13 - 風を操りし者たち⑩
俺たちはシルフ隊長を先頭に歩き続けた。
俺にも、おそらく俺以外全員、何も見えていない。
そもそもグンター氏の魔力の性質が我々はわからない、その上ただ魔法使いが通っただけの
道に残るかすかな魔力を辿るなどというのは理解を超えている。
一見、闇雲に森林を歩いているように見えるが、山道は平坦で動きやすく、位置が高いので目下に獲物が居たらすぐに分かる。
上は木の枝が生い茂っているから空中の魔物には見つかりにくい、危険な地表の魔物なら木に登ればひとまず逃げることができる。
シルフ隊長が大きな一本の木の前で止まった。
木の幹に手を触れ、何かを確認すると上を見上げる。
俺たちもその動作を追いかけると、木の幹に何本もの杭が打ち込んである。
これは足場か?
これだけ人間の痕跡を残すと、警戒心の強い獣や獣魔はそもそも寄り付かないと推測される。
シルフ隊長は一段目の足場に足をかけると風魔法を発動させて一気に駆け上り、太い木の枝に腰を下ろした。
なにか遠方を見ていたようだがすぐに降りてきた。
「ここを下ります。 ついてきてください」
また風魔法で跳躍したシルフ隊長を俺たちも追いかける。
前は高所から飛び降りるのはかなり恐怖があったが、訓練の成果か後れを取ることもなくなった。
着地した位置からやや奥に進むと、それはあった。
「おいカール、これ…」
「ああ、アルグールだな。
かなりでかい、アルグールの中でも相当長生きしたと思うぜ」
甲殻類を思わせるような硬質な肌に悪魔を連想させるような険しい顔、まさに屍食鬼だ。
死後、相当経っているようだ。腐敗もかなり進み、死後、他の魔物に食い荒らされたのか四肢のいくつかは欠損している。
見ていて気持ちのいいものではないが、一番気になるのが、おそらく致命傷になったと思われる側頭部に突き刺さった矢だ。
シルフ隊長はその矢を引っ張ると、本来返しのついているはずの矢があっさりと側頭部から抜けた。
「グンター氏の矢です。
ヨハン、どう思いますか?」
「んー、矢じりが燃え尽き、芯が焦げています…。
おそらく火属性の付呪をして、頭を射抜いた瞬間に発火させたのではないでしょうか。
先程の木からこれだけの長距離、そして精密な付呪鉱石の操作、弓の腕も付呪師の腕も見事としか言いようがありません」
「頭を射抜かれた上に脳を焼かれたか、これは即死だな。
しかしヨハン、西の野営地で見たグンター氏の矢はすべて付呪に失敗していたよな?」
俺はシルフとヨハンに交わって疑問を投げかけた。
「ああ、説明が難しいんだけど、付呪はマナ鉱石の純度が高くても低くても難易度が上がる。
魔力の低い人間が純度の高いものに付呪を行っても中途半端になるし、純度が低すぎるとそもそも
マナ鉱石自体が付呪の用途に向かないってことになる。
自分の力量と鉱石の純度を見極めるのも付呪師の能力ってことさ。
偉そうに言ってるけど、僕も往々にして失敗することはあるからね」
なるほどな。
俺にはわからん技術だが、それとなく理解はできた。
カールが俺たちの間に割入って来た。
「ちょっとすんません…。
あー、やっぱ舌も目玉も抜かれてるなー。
姉御、ちょっと手伝って!」
「ほいよ、どうすんの?」
「股間を見たい。死後硬直が強くて一人じゃ無理だからさ。
そっちのモゲかけの足を広げてくんない?」
「やだー、乙女に魔物の股間を見せるとかないわー」
「なーにおぼこ気取ってんだよ好きなくせに!」
「おめーの玉潰すぞコラ!!」
阿呆な掛け合いをしながら魔物の死体見分ができる二人のタフさにちょっと感心する。
まぁ、気持ち悪いものは仕方がないのか、カールと違ってアレッサの顔はだいぶ険しかった。
「こいつは雄ですね。
予想通り、陰茎も睾丸もキレイに切り取られてる…」
「それは、なにかおかしいのか?
お前が感心するってことは魔法薬の材料なんだろ?」
俺はカールへ疑問を投げかける。
「エアンストも魔法薬学をもう少し齧った方がいいぜ。
陰茎は別だが、成熟したアルグールの卵巣は用途が限られてる。
魔法薬じゃねぇ、錬金薬、それもアンブロシアの原料のひとつだ。
この部位はヘルト連合国同盟の協定で民間での採集が禁止されてるものの一つだ。
まぁ、バレれば死刑だな」
「他の用途の可能性はあるか?」
「一部の毒薬にも使えるがもっと入手が簡単で安価な代替素材はいくらでもある。
アンブロシア製造に関しても同じことが言えるが、触媒として量産に使うならアルグールの卵巣が一番だ。
かなり危険だが、それに見合うだけの見返りが見込めるな」
「しかし、そんなものを採取しても売り先がないだろう」
「まぁ、俺の実家も仕入先についちゃコネがいろいろあるが、
少なくともヘルトと直接取り引きをしている正規の魔法商では無理だな。
そこは俺も専門外だ」
そうか、しかしこれではっきりした。
グンター氏はヘルトで禁じられている魔法薬の原料の採集を行っていた。
ただの狩人じゃない、変性と付呪を得意とするアーチャー。
俺たち魔法剣技隊と似ている部分があるな…。
「皆さん、グンター氏の追跡を再開しましょう。
このグールを倒したあと、このまま森に入ったようです」
シルフ隊長の指示で、俺たちは荷物を持ち直し、鬱蒼とする森の中に入っていく。
だいぶ歩くな、先程と違って木の枝や根が足元を邪魔する。
急斜もきつい、朝から歩き通しだ、カールとヨハンは俺たちよりも負担が大きい。
そろそろ休む場所を考えなければならないが。
ん、まてよ、森を抜けそうだ。
風が冷たい。
岩肌だらけの斜面、そうか、グンター氏を追って俺たちはずっと北上していたのか。
カチャリ、とシルフ隊長が剣の鍔を親指で押し上げる。
後ろに続くカールとヨハンを静止させ、俺もアレッサも剣に手を掛ける。
しばし、隊長は山腹の頂上付近を警戒したまま動かない。
自分の心臓の鼓動がどんどんと早くなり、体温が上がる。
口が乾く、感覚が研ぎ澄まされる。
戦闘態勢に入っていく身体の変化が客観的に感じられる、不思議な感覚だ。
チン、とシルフ隊長が剣を鞘に収めて、やっと緊張から開放された。
彼が何に警戒しているのか、問おうとしたシルフ隊長の顔を見て、俺は戦慄した。
人は感情が眼に現れると言われる。
俺も最初に出会った一度だけ、彼の冷たい視線を浴びたが、あんなものの比ではない。
殺意が具現化されて刃を向けられるように、視線だけで殺されるような双眼が一瞬も揺らぐことなく一点を見つめている。
「し、シルフ隊長…?」
明らかに怯えているアレッサが声を震わせながらシルフ隊長に声を掛けるが、彼は何の反応も示さずに再び足を動かし始めた。
「おい、エアンスト、どうなってる?」
「大丈夫だ…、シルフ隊長に続こう」
俺たちの後ろで状況がわからないカールが小声で声を掛けてきたので、俺も小声を返す。
剣は収めたが、シルフ隊長は片時も鞘から手をはなさない。
黙々と急な岩肌を上り、頂上付近にたどり着いたとき、それはあった。
木の枝や藁で形成された巨大な鳥の巣、あちこちに獣の死骸が散乱している。
そこから十数メートルほどの位置に、人間の死体があった。
かなりの部分が白骨化してしまっている。だが、服装の一部から成人男性であることはわかる。
シルフ隊長がその死体のそばに近寄った瞬間、黒い霧のようなものが吹き出て人間の姿を形どった。
俺とアレッサは瞬時に剣を抜くと、左手に火属性の火球を召喚する。
が、俺たちに振り返ったシルフ隊長が視線で牽制させた。
「これはグンター氏の亡霊です」
「わかっていますシルフ隊長! しかし危険です!」
「いえ、彼が話しかけてきています。
皆さんには聞こえませんか?」
「聞こえません…。
そんなものは死霊術師の所業です…、我々にはできないし…してはならない…!
死者と会話するなど…」
穢らわしい…。
そう言いかけたが、俺はやめた。
それは、死者と話すことができるシルフ隊長を否定することになってしまう。
俺のいま、一番敬愛する人を傷つけ、裏切ってしまう。
そんなことは俺には…できない。
シルフ隊長はそんな俺の心を見透かしたのか、微笑んでくれた。
先程までの殺意のある眼は消えて、いつもの彼だった。
「申し訳ありません。
あなた達にはそれぞれ信条や宗教があるのですね。
私はリリーとの約束を守るためにグンター氏と話をします。
一緒に話を聞きたい方は私の体に触れてください」
そうしてシルフ隊長はグンター氏の亡霊に向き直った。
カチャリとアレッサが剣と魔法を収める。
スタスタとシルフ隊長に近寄ると背中から彼を包むように首元に抱きついた…。
「…重いです、アレッサ」
「だってー、幽霊と話すなんて初めてなんですもーん!
アレッサこわーい♪
あれ、シルフ隊長、顔赤いですよ? ふぅ…」
「あぁッ!ちょ、ちょっと…耳に息を吹きかけないでぇ…ッ、ください!!」
「はびゃ!?」
シルフ隊長の背負投げをくらいながら、彼女は見事に受け身を取ってまた抱きつく。
先程までの緊張はどこへやら、シルフ隊長とじゃれつく彼女に気を抜かれてしまった。
両肩をばしり、と叩かれた。
カールとヨハンが、俺に笑いかけて前に歩み出て、シルフ隊長の両肩を掴んだ。
…なにやってんだ、俺、バカみたいだな…。
何をこだわっていたのかももう忘れちまった。
あいつらと一緒にいるのが俺にとってもっともいい選択だってわかってたのにな。
俺が近づいたことに気づいたアレッサが、シルフ隊長の背中を空けてくれた。
なんだ、ニヤニヤと人をみやがって…。
俺はシルフ隊長の肩甲骨の当たりに手を当てた。
ただ人の形をした黒い霧が、顎髭を蓄えた壮年の男性の姿へと変化する。
優しそうな目だ、リリーとそっくりだな。
魔物を狩り、臓器や違法な錬金薬の材料を集めるような人物にはとても見えない。
それになんだろうか、この湧き上がってくる切ない感情は…、俺のものではない。
「私は彼の魂に干渉しています。
ゆえにグンター氏の感情はあなた方の中にも流れ込んでくるでしょう。
辛くなったら手を離してください」
魂に干渉する…。
肉体は朽ちても、魂はこんなにも悲しい感情に侵されながらこの場所に縛り付けられるのか。
『ああ…、人と話すのは久方ぶりですな。
そのお姿、その腕章は…、ヘルトの軍人の方々か…』
「ええ、我ら魔法剣技部隊、ヘルト魔闘士団の者です。
グリフォン討伐を命ぜられ、この地に参りました。
私の名はシルフと申します」
『なるほど、我が村の依頼とお見受けします。
なんと光栄なことでしょうか。
私の罪の後始末をさせるなど、本当に申し訳ない…』
「グリフォンへ導いてくれたのはあなたとあなたの娘、リリーです」
『なんとリリー、ああ、私の愛おしい娘が…、あなた方をこの地に誘ってくれたとは…。
死してなおこの世に縛り付けられながら、なんと…なんと…』
亡霊である彼の感情を代弁するように、俺の双眼から涙が落ちる。
これは父性なのか…、他人の子供であるはずのリリーに沸き起こる感覚と感情に心が震える。
辛い…、しかし逃げてはならない。
『壮烈たるヘルトの勇士の方々よ。
グリフォンはこの住処を捨てた…。
私が彼らの卵を盗んだからだ…、我が子をさらわれた番の怪鳥は怒り狂い
私を殺した…、そして卵は壊れてしまった…。
今も憎しみに支配された哀れな魔物はこの近辺を彷徨い続けている…。
私の罪は、神に裁かれなければならないことなのです』
「グンター様、あなたの魂は悲しみの感情により縛り付けられ不安定です。
このままでは幽鬼となり、村を襲い、リリーを襲うでしょう」
『そんな…、リリーを襲うなど…。
ならばお頼み申し上げます…ッ、私の魂をこの場で滅してください…』
「それでは我々がリリーに合わせる顔がありません。
彼女は二度も我々に温かい食事を振る舞ってくれました。
この恩に報わずにはこの地を去ることはできないのです」
『しかし、私には何も…』
「あなたをリリーの元まで連れて行きます。
この地の呪縛から解き放ち、私の中に取り込みます。
あなたはただ、リリーに逢うことを願いながら私が呼び起こすまで待っていなさい」
『そのような…、神をも恐れぬ所業をさせるわけには…』
シルフ隊長…、それはだめだ!
声に出そうとしたが、グンター氏の感情に支配されて声が出ない。
シルフ隊長を止めたい俺の感情と希望を抱く彼の感情がぶつかり、せめぎ合っている。
俺の意に反して、俺の涙は止まらない。
「意識のある魂を滅することは人を殺めるのと同義。
今の私は極力避けたいことなのです。
…もう一度会いたくありませんか? 愛しい人に」
『…すでに死した身、あなたに託したく存じます』
シルフ隊長が左手を上げ、詠唱を始める。
聞いたこともない、異国の言葉、異国の呪文。
山々に吸い込まれる夕日のように、輝きを増したグンター氏の亡霊はシルフ隊長の中に吸い込まれていった。