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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
序章 平和
23/59

23 - 風を操りし者たち⑳

ハバ―元帥の書類に目を通したアラーベルガー少佐は一驚した表情で彼を見ている。



「本来なら司法省の依頼がなければやらんがの、まぁ、こんなこと外に漏れたくないじゃろう。

 身内のよしみでやっておいたぞ。

 それとの、ほれ小僧、こっちへこい」


「はッ 第一師団所属ヴァルター・ラーテナウ二等兵であります!

 べ…ベーデカー上等兵の出頭命令書を提出いたします!!」



ヴォルターと名乗った魔闘士が声を上ずらせながらクシャクシャのシワだらけになった書類をアラーベルガー少佐に突き出した。

困惑気味にその用紙を受け取ったアラーベルガー少佐は書類に目を通すとヴァルター二等兵に向き直った。



「なぜ、貴様がこれを持っている?」


「はッ! …け、ケレン曹長から…破棄を命ぜられましたが、この度の一件に思うところがあり、命令に背き保管しておりました!」


「…そこの女兵、貴様の名前と階級は?」


「はッ! 第一師団所属フリーデ・フェルザー上等兵であります!」


「フリーデか、ナウマンの証言にあった名前だな。

 貴様がベーデカー上等兵が連行される様子をナウマンに伝えたそうだが、間違いないか?」


「はッ、間違いございません。

 その出頭命令書にある通り、トラウゴット大尉の署名がございました」


「ふむ、確かに…」


「ほっほ!では、たしかに渡したぞ。

 後はお前たちの判断で処分すれば良い」



ハバ―元帥は踵を返して出入り口に向かうかと思いきや、シルフ隊長の前で立ち止まった。

敬礼の姿勢を崩さないシルフ隊長を興味深げに眺めている。



「シルフ・プリスタイン…じゃな?」



ハバ―元帥が呼んだ姓に彼の素性をしらない一同が狼狽えざわめき立つ。

俺やアレッサは王族とシルフ隊長との関係をそれとなく知っている。

ハバ―中尉も当然に知っているだろう。

彼を殴ったトラウゴット大尉は血の気の引いた顔で固まっている。



「お言葉ですが、閣下。

 私は王族の姓を名乗る身分ではござません。

 シルフとお呼び下さい」


「ほほぅ、身分をわきまえておるのだな、感心じゃ。

 女王を救った見知らぬ小僧を花婿が贔屓にしていると聞いて見てみれば、女子おなごのような面じゃな、とても軍人には見えん。じゃが…」



ハバ―総帥は彼の顎先を持ち上げるとまじまじと瞳を見つめた。



「よい眼じゃ、戦士の眼じゃな。

 わしの人生経験でも測れんような業の深い眼じゃ。

 エドゼルも中々どうして、見る目があるもんじゃのう…。

 今度、エドゼルと一緒にわしの酒に付き合え、いける口か?」


「ほどほどでございます」


「楽しみにしておるぞ」



高笑いを上げながら出入り口を目指して歩み始めたハバ―元帥の後を女性文官が追おうとしたが、何かを思い出したように懐から便箋を取り出してアラーベルガー少佐に手渡した。



「これは?」


「商工会本部より預かったものです。

 こちらに署名をお願いいたします」



署名を受け取った文官は急ぎ足でハバ―元帥を追って議会室を出ていった。

残されたヴァルターとフリーデが落ち着きなく敬礼の姿勢を崩さない。



「お前たちも後ろに座っていい」


「はッ」



二人は傍聴席の俺の真後ろに座った。

第一師団の彼らの行動は上官への裏切りだろう、さぞ居心地が悪いに違いない。

アラーベルガー少佐が手元にある書類を整理しながら、しばし思案し、口を開いた。



「まず、今回の結論だが、倉庫の損壊の原因になった破壊魔法跡に残された魔力の鑑定結果がここにある。

 ケレン、貴様のものだ。

 ナウマンの痕跡も調べられているが、見つからなかったようだな」



アラーベルガー少佐の言葉を聞いてケレンが立ち上がり真っ赤な顔でモガモガと唸りながら何かを訴えている。

だが、口周りの怪我のせいか言葉になっていない。



「なんだ、起立を許してなどいないぞ、座れ。

 この鑑定結果は裁判で証拠として扱われるものと同じ書式で作成されている。

 言い逃れなどできんぞ」



アラーベルガー少佐の追い打ちの言葉に脱力したケレンが席に座る。

床を見つめたまま、呆然としているようだ。



「次にこの出頭命令書だ。

 トラウゴット、これは貴様の書いたもので間違いないな?」


「いや!閣下それはッ!」


「お前のものか、そうでないのか、どっちだ?

 そうでないのなら、司法省に引き渡して筆跡鑑定をする。

 正当な理由のない公文書作成をしたとなれば、それなりの制裁を受けるだろう。

 私としてはそれは避けたいところだがな」



トラウゴット大尉はアラーベルガー少佐の言葉に押し黙り、握り込んだ両拳がプルプルと震えている。

アラーベルガー少佐は最後に文官から渡された便箋を手に取る、表裏を相互に確認すると、ハート型の封蝋ふうろうがされた箇所を丁寧に剥がして中身を取り出した。



「”晩夏の候、我ら祖国の誇り高き魔闘士の精兵の皆様におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

 さて、此度の時事におかれましては、魔法剣技部隊の皆様にあらぬ誤解を招いていることを憂慮し、この書簡しょかんにしたためたく存じます。

 魔法剣技部隊の皆様におかれましては、各ギルドにおける諸困難事について多大なるご奉仕を賜り、厚く感謝申し上げます。

 しかし、祖国の民を想うそのご奉仕に贈賄ぞうわいの疑いが掛かっていると知り、大変残念でなりません。

 我ら商工会一同を代表し、鍛冶ギルドマスターであるわたくし、ベン・アイゼンハワーが今般の疑惑について魔法剣技部隊の皆様の清廉潔白をこの書簡において証明いたします。

 詳細にお問い合わせいただく際はわたくしへ直接お尋ね下さい。

 ヘルト商工会本部 ギルド代表者一同 より。

 代筆:商工会本部書記係 ウィルマ・ルドルフ”」



手紙を読み上げたアラーベルガー少佐は目頭をつまみあげながら、しばし押し黙った。

関わりたくない人間とうっかり接点を持ってしまったときの感じだろうか。

ベン殿の軍への影響力を考えれば、彼の名前が入っていることは頼もしい。

この手紙で俺たちへの疑惑は解消されただろう。



「とんでもなく厄介…いや、大物からの手紙だな。

 まぁ、疑惑が本当だとして組合総出で擁護する理由もないだろう。

 魔法剣技部隊の贈賄について調査はいらん。さて…」



アラーベルガー少佐は手紙を封筒に戻すと手を組んで一同を見渡した。



「我々としても身内の醜態を世間に知られるのは避けたい。

 だが、虚偽の供述、不必要な公文書の作成と隠滅、そして同胞への殺害未遂。

 ただの喧嘩で片付けるわけにはいかんな。

 ナウマン、貴様は追加の勾留一週間の処分とする。

 トラウゴット、ケレン、及びケレンについて虚偽の供述した者の処分は保留し、軍籍は無期限で剥奪する」


「閣下!!お待ちください!!」



トラウゴット大尉が焦燥の表情で立ち上がった。



「往生際が悪いですなぁ、大尉殿」



ハバ―中尉は首の後ろで手を組んで席にふんぞり返り、くつくつと笑った。

悪い表情だ…。



「ハバ―…貴様ぁ…ッ!

 全て貴様の差し金だなッ!?平民の出の分際でッ!!」


「何を仰っているやらさっぱりです。

 ああ、営倉にぶち込まれる前にお返ししたいことがあります」



ハバ―中尉は立ち上がるとトラウゴット大尉に歩み寄り、壁際に追い詰められた彼の胸ぐらを掴み上げた。



「な…何をする気だ!貴様ぁ!!」


「部下の躾のできない無能な上官はこうでしたかな?」



姿勢をわずかに屈めて腰を捻りながらやや後退すると、全身の体重を乗せたハバ―中尉の拳がトラウゴット大尉の顎先を打ち抜いた。

脳震盪で意識を持っていかれたトラウゴット大尉は壁にズリズリと身体を滑られせながら、床に伏した。



「シルフ君、君の借りは僕が返しておいたよ」


「…そんなことをお願いした覚えはありません。

 後ほどお話がありますので、予定を空けておいてください」


「あっちゃー、やっぱり水に流してくれないんだね」



ハバ―中尉は後頭部を掻きながら、引き寄せた椅子に座った。



「エドゼルよ、トラウゴットの態度を鑑みて今のは見逃すが、あまり調子に乗るなよ。

 お前がトラウゴットにしたように、ハバ―家の威光があろうが、魔闘士団は容赦せんぞ」


「もちろん、承知しておりますとも、閣下」


「ふん…、審議会は終わりだ。

 憲兵隊を入れよ」



議会室の扉が開かれ、多数の憲兵隊が入り込んできた。

俺は両腕を掴まれ、立たされるとそのまま外へと連れて行かれる。

すれ違いざまに目のあったアレッサに、心配はいらないという意味を込めて笑顔を送った。



---



営倉での一週間、特にこれといった出来事はなかった。

治癒士の治療でヒビの入った骨は問題なくなり、傷は残ったものの顔の切り傷も完治した。



「エアンスト・ナウマン曹長、釈放です。

 ご怪我の具合はどうですか? 手を貸しましょうか?」


「いや、大丈夫だ。ありがとう。

 一人で歩けるよ」



兵士の手を借りることなく、地下にある営倉の階段を上り、地上に出た。

一週間ぶりの太陽に眼が一瞬くらんだ。


目の前に、アレッサ、カール、ヨハンの三人が待ってくれていた。



「よー、災難だったな、エアンスト」


「ほんと、どうなるかハラハラしたよ」


「エアンスト!!」



俺の名前を叫んだアレッサが俺の胸に飛び込んできた。

泣きじゃくる彼女を落ち着けるために強く抱きしめる。

いや、彼女を慰めるというより、俺自身が彼女に会えたことに安心している。

シルフ隊長に謝罪したかった、カールとヨハンにも心配を掛けた、しかし何よりアレッサのことが気がかりだったことに今気がついた。



「ごめんね…ッ!あたしのせいでこんなことになっちゃってッ!

 馬鹿で本当にごめんね…ッ!」


「そんなに自分を卑下する必要ないさ。

 俺も心配掛けてごめんな」



顔を上げた彼女の目頭に溜まった涙を指でぬぐい取る。

ああ、なんだか、ずっとこうしていられたらなぁ…。


呆けた気分で顔を上げたとき、こちらをニヤニヤと見ているカールとヨハンのせいで我に返った。



「いやぁ、こんな場所でいちゃつくのはどうかと思うなぁ、エアンスト君」


「お取り込み中悪いけど、すぐにハバ―中尉の執務室まで行くよ、出頭命令が出てる。

 今度は本物さ」


「…すまん。すぐに行こう。

 アレッサ、行こう」


「うん…、ありがとう」



久々に俺たち四人、並んで日の下を歩いた。

ハバ―中尉の用件が気になるが、清々しい気分だ。


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