10 - 風を操りし者たち⑦
真夜中の星々の薄明かりすら入らないテントの中で眠っている俺を揺さぶるやつがいた。
アレッサだった。
自分も眠気が取れないのか焚き火に薄っすらと浮かぶ表情にはまだ覇気が感じられない。
「おはよ…、交代の時間」
「ああ、すぐに起きる」
俺の起床を確認した彼女はテントから出ていった。
革のベッドロールが暖か過ぎたのか、わずかにかいていた寝汗が冷気にさらされて鳥肌がたった。
すぐに防寒用のロープを羽織って外に出る。
ヨハンとカールは既に交代の眠りについたようだ。
アレッサの右手に座る形で暖に当たる。
日はまだまだ登らない、澄み切った空気に瞬く星々、月明かりはっきり見えるから、今日はよく晴れるだろう。
アレッサは昨夜と同じバターのペミカンを鍋で溶かしながら、干し肉やら野草やらを刻んで鍋に入れている。
朝食用に持ち込んだ食材と周辺に自生していたものをカールが採ってきたものだ。
鍋をいじる彼女の横で、俺は剣の手入れをする、といっても習慣的に点検しているためかあまり施す作業もなく、勝手とは思ったが、シルフ隊長の持参した弓と矢を取り寄せると不備がないかくまなくチェックしていく。
弓は重く大きい、革や木材は元より大部分を金属で構成され、金属製の弦が張り詰めた複合弓、引き絞るだけで相当の腕力が必要だろう。
専用に用いられる矢は全て鍛鉄で作られた鋼の矢。
切っ先は細く鋭利でそして、やはり重い。
明らかにただの動物や魔獣相手に使う代物ではない。
シルフ隊長の私物のようだが、普通の使い方ではこの鉄の矢を射るのさえ難しいと思うが…。
一通り点検して、矢も含めて革製のケースにしまう。シルフ隊長が武器の手入れを疎かにするはずがないからな、やはりあまりすることがなかった。
「飲む?」
「え?…ああ、すまん。いただこう」
アレッサが木のカップに入れた温かい飲み物、昨夜シルフ隊長がリリーにふるまっていたものだ。
見よう見まねで作ったのか、若干渋いが、蜂蜜の甘みと香り、相性がいい。
彼女も自分の分を口にして「美味しい」と静かにつぶやいた。
俺は、昨晩の出来事で少しだけアレッサと話をしてみたくなった。
「アレッサ、昨日のことなんだが…」
「うん、本当にごめんね」
「いや、そうじゃない。
リリーを相手にしているお前は少し…、なんというか辛そうというか、だな。
もし、何かあるなら話してもらえればと思ったんだが…」
俺の言葉に目を丸くした彼女はカップのお茶をひと飲みして、沈黙してしまった。
やはり何か彼女の琴線に触れるような事柄のようだ。俺は頭を下げて話を取り消そうとした。
「すまん! 今のは忘れてくれ」
「ううん、あの子を見ていたら、昔の自分を思い出しちゃって」
彼女は一瞬だけはにかみ、そして夜空を見上げながら少しづつ過去を語ってくれた。
「私、ロート村の出身なんだ」
「ロート村?」
「知らなくて当然だよね。
ヴォルニー共和国にあった小さな村だったの」
ヴォルニー運河。
ヘルト連合王国のある西側諸国と東の帝国リヒャードとをに二分する大運河だ。
この運河にはヘルト連合王国にも帝国にも属さない中立都市国家ヴォルニー共和国があり、西側の連合国家であるヘルトと東側の帝国との交易路として運河に沿った巨大な都市を築いている。
同時に、ヘルトと帝国、この両国の政治的、軍事的緩衝地帯だ。
「私の村はね、炭鉱が主な産業で村の人たちのほとんどが炭鉱関係の仕事をしていたの。
私のガツガツした性格って、炭鉱夫に囲まれて育ったからかもね」
「えへへ」と笑いながら、彼女はお茶に口を付ける。
親父を見ていたから炭鉱夫がどんな人間かはある程度予想ができる。
よく飲み、よく歌い、よく笑う、そして喧嘩っ早い、そんな感じか。
確かに彼女の性格に当てはまるかもしれん…。
「ある時、石炭の産出地と同じ場所からマナ鉄鉱の鉱床が偶然見つかったの。
本来なら、ヴォルニー本国に報告をしなきゃならないんだけど…」
アレッサの表情が伏し目がちになり、しばし沈黙する。
マナ鉄鉱は高純度のマナと鉄が混じり合った状態で形成される極めて貴重な鉄鉱石だ。
精錬されたインゴットは同じ重さの金よりも価値がある。
工業、軍事、両面において非常に有用な資源だ。
人工的に合金できないことがその原因である。
アレッサは焚き火を見つめながら、話の続きをする。
「ロート村を含めた地域を統括していた首長が本国に報告しないまま
このマナ鉄鉱をネタに帝国側に寝返ろうとしたの、それだけ価値のあるものだったから…。
…でもすぐにヴォルニー共和国の軍がやってきて、私のいたロート村も周辺の集落の人たちも
内戦に駆り出されていった。
…私の両親もね」
「アレッサ、すまん、辛いなら本当に話さなくていい」
話の筋が見えた。
やはり彼女に語らせるのは酷だ。
俺は改めて話を遮ろうと口を出した。
「ううん、話したいから。話させて」
彼女はまっすぐに俺を見た、潤んだ緑色の瞳に焚き火の炎が揺らめいている。
泣いているリリーを慰めていたときと同じ瞳、憂いと優しさを含んだ表情だ。
「お父さんもお母さんも、村の年長者は全員連れて行かれた。
残されたのは小さい子供だけ、私もそうだった。
2日、3日、1週間、いくらまっても誰も来ない、食べるものがなくなって、
体力のある子が井戸の水を汲み上げて飢えを凌いでいたけど、小さい子からどんどん死に始めた。
埋葬してあげることができなくて、死んだ子は村にあった小さな教会に寝かせて…。
何もわからなかった小さい私は自分より小さい子供が死んでしまわないように世話をしながらただ待ち続けた…」
「ヴォルニー共和国の軍は村に来なかったのか?」
「来なかった。
全部あとから知った話だけど、原因の首長はヴォルニー共和国に属していたけど元々帝国寄りの
思想が強かったから、ヘルトと帝国との軋轢を恐れたヴォルニー共和国軍は徹底的な掃討戦を
していて、村の子供を助けることなんて考えもしていなかったみたい」
カップを握る俺の手にぐっと力が入った。
一国の領主や軍人が民を想わずして何をしている…。
…だが、大国に挟まれた緩衝地域特有の事情もあったのかもしれんな。
ギリ、と歯ぎしりを立てながら、心を落ち着けるために茶に口をつける。
「怒ってくれてありがとう」
「え?」
「エアンストって、結構顔に感情が出るから。
でも嬉しいよ」
「…お前が生きているなら、救いがあったんだな」
「うん、ヘルトの騎士団が来てくれたの。
でももう私も死にかけていたから、記憶が曖昧なんだ…。
介抱されて、お粥食べさせてもらって、気づいた時にはヘルトの救貧院で目が覚めた。
でもね…、結局ロート村で生き残れたのは私一人だけだった」
「騎士団か、彼らが直々に前線に出るのは珍しいことだな」
「多分ね、戦いが目的じゃなかったんだと思う。言ってみればヴォルニー共和国領内での内輪もめだから。
きっと帝国との緩衝地帯で起きた内戦に対する政治的な理由で出兵していたんじゃないかな…。
ふふ…、他の軍人はみんな騎士団を嫌うけど、あのとき私を助けてくれたのは騎士団だったから、
ちょっとどうかなって思う人も多いけど、私は今でも感謝しているの」
鍋の様子を見ながら、彼女はそんなことをいった。
騎士団、西側諸国の貴族階級で構成される部隊、家柄を序列にして横柄さが鼻につく連中だが、
アレッサにとっては命の恩人だ。俺の中の彼らに対する印象も今をもって少し変化した。
「そうか…、親がいなくなったリリーと自分が重なったのか」
「うん、私もずっと両親に会えると信じてヘルトで待ってたけど。
みんな死んじゃった、首長は処刑され、もう村も地図から消えちゃった」
「そうか…、辛かっ…」
「でもね!?」
急に明るく跳ねる彼女の声に俺は虚を突かれる。
彼女はニコニコとシチューの鍋を回しながら、先ほどとは打って変わって明るい。
「救貧院のシスターはみんな優しかったし、他の子供たちとも仲良くなれた。
いまでも時々会う子もいるよ。
あんまり勉強は得意じゃなかったけど、自分が魔法を使えることがわかって
軍の予備役学校に入れて、成人してすぐに正式に軍に入隊したんだ!
私の人生はまだまだこれからだぞー、ってね!」
焚火に輝く美しい赤毛を揺らしながら、彼女は笑う。
壮絶な人生を歩んでいるのに、彼女は笑う。
俺の中の負の感情は彼女の笑顔で消え去った。
「そうだな、俺もアレッサに会えて嬉しいよ。
打ち明けてくれてありがとう」
「エアンストッ!」
彼女が腕を俺の首に回して抱き着く。
彼女が愛用しているライラックの香水の香りがふわりと鼻をくすぐる。
あまりに唐突な抱擁に狼狽えるばかりの俺の耳元で彼女がささやく。
「この話をしたのはエアンストが初めて…、また落ち込んだら話を聞いてもらってもいい…?」
「あ…、ああ、もちろんさ…」
俺の返事に顔を上げた彼女は水を汲みに行くといって離れた。
残された俺は茫然と、上半身に残る彼女の感触に戸惑っている。
ああ…、俺はこの瞬間、女神フレイヤ様に感謝した。