20 - 風を操りし者たち⑰
傭兵ギルドでの仕事を請け負うようになって八ヶ月ほど、季節は夏真っ盛り。
俺たちの”奉仕活動”はかなりの場数を踏んできたが、幸い大きな怪我に見舞われることもなく、最初に受けたグリフォン討伐に比べれば、危険度も精神的負担も比較的ましなものばかりだ。
魔物の討伐よりも採集に関する依頼が多い、まず専門知識が必要であることが一番大きな要因だが、何しろ賞金が安い。
だが、依頼が王立魔法大学や商業ギルドなど、コネづくりとしては非常に有用な依頼ばかりだ。
金儲けが目的じゃない俺たちには願ったり叶ったりってところだな。
魔物の素材であれ、植物であれ、危険な地域、地形でも俺たちなら臆することなく遂行できる。
自惚れではないが、俺たち四人だけでも、すでに一個中隊よりも戦力が上だろうと自負している。
まぁ、シルフ隊長は規格外の強さなので戦力の算段にいれにくいが…。
しかし、シルフ隊長が頑なに断った案件が数件だがある。
討伐対象が人間である案件だ。
国籍の無いならず者相手だとしても、人間や亜人族の殺害は他国との外交上の問題に発展する恐れがある。
軍籍のない傭兵であれば、領主の許可さえあれば領土内で殺人が行われてもどうとでもなるが、ヘルトの正規兵である俺たちが手にかけるのはまずい…。
というのが、もっともらしいシルフ隊長の意見だ、俺もそう思うが、恐らくシルフ隊長は俺たちに一線を越えさせるのが嫌なのではないかと思っている。
シルフ隊長を除く四人で話し、彼の心情を汲んでそういう結論に至った。
軍人である以上、その時が来る可能性はいくらでもある。
ただ、俺達の手が汚れるのは今ではないのだろう。
「さすがに今回は堪えるわ…。
昨日の昼に出発して休憩なしでぶっ通し…。
あーもうマジで…本当…絶対に殺す…」
「姉御、わかってるからそう何度も愚痴んなよ…。
余計疲れるから。あと殺意も隠して」
「ひとっ風呂浴びたいね…」
現在俺たち四人は傭兵ギルドのホールでぐったりとしている。
冷却魔法の魔法機械で涼しいことがいま、一番の癒やしだ。
昨日の正午を少し回った頃だったか。
俺たち宛に傭兵ギルドの遣いが訪れ、すぐにギルドに来てほしいと。
何事かと思えば、鍛冶ギルドのギルドマスターの男(?)が俺たちを指名して傭兵ギルドへ呼びつけたのだ。
完全に平常心を失っていてとてつもなく口調が荒くなっている彼(?)に代わって、ルキ殿とウィルデ殿から説明を受けた。
聞けば商業ギルドに所属する亜人族と鍛冶ギルドの職人の一団が鉱物資源の調査に行ったきり、予定期日を過ぎても戻ってこないという。
すでに傭兵ギルドの有名人となっていた俺たち魔法剣技部隊を知っていた彼(?)は鍛冶仕事で極限まで鍛え上げられていた剛腕でシルフ隊長に掴みかかり、解決を強要した。
あまりの剣幕に今度はアレッサがブチ切れそうになりながらも、俺とシルフ隊長がその場を収め、傭兵ギルド内で揃えられる装備を持って馬を走らせた。
到着した現場には複数のホブゴブリンとそれに飼われている武装したサイクロプスがおり、到着早々に戦闘に入り、退治した。
人間ではないが、ゴブリン族は一定の知能があり、自前の武器や防具を持ち、群れの中で意思疎通と連携ができる。
殺すのに若干の罪悪感があったが、それは割り切った。
シルフ隊長が人間討伐の依頼を断る理由を痛感した瞬間だった。
周囲を偵察したが、他にゴブリンの群れはなく、調査団の捜索を開始して早々に資源調査用に掘られた横穴の扉を閉めた先に避難していたのを発見できた。
逃げてしまった馬を呼笛で戻したが、全頭は戻ってこず、比較的体重の軽いドワーフ族の職人を俺たちの馬に分散して乗せ、一切の休憩をせずになんとか戻ってきた。
大して飲まず食わず、そして休まず、そしてこの猛暑。
汚れた装備も着替えられないまま傭兵ギルドへ戻り、今の状況である。
シルフ隊長は待機していた鍛冶ギルドマスター、商業ギルドの使者、そしてルキ殿と二階で会議中。
「皆さんいらしてたんですね!
すみません、今日はずっと厨房に入ってたので」
「リリー!
今日もちょー可愛いエプロンだね!」
「そうですか?えへへ。
お母さんにこの前仕立ててもらったんです」
青のワンピースに白いドレスエプロン、カチューシャで纏められた髪。
初めて出会った頃よりも少し背が伸びたりリーだ。
彼女の格好は以前の傭兵ギルドからすれば明らかに場違いな格好だ。
酔っ払いが叫び、喧嘩の怒号が飛び交い、煙草の煙と賭け事に興じる連中の溜まり場。
不潔、不穏の空気と殺気に満ちた宿泊所だった。
しかし、どうだろう。
以前にはいなかった女性ウェイター、ウィルデ殿一人しかいなかったカウンターには女性事務が数人。
油とヤニにまみれた壁や床は綺麗に清掃され、少なくとも大衆食堂程度には落ち着いている。
雑に貼られていた依頼書の掲示板は綺麗に整頓され、呪いの札のような存在だった”誰もやりたがらない”依頼書は奥まった位置に。
酒のつまみ用の保存食ぐらいしかなかったメニューは大幅にレパートリーを増やし、閑散としていた厨房にはベテランから若手まで多くの料理人がいる。
…さすがに客層が変わるわけではないので相変わらずガラの悪い連中ばかりだが、それでも少し前に比べれば明らかな秩序が生まれている。
「皆さんすごいお疲れみたいですけど…、まだお仕事ですか?」
「ムリムリ、あたしら今日は動けないって!
今はシルフ隊長とあのギルドマスターを待ってるの!
一発殴らないと気がすまないからさぁ…」
「アレッサさん怖いです…。
でもお仕事終わりなら、これどうぞ、サービスです」
「おおっ! 冷えたエール!!
すごいじゃん!使いこなせるようになったんだ!」
「はい、氷ぐらいなら作れるようになりました!」
『リリー、こっちに冷えたエール3つくれー』
「あ、はーい!
すみません!お昼時でバタバタなので失礼します!」
元々魔力があるだけの潜在非能力者だった彼女だが、どうやら魔法へ昇華させることに成功したようだ。
ウィルデ殿が魔法使いだから、彼女から教わったのかもしれない。
そう、このギルドの変わり様はリリーの功績なのだ。
傭兵ギルドマスター夫妻に引き取られた彼女は正式に養女に、その後はこうして店の手伝いを始めた。
文字の読み書きすらもおぼつかない中、懸命にここで働く彼女に対して、荒くれ連中もなにか思うところがあったのだろうか、極端に暴力的な行動はしなくなった。
傭兵同士の暴力沙汰とそれを暴力的に仲裁するウィルデ殿の姿が消えていったことで、地域住民との親和が取れ始め、幼いリリーが働く姿が評判になり、万年募集中だった求人に人が集まるようになった。
人手不足で多忙を極めていたウィルデ殿は以前とは比べ物にならないほど穏やかな表情で働いている。
「なぁ、お嬢ちゃん、俺はここに来るのは初めてでよぉ。
いろいろ教えてくれよ、なぁ?」
「あ、ごめんなさい! 依頼に関することならカウンターで聞いてもらえれば…」
「俺はお嬢ちゃんに教えて欲しいだよ、いいだろ?」
『おぉ、新入り、聞きてぇことがあるなら俺らが教えてやるぜぇ?』
『なんなら一緒にパーティーでも組むかぁ?』
『生きた人肉が好物なグールの巣の駆除だぜ、面白そうだろうぅ?』
『ドラウナーの住処になってるドブ川の掃除なんてのもいいんじゃないかしらぁ?』
「ひぃ!!」
「エッカルトさん、オイゲンさん、フランツさん、…アレッサさん。
喧嘩はやめてくださいね?」
『もちろんだぜリリー、お話するだけだぜ、ケケケッ。
なぁアレッサの姐さん?』
『そうよぉ、でもあたしらのお話はちょっと刺激が強いかもねぇ、ヒヒヒッ』
…あんな感じにリリーを愛する荒くれ者同士で謎の自浄作用が働き、秩序が保たれているのである。
今のアレッサはストレスのせいで自制が効かなさそうだから連れ戻そう。
「本当に助かっちゃったわ、シルフちゃん!
”風を操りし者たち”の”風神のシルフ”、噂に違わぬ実力じゃなぁい?」
「お褒めに預かり光栄です、フロイライン。
ただその呼び名は恥ずかしいのでシルフでお願いします」
「やだわフロイライン(お嬢様)なんて、エンゲル(天使)と呼んでちょうだい!」
「本名を名乗れよ、ベン(熊)」
「その名で呼ぶんじゃねぇ!ルキ!」
会議を終えたシルフ隊長、ルキ殿、そして鍛冶ギルドマスター、ベン殿、商業ギルドの使者が階段を降りてきた。
ベン殿は初対面時の印象と変わりすぎている…。
あんな口調で喋る人なのか…、まぁ男前すぎる顔に合わない化粧で予想はついてはいたが、中々に濃いな。
何を話し合っていたのかも聞きたい、俺たちも合流しよう。
三杯目のエールをかっくらっているアレッサの肩を叩いて俺たちは席を立った。
「あら、小娘、あんたまでいるの?
こっちはイイ男だけいれば十分なんだけど?」
「ざっけんじゃねーよ!このオカマ!
あんたに一発入れなきゃ気がすまん!!」
「おい!やめ…ッ」
俺の静止も聞かずにアレッサがベン殿の顎へ拳を振り上げる。
こいつの拳は魔法を使わなくても男を伸すくらいは簡単だ。
シルフ隊長を除く俺ら三人、何度も食らっている。
「甘いわぁ!!ぶほほほっ!」
「なにぃ!?」
ベン殿はアレッサの拳をいともあっさりと平手で封じた。
更に苛ついたアレッサが風魔法を使おうとしたので、これ以上は危険と感じた俺、カール、ヨハンで床に抑えつけた。
「ふん、ただ鉄を打つしか能がない職人だとお思い?
小娘にやられるほどヤワじゃないのよぉ!ぶほほほ!
…って、まぁ冗談はこのへんでいいわね。
魔法剣技部隊の皆様、今回は感謝しているわ、本当にありがとう。
あなた達がいなかったら、うちの貴重でかわいいドワーフ職人を失くすところだったわ」
長身、筋骨隆々、手入れの行き届いた紫の長髪をなびかせる男はキラリと輝く白い歯を見せながら微笑んだ。
濃すぎる個性の持ち主だが、ヘルトで最も権威ある技術者集団”戦乙女の炉”の頭目にして、鍛冶ギルドマスターのベン・アイゼンハワー殿。
彼と彼の直弟子たちは機械的に魔法石から魔法の力を取り出す魔法機械の熟練職人でもあり、上流階級のみ居住を許されるムート区での居住権をも持っている。
俺たちがこれまで出会った人物の中では最も大物だろう。
「商業ギルドの間抜け共に伝えなさい、護衛につける連中はもっと慎重に選びなさいとね。
ろくな装備もない素人連中だけをつけてうちの職人を外に出したなんて、上に報告されたくないでしょう?
今回のことは貸しにしといてあげるわ、今は機嫌がいいのよ」
「はッ…、たしかにギルドマスターにお伝えいたします」
「じゃ、もう行っていいわよ」
商業ギルドの使者殿はかなりくたびれた様子でそそくさとホールを出ていった。
「ルキ、あんたにも貸しよ。
傭兵斡旋業はあんたの仕切りでしょう?
傭兵連中の質を担保できないんじゃ商売上がったりよ」
「何度も言ってんだろ…。
俺らはここに登録したやつの素性しか調査しねぇって…。
商業ギルドの連中が勝手に雇ったやつのことまで責任持てるか」
「ふん…、もし今回の護衛任務をほっぽりだした連中がノコノコやってきたら知らせてちょうだい。
ケジメはとってもらうわ」
「あの、差し支えなければ、皆様はどのようなお話を?」
「エアンストちゃんよね、簡単な話よ。
今回の調査団の護衛に付けてた傭兵共が魔物の襲撃にあってとんずらこいたの。
で、話を聞いたらここを通さずに勝手に雇ったゴロツキだったわけ。
そのことを知らなかったあたしは乙女心に火がついちゃって昨日のアレな感じだったわけよ」
「なーにが乙女心よ!シルフ隊長を絞め殺す勢いだったくせに!」
「ぶほほほ!それに関しちゃ悪かったわよ、小娘!
あんたたちには私のイチモツよりでかい借りができちゃったから、今後いろいろ協力してあげるわよ。
タダで武器を売ってあげることはできないけど、装備の手直しくらいならいつでも持ってらっしゃいな」
「そんなんじゃ足んないわよ!あたしらヘトヘトでお腹すいてるんだけど!!」
「ぶほほほ!いいじゃなーい、さっきからのその威勢の良さ!気に入ったわよ小娘!
ここで好きなだけ飲み食いしていきなさいな、勘定は商業ギルドにつけとくわよ!
それでいいわよね?ルキ?」
「おう、お前の名前を添えて請求書を送ってやるよ」
「よっしゃあ!許すわよオカマ!」
「ぶほほほ!それじゃ、あたしはお暇まするわ。
シルフちゃん、あんた工房にいらっしゃいな、お金ができたらうちのお得意様になってくれるだろうし!
南部のおいしいお茶、用意しておくわよ」
「ええ、では私の手作り菓子を持参してお邪魔させていただきますね、フロイライン」
「やだわぁ、本当にお上手な坊やね!
楽しみに待ってるわ!チャオ!」
ウインクをひとつすると軽やかなステップで彼…彼女はホールを出ていった。
ルキ殿は脱力して階段に座り込む。
ルキ殿もこの荒くれ連中をまとめあげる豪傑だと思っていたが、これほど疲弊するような人物なんだな。
「本当に助かったぜ、シルフの旦那。
あいつが本気でブチ切れた日にゃあ、下手すりゃギルド解体までありえるからな…」
「そーんなにすごいんですかぁ?あのオカマ?」
「お前な…オカマオカマと気安く呼ぶなって…」
俺は飲みかけだったエールをグビグビし始めたアレッサをたしなめるが、ツンとした態度で返されてしまった。
まぁ、ベン殿がシルフ隊長に無理やり要求を突きつけた時に一番怒っていたのはアレッサだからな、ベン殿に軽くいなされて余計に機嫌が悪いようだ。
俺たちの話の輪に、くわえタバコのウィルデ殿が入ってきた。
「ふざけた口調ではあるけどね、鍛冶ギルドっていってもただ剣やら農具を打ってるだけの連中じゃないのさ。
武器、造船、建築、魔法科学、この国の基幹事業、軍産複合体の上位に立つ一人なんだよ。
騎士団の貴族連中でも、あのオカマに頭の上がるやつは限られるね。
まぁ、あいつを上手く取り込んだのは結果としてよかったんじゃないの、隊長さんにとって」
「そうですね、恩を売る…というと聞こえが悪いですが、武器や装備の調達には難儀しているのでベン様のような方に味方になっていただけると心強いですね。
まぁ、彼に仕事の依頼ができるほど、我々の懐は暖かくないのが現実ですが」
「ははっ、そいつぁ、俺らにはどうにもできねぇなぁ。
軍のお偉いさんから小遣いがもらえるまで、仕事をガンガン回すぜ。
それが俺らから旦那への恩返しだな」
「恩を売ってるんだか買ってるんだかわかんないっすね!」
カールの一言でドッと笑いが起こった。
「ねぇ!それよりさぁ!あのオカマのツケでやっちゃっていいんでしょう!?」
「いや、お前…、それ何杯目だ?」
「わっかんなーい♪」
くるくる回りながら排水管の様にエールを胃に流し込むアレッサにリリーはじめウェイターがドン引きしている…。
「おう、飲みたいだけ飲んで食いたいだけ食え!
ここにあるもん全部空になってもやつの懐は痛まねぇ」
「イエー!ルキさん最高!
みんなー!今日はあたしのおごりだからじゃんじゃん飲んで食べて!」
ギルドホールにいる傭兵連中の歓喜が沸き起こる。
こいつ、ここにいる全員に奢るつもりかよ!本当に店中の食料を空にするかもしれん…。
…でもまぁ、俺もくたくただし、腹も減ってる、タダ酒が飲めるならそれでいいか。
昼間っから飲むのも悪くない。
…なんだか、昔の自分と比較するとだいぶ奔放な性格になっていると思う。
多分、アレッサのせいだろうな。
リリーに渡されたカップに入ったエールにシルフ隊長が口をつけた。
あれ…?
「シルフ隊長…、お酒、飲まれるんでしたっけ?」
「そういえば…、皆さんと飲むのは初めて…ですね。
普段は飲まないんですよ、あまり酔わないので。
たまに国王陛下にお付き合いする程度で」
「では、はじめての乾杯ということで」
「ええでは」
──────乾杯
---
はっ…。
いつの間にやら、飲んで、テーブルに突っ伏して寝てしまったようだ…。
夕闇に近い時刻なのが、窓ガラスからの光で分かる。
ギルドホールが相変わらず賑やかだが…、アレッサ、カール、ヨハン…シルフ隊長が見当たらない。
にしても飲みすぎたな…、頭が痛い…。
「目、覚めたかい」
「あ、ウィルデ殿…、申し訳ない…」
俺の脇に座ったウィルデ殿が水と酔い覚め薬を机の上に置いた。
グレーデン調合薬剤店の瓶、もう何度世話になったかわからんな…。
俺は水と薬を飲むと、ウィルで殿と向き合った。
「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしました」
「こんなもん慣れっこさ、胃の中身をぶちまけられないだけマシ」
だろうな。
リリーがホールからいなくなっている。家に帰ったのか。
「リリーは、この時間にはいないんですね」
「夜はちょっとね…、夢魔の子たちが客を取りに来るし、あたし以外、夜は男だけで回すことにしてるよ。
それにあの子、夜は教会の学舎に勉強に行ってるの、読み書き計算を覚えたいってね」
「昼間働いて、夜は勉強ですか、すごいな。
俺も勉強は熱心だった方ですが、食う寝るは親に頼り切りでしたから」
「あたしもそれでいいと思ったんだけどね、あの子聞かないのよ。
あたしらに負い目を感じてるのかとも思ったけど、結構楽しそうだから、この際好きにさせちゃおうかなと思ってね。
実際、あの子がここで働くようになってから商売繁盛よ。
傭兵斡旋業なんてやめちまおうかと思うぐらいね」
ウィルデ殿は吸い終わった煙草を床に捨てる動作をしたが、近くにあった陶器製の灰皿をたぐり寄せ、火を消し、新しい煙草を咥え、指先に灯した魔法で火を付けた。
そうだ、床もずいぶん綺麗になった。煙草の灰、吐き捨てた痰、油まみれで滑るぐらいだったのにな。
リリーが懸命に拭いてくれたんだろうか。
「リリーについては改めて感謝します。
あの子、ウィルデ殿を”お母さん”と呼んでいて、とても安心しました」
「本当にね。いい子さ。
あたしゃ不信心者だけど、あの子は女神様があたしに授けてくれた贈り物だと思ってる」
彼女は近くにいたウェイターにグラスに入った蒸留酒を一杯持ってこさせると、グッと喉に流し込んだ。
「あたしとルキが傭兵家業をやってたころ、最初の子を妊娠したんだ。
でも、母性っていうの? そういうのにあんまり目覚めなくてね。
あいつがさんざん止めるのを無視して、稼いだ金で酒のんで馬鹿やってたんだ。
んで、馬鹿が祟ってその子は流れちまった。女の子だったよ」
ウィルデ殿はメガネを外すと何度も目頭を指で拭った。
俺はなにも言わず、黙って話を聞いていることにした。
俺に過酷な過去を打ち明けてくれた女の顔が頭に浮かんだからだ。
「自分の子供死なせたのに、なんか自分でもよくわかんない感覚だったんだけど、あの馬鹿がね、爺さんの代から引き継いで使ってた剣を金槌で叩き折ったのさ。泣きながら。
自分の命の次に大事そうにしてた剣を折ったあいつを見て、やっととんでもないことをやっちまったんだって思ったのさ。
傭兵家業をやめて、子供も授かったし、それなり幸せだったけど、ずっとしこりみたいな罪悪感が残っててね、それを全部リリーが消してくれた。
あんたらにも隊長さんにも、返しきれいない恩ができちまった。
あのオカマがキチガイみたいに怒りちらしてたとき、解決できるのはあんたらだけなんじゃないかと思って遣いを差し向けたのはあたしさ」
「結果的にウィルデ殿のおかげで我々に頼もしい味方ができたわけですね」
「結果的にはね…、さすがにあたしも焦ったよ。
あいつは人好きそうに見えるけど他人を簡単に信用しない。
ヘルトの内にも外にも敵の多いやつさ。
隊長さんも、とんでもない人タラシだねぇ…」
「まぁ、シルフ隊長が御婦人に好かれるのはいつものことですね」
御婦人でいいはずだ…、うん。
「あんたも大概だと思うけどね。あたしみたいな年増のこんな話を黙って聞いてくれんだから。
さて、隊長さんは帰ったよ、仕事が残ってんだって。
他の隊員さんは上の部屋で寝てるよ。
リリーのお陰で宿屋業も順調でね、二階の左突き当りの右手の部屋しか空いてないから、そこ使ってちょうだい。
隊長さんから明日は休みにするからゆっくりしろってさ、伝言、たしかに伝えたよ」
ウィルデ殿は飲みかけの蒸留酒の入ったグラスを持って、いつものカウンターへ戻っていった。
まだ酒が抜けていない…、今から宿舎に戻るのも億劫で仕方ないしな、ここに泊まるか。
トボトボ階段を上がり、言われた部屋の扉を空けた。
「やられた…」
扉を開けた先、シングルベッドに先客が居る…。
制服を脱ぎ捨てて、シャツと下着姿のアレッサ…。
図ったなシルフ隊長…。
「なんて恰好だよ、年頃の娘が…」
いくら夏はとはいえ、こんな格好じゃあ冷えるだろうが…。
うわ、酒臭…、こいつどんだけ飲んだんだ。
制服も脱ぎっぱなし、ああ、剣も雑に放り出したな、刀身がはみ出てる。
たく、相変わらずいい加減だな、宿舎で他の女兵と上手くいってるのか…。
彼女の制服を畳んで、装備を整頓して…、はたして俺はどこに寝ればいいのか。
この部屋にはソファ一つ無いじゃないか。
シングルベッドの中央はアレッサが堂々と占領している…。
彼女の首と膝に手を入れて少しづつ壁際に追いやる。
酒臭さに混じったライラックの香水の香りと肌の感触と蒸し暑さが妙に生々しくて心臓の鼓動が激しくなる。
いやしかし、丸一日以上風呂にはいっていないしなぁ…、ってなにを考えてるんだ俺…?
しばらく眠れない状態が続いたが、まだ身体に残るアルコールの作用で、疲れた身体が救済を求めうように眠気が襲ってきた。
「いくじなし、バーカ」
意識が途切れる最後、何か聞こえたような聞こえなかったような…。
俺は再び深い眠りについた。




