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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
序章 平和
25/59

25 - 風を操りし者たち㉒


─────約三年後、春



ヘルト連合王国で季節の節目に行われる”市民受け入れの日”。

奴隷取引が禁じられているヘルトが奴隷商から奴隷を買い、そして国民として受け入れる。

約1000年前、魔王と呼ばれ世に混沌をもたらした巨悪オアマンドを討ち取った勇者一行は、故郷の帝国に戻り、奴隷解放のための抵抗運動を始め、帝国を二分する内戦へと発展した。


女神フレイヤから授かった人智を超える力を武器に独立を果たした国家が現在のヘルトである。

建国以来、奴隷取引の一切を禁じたが、しかし奴隷労働で成り立つ国々を容易に変えることはできない、であればせめて自国だけでもいい、不遇な人間を国民として受け入れること、それが勇者バルドリックがヘルトを去る際に残した言葉であった。


そして、新しく市民となった者たちが身を寄せる教会へシルフは訪れていた。

門を開けると、机と椅子が並べられた聖堂に、入浴を済ませた新しい市民が所狭しと座っており、空腹に待ちくたびれた者たちに修道女がパンと水を配っていた。

聖堂の片隅には各ギルドの人間が集まり、受け入れた市民たちの能力に見合った仕事へ勧誘するために熟考したり話しかけたりしている姿も見える。


見知った若い修道女を見つけたシルフは彼女がパンと水を配り終えたタイミングを見て、声を掛けた。



「こんにちわ、シスター・ケーテ」


「あ、シルフ様、こんにちわ。

 お元気でしたか?」


「お陰様で元気に過ごしております。

 こちら市場から買ってきました、甘いものが好きな方がいたら差し上げてください」


「まぁ、いつもありがとうございます。

 子供もいるのできっと喜びますわ」


「シスター・ケーテ、今回の市民の方々で魔法が使える方はいらっしゃいますか?」


「ふふっ、勧誘に余念がないですね、今回はあそこにいる少女だけです。

 ただ、潜在非能力者のようなので”魔法が使える”というと語弊がありますわね。

 それに…」


「…あまり心を開いてくれない、でしょうか?」


「ええ、体中に酷い体罰の跡がありましたし、大人を極度に警戒しているようで…。

 救貧院で引き取ろうかと話し合っていたところです」



修道女は物悲しげな目で、隅のテーブルで必死にパンに食らいついている少女を見た。

ボサボサの短い黒髪に黒い瞳、急ごしらえの布の服から見える肌にはミミズ腫れのような鞭の跡が痛々しく残っていた。



「ちょっと、お話をしても問題ないでしょうか?」


「もちろん、シルフ様なら安心して任せられますわ」



シルフはゆっくりと近づき、テーブルを挟んだ少女の向かいに座った。

パンを咥えた彼女の目が鋭くシルフを睨む。

野良犬のように敵対心と怯えが入り混じった暗い瞳が正面の男の一挙手一投足を警戒するように揺らがずまっすぐ向けられる。



「はじめまして、シルフと申します」


「軍人」


「え?」


「剣と勲章」


「ああ、そうですね。一応軍人です」


「軍人は嫌い…、憂さ晴らしにあたしらを蹴っ飛ばして笑ってるクソ野郎ばっかしだ」


「…少しお話しませんか?」


「しない、あっちいけ」


「甘いものは好きですか?」


「甘いもの…?」



シルフは麻袋から大人の手のひら大のブリキ缶を取り出すと、ぱかっと蓋を開けた。

中には粉砂糖でコーティングされた色とりどりの飴玉が詰まっていた。

それをゆっくりと少女の前に差し出す。



「なにこれ…?」


「飴です」


「あめ?甘いの?」


「ええ、食べてみてください」



少女は恐る恐る赤い飴玉をひとつ手に取ると、口の中に含んだ。

カッと一瞬目を見開いた彼女は、すぐに恍惚な表情で飴玉をコロコロと音を立てながら味わっていた。

二つ、三つと次々に口に入れては嬉しそうにしている様を、シルフは何を言わずにしばし見守った。



「美味しいですか?」


「うん…、花の蜜よりずっと美味しい」


「それはよかった」


「…なんであたしにこんなのくれるの?」


「お話がしたかっただけですよ。

 よかったらお名前を教えてくれませんか?」


「アーニャ…、アーニャ・ペトロヴナ」


「アーニャ、可愛らしいお名前ですね。

 いま、何歳になりますか?」


「11」


「アーニャ、あなたはもう誰にも縛られない自由の身ですが、何かしたいことはありますか?」


「別にない」


「そうですか。

 アーニャ、あなたには魔法の素質がありますが、興味はありますか?」


「魔法…? それって何ができるの?」


「そうですね、例えばこんなこととか」



シルフがゆっくりと出した左手が一瞬光ると、アーニャの脇にある水の入ったグラスから水だけが中に浮いた。

水の球体は浮遊しながらアーニャの鼻先で止まると、鳥の姿に形を変え、彼女の周囲を飛んで回った。



「なにこれ!?すごい!!」


「何か、好きな動物はいますか?」


「…イルカ、私が生まれた町で、父ちゃん母ちゃんと一緒に見た」


「お安い御用です」



鳥を象った水は再び球体に戻り、二つに分離すると、片方は水面のように平たくなり、片方が小さなイルカの形へと変化した。

水のイルカは、水面から飛び出し水の中に消え、また飛び出してを繰り返していった。

歓喜の表情でそれを眺めていたアーニャだったが、徐々に双眼から大粒の涙がこみ上げ、テーブルに突っ伏し声を上げて泣き始めた。



「父ちゃんッ!母ちゃんッ!

 なんであたしだけ置いて死んじまったんだよッ!

 もう一度会いたい!会いたいよぉ…」



周囲にいた年長者の市民たちがいつの間にかシルフとアーニャの周囲に集まり、妙齢の女性が彼女の背中をさすり慰め始めた。

水をグラスに戻したシルフはテーブルに放り出されたアーニャの手を握る。

彼女の慟哭に至る悲痛な感情と共に、熱く燃えたぎるマナの脈動がシルフの心に流れ込んでくる。

彼女に悟られないように精神を鎮める魔法を送り込みながら、彼女が落ち着くのを待った。



---



シルフの執務室で事務作業に勤しんでいたエアンストだったが、仕事が終わったことで一抹の不安を感じていた。

シルフの帰りが遅い。

もうすぐ戦乙女の炉に発注した装備一式が到着する、そしてベン・アイゼンハワーより受け渡し前に話し合いの場を設けるように言われている。

エアンストだけで彼の相手をするのは中々に難儀することだ。



「うっすー」


「やぁ」


「エアンストー、仕事終わったー?」



アレッサ、カール、ヨハンの三人が執務室に入ってきた。



「ああ、こっちは終わってる。 

 アレッサ、訓練はどうだ?あとギルドの依頼は?」


「訓練はヴァルターに引き継ぎしたよ、基礎鍛錬だけだからね。

 依頼はフリーデを分隊長にして10人編成で出発、初陣の子もいるけど大丈夫だよ」


「そうか。

 カール、ヨハン、物資の調達はどうだ?」


「商業ギルドとちゃんとナシつけてきたぜ」


「魔法薬の材料もマナ鉱石も他の部隊と同じ価格で仕入れられそうだよ。

 質のいいマナ鉱石があれば付呪を教えてる子にもいろいろ学ばせてあげられるからね」


「上々だな。

 そろそろベン殿が来るが…、シルフ隊長がお戻りにならない」


「オカマも間が悪いんだよね―、こんな日に予定入れるなっつーの」



執務室のドアがノックされた。

エアンストが許可を出すと、ドアが開かれ門兵が入室する。



「失礼します。

 戦乙女の炉、ベン・アイゼンハワー様御一行がご面会に上がられました。

 ご案内して差し支えないでしょうか」


「ああ、お通ししてくれ」



門兵が執務室を去ると、ノックをしないままベン・アイゼンハワーとドワーフの一団の4人が入室してきた。

シワ一つ無いシルクのシャツ、汚れひとつない滑らかな真紅の革のバトルスカートにゆったりとした余裕のある黒のゲートルパンツとブーツ、それを着こなす長身で筋骨隆々で美形、手入れの行き届いた紫の長髪をなびかせる男だが、無駄にしっかりと施された化粧がそれらを打ち消して余るほどの個性を醸し出している。



「チャオ!魔法剣技部隊の皆様!

 ご機嫌麗しゅう~?」


「久しぶりじゃないオカマ!

 あんたが来なけりゃもっとご機嫌よ!

 そっちこそ元気してた?」


「ぶほほほほ!相変わらず無礼で品のない小娘ね!

 元気元気!イチモツも元気いっぱいよ~!」


「品がないのはお互い様でしょ!

 腰振るんじゃねーっつーの!」



相変わらずのベンとアレッサの掛け合いにエアンストは内心ほっとしていた。

どうもベンのノリはエアンストには合わせづらい。



「そういえば、シルフちゃんがいないわね?

 どこかへお出かけ?」


「うちの部隊の勧誘のために市民受け入れの日に立ち会ってんの。

 素質がある子がいれば多少若かろうが引き取って予備役校に入れてんの」


「なるほどねー、でも結構大切な話だから早く戻って欲しいわね」


「申し訳ございません、ベン殿。

 もう間もなくお戻りになるかと思うのですが…」


「いいわよ、エアンストちゃん。

 いい男三人眺めながらお茶するのを悪くないじゃない。

 ほら、ぼうっとしてないでお茶入れなさいな、小娘!」


「あたしがやんのかよ!」



悪態をつきながらもお茶を汲みに執務室を出ようとドアノブに手をかけたとき、先に外側から開かれた扉がアレッサの額にガツンと音を立ててぶつかった。



「あたっ!」


「おや、すみませんアレッサ、大丈夫ですか?」


「シルフ隊長!おかえりなさい!」


「シルフちゃん!待ってたわよぉ~!!」



太すぎる腕と厚すぎる胸板に抱きかかえられたシルフは抱擁というよりベアハッグを掛けられたプロレスラーのように海老反りにされ、息のできぬ状態で彼の肩を必死に叩いて開放を求めた。

間髪入れずに背後から襲ったアレッサの足首がベンの股間を打ち上げ、七転八倒になった末にようやく開放された。



「あんた、シルフ隊長を殺す気!?」


「あんたは私のムスコを殺す気!?」


「いや…、大丈夫ですよ…。

 さぁ、ベン様。お掛けになってください

 いまお茶を持って参ります」


「あ!いいですよシルフ隊長!

 あたしが淹れてくる!」


「すみません、お願いします、アレッサ」



アレッサがお茶を淹れに執務室を出ると、客席用のソファにベンがどっぷりと座った。

シルフはその向かいに座り、ベンの連れのドワーフたち、エアンスト、カール、ヨハンはそれぞれ立ったまま対面している。



「それにしても狭い部屋ねー。

 シルフちゃんたちの功績を考えればもうちょっといい部屋でもいいんじゃない?」


「元々資料室だったところを無理やり空けたもので。

 実際の士官執務室は上の階で、ここはほとんど物置や資料室ばかりです」


「駄目ねぇ…、その胸にある鉄十字勲章が泣くわよ」


「正式な部隊として独立したといっても小さい部隊なので、あまり自己主張が強いと顰蹙ひんしゅくを買う可能性もありますから。

 淡々と実績を積むのが我々には合っています。

 ハバ―大尉もその辺は了承していただいてますし」


「エドゼル・ハバ―ね…、女の勘が囁くのよねぇ…。

 シルフちゃん、あの男には気を付けた方がいいかもしれないわよ。

 食えないたちのあたしが食えないと思う男だもの。性的な意味じゃないわよ。

 ハバ―家のことは知っているでしょう?」


「勇者バルドリック様に仕えた大魔闘士エレナ・ハバ―様、別名”嵐炎らんえんの舞姫”。

 ヘルトでも最高位の名家ですね。

 現当主アルド様、ご息女ルイーサ様、ご令嬢カーリア様」


「あら、やけに詳しいじゃない」


「去年、姫様とハバ―家の皆様に同行する機会があったもので。

 それ以来、姫様とカーリア様は大切なご友人同士です」


「あらー、運命感じちゃうわね―。

 バルドリック様に仕えたかつての守護聖女の二人の子孫がねー」



話の途中でアレッサが客分とシルフのお茶を持って入ってきた。



「なんか、下の待合室がやけに賑やかだったんですけどー」


「ああ、勧誘した子を下の階に待たせてまして。

 受付の方たちに面倒を見てもらっています」


「シルフ隊長…、ここは託児所では…」


「そうですよね、すみませんエアンスト…。

 教会に残るのをどうしても嫌がったので、後でなんとかします…」


「成ってないわね、このお茶。

 あんたこんなんじゃお嫁に行けないわよ」


「小姑かよ!黙って飲め!」


「まぁ、いいわ。

 楽しい会話もいいけど、そろそろ本題に入りましょ」



ベンの表情が引き締まり、場の空気も緊張を帯びたものに変わった。

彼の目配せで三人のドワーフがそれぞれ持っている木製のカバンを床に並べ、金具を外し中身をシルフたちに見せた。


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