15 - 風を操りし者たち⑫
今朝もペミカンのシチュー。
美味いが、正直少し飽きている。
リリーのくれた山羊の腸詰肉が恋しい。
腹ごしらえが終わったら、今日の作戦について会議開始だ。
「なるほど、餌で誘き出すと」
「はい、昨夜狩ってきた大型の黒鹿を餌にします」
「運ぶのに苦労するぜー、アレ」
まだ見ていないが、普通の鹿を運ぶだけでもこの急斜地帯を運ぶのはたしかに苦労するだろうな。
「でもシルフ隊長、グンターさんはグリフォンはあの巣を捨てたっていってたよ。
もうこの辺にはいないんじゃ…」
「恐らくですが、グンター氏の亡霊があの場所に留まっていたから戻ってこなかった、と考える方がよいでしょう。
魔物は人間よりも魔力やマナの環境変化に敏感です。
死霊術師でもない皆さんが視認できるほどの亡霊がいればまず近づかないでしょう。
子を殺された憎しみで正気を失っているかもしれませんが、空腹になれば近場にある餌に食いつくはずです」
魔物が憎しみで行動をするのか…。
ずいぶんと人間臭い行動のように思えるが、元々人間を襲わないグリフォンが村を襲っているなら自然とそういう考えに行き着くな。
「隊長、お渡ししたいものがあります」
「なんでしょうか、ヨハン?」
ヨハンがテーブルの上に置いたのは銀色の土台に嵌め込まれた子供の拳ほどの大きさのマナ鉱石だ。
綺麗に仕上げられている。
普段使う無骨な石ではなく、宝石のように美しい輝きを放っている。
「マナの聖水と聖魔法儀式の施された純銀の土台に、軍で使われる一番純度の高いマナ鉱石を加工して、それに聖魔法防壁の付呪をしてあります。
これなら短い時間ではありますが、物理攻撃もしのげるほど強力な魔法防壁を生成することができるかと。
ただ、魔法防壁は効力が強くなるほど術者への反作用も強くなります。
使う場合はその点もご留意ください」
「これを、私に?」
「もしものことがあったときに…、一番生存できる可能性が高い人に持っていてほしいんです。
僕ら四人が死んでも、隊長が生きていれば…、部隊は存続できますから」
ヨハンが真剣な表情でシルフ隊長を見つめている。
そうか、昨晩作業していたのはこれか。
そうだな、ここまでなんだかんだとうまくやってこれたから自分も含めて誰かが死ぬなんて考えが薄れていたよ。
俺たちが浮かれているうちに、お前は最悪の状況を見据えて準備してくれていたんだな。
シルフ隊長は渡されたマナ鉱石をしばし見つめて、懐にしまい込んだ。
「ありがとうございます、ヨハン。
でも死ぬだなんて悲しいことは言わないでください。
私が絶対にみなさんを守りますから」
彼は優しく微笑んでくれた。
「やだ! 今のセリフすっごいキュンときちゃったんですけど!
”みなさん”をアレッサに変えてもう一度言ってください!シルフ隊長~!」
「苦しいッ…、息ができないですッ…アレッサ!」
「やめんか!!」
シルフ隊長を絞め殺さんとするほど強く抱きしめるアレッサを引き剥がす。
何がツボにはまったのかわからんが、えらい息が上がってるなこいつ…。
にしても…。
「お前、そんな上等なものどうやって手に入れたんだ?」
「ん? あー…、魔闘士の保管庫からガメてきた」
「はぁ!?」
お前そんなことするようなやつだったのか!?
自分で言うのもなんだが、俺と同じでクソ真面目なやつだと思ってたぞ…。
「いやでも、こんな強力な聖魔法を付呪できる人間なんかどうやって捕まえたんだ?」
「ハバ―中尉に相談したら、奥様を紹介されてね、快く引き受けてくれたよ」
ハバ―中尉…、軍の備品の窃盗を認めた上に幇助してた…。
頭が痛い…、大丈夫なのかあの人…。
ハバ―中尉の奥様か、これほど強力な聖魔法が使えるなら相当に高位の神官になるな。
ヨハンがお世話になったのなら、今度挨拶ぐらいはしておこう。
何はともあれ、作戦開始だな。
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綱を括り付けた牛ほどの体格がある黒い鹿を俺、ヨハン、カールが運搬する。
アレッサとシルフ隊長は後ろからの補助だ。
正直かなりの重労働だが、空になっていたグリフォンの巣のそばまでようやっと運んでこれた。
額の汗を拭いながらシルフ隊長に向き直る
「これで、放置しておけばいいですかね、シルフ隊長?」
「いえ、もう一工夫します。
皆さん、鼻を閉じてください」
鼻? 耳じゃなくて鼻?
いまいちピンときていない俺たちに、シルフ隊長は懐からワイン瓶を取り出した。
西の野営地で見つけた、グンター氏の作った腐臭を放つ魔法薬だ。
シルフ隊長が何をするのか察した俺たちは一斉に鼻をつまみ上げた。
どぼどぼと黒鹿に掛けられる黒い液体は熱して溶けた砂糖のような粘り気をしていて、黒鹿の体毛に絡みついていった。
「さて、あとはグリフォンが来るのを待つばかり、ここを離れましょう」
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俺たちは森林の入り口にある大木の上で待機している。
ここからなら、直線で餌をおいた位置が見える。
シルフ隊長が自前の弓に鋼鉄製の矢を構えたまま微動だにしない。
すでに2時間以上、待ち続けている。
「どうやら…、来たようです。
一匹は…、手負いのようですね」
え? まだ何も見えないし、聞こえないが…。
ヨハンが胸の前で手を合わせる、普段、不信心者で女神フレイヤ様には大変申し訳ないが、今だけは俺にも祈らせてくれ。
聞こえる…、羽ばたく音、風を切る音が…。
姿も見える、快晴の空の向こうに番で飛んでくる巨大な怪鳥が。
俺たちの真上を甲高い声を上げながら、巨大な翼で旋回している。
「皆さん、落ち着いて。
どうやら手負いの方が餌に食いついたようです」
シルフ隊長が鋼鉄の矢をつがえた弓を引き絞る。
弦を引き絞る音は弓とは思えない異質な金属音をギリギリと立て、そして風魔法が彼の全身に吹き荒れる。
俺たちの軍服をたなびかせる風が徐々に矢羽根を持つ彼の左腕に収束していく。
羽に複数の矢が突き刺さったグリフォンの一頭が一気に降下、両足の鉤爪で黒鹿の胴をつかむとバサバサと上空へ上昇しようとした瞬間だ。
おおよそ弓矢が立てるはずのない、鉄砲のような炸裂音が鼓膜を打ち付ける。
開放された疾風が木を揺すり、音速を越えたのであろう鋼鉄の矢はグリフォンの片羽を吹き飛ばし、その巨体を地面へと叩き落とした。
「やったぞ!!」
あまりに見事な弓さばきに俺は思わず握り拳を掲げてしまった。
しかし、仕留めた訳では無い。相手はただの獣ではないのだ。
「あの一匹は四人で仕留めてください。
もう一匹は必ずこちらに近づいてきます。
そちらは私が仕留めます。
手負いの獣が一番危険です。気をつけて」
「了解しました!!」
俺たちは声を揃えてシルフ隊長に応えると、一斉に剣を抜き放ち、風魔法で跳躍しながら斜面を駆け上がり、グリフォンを取り囲む。
鷲の羽に獅子の身体を持つ怪鳥が吹き飛ばされた羽から大量の出血をしながらも、金切り声を発しながら首を振り回し、俺たちを威嚇する。
グリフォンの羽は油分を多く含んでいる、弱点は炎だ。
「全員火炎を全力で浴びせろ!!
完全に動きを止めてから仕留めるぞ」
「了解!!」
俺の号令に、アレッサ、カール、ヨハン、全員がマナを練り上げ、暴風のような炎を怪鳥に浴びせる。
生まれて初めて、生き物へ放つ破壊魔法。
俺が習得してきた技術が初めて、生ある者を殺そうとしている。
灼熱の炎に身を焼かれ、倒懸の叫びを上げる姿は、戦闘に高揚している俺の心に氷を指すように、罪悪感という形で正常な意識へ引っ張り込もうとする。
それでは駄目なのだ、こいつは人間ではない、人間であっても殺意を失ってはならない。
その先に待ち受けるものは俺たちの死なのだ。
炎に焼かれのたうち回るグリフォンの下半身が地面に伏した。
まだ全身に炎が燃え盛っているが、動けなくなった今が好機だ。
「心臓は突けない!!
全員やつの首に剣を突き刺せ!! 炎には気をつけろ!!」
俺は右手に持つ剣に左手を握り込ませ、腰に構え風魔法に身を任せて突進する。
やつの長い首へ体ごと体当たりして、刃を突き立てた。
全力で剣を突き刺したはずなのに、まるで樹木に突き立てたようにやつの首に刃が入らない。
頸椎にはばまれたか。
しくじった、と意識したときには遅かった。
やつの巨大な前足に弾き飛ばされ、地面に全身が激突する。
「エアンスト!!」
「馬鹿野郎!! こっちに来るな!! 炎を止めるな!!まだ力が残ってる!!」
悲鳴のような声で俺の名を叫ぶアレッサに戦闘に侵される中でわずかに残いている俺の理性が叫び上げる。
俺の眼前にやつの巨大な鉤爪が迫っている、回避しなければ…。
俺の顔先三寸に猛烈な熱が浴びせられる。再度の火炎魔法が加えられた。
俺の体を貫くはずだった鉤爪が引っ込んだ。
地面に寝たまま再び剣を構えた俺は、風魔法で無理やり体を中に浮かせ体制を反転させる。
今なら、やつの喉元が眼前にある。
体中に感じる熱など構いなしに、燃え盛るやつの喉元に向け身体ごと刃を突き入れる。
今度こそ、俺の剣が吸い込まれるようにやつの首に入った。
大量の獣の血液が俺の顔に吹きかかる。
がくりとグリフォンの後ろ足が崩れ、前かがみに倒れてくる。
巻き込まれないように剣を抜き、横へ退避した。
まだ炎に包まれている怪鳥の巨体が地面に横たわり、今度こそ動かなくなった。
脳の興奮から冷めた俺はその場にへたり込んだ。
地面に叩きつけられた衝撃で背中が痛む、炎に近づきすぎたせいか軍服に守られていない首周辺の複数に火傷もしているな。
「馬鹿野郎、無茶しやがって!
結構ひでぇ火傷だな、薬持ってきてよかったぜ」
「すまん」
カールたち三人が俺のもとに駆け寄り、腰の抜けた俺を起こしてくれた。
俺は大丈夫だ。
単騎でもう片方のグリフォンを討伐しているシルフ隊長が気になる。
早くそちらへ応援に行こう。
「!! みんなにげ────ッ」
俺の正面にいたヨハンが叫んだ瞬間、俺たち全員に横殴りの衝撃が走った。
振り回されたグリフォンの尾にはじき飛ばされ、巨大な岩に激突する。
倒したと思っていたグリフォンがまだ消えぬ炎をまといながら近づいてくる。
首をふらふらと動かし、焦点の合わない眼だ、本当に生きているのか…。
身体を強く打ち付けたせいでしびれが取れない…、。
逃げようにも力がいらない、それに他の連中はどうする。…ここまでか。
お袋、親父、……シルフ隊長。
俺はぎゅっと目をつむり、死を覚悟した
耳を劈く破裂音と甲高い飛翔音が複数聞こえた瞬間、グリフォンの動きが止まった
両前足の関節に鋼鉄の矢が突き刺さり、体制を崩したのだ。
さらに一発が側頭部に突き刺さり、そのまま貫通していった。
次の瞬間には剣を構えたシルフ隊長が風魔法をまとって猛突し、グリフォンを真横に押し倒す。
やつの首の付け根に突き刺した剣を引き抜くと、両前足の間の胸部、恐らく心臓があるであろう箇所に剣を突き刺す。
しかし、グリフォンはそれでも息絶えることなく、矢の刺さった関節を気にもとめず、無理やり体を捻ると大きく開いた口でシルフ隊長に噛み掛かる。
その口先をかわし踏みつけると空中へ飛び上がり風魔法で真下に急降下、グリフォンの頭頂部に剣を深々と突き立てた。
シルフ隊長が岩に寄りかかり動けない俺たちに視線を向ける。
懐から何かを取り出すと、それを俺たち目掛け放り投げた。
放物線を描きながら飛んできたそれは空中で発光すると薄緑の半円の壁を形成し、俺たちの周囲を囲い込んだ。
シルフ隊長はヨハンの魔法石に守られた俺たちへ安心したような微かな笑みを浮かべると、怪鳥の頭頂部に突き立てた剣を両手で握り込む。
バチ、と稲妻のような魔力がシルフ隊長の周囲に放出された直後、轟音と爆炎が巻き起こり、俺たちの視界すべてが炎に包まれた。
粉々に散っていくグリフォンの肉片にまじって、シルフ隊長が蹴られたゴムまりの様に飛ばされ、力なく地面に落ち、そのままピクリとも動かなかった。