30 - ブラザーフッド①
安宿屋のシングルベッドの上、二人の男女が裸で寝そべっている。
窓から差し込む光で、男は目が覚めた。
傍らに眠る赤毛の女の美しい髪が寝癖で少々乱れていたが、元よりややクセの強い彼女の髪質が、彼には堪らなく愛おしかった。
男はその髪を手ぐしでそっとすく。
こそばゆい感触に、女が目を覚ました。
「…なぁーにしてんの? 寝てる間にいたずら?」
「いや、寝顔が可愛いなって思ってさ…」
「…バカ」
女は高揚する頬を隠すようにベッドのシーツに潜り込んでしまった。
男は何かを思い出したように、ベッドを立ち上がると、自分の衣服のポケットから木製の小箱を取り出し、再びベッドに潜り込んだ。
「アレッサ、こっち向いてくれないか?」
女は顔の赤みが取れないまま、おずおずとシーツから顔を出す。
「なに、これ?」
「いや…、なんていうか、この前クラフト区の中央通りにある宝石商の店に寄ったんだ。
衝動的に買っちまった」
「え? どういうこと?」
彼女の反応を少し楽しんだ彼は木箱を開けた。
曇りのない白銀のプラチナの指輪が二つ、シルク地の土台に嵌め込まれていた。
窓から差し込む朝日に表面に刻まれた月桂の模様が幻想的な美しさを醸し出す。
「本当はもっと色々計画を練って、凝った場所で渡すべきなんだろうけど、俺ってそういうの…、分からないからさ。
……愛してるよ、アレッサ、俺とずっと一緒にいてほしい」
照れくさそうに髪をかく男は、土台に立つ指輪の片方を取ると、女の左手薬指にそっと嵌めた。
女は高ぶる感情が涙となって頬をつたい、緑色の双眼が食い入るようにプラチナの指輪を見つめる。
「あ、あの、エアンスト…、あ、あたし……」
「返事を聞かせてほしい」
「私も愛してる…、ずっとずっと一緒にいるよッ…、ずるいよ、こんなの断るわけないじゃん…」
大切そうに左手を撫でるアレッサ、それを見て、エアンストも自分の指輪を自身の左手薬指に通す。
二人で揃いの指輪をはめた手を重ね合わせ、しばし眺めていると、そのままアレッサがエアンストの胸を押して、ベッドに寝かせ上に乗った。
エアンストはやや焦りながら彼女の接吻を受け止める。
「おい、今日はアーニャの入隊訓練もあるし、午後は王女殿下の護衛の任務もある…」
「一回ぐらいできるでしょ、こんなことしておいて、拒否権とかないから」
「アレッサ、ちょっと落ち着け、怖いから…」
野性味の溢れるアレッサの情熱的なアプローチで始まった男女の営み。
夏の蒸し暑さに淀む空気の中、二人は湧き上がる愛情と欲望にしたがって、朝の暇を過ごした
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王城の一室、緑色の壁紙と赤の絨毯が敷き詰められ、パールホワイトの装飾の凝った家具が飾られている。
貴賓の溢れる雰囲気だが、部屋の一角に動物のぬいぐるみが並び、決して高級品では無いが、美しい天然石のアクセサリーが飾られた壁が部屋の主の趣味を表している。
腰まで届くプラチナブロンドの髪をカチューシャで纏めた碧眼の少女は、上質なパルプの紙にペンを走らせ、時折脇に積み上げられた厚い書物を参照しながら、真剣な瞳で文書をかきあげていく。
区切りがついたのか、ペンを置いて額に滲んだ汗をハンカチで拭い、傍らで見守っていた貴族服の老齢の男に用紙を渡し、彼の反応を待った。
「ふむ…、とても良く書けておりますな、殿下。
しかし恐れながら…、やはり術式の項については机上の論が否めません。
魔法大学のお歴々を通すには、やはり実際にこれを実現できませんと…」
「そうですね…、聖魔法による療法はその場に立ち会わなくては証明することができません…。
傷病は駄目でも精神疾患については現に苦しむ方々がおりますから、わたくしにできることも多いと思うのですが、先生はどうお考えですか?」
「ふむ…、それは民を想う尊いお考えですが、何分、殿下はまだ10歳とお若い。
ここに書かれたような素晴らしい魔法も実現できるときはすぐに訪れるでしょう。
功を焦る必要はございませぬ、その時が来るまでこの老骨が殿下のこの論文をお守りいたしますぞ」
「ありがとうございます。先生」
「殿下、あなた様のその賢明さは王家の宝でございます。
本日、午後はご友人との時間を楽しまれるとのこと、どうぞごゆっくりなさってください」
「はい、久々に合う親友なので、とても楽しみです!」
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午前、魔闘士団駐屯地練兵場にて、五人の魔闘士、魔法剣技部隊のエアンスト、アレッサ、カール、ヨハン、そしてアーニャが木剣を使った模擬戦を行っている。
しかし特異なのは、布で目隠しをしたアーニャを四人でもってねじ伏せようとしているところだ。
彼らから繰り出される木剣による剣撃を、真剣による斬撃を受け止めることができる篭手やブーツを使い、完全に受け流している。
四人は演舞のように型にはまった技を繰り出しているわけではない、本気でアーニャを倒そうとしている。
しかし、どの攻撃もアーニャには届かない。
ついにスタミナ切れを起こしたヨハンの隙のある一撃に合わせたアーニャの木剣が彼の胸を突いた。
死亡した扱いとして演習からヨハンが離脱する。
自分の不甲斐なさに頭を抱えたヨハンの目に、演習を眺めるシルフの姿が映った。
彼の足元には三つの木製のケースが並べられている。
「シルフ隊長、いらしていたんですね」
「おはようございます。ヨハン。
アーニャの調子はどうでしょう?」
「いやもう…、天才というほかありません。
白兵戦についてはもう我々では彼女にしてやれることがありません。
目隠しをしていても歯が立ちませんから」
「気を落とさないでください。
軍事的戦略が個の戦闘力で決まることがないのは彼女もわかっています」
「しかし、目を隠しても我々の攻撃を捌けるのはなぜなんでしょうか?」
「おそらく、彼女には生き物の魔力や殺気が立体的に見えて、感じることができるのかもしれません。
私も体得しているものなので」
「隊長との付き合いも10年になりますが、まだそんな技をお持ちなんですね…」
「いや、能力というよりも体質なので、口伝しづらかったというのが正直…」
「なるほど、やっぱり天才だな、アーニャは」
そこで一旦話が切れ、二人はまだまだ演習を続ける四人を静観した。
ヨハンがそわそわと落ち着きがなくなり、ちらちらとシルフの顔を見だした。
なにか言いにくそうな彼の態度に気づいたシルフが自分から話を切り出す。
「ヨハン、何かありましたか?」
「いや…、もうエアンストたちには伝えたんですが…。
……フリーデが、身籠りまして」
シルフの表情が一瞬の驚きのあと、満開の笑顔になった。
二年ほど前にヨハンとフリーデ・フェルザーは職場恋愛のすえ入籍しており、婚姻後もフリーデは軍を退くことはなく、魔法剣技部隊の古株として部隊を牽引してきた。
部隊員の結婚、出産が初めてというわけではないが、初期メンバーの中で一番早く身を固めたのがヨハンだったのだ。
「おお!本当ですか!?おめでとうございます!ヨハン!」
「あ、ありがとうございます!隊長!
そ、それで急なのですが、妻はしばらく部隊から離れることになるのですが…。
いろいろ引き継ぐことなどあると思うので、彼女同伴でお話を…」
「いやもう仕事のことなんか考えなくてもいいですよ!
分隊の指揮ができる人員は足りているのですからゆっくり休ませてあげてください!
あなたもなるべく彼女のそばにいれるようにしないといけませんね!」
「た、隊長…、落ち着いてください…」
「こんなに嬉しい報せを聞いて落ち着いていられますか!
ハバ―少佐にもご報告しておきますね!」
普段のシルフからは見られないようなはしゃぎぶりにヨハンはたじろぎながらも、彼の幸福を自分の幸福のように喜ぶシルフに嬉しさがこみ上げる。
嬉しそうに笑うシルフは見た目相応の少年にしか見えない。
出会ってもう10年という歳月が経とうとしているのに、彼だけはずっと変わらぬ外見のままだ。
このことをメンバーが疑問に思わないことはもちろんなかったが、そもそもドワーフ族の寿命は平均300年、亜人種や妖精族の混血と言われる人種は外見は人間とそう変わらないが、数百年の時を生きるものが普通に存在している。
そういった長命種族の叡智がヘルトを発展させているため、シルフがそういった長命の種族である可能性が十分にあるからだ。
ひとしきりヨハンの吉報を喜んだシルフは、アーニャの演習からカールが離脱した時点で彼女たちに近づいた。
シルフの存在に気づいたエアンストとアレッサが剣を止める。
シルフはエアンストの持っていた木剣を受け取ると、アーニャの前で構えた。
「シルフ…あっ、ちがった!シルフ隊長!」
「アーニャ、目隠しを外しなさい」
アーニャは言われるがままに目隠しを取る。
セミロングの黒い髪が汗のにじむ額に張り付くのを鬱陶しそうに避ける。
16歳となり、シルフの身長を若干超えるまでになったアーニャは初めて出会ったときの幼さがなくなり目鼻立ちのくっきりとした美しい女性に成長していた。
激しい演習に弾む呼吸を整え、シルフに向かい木剣を構える。
「魔法剣技部隊への入隊おめでとうございます。
軍人としての私との最初の訓練、はじめましょう」
「勝ったら何してくれる?」
「好きなだけ甘いお菓子を求めて食べ歩きにでもいきましょうか」
「約束だからね」
先ほどまでの受動的な剣の受け流しではなく、風魔法を纏った身体術を駆使したアーニャの瞬速の剣撃がシルフに襲いかかった。




