18 - 風を操りし者たち⑮
疲れている…、というのが率直な感想だ。
暗闇の中、魔法石の光があるとはいえ思い切り馬を飛ばすことができない上、魔物への警戒もし続けなければならない。
リリーが休みたがってくれればよかったが、気丈にも彼女は文句一つ言わず、アレッサの馬の上でじっと耐えてくれた。
最後の峠を超えて、遠くに祖国の街が見える。
日の出の光に照らされた水の都市であるヘルトはとても美しい。
この帰りの旅路で唯一よかった体験かもしれない。
日の上がりきった早朝、俺たちはヘルトの門前へと到着した。
リリーについて関所の門兵にどう説明したら良いか不安だったが、グリフォンの討伐の話に加え、この件で孤児となったリリーを保護したことを村の長に書かせた養子に関する書類と共に話したらすんなり通してもらえた。
何度も郊外に出て訓練していたせいで、関所の兵士たちと顔なじみだったのも大きい。
もっとも、この国は他国の人間が街に入ることに関して比較的寛容な国だ。
俺の親もそうしてこの国の民になったのだからな。
カールとヨハンにはシルフ隊長をクラフト区にある王立軍病院へ運ぶよう頼んだ。
シルフ隊長は固辞したが、めちゃくちゃな作戦をやってくれたことについてのお灸をすえる意味で無理やり行ってもらった。
俺も怪我をしているから、後でいかないとな。
一番の問題はリリーだ。
彼女の住む場所を一刻も早く探さないといけない。
救貧院にいくにしても緊急でない場合、受け入れには一定以上時間が掛かるだろう。
その辺の知恵も借りるついでに、傭兵ギルドへグリフォン討伐依頼達成の報告だ。
こんな朝早い時間に空いているだろうか…。
「だめだ…、やっぱり閉まってるな」
「朝早すぎだよね、やっぱ。
リリー、大丈夫?疲れてない?」
「大丈夫だよ、アレッサさん。
大きな街、すごい高い建物、朝早いのに人がいっぱい…すごいなぁ…」
リリーの子供らしさに心がほころんだ。
うん?確か俺たちが最初にここへ来たとき、ルキ殿は寝起きだったな。
ここを自宅兼仕事場にしてるなら中にいるんじゃないだろうか。
ちょっと非常識な気もするが、もっと戸を叩いてみよう。
「おや、あんたら、隊長さんの部下の…」
「ウィルデさん! そうです!シルフ隊長の部下のアレッサです!
こっちはエアンスト…覚えてますか?」
「忘れるわけないじゃないのさ。
それにしても、そっちの兄さんは酷いなりだね。
怪我もしてるみたいだけど…、まぁ立ち話も何だし、
いま開けて上げるから中にお入り、話はゆっくり聞くよ。
あの馬鹿も中で寝てるだろうしね」
緑のワンピースに厚手のストールを纏い、くわえタバコの女性、この傭兵ギルドの女将、ウィルデ殿だ。
以前に合ったときのような気圧されそうな気迫はなく、どこにでもいそうな婦人だが、使い込まれたグリップの短刀を腰に下げていることが、彼女がただの一般女性ではないことを主張している。
鍵を開けてくれたウィルデ殿を追って、ギルドの建物に入る。
普段はガラの悪い連中のたまり場だが、当然今はだれもない。
大テーブルの一角に座ると、ウィルデ殿がお茶と、ホットミルクを持ってきてくれた。
「お嬢ちゃん、牛乳は好きかい?」
「牛の乳は飲んだことないんですけど、いい匂いがします。
…あ、おいしいです!」
「そうかい、素直で良い子だね。
ちょっとあたしの旦那を起こしてくるからさ。
ここで待っててちょうだい」
するとウィルデ殿は二階に上がっていった。
出された茶をすすりながら、一息ついていると、二階からけたたましい怒鳴り声が聞こえた。
「あんた今日までに部屋片付けるって約束だったじゃないのさ!
あたしに子供の世話全部押し付けてグータラ寝くさって、このろくでなしが!!」
「すまん!俺の愛する女よ! お前の気が済むまで殴って構わん! うごぉ!!」
「言われなくてもシバキ倒すってのこの間抜け!!」
「頼む!!魔力を込めて殴るのはやめてくれ!!死んじまう!!」
「死にたくなきゃさっさと顔洗って下におりてきな!!
大事なお客さんが来てんのさ!!」
地響きのような音が建物を揺らす…。
すごい夫婦喧嘩だな…、いやルキ殿が一方的にやられているだけか…。
アレッサとリリーはおもしろおかしそうに笑っているが、俺は笑えんぞ…。
女ってのは時に恐ろしい…。
顔を擦りながらルキ殿がウィルデ殿と一緒に降りてきた。
痛そうにしているが無傷でいるところも見ると、このひとも相当の化け物なんじゃないか?
禿頭の大男は俺の姿を見て、身体が跳ねるほど驚いている。
「おい!兄ちゃん!グリフォンの討伐を引き受けたくれた隊長さんの部下の…。
ひでぇ怪我じゃねぇか…、こんなところにいて大丈夫なのかい!? 隊長さんは!?」
「落ち着いてくださいルキ殿、ただの火傷です。
仲間に治療してもらっていますし、隊長は王立軍病院へ行っています」
「あそこに行くっつうことは、えらい怪我でもしてんのか!?」
「いえ、ちょっと無理をしたので、念のため行ってもらってるだけです。
我々軍人はあそこを公費で利用できるので、ちょっとした怪我でも行くやつが多いんですよ」
美人の治癒士に治療してもらえるらしいからな…。
俺は主にルキ殿の質問攻めに答えながら、この度のグリフォン討伐について報告した。
リリーのことを説明するのに隠し事はしたくなかったので、リリーには辛い話にはなるだろうと承知の上で、すべて話した。
リリーの身の上について話している最中、ルキ殿はしゃくりあげながら泣いている…、人情に厚い人なのだろうが、少々話しづらい。
「大変だったなぁ…、リリー…くぅ…目から汗がでやらぁ…」
「まぁ、そんなこんなで、子供を預かってもらえる場所を探しているんです。
救貧院が真っ先に思い浮かんだんですが、すぐに預かってもらえるかどうかわからなくて、
最悪、俺の実家を頼ろうとも思っているんですが…」
「ふーん…、ねぇリリー、うちの子にならない?」
ウィルデ殿がこともなげに言ったことに俺たち三人、思わず椅子から転げ落ちそうになった。
「さすが俺の愛する女! それはいい!俺たちの娘になっておくれリリー!」
「あたしら、もう五人も子供がいるからさー、今更一人増えたってどうってことないのよ。
むしろ五人とも男でさぁ、女の子はもう諦めてたんだけど…。
もちろんリリーがそれでいいならってさ、どう?」
「…どうしよっか、リリー?」
俺に変わって、アレッサがリリーに寄り添って話しかけた。
ウィルデ殿が椅子を移動させて、リリーの直ぐ側で彼女を見つめている。
正直、俺には手に余ることだった。
まったくの無計画で彼女をここまで連れてきたが、最終的に彼女の人生に責任を負うところまでの覚悟がなかったんだ。
アレッサに髪を撫でられながら、リリーは何かを必死に考えているようだ。
「あ、あの…、私、字も書けないし読めないし、計算もあんまり…」
「うちから通えば? いかせてあげるよ、学校」
「でもあの…、山羊のお世話しかしたことないし、料理くらいしかできないし…」
「料理できるの?
助かるな―、うちの坊主どもはなーんにも作れないからリリーにお願いしようかな」
「でも…、でも…」
「最後はリリーに決めてほしいわね―、会ってすぐこんなこと言われて気持ち悪いだろうけど、
あたしはリリーが好きになっちゃったし、この馬鹿もリリーが好きみたいだし」
「そうだぞ、リリー。何も気負いすることなんてないんだよ!俺たちがずっと面倒見てやる!
お前が俺の認める男のお嫁さんにいくまでずっとそばにいてやるぞ!!」
「気が早いんだよ、バカ!」
ウィルデ殿の強すぎるツッコミに大げさに応えるルキ殿を見て、俺たちは笑った。
リリーもつられて笑ったが、笑いながら、どんどんと両目から涙がこぼれ落ちていた。
いよいよ本格的に泣き出したリリーを、ウィルデ殿が胸に抱きしめる。
しゃくりあげる彼女の背中を擦って、ゆっくり左右に揺れながら、赤ん坊をあやす母親にように。
俺の先入観で抱いていた彼女の印象からはかけ離れている優しい顔に思わず見惚れてしまった。
「ここにッ…いさせて…くださいッ」
「いさせてじゃないだろう? あたしはあんたのお母ちゃんさ、ここがあんたの居場所、ずっといていいんだよ」
本当に思わぬ展開だが、全てが収まる場所に収まってくれた気がする。
俺はルキ殿へ依頼達成証明書を渡して、去ることにした。
「シルフの旦那にはよろしくいっといてくんな。
今回は本当に助かったぜ、俺たちも今後の協力を惜しまねぇ。
だが、リリーを連れてきてくれたお礼をしてぇからな、頼むぜ」
「えぇ、落ち着いたら皆でまたきます」
「リリーの様子も見たいので、すぐにお邪魔すると思います!」
俺たちは揃って敬礼するとギルドをあとにした。
さて、次は王立軍病院へ行くか…。
正直、鎮痛剤の効果がきれてきたせいか、火傷が疼く。
「エアンスト、大丈夫?痛い?」
「ああ、でも心配ない。
だが、油断大敵だからな、ちゃんと治癒士に診てもらうよ」
「うん…。
ねぇ、エアンスト…。リリーのこと本当にありがとう。
私、この部隊に入れて本当に良かった」
「ああ、俺も本当にそう思う」
「みんなかっこよかったけど、私はエアンストが一番かっこいいと思ったなぁ…。
リリーを連れ出してくれたのはエアンストだし」
「俺にそう行動させてくれたのはお前だよ、アレッサ。
お前の優しさが、俺やみんなの心を動かしたんだ」
「えっ、あ…、うん…、ありがと」
うん?うつむいて黙っちまったぞ。
顔も赤いな…、寒い長旅で体調を崩したか…?
まぁ、これから病院へ行くんだ、ついでに診てもらえばいい。