11 - 風を操りし者たち⑧
山の向こうに日の出が見える。
朝だ。
シチューの準備は万端、パンの用意も問題ない。
そろそろみんなを起こすぞ。
「アレッサ、シルフ隊長を起こしてくれ。
俺はカールとヨハンを起こしてくる」
「りょーかい」
俺はカールの寝ているテントに上半身を突っ込むと、やつの頬を軽くはたいた。
「んがっ…、なんだお前か…」
「おはよう。 何か不満か?」
「アレッサの姉御なら良い目覚めだったんだがな…」
「残念だったな。 女に囲まれたいなら実家に帰って化粧品でも作ればいい、お前が売れば儲かるんじゃないか?」
「バーカ、俺はここが気に入ってるんだよ」
カールは自慢の長い金髪を手櫛で整えながら軽口を叩く。
奴の毎朝の日課を見ていてもしょうがいない、次はヨハンのテントへ向かう。
テントの入口を捲りあげたがヨハンはすでに目を覚ましていた、暗いテントの中で片膝をつき、手を組み神へ祈りを捧げている。
彼はこの隊の中でも一番信心深いやつだ、共に行動する日々の中、何かと祈りを捧げている姿をよく見ていた。
彼は俺に気づくと特に慌てた風でもなくあいさつしてきた。
「やぁ、おはよう、エアンスト」
「おはよう。 悪いな、日課の邪魔をして」
「別に。 隠すことでもないからね」
「前から思ってたが、お前は信仰心の厚いやつだな」
「エアンストは女神様を信じていないのかい?」
「いや、人並みに信仰心は持っているつもりだが…」
「悪い、嫌な言い方だったね。
なんていうか、僕は子供の頃から勇者様の話が好きだったんだ。
女神フレイヤ様に祝福されたバルドリック様たち三人の勇者が魔王を滅ぼす話…、君は読んだことあるか い?」
「すまんな、建国の歴史で学んだこと以外、実はあまり詳しくない」
「僕は子供の頃に親にせがんで本を買ってもらってね、それ以来の勇者オタクなのさ。
軍に入ったのも強い男になりたいって憧れみたいなものだったよ、今思えば。
まぁ、それに、これが最後の祈りになるかもしれないだろ」
「…縁起でもないこと言うな」
「悪いね、虚勢でも張ってないと、正直身がもたないんだよ」
「…朝飯ができてる、準備ができたら来いよ」
ヨハンのテントをあとにして焚き火に戻る。
おかしい、アレッサもシルフ隊長もいない。
ほんの一瞬、嫌な予感が頭をよぎったが、なんてことはなく、シルフ隊長のテントに目を向ければ入り口にアレッサが座り込んでいた。
「おい、何やってる…」
「しーっ、…みてよ」
そこには寝袋に包まったシルフ隊長が小さな寝息を立てていた。
これまで訓練などに彼が睡眠を取る時は樹木などに背中を預け、剣を抱きながら寝ていた。
その姿は寝ているにも関わらず、迂闊に近づけば斬り殺されるような剣呑な雰囲気があり、意識的に近づかないようにしていたと思う。
今の彼は剣からも手を離し、安住の家の中のベッドで眠るように無防備で、見た目と乖離しすぎている普段の憂いのある早熟した雰囲気は感じ取れなかった。
「こんなに寝顔がかわいいのにさ、普段の訓練では全然太刀打ちできなくて。
本当に、この人っていったいどういう生き方をしてきたんだろう…」
アレッサがもの悲しげな視線を落としながら、シルフ隊長の黒髪を撫でた。
俺は最初に彼に出会ったとき、彼に突っかかってこんなことを言わせた。
『───人も魔物を大勢殺しています。殺した数も覚えていません』
思い返せば、そんなセリフを吐露させてしまったことに罪悪感を覚える。
と、同時に、彼と時間を過ごせば過ごすほど、その言葉が嘘偽りない事実なのだろうと確信している。
木剣で打ち据えられ、体術で地面に叩き伏せられるたびに、これが実践であるなら、彼に殺意があるなら、俺は死んでいるのだ。
アレッサの指を退けるように頭を揺らしたシルフ隊長は、ゆっくりと双眼を開いた。
むくりと起き上がり、きょとんと俺たちの顔を見たが、急に顔を赤らめて俯いてしまった。
「いつからそこに…?」
「寝顔、ちょー可愛かったですよ、たーいちょ♪」
「からかわないでください、アレッサ!
エ、エアンスト! あなたがいるなら早く起こして下さればよかったのに!」
「…すみません、あまりにも気持ちよさそうにお休みになられていたようで、忍びなく、くっく…」
「迂闊でした…。こんなに熟睡できたのは久々です…。
なんだかとても良い夢を見ていたような…」
「食事、できてますよ。準備ができたらいらしてください」
朝食が出来ていることを俺が伝えて、俺とアレッサはシルフ隊長のテントから離れた。
何はともあれ、朝の腹ごしらえ。
5人そろった俺たちは鍋を囲んで祈りを捧げ、そして、各自よそったシチューとパンにかぶり着く。
俺たちが食事に手を付けてすぐだ、少女、リリーが小さなかごを持って走り寄ってきた。
タイミングが良すぎるな、俺たち5人が揃うのを待っていたのだろう。
こんな朝早くなのに。
アレッサが立ち上がると彼女を抱きとめた。
「おはよう! アレッサさん!」
「おはようリリー、今日もなにか持ってきてくれたの?」
「うん、よかったら食べて!」
俺も立ち上がってカゴの中を覗き込む、これは腸詰め肉だ。
燻製したてでほのかに温かい。うまそうだ。
「いいの? リリー。
こんないいものをいただいちゃって」
「私のところで乳の出なくなった山羊を潰して作ったの。
今日、出発するんでしょ、たくさん食べて頑張ってほしいから」
「そう、ありがとうリリー!
喜んでいただくわね…」
女性と、リリーとさほど変わらない男児がつかつかとこちらに急ぎ足で近づいてくる。
顔が怒りで歪んでいる。穏やかじゃないな。
二人は明らかにリリーに対して怒りを向けている、男児が口を開いた。
「おい、どういうことだお前、そいつは家で作った腸詰め肉だぞッ
お前に分けてやったつもりはない!!」
「勝手に食料を持ってってんじゃないよ!
あんたの父親が死んで、うちで世話になってるって自覚あるのかい!?」
男児と婦人は彼女ににじり寄りながら問い詰める。
「で、でも…、このお肉は私がお父さんと育てていた山羊だし…」
「何が自分が育てた山羊よ、居候の身で…、生意気言ってんじゃないよ!!」
婦人の右手が振りかぶり、カゴを抱えてリリーの頬目がけて飛んでいくる。
びくりを身体を震わせたリリーが身構える。
だが、その平手はリリーには届かず、アレッサに手首を掴まれて阻止される。
「いきなり子供を叩くなんて、どういうつもり?」
昨日と違って冷静な彼女だが、その声には明らかに怒りが込められている。
婦人は一瞬たじろいだが、同じ女だからと侮っているのか反論してきた。
「ヘルトの兵隊様には関係のないことだね。
この娘はこの村の者、保護者はあたしだよ。
それをどう躾けようがこっちの勝手ってもんさ!」
「そうだぜ、大体のそいつの親父のせいで俺の父ちゃんはッ」
「黙ってな!」
婦人の張り手が男児の頬を打った。
男児はキッと婦人を睨む。
「なんで俺が母ちゃんにぶたれなきゃならねーんだ!?
悪いのは全部こいつだろう!?」
男児はまっすぐにリリーに対して指を向けた。
いかんな、何か問題があるんだろうが、話がまとまらん。
ここは軍人の態度で追い払うか? あまり村に対する心証を損ないたくはないが…。
すると、またこちらに足早に近づいてくる者が現れた、この村の長だ。
「貴様ら、兵隊様の前で一体何をやっておるのだ!?」
長は杖の先を婦人と男児に向ける。
しかし、男児はなおも反抗的だ。
「だってよじっちゃん、リリーは燻製肉を盗んでこの兵隊共に恵んでんだ!
勝手に村の食料をだぞ!?」
男児が吠えた瞬間、長は持っていた杖で男児の頭を打ち据える。
「言葉に気をつけよ、このクソガキめが!
貴様は誰に向かって口を聞いておる、しゃしゃり出るのも大概にせい!!
さっさと家に戻り、家畜の世話をせい!!」
長の鉄槌がよほどに痛く、怖かったのか、男児は涙を流しながら家屋の密集する中心部へ駆け出していった。
次に長は杖の矛先を婦人に向ける。
「デリア、貴様もじゃ。
あやつの母親でありながらヘルトの兵隊様に口答えとはいったいどういうつもりじゃ!?
さっさと消え失せよ、わしは女とて容赦なく鞭打ちにするぞ?」
婦人は真っ赤に目を腫らしながら肩を震わせ、くるりと方向変えて、息子を追いかけていった。
杖こそ降ろしたものの鋭い眼光をリリーに向ける。
「お主も父親がいなくなったことでわし等に面倒を掛けている事実はわかっておろう。
勝手な真似はするな、わかったら、そのカゴをその兵隊様に渡して失せよ」
「はい…、長老様。
ごめんなさい…」
リリーはカゴをアレッサに渡すと目尻の涙を拭いながらトボトボと来た道を戻っていった。
その後姿を心配げな表情でアレッサが見つめる。
そして、村の長はこちらに一礼した。
「兵隊様方、大変見苦しいところを見せましたな。
小娘が持ってきたそれはどうぞ召し上がってくだされ…」
「まってくれ、長よ」
俺は来た道を戻ろうとする老人を呼び止める。
すでにリリーとは関わってしまった、深入りすべきでないことは分かっているが、尋ねずにはいられない。
「リリーは父の捜索を我らに依頼してきた。
心配するな。それについて協力することが難しいことは伝えてある。
彼女は、あなたが面倒をみておられるのか?」
「小娘が面倒を掛けてしまったようですな。
…怪鳥が村を襲うようになり、最初に殺されたのがわしの倅ですじゃ。
リリーの父、名をグンターを言いますが、グンターと倅は親友でしての…。
さっきの小僧と女は倅の嫁と子供ですじゃ」
「当然だが、折り合いは悪いようだな」
「お見かけの通り、孫も嫁もリリーを恨んでおる。
こんな辺鄙な場所にある小さな村ですじゃ、村の者全員、グンターが何かやらかしたと思っております。
こんな老骨でも一応村の長ですじゃ、わしが目を掛けんとリリーに何かあってもおかしくない…。
こんな場所でも先祖代々守ってきた土地ですからの、祖霊に恥じぬよう治めなければならんのです」
俺はそこで押し黙った。
扱いこそ褒められたものではないかもしれないが、この状況でリリーが生きながらえているのはこの老人の庇護があるからだ。
食い扶持を減らすために子供を殺すなど珍しいことじゃないからな。
もうこれ以上、リリーに関して何かを言うことは難しい。
「村長様、この部隊の隊長を務めるシルフと申します。
怪鳥討伐についてご相談がありまして、ちょっとお聞きしてもよろしいでしょうか」
シルフ隊長が長の前に歩み出た。
「おお、あなたがこの方々の隊長様ですか…。
ずいぶん…、お若いのですな…」
長の愛想笑いはシルフ隊長の若さを称えているというよりも、眼の前の若造が隊を率いていることへの不安・不審を映したものに見える。
自分も最初は同じように侮っておいてなんだが、心が若干不穏になる。
「我々は本件にリリーの父親が関わっている可能性を考慮して本日から討伐に出立したいと思います。
聞けばリリーの父親は猟師だったと。
猟師ならば狩り場を中心に野営地を設営しているはずかと思いますが、その場所を教えていただけますでしょうか」
「いや、それは…」
「…何か不都合が?」
「いえ…、わしは狩猟から引退してだいぶ経っておりましてな…。
場所が変わってるやもしれませんで…」
「では現役の猟師の方にご協力をいただければ」
「い、いや…、長年の狩り場ですからな…。
わしに報告なく変えることはありますまい…。
地図はございますかな…?」
シルフ隊長が差し出した地図に3つの印をつけると、長は足早に我々から離れていった。
我々の機嫌を損ねたくない、かと言ってあまり関わりたくもない、最後までそのような態度だった。
「隊長、これどうしましょうか?」
「結構な量がありますね、半分くらいはこの場で頂いて、あとは持っていきましょう。
燻製にしてあるので日持ちもするでしょうしね」
「はい! リリー、ありがとう、美味しくいただくね」
ヤギの腸詰めの燻製をシチューに入れて煮込む。
十分に火を通してかぶり付いたら、これがなかなかうまい。
豚肉とは違った風味だが、悪くないな。
外で食べる朝飯にしてはずいぶんと豪勢になった。
「大丈夫かな、リリー…」
食事をしながら、アレッサは集落の方を何度も見渡し、一言つぶやいた。
俺、カール、ヨハンはそんなアレッサを見て、同じように彼女のことを心配している。
シルフ隊長は食事の合間も地図を時折見ながらなにか考えを巡らせているようだった。