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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
序章 平和
27/59

27 - 風を操りし者たち㉔

盛大にジャンプしてシルフの胸に飛び込んだアーニャは飼い主に甘える猫のように彼の首に手を回して嬉そうに抱きついた。



「シルフ!お話終わった!?」


「ええ、待たせてすみませんね、アーニャ。

 口から甘い匂いがしますね、あまり食べ過ぎると虫歯になりますよ」


「だっておいしいんだもん!」



シルフとじゃれつく少女を見て、アレッサとベンが驚愕しながら互いの手を合わせあった。



「シルフちゃん…、あなたいつのまにッ!」


「そんな大きいお子さんがいたんですか!?」


「あなたたちは何を言っているんですか?

 この子は今日勧誘してきた魔法剣技部隊の候補生ですよ」


「なんだ、髪の色とか目の色が似てるから勘違いしちゃいました」


「さぁ、アーニャ。

 あなたの上官になる方たちですよ。

 ご挨拶してください」



シルフはアーニャを床に下ろすと、四人の前に押し出した。

硬直したまま押し黙ってしまった彼女はそそくさとシルフの後ろに隠れてしまう。

つい最近も似た光景を見たシルフはつい笑みがこぼれてしまった。

エアンスト、カール、ヨハンの三人は互いに顔を見合わせ、仕方がないといった表情で笑った。

魔法剣技部隊が増員してアーニャほどの歳の子供を預かるのははじめてではない、大抵は怖がったり緊張したりで逃げてしまう。

こういう場合はゆっくりと時間を掛けて慣らすしかないとわかっているからだ。


アレッサが前に出て、アーニャと同じ目線まで腰を落とした。

右手を差し出し、ニカっと歯を見せて笑いかける。



「あたし、アレッサ。

 アレッサ・ベーデカーって言うの!

 アーニャ、これからよろしくね!」



差し出された手をじっと見つめたアーニャだが、おずおずとその手を取り、シルフの後ろから前に出た。



「アーニャ・ペトロヴナ…」


「おー!よく言えたねー!

 ありがとう!」



アーニャを手をぐっと引き寄せてアレッサは全身で彼女を包み込んだ。

一瞬戸惑ったアーニャだが、全身を包み込む感触に幼き日の母が想起し、自然と身体の緊張が取れていく。



「ねぇ、シルフ隊長、この子も今日の食事会に連れてってもいいんでしょ?」


「そうですね。

 そのために早くハバ―大尉に掛け合って寄宿舎に入れるよう手配しなければなりません」



「それなら問題ないよ。後日手続きするから宿舎に連れていっておやり。

 それより、僕の客人の相手をしてくれないかな。シルフ君」



振り向いたシルフたちの視線の先にエドゼル・ハバ―が立っていた。

そのすぐ後方に、白銀の重装鎧を身につけた大男、魔法剣技部隊の中でも長身のカールやエアンストよりも巨体だ。

その男は無表情だが、ただまっすぐにシルフだけを見つめていた。

そして、その大男の足元に幼い男児が退屈そうに両腕を首の後ろで組んで佇んでいた。


アーニャを抱いていたアレッサが彼女から離れ、白銀の大男へ駆け寄った。



「アルガー騎士隊長!お久しぶりです、アレッサです!

 覚えていますか!?」


「…ああ、ロート村の娘だな。

 あのときとはずいぶん印象が違うな、まさか軍人になっているとは思わなんだ。

 せっかく拾い上げてやった命だというのに、道を間違えていると思うがな」


「そ、そんなこと言わないでくださいよ!

 わたしアルガー様に憧れて軍に入ったんですから!」


「それを間違えていると言っている。

 女が軍人になるなど、思い上がりも甚だしい」


「あーあ、まったく本当にあんたら騎士はどうしてこうも偉そうなのかね。

 アレッサ君、一応言っておくけど、この人に悪気はないからさ」


「どけ」



沈黙したままアレッサの横を抜けたアルガーはシルフの前へまっすぐに歩み寄ってきたが、その間にエアンストが立ちはだかる。

明らかに怒気を孕んだ表情で、見上げる形でアルガーを睨みつける。



「なんだ貴様、そこをどけ。

 俺はそこの小僧に用がある」


「アレッサを侮辱したこと、謝罪いただきたい。

 それに小僧ではない、我々の隊長を愚弄したことも撤回してください」


「ほう…?」


「ちょ、ちょっとエアンスト!

 そんな…、あたしなんとも思ってないからやめてよ!」


「黙ってろ!!」



エアンストの感情的な怒鳴り声にアレッサの身体が跳ね上がる。

今にも剣を抜きそうなエアンストに、カールもヨハンも戸惑っている。

部下の育成では一際厳しい指導を行うエアンストだが、怒りの感情を発露させることなど滅多にないため、あまりの剣呑な雰囲気に無関係な女性文官たちも凍りついたように動けなくなっていた。



「いやぁねぇ~、若い子は本当に血の気が多いんだから。

 でもそこが可愛いのよねぇ、そう思わない?

 アルガー・ルーカス公爵?」


「鍛冶ギルドの頭目か。

 貴様らがなぜ魔闘士の駐屯地なぞにおる?」


「やぁねぇ…、商談に決まってるじゃない?

 ここにいる子たちはあたしの大事なお得意様よ~。

 あなたが着ているそのマナ鉄鋼の鎧…、誰がこしらえてるかおわかりになって?

 それにあなたも場違いな子供を連れてるじゃない?」


「ふん…、おい、ここは手狭だ。

 話は表でするぞ」


「オイあんた!話は終わって───」



アルガーの肩をつかもうとしたエアンストの右腕がシルフによって防がれ、身体をカール、ヨハンに抑えつけられた。

さらにガッと肩を叩かれ、その相手に怒りをにじませながら振り返ると、わずかに微笑んだエドゼルがいた。



「悪いね、エアンスト君。

 ちょっとだけあいつの相手をしてやってくれ。

 あれでも、騎士団の中じゃ話が通じるやつなんだよ」


「相手…? お言葉ですが話が見えません」


「やつはシルフ君と戦いたいのさ、ちょっとした因縁があってね。

 身に覚えはあるだろ? シルフ君?」


「ええまぁ、お名前を知ったのはこれが初めてですが」


「君があいつに負けるなんて微塵も思ってないけど、叩きのめすか華を持たせるか任せるよ。

 僕としては大恥をかかせてやった方が気持ちいいけどね」


「ホントに性格が悪いわね、エドゼル」


「やぁ、ベン殿、お久しぶりです。

 そんなこと言って、あなたも自分が作った武具の性能がみたいでしょう?

 ミスリル鋼でしたっけ?軍の上層部も興味津々ですよ」


「あたしホントに嫌いだわ…、あんたのこと…」


「それはそれは。 さぁ、行こうか」



エドゼルに先導され、シルフたちは士官宿舎を出て、魔闘士の練兵場へ向かった。

ベンとドワーフ職人たちは魔法剣技部隊への納入品からシルフの装備の入った箱を持って後を追いかけた。

アルガーは巨大な白銀のクレイモアを無造作に素振りしながら身体を温めている。


ベンとドワーフがシルフに装備をテキパキと着せていく。

エアンストがシルフ用の四挺の銃に銃弾を込める様子に、アレッサが焦りながら止めに入った。



「ちょ、ちょっと!エアンスト!

 なにやってんの!?シルフ隊長に殺し合いでもさせる気!?」


「…あっちは真剣で来るみたいだからな。

 剣を抜いた以上は殺される覚悟はできてるだろ」


「エアンスト、まだ怒ってんの…?

 あたしは気にしてないって、あの人は私の命の恩人なの」


「わかってるさ。

 だがな、仲間を馬鹿にされて冷静でいられるほど、俺は人間できてない」



最後の一挺に鉛を込めて銃身を戻し、シルフのホルスターに押し込めた。

さらにミスリル鋼製の曲刀を差し出す。

シルフは自身の剣を外し、エアンストに預け、差し出された剣を右腰に下げた。


最後にフードを深々とかぶると、全身黒の軽装鎧に身を包み、表情が見えなくなった。



「エアンスト、怒らせると一番手に負えないのは、やっぱりあなたですね」


「…ぶちのめしてくださいよ。シルフ隊長」



「ふん、そんな女みたいなやつに俺の父上が負けるわけがねーだろ」



上等に仕立てられた貴族服に身を包み、短く切り込んだブラウンの短髪、青い瞳の勝ち気そうな少年がシルフの足元で得意げな表情で笑った。



「ああ、あなたはアルガー様のご子息でしたか。

 はじめまして、シルフと申します。

 よろしければお名前をお聞かせいただけますか?」


「エリク、エリク・ルーカス、ルーカス家の次期当主さ!」


「エリク様、あなたのお父上はさぞお強いのですね」


「あったりまえだろ!

 お前みたいなやつ、父上と戦ったらすぐに死ぬぞ!

 今のうちに頭を下げて謝ったほうがいいと思うぜ?」


「なるほど、しかしそれはあなたのお父上に非常に無礼なことかと思います」


「は?なにいって───イテ!」



エリクとシルフの間に突如入ってきたアーニャがエリクの頭を拳で殴りつけ、胸ぐらを掴み上げた。

慌てたアレッサがすぐに二人を引き剥がしたが、エリクもアーニャもジタバタと抵抗する。



「いってーな!何すんだコノヤロー!」


「お前生意気だな!シルフが負けるわけないだろ!

 もう一発殴ってやる」


「生意気なのはお前だ!この平民め!」



「いつまで待たせるつもりだ、早く来い」



アルガーの太く威圧する声が響いた。

シルフは練兵場の中央へ進み、巨大なクレイモアを肩に担ぐアルガーの前に立った。



「小僧、女王暗殺未遂の現場で会って以来だが、まさか軍人になって部隊の長にまでなっているとは。

 アルドから話を聞いたときは流石の俺も驚きだったぞ」


「シルフです」


「なに?」


「シルフと申します。アルガー様。

 小僧でも構いませんが、名前で呼んでいただけると幸いでございます」


「ふん、小僧呼ばわりをやめるか、これから確かめてやる。 抜けッ」



アルガーからの一喝にも身じろぐことなく、シルフは両手を腰に下げたまま静止する。



「俺を見くびっているのか? それとも戦わずして降参するか?」


「アルガー様ほどの武人となると下手な構えで太刀筋を見切られることがありますゆえ」



わずかに腰を後方へ下げる動作と同時に二挺の銃を両脇腹から引き抜き、両腕を眼前へ構える。

引き金も撃鉄もないはずの銃の銃口から破裂音と火柱が走り、回転運動の加わったすり鉢状の鉛が撃ち出された。


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