16 - 風を操りし者たち⑬
「シルフ隊長ォ!!」
アレッサの悲鳴に俺は我に返った。
あまりに唐突すぎる出来事に、しばし思考が停止してしまっていた。
アレッサは溢れ出る涙を拭いもせずに、半円の魔法防壁を両手を振り乱して叩いている。
「ヨハン!! 早く!早くこれを解いて!!
シルフ隊長がっ…早くしないと!!」
「無理だ…、術が強力すぎて内側からも破れない…。
付呪の効力が切れるまで待つしかないよ…。
少し落ち着いて、アレッサ…」
「駄目だよ!死んじゃうよ!! このままじゃ!! シルフ隊長が!!」
「落ち着けってんだよ!姉御!」
カールが平手でアレッサの頬を打った。
打たれた頬を手で抑え、今度は嗚咽しながら彼女は泣き続ける。
カールが俺に目配せする。
こんな状況だからな…。
俺はアレッサを自分の胸の中に抱き寄せた。
なにか縋るものが欲しかったのか、俺の軍服を鷲掴みにして彼女はなお泣き続けた。
「爆炎魔法で本当に死んだんならグリフォンごと粉々になってんだろ…。
ああやって原型をとどめてるってことは死んじゃいねーよ…」
カールの最後の方の言葉は尻すぼみ気味だった。
俺たちに向けたというよりも、自分でそう信じたいといったところだな。
俺たちの心の動揺をアレッサがすべて引き受けてくれたおかげで、俺は比較的冷静でいられた。
シルフ隊長が死亡した場合にどの様に撤収するかも考えたが、それは一旦頭の中で打ち消した。
「長いな…、この防壁の効果」
俺はヨハンに目を向ける。
「ああ…、物の品質が良かったのもあるが、ルイーサ様の聖魔法が相当に強力だったってことだ」
「ルイーサ…? ”カズラを纏う戦乙女”のルイーサ・ハバ―様か!?」
「なんだよ、今頃気づいたのか?」
まさか、”ヘルトの守護聖女”の一人がハバ―中尉の奥様だったとは…。
ハバ―中尉…、婿養子だったのか…。
微かな光を帯びながら、防壁が徐々に弱まり、完全に消えた。
ずっと俺の胸元で泣いていたアレッサがそれに気づき、シルフ隊長へと一目散に駆け出していく。
俺たちも全力で走った。
一瞬、心臓が凍った。
上半身の軍服の前側が吹き飛んで、下着が焼け焦げていた。
顔が血みどろで、もう本当に死んでしまっているんじゃないかと思った。
しかし、彼の胸は上下に動き、ちゃんと呼吸をしていた。
それがわかっただけで、俺の中で張り詰めていた緊張が解けた。
「見た目はひどいが、この血はグリフォンのだな。
顔に目立ったは外傷はないが…。
エアンスト、ちょっと上を脱がしたいから手伝え」
カールの指示で上半身の軍服を脱がし、下着をまくり上げた。
俺は別の意味で驚愕した。
シルフ隊長の上半身には赤黒い血液のような色をした歪な刺青が入っていた。
彼が刺青をするような人には到底思えなかったから、ある種のギャップに動揺したのだ。
それに大小様々な傷跡が全身にある、いったい何をしたらこんな身体になるんだ…。
「隊長、墨なんて入れてんのか…、意外だな…。
それはともかく、上半身に軽度の火傷があるだけだ。
火傷の度合いでいったら、エアンスト、お前の方が重症だな」
「ああ、正直けっこう痛む」
「心配すんな、俺特性の薬を持ってきてある。
まぁ、多少は跡が残るかもしれんがな」
「軍人にとって傷跡は勲章みたいなもんだろ、気にしないさ」
俺はシルフ隊長の傍らに座るアレッサを見た。
あれほど取り乱していたのに、今は涙も止まって静かに彼を見ている。
険しい表情が解けないのは、彼がまだ目を覚ましていないからだろう。
ここにいても仕方ない、シルフ隊長を野営地まで運ぶか…。
「あぁ…皆さん…、無事だったのですね…、よかった…」
「シルフ隊長!!」
シルフ隊長が目を覚ました。
俺たち全員胸をなでおろすが、アレッサはまたボロボロ泣きながら彼の髪を撫でて、顔をもみくちゃにしている。
「それはこっちのセリフですよぉ…。
なんであんなメチャクチャなことしたんですか!!」
「すみません…、言い訳は後ほどさせてください…。
派手な技を使ったせいでマナを使い果たしてしまいました…。
今日のところは野営地で休みましょう…。
ちょっと眠ります、慣れないことは…するものではありませんね…」
そうしてシルフ隊長は再び意識を失った。
俺は隊長を背に担いで、他の三人の手を借りながら急斜面を慎重に降りていく。
通常、マナを使い果たすほど魔法を酷使することを軍では原則禁じている。
しばしば魔法使いはマナを使い果たすことで昏睡することがあるからだ、今のシルフ隊長のように。
そうでなくても身動きできなくなる。
戦場においてそのような状況になった場合、味方の足を引っ張るか、敵に殺されるからだ。
その点で言えば、これは失策ですよ、シルフ隊長。
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カールとヨハンに案内されて野営地近くの小川で血まみれの身体を洗った、衛生的にも良くないしな。
替えの下着を持ってきて正解だった。軍服はどうにもならないから軽く洗って暖炉のそばで置いてある。
横穴の野営地内が獣臭いのはこの際、しょうがいない。
俺の火傷はカールの持ってきた軟膏をぬり、包帯で巻いた。
痛みは鎮痛剤でほぼ気にならなくなった。
シルフ隊長の火傷にも同様の処置がしてある。
医学に詳しいやつがいると本当に頼もしい。
俺たちの任務は達成された。
それも予想よりかなり早くだ。
大きな怪我を負うこともなく、全体的に見れば十分に成功と言えるが、シルフ隊長に大きな負担をかけて結果昏睡状態にしてしまったことは大きな反省点だろう。
アレッサは小川から汲んできた水と手ぬぐいでシルフ隊長の全員に付いたグリフォンの血や土汚れをできるだけ丁寧に拭き取っている。
大所帯の魔闘士団にいたときも、共に訓練する同僚や部下に対して連帯感を持つことはあったが、この五人で行動したここ数ヶ月の時間はもっと強固な絆を俺たちの間に結ばせた。
それだけ濃密な時間だったということだ。
それが今回の任務達成をなし得た要因であると思う、逆にシルフ隊長が倒れた際に取り乱してしまったこともこの強固な絆から生じた結果だと思う。
俺たちの理想は単騎での任務遂行なのだから、部隊全員での連携は最優先事項ではないのだ。
各々(おのおの)、あまり口数は多くなく、汚れた武具の手入れや荷物のまとめなどに勤しんでいる。
そろそろ飯も作らないとな…。
「みんなシルフ隊長起きたぁ!!」
アレッサの大声に身体が跳ね上がる。
そんなに大声出さんでもいいだろうに…、まだ精神状態が不安定なんじゃないか?
アレッサに背中を支えられてベッドロールの上にシルフ隊長があぐらをかいて座った。
「シルフ隊長、大丈夫ですか?」
「ええ、アレッサ…ありがとうございます。
皆さんもご心配をおかけしました」
俺たちは頭を下げるシルフ隊長の周りに集まる。
まだ目に力がない、つまり眠そうだ。
マナの回復にはもう少し時間が掛かるだろう。
食事も摂ってもらいたいが、まずは聞きたいことがある。
「シルフ隊長、我々の力が至らず、申し訳ございませんでした。
しかし、なぜあのような無茶なことをしたのですか?」
「返す言葉もありません…。
根本的な失敗は手負いの一匹を皆さんに任せた事かもしれません。
私が攻撃を加えたときには、すでにあのグリフォンは死んでいました」
そう、俺はたしかに自分の剣で殺したはずだ。
その後に動き出した際には、シルフ隊長の矢に頭を貫かれ、心臓も刺突されていた。
それでもなお動きだした。
「あのグリフォンは絶命した直後に幽鬼になったのです。
幽鬼となってすぐ自分の肉体を依代にし、その後はお分かりかと思いますが、物理的な攻撃が通用しなくなりました。
首を切り落として動きが止まるのか確信が持てなかったので、身体を破壊するためにあのように…。
いずれにせよ、大変珍しい事例です」
「そのようなことがあるのですね…」
幽鬼、この世への強い執着心がもった魂が怪物となって彷徨い、危害を与える存在。
それは人間だけではなく、他の生き物でも起こり得るんだな。
「人間ではないので複雑な感情はわかりませんでしたが、あのグリフォンの魂は怒りと憎しみに侵されていました。
予想通り、臆病なグリフォンが人を襲った理由はこのせいだったのでしょう」
「シルフ隊長は…、殺したものの感情がわかるんですか…?」
「…難儀な能力だなと自分でも思います。
こんな呪いみたいなもの、捨てられるものなら捨てたいのですけどね」
アレッサがポツリと口にした問いにシルフ隊長が自虐的な笑みで答えた。
初めてシルフ隊長から弱音のようなものを聞くことができたような気がする。
不謹慎だが、若干の嬉しさがこみ上げてきた。
アレッサもなにか心くすぐられるものがあったのか、シルフ隊長の顔を抱き寄せた。
「呪いなんかじゃないですよー。
そのお陰で私たちは助けれたんだもん…。
いつも私達を見守ってくれてありがとう、シルフ隊長」
アレッサに抱かれている彼はとても気恥ずかしそうに頬を掻いていた。
今回の旅は、シルフ隊長のあらゆる面を見ることができた意味でも大変有意義だったな。
だが、まだ終わりじゃない。
片付けなきゃならんことは山積みなのだ。
「シルフ隊長、食事の用意ができたらまたお声がけします。
今はおやすみください。明日もありますから」
「ありがとうございます。エアンスト。
今回ばかりはお心遣いに甘えさせていただきます」
そうして横になったシルフ隊長はすぐに寝息を立て始めた。
さて、ぱぱっとペミカンのシチューを作っちまうかな。
俺は料理鍋に具材を放り込みながら、今日の夕食の準備を始めた。