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9.『投げ銭歓迎』

「どうかされました?」

「あ、ちょ、ちょっと……」

「ちょっと?」

「出直してきます」

「は?はぁ」


 深々と一礼。僕はその場から立ち退いた。

 レジに差し出した麦わら帽子を一度回収して。

 ロボットのように一歩、二歩、三歩、四歩、五歩、六歩、七歩、八歩、九歩、十歩ほど進み、帽子を元あった木目が鮮やかな机の上に重ねて戻す。

 そこで僕は周囲の視線を集めていることに気が付いたので、苦笑いをしつつもう一度一礼。

 30度ほど前方に上半身を傾ける。

 とりあえず一連の行動を済ませたので、スタスタと出口を目指して早歩きし始めた。

 そのとき、


「えええええ!」


 瞬間的に止まっていたかのような時間がメルの叫び声で動き出した。

 けれど僕はそれさえ無視した。

 木製のドアを手のひらで押しのけて、外に出た。

 カランカランとベルの音が鳴り、


「あ……ありがとうございました?」


 背後から、店員さんの困惑が耳に届く。

 

「どどどどどどどどど、どどどど!!」


 すぐ後に、どたばたと忙しない足音がベルの音を打ち消して出てくる。

 

「どうしたの!?なんであそこまできて買わないの!?」


 ぴょんぴょんと跳ねる音。


「あの~、実は僕、この世界に上下の服しか持ってきてなくって……」

「というと?」

「財布ない、異世界のお金知らない。……から、わざわざここまで来たけど、一回戻らないと僕ら何も買えない。だから……」


 間。ぴたりと音が止んだ。

 市場を行き交う人々のざわざわが意識の表面に上ってくる。

 

「お金貸して?」

「持ってない」

「そうか~」


 再び間。


「どーするよ?」と僕。

「どーするってねー」とメル。


「今から帰る?」僕。

「帰ってもう一回来てって……往復で1時間半はかかるし」メル。


「めんどくさいかー……。ってそういや、なんで僕の前いた世界と数の単位同じなんだよ……」と、ぼ。

「……前から思ってたけど」もう一度、ぼ。

「それ私も思ってたー。まあここに来るときに神様がそっちの世界の言語とこっちの言語との変換する魔法みたいなんを組み込んだのかな~とか思って勝手に自己解決してたけど」と、メ。


「あ~それあるなー」ぼ。

「それなー」メ。

「「……」」

 間。は来なかった。

 

「あーの!いい加減、扉の前からどいてください!出入りできないんで!邪魔ですよ?」

 

 控え目に開かれたドアから客の控えめじゃない怒りが覗いたからだ。

 

「「はっ!ああ~すいません!!」」


 我に返る。二人合わせて、扉の前から消える。去る。

 しばらくこちらを睨む客を苦笑いでいなす。

 そして、ようやく一難去ると、僕らはすぐ横の路地裏へ逃げ込んだ。


 路地裏には黒と茶色の猫数匹が群れていて、突然の来客に驚いたのか、奴らは奥のほうへと消えていった。

 通りの喧騒から少しだけ隔離された雑然とした空間。建物と建物の間を縫って細い光が入り込み、それが空中のほこりに反射してキラキラ輝く。

 そこには謎の居心地の良さがあった。

 

 猫たちには悪いことをしたな。と思いつつ、逸れていた話題を修正する。

 なるべく、そこの静けさを壊さないように細心の注意を払って。


「お、おか――」

「お金。どうする?」


 その前に、メルが先に聞いてきた。


「どうするって、そりゃ戻るしかないけど」


 背中で両腕を組みあわせ、足元のごみを前に蹴り飛ばす。

 メルの超目立つ飛行魔法を使わない限りとにかく面倒なのだ、ここから王宮に戻るのは。


「じゃあさ」

「うん?」


 にしししし。ワクワクの表情。キラキラした目。


「私たちでお金稼がない?」


 続けて、いつまでも王様とか親に頼る時期は終わったんだよ!と。

 

「いや、でもどうやって……。仕事探してるだけで日が暮れるよ?」

「それはねー私にいい考えがあるんだ!」


 路地裏。空に向かってこの指とまれのポーズをするメルの姿は、三年年下どころか、悪巧みを思いついたガキ大将を彷彿とさせた。


―――――――――――


 そんなこんなで10分後。僕とメルは中央の噴水を取り囲むようにして配置されたベンチが特徴的な広場に来た。

 目的は一つ。お金を稼ぐためだ。

 リハーサルもなんもしていない。ネタだってここまでくる間にパパッと考えただけだ。

 正真正銘即席。1ゴールドでも貰えたら儲けもらえたらいいな、と思う。


「んじゃあ、行くよ!」

「おおおおおお!」


 メルの声に合わせて、僕が叫ぶ。

 広場を通り過ぎようとしていた人々、ベンチに座っていちゃついてたカップル、噴水に入って遊んでいた子どもとその家族の目線を一気に集める。

 

 そして、

「「せーのっ!」」


 次の掛け声に合わせて、メルがポシェットから遠足の弁当マットくらいの大きさの白い布を取り出す。

 さらにそれを勢いよく僕に投げる。


「加速せよ!アクセラレーション!」


 もちろん、魔法付きで。

 噴水から噴き出る水が風に切られて一時的に霧散するほどのすさまじい突風が巻き起こり、僕は柔らかい布を両足を地につけてしっかりと受け止めた、そのはずなのに気づけば尻餅をついていた。

 

「痛っ!ちょい!手加減は!?」

「何事も全力で、が私の座右の銘だから!!」

「やかましいわ!」

 

 広場の半径10メートルほどが足を止めて、何事かと野次馬がやってきて騒ぎが大きくなっていくのを感じる。

 いいぞ、掴みは上々だ。


「そういう、一ちょまえなことは時と場合をわきまえられるようにしてからにしろ!」


 学校で発表するときくらいの声の大きさで、わざと周りの人たちにも聞こえるようにそう言って、僕は布をメルの九十度左、やじ馬たちがいる通り側に投げつけた。


 表面積と空気抵抗が大きい布は、1メートル弱進むと、あっけなく、しかしちょうどいい感じに観客の足元近くの地面にくしゃっ、と落ちる。好奇心旺盛な子供の一人がそれを地面にペタリと広げる。

 

 やめなさい、と焦って親が叱る声が聞こえた。

 しめしめ、僕がにやついているのを感じた。これでセッティングは完璧だ。


 地面に広がった布にはメルの標記魔法で大きくこう書かれているのだ。投げる銭にウェルカムと書いて、


『投げ銭歓迎』


 そこから僕らの演目は始まった。

 

「アキツキ、手握って」


 メルが僕に近づいて、自分の手を機械的に差し出した。


「え、いや……マジすか?レベル高くない?きつくない?」

「いいから気にしない!お金ほしくないの?」

「めっちゃ欲しいです」


 あくまで欲望には忠実に、差し出された手を握る。透明な彼女の熱を感じる。


「よろしい」


 対価として、はにかんだ笑顔が向けられる。うん、悪くない。


「いくよ!せーのっ!スキップ、スキップ、ワン・ツー♪」


 リズムに合わせて、つないだ手を前後に振って僕らはスキップを始めた。

 まずは、噴水の外周を一周。


 まだ、僕が何をしようとしてるのか皆いまいち分かっていないのか、歓声はまちまち。

 ときたま通りのほうから


「ああ~、お~!」


 と納得と感嘆の声が聞こえてくるのみだ。


 でもめげない。次に観客の目の前を一往復。後にその場で、回転。メル側と僕側を交互に見せる。

 そこでやっと、僕が完璧な『ゲリラ・パントマイム』を見せようとしていることをアピールする。


 メルが僕以外の人から見えないことを利用した、メル考案の完全無欠の大道芸、のつもりだ。

 

「いないよね?人」


 さっきベンチでいちゃついていたカップルの内、女の人の方が呟く。


「うん、だっせえ恰好した男一人だけだ」


 男がそれにとても失礼な返しをする。覚えてろよ。


「なのに、なんでこんな表情も仕草も……」

「そういう芸なんだろ」

「すごいね……」

「ああ、うん」

 

 少しずつ、理解してくれる人が増えてきた。

 少しずつ、場の空気が僕らに向けられてきた。

 十二分なAメロだ。

 ここからサビに向けて、少し趣向を変えてみる。


「メル、僕を押して!」

「了解!」


 手を離してバックステップ。僕と数メートル距離をとったメルが、


「はっけよーい!」

 

 今度は僕の掛け声に合わせて、


「のこった!!ぐはッ!」


 一気に距離を詰めて、両手をぐいっと前に突き出し僕にぶつかる。

 衝撃で重心が後ろにぶれる。すさまじい力がかかとにかかる。


「ちょっと!貧弱すぎない?」

「うっせえ!こっからだよ!!」


 貧弱だろうが、もやしだろうが、仮にも男である。何とか力をかかとからつま先に移動させて、拮抗状態にもっていく。

 

「うんっ!くっ!はっ!」


 じりじりと、力で押していく。

 勝ちも負けもないが、なんとなく優越感に浸っていた。


「ふははははは!大口叩いといて所詮その程度か!」

「ふっ!くそっ!ビルドアップ!筋力よ、増大しこいつを吹き飛ばせぇー!!」

「なっそれズル―――」


 次の瞬間、僕の体は地面に胎児のような状態で転がっていた。俗にいうヤムチャのポーズである。


「あ、ごめん……煽られたからちょっと本気出しちゃった。」

 

 噴水の噴射口の真横を通過し、観客側から見て左端にあるベンチにぶつかり……そうして冷たくなった体の節々がミシミシ。

 でも、その甲斐あってか。


「すげええええええええ!!」

「どうやったんだ、あれ!?」

「わああああああ!!」

「ネタ晴らししろよ!」

「おおおおおおお!」


 拍手喝采。投げ込まれていく銅貨、銀貨、金貨……紙幣!?紙幣あるのか?

 

「ねえねえ!すごいことになってるよ!」


 メルがくせ毛をぴょんぴょこ跳ねさせながら、近寄ってくる。


「ほらほら立って立って!」

「あ、うん」

 

 僕の脇に、寝起き同様小さな腕が入れられて持ち上げられる。

 補助付きでなんとか立ち上がれた。

 すると、それを見て観客はさらに


「ええええ!なんで立ち上がれるんだ!?」

「本当に人がいるみたい!」

「おい、いるんだろ!ほんとはいるんだろ!魔法だろ!」

「いや、魔法だとしてもすげえよ、透明になる、っつー魔法は誰も使えないだろ!」

「そうだな!そうだよな!すげええええ!」


 歓声はとどまるところを知らない。

 まだ二幕しかやっていないのに、布の上には服を買うには十分すぎるくらいの金が積まれていた。

 

「すごい……すごい……」

「ね。」


 メルも僕も向けられる感情の大波に言おうとしていた言葉を失っていた。

 でも、いつまでもこうやってボーっと突っ立ているわけにもいかない。


「どうする?もう十分だけど」


 言って、僕は布の上の貨幣に目をやる。


「やろう、やろう!!」

 

 胸がきゅんと苦しくなる、メルの笑った顔は会ってもう何度見ているけれど、一向に慣れない。

 夏の快晴を眺めている気分になるのだ。

 

「うん!やろう!」


 それから、僕らは小一時間、互いを持ち上げたり、そこら辺の石でキャッチボールをして、人が突然空中浮遊したり、石が現れたり消えたりする不思議現象を披露し続けた。


「ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 最後に感謝の意をお辞儀で示して、すべてのパフォーマンスが終わった後に、


「そういえば、アキツキ……なんのために浮遊魔法つかっちゃだめだったんだっけ?」

「そりゃ、勇者ってばれないようにしてきた変装が無駄になるから」

「なんで無駄になるの?」

「だって、目立ったら勇者ってばれる危険性高くなるし、何よりちやほやされないための変装の意味が―――ああああああ!!」


 普通に浮遊魔法使うよりも何十倍も目立ってるし、何十倍もちやほやされてんじゃん!!


「そういうことっすわ」

「逃げよう」

「だね」


 僕らは加速魔法を使って、布の貨幣とともに素早く去った。向かうは先ほどの服屋。

 麦わら帽子と、あったらパーカーも買いたいな。


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