!マーディン!! 出るな!! 出るんんじゃねぇ!!」
バリケードを飛び越え、ミミックの群れをかわしたマーディンが赤子を抱いた女夢魔に近づく。
しかし、夢魔の姿をしたその女は見る見る身体が異質に変形し、抱いていた赤子はただの鉄の鍋となり、地面に転がった。
正体を表したミミックはノコノコと近づいてきたマーディンを引きずり倒すと、いびつで黄色い牙をむき出しにし、大きく口を開けた。
「マジかよ…、俺、ここで死ぬのかよ…。
あー、ピーアにちゃんと告っときゃよかったなぁ…」
───諦めんのは早ぇんだよ!!
雄叫びを上げたアーニャはマーディンに覆いかぶさったミミックの頭を切り飛ばすと、彼の襟をつかんで他のミミックの群れから遠ざけるために放り投げた。
さらにバリケードに群がるミミックに向けて銃弾を撃ち込む。
半人半妖の見た目のミミックが銃を撃ち放ったアーニャに一斉に飛びかかる。
しかし、その真上を跳躍したシルフは目下に群がるミミックに向けて風の刃の連撃を撃ち下ろす。
風の刃はミミックを切り刻み、道に敷き詰められたレンガの破片とともに血肉が辺りを赤く染めあげた。
わずかに息のあるものに銃弾を撃ち込みながら、シルフはマーディンに近寄った。
「マーディン殿、立てますか?」
「し、シルフ隊長! た、助かりましたっす!
こちらの方は…?」
「あたしアーニャ」
「アーニャさんっすか! 本当にありがとうございます!!
俺、もう駄目かと思ったっす!!」
「シルフ、信号弾撃つよ?」
「ええ、お願いします」
アーニャが空に向けて赤の信号弾を打ち上げている間に、シルフがマーディンの肩を取ってバリケードの内側へと運んでいく。
そこへ、ヘルベルトと一人の夢魔の娘が駆け寄ってきた。
34 - ブラザーフッド⑤
2022年7月27日
2:27
「マーディン!! てめぇ無茶しやがって!!
シルフ隊長たちが来なかったら…死んでたぞ!!」
「ヘルベルト先輩!!説教は後にしてください!!
ピーア!!」
シルフから離れたマーディンはヘルベルトと一緒に駆け寄ってきた蒼髪に羊の角を生やした夢魔の女にかけより、抱き寄せた。
「マーディン君! よかった!無事で本当によかった!!」
「ピーア! 結婚しよう!!」
「えぇ!? なにいきなりどうしたの!?」
「いま死にそうになって後悔したのが、お前にプロポーズできなかったことなんだ!!
俺はお前の単なる客かもしれねぇけど、俺はお前を愛してる!!
結婚してくれ!!」
「え? あっ…うーん…。
別にいいけど、ここの仕事は続けるよ?
お金稼がないとこの国にいられないし…」
「別にいい!! 俺と一緒にいてくれればそれでいい!!」
「そう? まぁ…、マーディン君の精力すごいし、別にいいよ?」
「おっしゃあああああ!!!」
ピーアと呼ばれた夢魔を高く抱き上げて狂喜乱舞しているマーディンに頭を抱えたヘルベルトがシルフたちに歩み寄って頭を下げた。
「シルフ隊長…、いろいろ謝りたいが、とにかく助かりました!!
ここの警備はたまたま俺たちが今日の持ち回りで…、本当にどうなることかと…」
「皆さんご無事なことが何より幸いです。
マーディン殿、幸せそうですね。
いや、今日は身内からもめでたい報せを聞いておりまして、ああ…、不謹慎ですが…なかなか良い日です」
「いやぁ…あのっ…、シルフ隊長もお人が悪い…」
「シルフ…、なんかたくさんこっちに近づいてる…。
魔物じゃないみたい…」
「おや…、まさか」
頭部も口元も隠し、頭に防火ゴーグルを引っ掛け、真紅の衣を纏い、分厚い弾倉を装填した長物の銃を抱えた集団が列をなしてシルフたちの前に現れた。
屈強な体躯の集団の先頭に、ベン・アイゼンハワーが立っていた。
「あら!あらあらあらあら!ちょっとシルフちゃんじゃない!!
こーんなところでお会いできるなんて、シルフちゃんも男ってことかしら?」
「ベン様、ご無沙汰しております。
とても魅力的な場所ですが、ご覧の通り化け物退治の途中です」
「同じくよー。
リーベ区の方のゴミ掃除ですっかりここのこと忘れてたわぁ。
信号弾を撃ってくれたのはあんたたちね。
恩に着るわ。ここの地区にはとんでもない金をつぎ込んでるもの。
回収できなくなったらかなわないわよ」
ベンは顎先で背後にいる赤装束の部隊に指示を出すと、道を塞ぐように銃を構える者、周囲の建物の窓や屋根の上から銃を構える者と分かれ、娼館街区の市民が避難した袋小路を守る防衛線を張った。
「なぁ、オカマ。こいつらなんなんだ?」
「あたしをいきなりオカマ呼ばわりとはいい度胸ね、小娘二号。
シルフちゃん、この子なんなの?」
「申し訳ございません、ベン様。
今日から魔法剣技部隊に配属した新兵です。
お願いしていた蒼染めの鎧は、この子用に依頼していたものです」
「へぇ、シルフちゃんやエアンストちゃんが推してるっていうアーニャって娘はこの子なの。
あんたんとこの装備の制作は弟子に引き継いだけど、この子の意匠は久々にあたしがやったのよ。
ふん、まだケツの青いガキじゃないの」
「なんだとオカマ!? お前のことはアレッサ姉さんから聞いてるぞ!
こいつらはなんだよ!? 軍にこんなやつらいなかったぞ」
「当たり前じゃない、ヘルトの軍人じゃないわよ。
この子達は鉄血労働団結隊。通称 赤衣
商工会が保有する軍事組織よ。
商工会の判断で動かせる武力だけど、本来の目的は王政の腐敗を監視、必要であれば簒虐のために常備してる均衡戦力なの」
「んん…? なんかよくわかんない…」
「ねぇ、ちょっと大丈夫なの、シルフちゃん?
この子、アレッサより頭悪そうじゃない?」
「何分まだ若いもので。
アーニャ、彼らのことを軍内で軽々しく口にしては駄目ですよ」
「よくわからんけど、シルフがそういうなら約束するよ」
ベンとシルフたちはバリケードの向こうで袋小路になった娼館の中の一角に腰を据えると、夢魔の出してくれたお茶を飲みながらしばし休戦することにした。
そこへ、ヘルベルト、マーディン、娼館の支配人などが集まる。
普段は飄々としているベンが珍しく苛立ちながら葉巻の煙をすっては乱暴に吐いている。
「ったく、とんだ失態よ。
玄関口から数えて三つの関所を魔物に突破されちゃうなんてね…。
抗魔の魔法防護壁を破られるなんて、相当の手練の魔物使いね…、正直言って人間業とは思えないわ。
もしかしてだけど、最初に信号弾を撃ったのってシルフちゃん?」
「ええ、正確にはヨハンです。
リーベ区へ続く関所のそばの湾岸飲食街です。
今日は姫様とカーリア様の遊覧の護衛任務中でした」
「リーベ区で潜伏させてる防人が確認したのと同じ位置だわ。
ていうことは、この魔物どもが一斉に活動したのはあんたたちの隊に襲いかかったやつが最初ってことになるわね」
「リーベ区の状況はどうでしょうか?
魔法剣技部隊の管轄外なので心配でした」
「ふん…、底辺労働者階級の地区に碌な兵士なんていないわよ。
あんたらの信号弾を見て、防人の子たちが独断で街中を守ってくれたわ。
いい機会だからね、事が済んだら議会で徹底的に追求してやるわ。
…お酒、出してくれるかしら、キツイのがいいわ」
娼館の主らしい男が棚から蒸留酒のボトルとグラスをテーブルに置いたが、ベンはそのままボトルをラッパ飲みした。
まるで乾きの喉を潤す水のごとく、酒を流し込むと、乱暴にテーブルにボトルを叩きつけ、そばにいたマーディンとヘルベルトを睨んだ。
「あんたら、所属は?」
「はっ…、王都守備隊のヘルベルトと申します…」
「同じく、マーディンっす…」
「そんなカタくならないでよ、コトの最中でもないのに。
ここの子たちを守ってくれてありがとうね。
もしあんたらもここの子たちも死なせちゃってたら、私の理性を保てるかわからなかったわ。
はっ…、商人風情が偉そうにして悪いわね、性分なのよ」
「いえ、アイゼンハワー様のお噂はかねがね伺っております」
「ねぇ、そこの青髪のサキュバスちゃん、そこの坊やのコレになるんでしょ?」
ベンは右手の小指をプラプラと振りながらピーアと呼ばれた夢魔に笑いかける。
「は、はい! さっきプロポーズされちゃいました!」
「そういう素直でおバカなイイ男、離すんじゃないわよ。
種族なんて気にしなくてもいいの、ここは自由の国。幸せになんなさいな」
照れくさそうに髪を掻くマーディンとそばに寄り添う夢魔にそう言うと、再び酒と葉巻をやり始める。
段々と銃声の音が遠く、頻度も少なくなってきた。
白兵戦をしている兵士はまだいるかもしれないが、市街の戦況を把握するためのひとつの指標にはなる。
シルフは飲みかけの茶をテーブルに置くと、立ち上がりアーニャに向き直った。
「アーニャ、私は魔闘士団の駐屯地に戻ります。
おそらく、エアンストたち指揮官も集まっているでしょう」
「え?え? あ、あたしどうすればいいの?」
「ベン様と赤衣の皆さんに追随して、引き続き市内の魔物の討伐をしなさい。
ベン様の命令で動くのもよし、あなたの判断で動くのもよしです」
「あ、あたしひとりで…?」
「魔法剣技部隊はたったひとりでも任務を遂行できる兵士になることです。
そのための技能はこれまでたくさん教えてきましたね?」
「……シルフはあたしのこと、信じてくれてるってことでいいの?」
「私は初めから、あなたのことを信じていますよ。
魔法剣技部隊を呼び戻すときの信号弾は覚えていますね?」
「青と緑の信号弾」
「それを複数回撃ち上げます。
それが見えたら、駐屯地に戻ってきなさい」
「……どんとこいさ!」
胸を叩くアーニャに微笑んだシルフは正面で酒を飲むベンに頭を下げた。
「いい子じゃない、小娘二号は取り消すわよ。
…シルフちゃん、今の事態は本当にただ事じゃないわ。
嫌な予感がするの。 …死ぬんじゃないわよ」
「肝に銘じて、行ってまいります」
ヘルベルトとマーディンの敬礼に見送られながらシルフは娼館を後にした。
残されたベンは空になった蒸留酒のボトルをテーブルに置き、何本目かもわからない葉巻に火をつける。
「あたしのお気に入りの子って、みーんなそう言って、あたしを置いて先にいっちゃうのよね」
高い天井に吊り下げられたシャンデリアを見上げながら、ベンは誰にも聞こえない声でつぶやいた。




