朱に染む花弁
さよなら、私の愛しい人。
それは、白い花だった。
純白というよりは、もっとやわらかな、少し黄ばんだような白。
くすんだ淡い白の花弁がふっくらと開いて、薔薇の花を思わせる。そんな形容をしていた。
「いつの間に咲いたんだろう…。」
明は、夜明け間近のまだ薄闇に浮かび上がる件の白い花を、ベッドに腰かけてぼんやりと見つめながら、煙草の煙をフッと吐き出した。
「う…ん。」
隣に寝ていた友梨が寝返りをうってゆっくりと半身を起こす。
「なぁに?」
いつもの鼻にかかった甘い声。
「いや、あのクチナシの木の下に咲いてる白い花。前からあったっけ?」
「あぁ、あれ。」
くすりと含み笑いした友梨が長いまつ毛を伏せた。
ーそのまつ毛が微かに震えた気がしたのは、気のせいだったろうかー
明が、再び口を開いて何か言おうとした瞬間、けたたましく携帯のアラーム音が鳴り響いた。
「おっと。」
明は慌てて、煙草を灰皿で揉み消した。
「時間、だね。」
友梨は、特段寂しがる風もなく、急いでワイシャツを羽織る明の背中に、ヒラヒラと手を振った。
既婚者の明と独身貴族の友梨。
郊外の静かな一軒家に独り暮らしの友梨の元へ、こうして気が向くと訪れる。
そんな自堕落な明のことを、一向に責め立てることもなく、明が来ると何のためらいもなく迎え入れ、明が去るときも不満ひとつ言わない。
友梨は不思議な女だった。
ベッドルームから臨む小さな庭は、すっきりと整っていて、六月の初夏の未明の中、クチナシが真っ白な花を咲かせており、柔らかく甘い香りを放っていた。
玄関扉を閉めた明は、早朝の少し冷たい空気といっしょにクチナシの甘ったるい香りを吸い込んで、小さくむせた。
クチナシの木の下に、あのくすんだ白い花が、すっくりと立っているのが見えた。
次に友梨の元へ赴いたのは、三日後だった。
逢瀬には一週間は空けるのが明の常だったが、この時は何故か友梨のことが頭から離れず、矢も盾もたまらず、郊外の一軒家へと車を走らせていた。
生温い夜だった。
街灯もまばらな小道を抜けて、友梨の小さな家に車のヘッドライトが当たると、庭のクチナシの木がパッと照らし出された。
その時、何か赤い物が視界にかすめた気がした。
「ん?」
すかして見ると、例の花のようだ。
「え?赤い…?」
車を停めて、庭のクチナシの木へと明は歩を進める。
近づいてよく見ると、確かに先日夜明けに見た白い花だ。
しかし、どうだ。
あの時と形状は変わらず、ふっくらと咲くその花の花弁は滲んだように赤く染まっていた。
「どうしたの?」
甘ったるい声に、びくっとして振り向いた明を、白いワンピースを着た友梨が面白そうに見つめて立っている。
「花が…」
金縛りにあったように体が動かない。
「あぁ…これ?」
友梨が白い華奢な指先で赤く染まった花びらを指す。
「とても良い男だったの。」
友梨が、ゆっくりと甘い声でつぶやく。
「だから、ね。お弔い。」
細い喉の奥で、ククッと小さな笑い声を立てる友梨の白い顔が可愛く笑み崩れる。
「あ…あ…」
明の口がこわばる。声が出ない。
「私、とても幸せよ。」
暗闇の中、友梨の白いワンピースがひるがえり、振り上げた細い手に握られた鋭いナイフの切っ先がギラリと光る。
ーびゅっ…ー
真っ赤な血飛沫が友梨の白いワンピースと真っ白なクチナシの花弁を真紅に染めあげる。
どうと倒れ伏した明の体躯を見下ろして、友梨が甘やかに囁いた。
「死人に口なし、ね。」
初夏の爽やかな夜風に乗ってクチナシの重厚な甘い香りがふわりと辺りを包み込んだ。
普段あまり書かないホラーを書きました。
じわりとした恐怖を味わっていただければと思います。
ご一読ありがとうございました。
作者 石田 幸




