学校は鬱だ
俺の心とは裏腹に、今日は天晴れな程に晴天である。雲一つ無い。
昨日の引っ越しの件だが、城の完成は2週間を目標にしているそうだ。
一般の家だって1ヶ月以上掛かってるぞ? プロがやってもその工期なんだぞ? それを普通の家より明らかに規模のデカい城を、それもあんな森の中で2週間なんて……どう考えても無理だろ。
とか思ったが、今日の事を考えたらどうでも良くなった。
……そう。なんせ今日は待ちに待ったイジメっこ達に金を払う日だからな。俺の鬱メーターがカンストして今にも吐きそうだ。この晴天が憎たらしいね、全く……。
歯ブラシをくわえながら鬱に浸り、アパートのベランダから空を見上げてぼーっとする俺。
「ダリア様……別に行かなくても宜しいのでは?」
後ろから気遣わしげな声でイサメが言葉をかけてきた。
心配してくれるのは有り難いが、今の俺にはイサメが置物にしか見えない。ずっと思っていたが、待機している時のイサメは総身が全くぶれない。常に綺麗な姿勢を保っている。
喋りさえしなければ精密に出来た等身大の人形だ。自動人形と言うのも頷ける。
「あー……行かなきゃ何されるか分からないしな……」
「わたくしめにお任せ下さい。そんなダリア様にたかる知能の低い生物など、生きる価値もありません。万死に値します」
「いや、殺すのは不味いって」
「半殺しにします」
「そういう物騒なのはちょっと……」
「ですがダリア様、わたくしにも貴方様を守ると言う役目がございます。これをみすみす見逃す気はございません」
「だからって暴力はなぁ……」
「で、では、どうすれば……?」
「……あ、ちょっとうがいしてくる」
イサメに返す言葉が何も出ず、逃げるように洗面所に駆け込んだ。
気を引き閉めようと顔を洗い、鏡で己の不甲斐ない顔を見る。
……情けない顔だ。こんな顔で言い返して、イサメは首を縦に振るだろうか。……振りそうだな、あいつは。
自分がいったい何をしたいのかも理解してないのに、何を言い返せるのだろうか。
ああそうだ。俺はいったい何がしたいのだろう。魔力の証明か? 代行者達の強さを見せ付けたいのか? このまま惨めな生活をしていくのか?
……分からない。
右の目元を指で軽くなぞる。
何も俺は最初からオッドアイだった訳じゃない。左の赤い瞳は兄から貰ったものだ。実を言うと、右に収まっている黒い瞳は……光が見えていない。
いつだったかは覚えていないが、友達が居たのを覚えているから、まあ小学校の1、2年の時だ。通っていた学校に教師に糞な奴がいたんだ。“零魔法症”をバカにする聖職者が。
まあ、異端児の俺がクラスのムードメーカー的な感じだったのが気に入らなかったのだろう。階段から突き落とされた挙げ句、失明だ。
しかし、その教師がやったと言う証拠がどこにも無く、俺の不注意による事故で片付いてしまった。今はその教師はぶた箱に入ってるらしいが。
で、共働きの両親の変わりに兄が病院に駆け付けてくれた。
『2つあるから1つ無くなっても平気だ。目はそういう風に出来てんだよ。だからテメェにやるよ』
兄の荒唐無稽な持論だ。両親にとっては苦渋の決断だっただろう。健康な兄から片方の視力を奪うか、魔法も使えず視力を失った俺をこのままにしておくか。
俺なら考え過ぎて発狂してハゲるね。
しかも、光を取り戻す確率は極めて低かったそうだ。随分と無茶な博打をしたもんだと思ったが、魔法医学の至宝と謳われる医者が運良く居合わせた為、その手腕を存分に発揮してくれたそうだ。
確かこの頃だったな。兄が無駄に絵が上手いって知ったのは。病室が同じだった為、兄が自慢気に見せ付けて来たのを覚えてる。励ましてくれたのを覚えてる。
辛かったろう両親も、毎日笑顔で見舞いに来てくれていた。
「はぁぁ……」
深い溜め息が無意識に出る。
俺は本当に何も出来ないんだな。
常に親か兄が何かしてくれた。
俺は、実家を離れて何をしたかったのだろうか。
分からない……。
なんも考えてないんだな、俺。
何を頑張って何も出来ない事を示しに来ただけじゃないか。
いや、そうなる事を望んでいたんじゃないだろうか?
……もう止めよう、考えるのは。
頭使い過ぎるとハゲそうだしな。
「───では、なんの為に俺らを召喚したんだ?」
いきなり洗濯機から黒猫が飛び出した。
「ど、どこから出て来てんだよ」
「影のある場所ならどこでも、だ」
コロネはジャンプし、俺の肩に羽のように落ちる。猫の大人サイズなのにこいつ軽いな。
「ふむ。乗り心地の良い肩だ」
「………」
「何か言いたげだな」
「聞いてくれるか?」
「勿論だ」
少し間を開け、呟く。
「……ハゲるなら前からの方がいいよな」
「………」
あれ。なんか俺間違ったこと言ったか?
頭を切り替える為に楽しい事を考えようとして、手始めに自虐ネタから攻めただけなんだが。
「たまに父親に電話するとさ、開口一番が『1ミリ後退しました……』なんだよ。悲しくなるね、息子として」
「……ダリア様」
「髪は女の命って言うけど、あれ嘘だよ。男の方が大事だよ、髪」
「ダリア様、俺の質問聞いてたか?」
スルーしてんだよ。考えたくないんだよ。察してくれよ。
「何故、俺らを召喚したんだ?」
「……そんなもの、己で察しなさい」
洗面所の鏡越しにイサメが現れた。
「わざわざダリア様から答えを頂く質問ですか?」
「分からないから聞いているんだ。イサメは分かるのか?」
「無論です。ダリア様の力を証明するためです」
「それは暴力的な意味でだろう? だがそれはダリア様の思うところではない。俺らの召喚に成功しても、ダリア様の顔は未だに晴れていない」
「………」
威勢の良かったイサメが黙り込む。頭を捻り、彼女は言葉を紡ぐ。
「……ダリア様をお守りする為です」
「ルシファーもそう言って頭を悩ませていたな。だが何をもって守るのか、何をもって守ったとするのか。俺らでは一生、答えにた辿り着けない」
コロネが軽い足音を立てながら床に下り、頭を垂れる。
「だからお聞かせ願いたい。───我々を召喚した理由を。本当の意味で貴方を守らせて頂く為に……」
「わたくしからも、どうか……」
イサメもひざまづき、頭を垂れる。
「こ、答えか……」
なんだろうなぁ……。
あの時は魔法が使えることを証明出来れば良かっただけだ。あとは学校の奴らをギャフンと言わせるとか。そんなその場しのぎの事を考えてた気がする。
でもそんな答えではコロネの方は満足しないだろう。
勘弁して下さい。何も考えて無い俺にそんな難問は答えられないのです。だがここまで思ってくれる彼らの為に何か答えは出さなければならない。
いや、でも、本当に勘弁して下さい。考え過ぎて毛根が死滅してしまいます。
「そ、そうだなぁ……」
俺は駄目な奴だ。
「答え合わせは……保留、でいいかな?」
彼らが深く追求して来ないのを良いことに、あやふやな答えで済ますのだから。
「それは我ら全員の前で答えたいと言う事か? まあダリア様にもタイミングがあるだろうからな。俺とした事が、早計な発言だった。すまない」
「確かにコロネ殿とわたくしだけでなく、我々全員で聞かねばならない問いでございました。流石の判断でございます」
「ま、まあな」
俺なんかよりよっぽど出来てるよ、イサメとコロネは。
「……ん?」
ふと、何かが頭をよぎる。
「どうされましたか、ダリア様?」
「……いや、なんでもない」
今日、なんかイベントがあったような……そんな気がする。なんだっけな……。
……あ、駄目だ分からん。色々考え過ぎて頭の体力がすっからかんだ。なんも思い出せない。思い出せないって事は、多分大した事ない用事だろうな。
気楽に考えていたら、残酷にもイサメが記憶を手繰り寄せる言葉を放った。
「話は戻りますが、金をせびる下等生物共はいかがなさいますか?」
うああああああああああああああ。
そうだったよコンチクショーめ。どうすんだよあのイジメっこ共は。なんも対策してないよ。ボコられて終わりだよ。
「能無しのわたくしめには、やはり力でねじ伏せる以外に策がございません。そうすれば、おいそれとダリア様に手出しはしなくなると……」
暴力はなぁ……。
……いや、駄目だ。
始めから俺には、イサメが俺の為を思って出してくれたこの策を否定出来る権利は無い。
「……そ、そうだな。やっぱり、それが早いよな」
否定出来る訳が無い。
否定するなんて虫が良過ぎる。
俺は彼女らの問いに何も答えて無いのだから。
☆
太陽が天辺まで昇った昼一番。夏真っ盛りからのこの日差しには殺意を感じる。
俺の斜め後ろのイサメが、なんでそんなに涼しい顔を続けていられるのかが不思議でしょうがない。半袖でもメイド服とか暑いだろ。
場所は学校の広大な敷地内の一角に配置された、街中を模した第二戦闘場。しかし街と言っても、建物群は崩れ、道も整備されていなく、荒れに荒れまくったゴーストタウンの様な戦闘場となっている。
今は夏休みの為に、学校には生徒も教師も普段より少ない。しかも広い敷地を有してるのだ。例え授業で頻繁に使うこの場所でも、人目にはつかないだろう。
……そして、俺らの目の先には、イジメっこ4人組。みんなニヤニヤしてる。気持ち悪いな。
「良く来たじゃん! お前の事だから来ないと思ってたよ」
とさか頭の男子生徒が馬鹿にしたような声を上げる。
「まだ食事を済ませていないのに、わざわざ来ていただいたダリア様への第一声がそれですか? 立場を弁えなさい」
「あん? ……てか、おねーさん誰?」
「おや、見たままの通りなのですが。目が衰えているのではありませんか? 若いのに大変でございますね。それとも、メイドをご存知ない?」
君のその煽っていくスタイル、メッチャ良いと思う。続けたまえ。
「おねーさんさぁ、そいつが異端児って知らないの? 不幸になるよ? そんなクズに従うより、俺に奉仕してよ」
「クズ……?」とイサメの表情が崩れる。
「お前、メイド雇うほど金あんのかよ?」
とさか頭の隣りで筋肉質な男がカハハと笑う。
「だって黒江ダリアが雇ってんだぜ? あいつに払わせれば良くね?」
「……無駄話はもういいでしょう。ダリア様はあなた方に出せるお金は無いと仰っています。では、あなた方が取る行動は一つでしょう?」
前に出たイサメに、とさか頭が目を細めて笑いを浮かべる。
「あれ、もしかして身体で払ってくれんの?」
「ええ。文字通り腰が動かなくなりますが、宜しいですね?」
相手の返答を待たずして、イサメの総身がぶれた。
次の瞬間、
とさか頭が吹き飛んだ。
10m程飛んだところから地面を転がり、建物にぶつかって停止した。
とさか頭はピクリとも動かなくなり、その一瞬の攻撃に呆気に取られていたら、
「ぐぁ……!」
「は、はなせ……!」
イサメは既に、筋肉質の男とゲジマユでホリの深い男の首を鷲掴みにしていた。指が肉に食い込んでいる。
そして、そのまま地面に叩き付けた。
2人が動かなくなったのを確認したイサメは3歩後退して、
「さて……」
抑揚の無い声を、最後に残った渡辺カルレに向けた。
「確か貴方は……ああ、情けない声で逃げ出した方ではありませんか」
「て、てめぇ! いきなり何しやがる!?」
「申し訳ございません。ダリア様の食事がまだでしたので、早急に対処をしたまでです」
「こ、こんな事してただで済むと思ってんのか!?」
「動揺していますね。それは負け台詞です。貴方にどうこう出来る力はありません」
イサメは呆れたように一瞥すると、まばたきの間に渡辺カルレの背後に回った。
「さようなら」
「ち、チクショー!」
突然鈍い音が響いた。
それは、イサメから出た音だった。渡辺カルレが放った右拳が、イサメのみぞおちに入ったのだ。
渡辺カルレから笑みが溢れる。が、急に表情を一変させ、右拳を左手で抑えてその場にしゃがみ込み、嗚咽を漏らす。
「て、てめぇ……! 鉄板仕込むなんて卑怯じゃねぇか!」
「は? 自分の脆弱さをわたくしのせいにしないで頂けませんか?」
イサメが軽蔑の眼差しで言葉を返し、そのまま渡辺カルレの頭を踏みつけた。
「代表してダリア様に謝罪をして下さい」
「ふ、ふざけるな! 誰があんな根暗な野郎に……!!」
渡辺カルレの苦渋で歪んだ顔が地面にめり込む。
「いだいいだいいだい!! 止めろ! 止めてくれ!」
「ダリア様に謝罪をして下さい」
「分かった! 謝るから! ダリア! 俺が悪かった! もうお前関わらないから! もう二度と嫌がらせはしないから! 頼む、許して下さい!」
「と、五月蝿く喚いていますが……ダリア様、どうされますか?」
「え? あ、そうだなぁ……」
急に振らないでよ。ビックリするじゃん。
正直、見ていて気分がスッキリした。心があの空のように晴天を取り戻したかのようだ。
暴力は駄目だと言っておきながら、気絶して倒れているイジメっこ共と情けなく地面に頭を擦り付ける渡辺カルレをぼんやりと眺め、快感に似た感情を持つ自分がいた。矛盾を感じない自分がいた。
生まれながらにして魔法の使えなかった俺は、最悪の人生のスタートを切った。それは、生まれながらにして人間の最底辺にいることだ。
魔法を使えない。ただそれだけの理由で、だ。暗黙の了解がそこにはあるのだ。
子供の頃ならそんな理不尽な掟など、まだ知るよしもない。だが、歳を重ねるにつれ、理不尽に同調していく。教わりもしない理不尽が、身体に染み込んでいく。
俺はその理不尽な掟の矛先にいる。
理不尽だとは思った。だが、みんなもそうだったから、俺も合わせるしかなかった。周りに溶け込む為に。自分が浮かないように。
そうして出来上がったのが、いびつなピラミッド型の図だった。
一番面積の多い最底辺に、他の段より数が多くならなけばならない最底辺に、たった一人で孤独に存在する俺。
最底辺にいる俺が、上に立つ者に逆らってはいけないのだ。逆らう事は許されないのだ。ただ、頭を縦に振るしかないのだ。
だから、暴力を否定していた。上に立つ者への暴力は許されないからだ。警察沙汰にならない為の保身と言うのもあったが、心の隅っこではやり返したい気持ちがあった。最底辺に居たくない自分がいた。
そして、俺は悟った。
理不尽に逆らわなければならない。
理不尽に抵抗しなければならない。
理不尽に意見しなければならない。
そうしなければ、俺は成長出来ない。
イサメ達を召喚した本当の理由に、俺は辿り着けない。
「ダリアおい! 聞いてんのか!? 謝ってんだから許せよ!」
「口を慎みなさい」
「いだいいだい!! 頼むダリア!!」
渡辺カルレがイサメの足を掴んで引き離そうと頑張っているが、イサメの足はびくともしない。
最底辺という己の価値観を払拭する為に、俺は言う。なんでもいい。言うんだ、俺!
ふぅ……、と息を吐き気持ちを落ち着かせる。
「この前貸した1万円……返してくれないかな? そうしたら許すよ」
よっしゃ言ったぞ俺! 取り合えず言ったぞ、俺! お金は大事だからな! 天下の回りものだからな!
「はぁ!? あるわけねぇだ───いだだだだだだ!! あるある! でもまだ用意できない!」
「それは無いと言うのですよ」
「じ、じゃあ夏休み明けでいいや」
折角の夏休みにこんな奴らと顔は合わせたくないしな。
「宜しいのですか?」
「ああ、いいよ」
「畏まりました」
イサメは渡辺カルレから足を離して姿勢を正し、俺に一礼。
「そう言えば昼食がまだだったね」
「はっ。直ぐにご用意致します」
ここに長居はしたくなかった俺は話題を変え、イジメっこ共を打見し、この場を後にした。
☆
「く、くそがっ!!」
悲痛に満ちた顔の渡辺カルレが、小刻みに震える手をなんとか胸ポケットまで持って行き、画面のついた箱型の機械を取り出した。
画面を指でなぞり終えると、耳に当てた。
「……くそっ!」
機械からの応答は無く、渡辺カルレが3回ほど掛け直したところで、
『……なんだよ。何回も掛けてくんじゃねーよ。死にてーのか?』
不機嫌で殺気に溢れた低い声が返ってきた。
「あ、兄貴! 頼む! ちょっと懲らしめて欲しい奴がいるんだ!」
『あん? 俺がタダで動くとは思ってねーよな?』
「分かってるよ! 3万は直ぐにでも払える!」
『……馬鹿にしてんのか?』
抑圧感が渡辺カルレの身体にのし掛かる。
「び、美人なんだ! それもスゲーんだ! スタイルもスゲーんだ! 兄貴ならぜってー気に入るって!」
『なんだ、相手は女かよ。早く言えよ』
声のトーンが上がった。今の話で機嫌が良くなったようだ。
「あいつマジ強かったけど、兄貴ならどうってことねぇ!」
『当たり前だろ。で、相手の情報は分かってんだろうな?』
「ちょっと時間をくれ! そしたら分かるから!」
『ちっ……使えねー野郎だ』
それだけ言うと、声の主は応答しなくなった。
その場には、渡辺カルレの勝利に満ちた静かな笑い声だけが残った。
☆
太陽が地平線にその巨体を隠し始めた夕方、部屋で魔法学の宿題をやっていると、インターホンが鳴った。
何も言わずに滑らかな動きで立ち上がるイサメ。
「ま、待ってイサメ。俺が出るよ」
「し、しかしダリア様……」
「いいっていいって」
こんなボロアパートからメイドが出てきたら来客もビックリするだろう。まあ俺の部屋はイサメのおかげで新築以上に綺麗だけど。
アパートから出る時もイサメが確実に付いてくるから人目をはばからって出掛けている。
ペンをノートの上に転がし、玄関に向かう。
ドアノブを捻ると同時にイジメっこ共の報復の事が頭をよぎったが、流石にアパートまでは来ないだろうと思い、ドアを開く。
「あの、ダリア様……中途半端な時間に失礼します」
眼前に巨乳が広がった。
「あ、ああ……ナイトか。どうしたの?」
「はい。ダリア様のお顔見るために」
そ、そうか。それはご足労痛み入るな。
「なんか……前も思ったけど、露出が凄いね」
頭から足までを芸術作品を見るかのように眺め、総評したらこの答えが出た。街中でも中々その谷間は見ないぞ。
「は、はしたない……ですか? 暑いので……」
ナイトがしょんぼりと肩を落とす。いや、良いと思うよ。グッジュブグッジュブ。眼福眼福。
「節度と言うものがあるでしょう、ナイト殿」
いつの間にか後ろにイサメが立っていた。
「ダリア様がそう仰るのならそうなのです。貴女の露出は下品に見え、常識が疑われる、と言う事です」
あの……それではまるで俺が法律みたいな言い方ですね。
「だ、ダリア様……申し訳ありません!」
ナイトが声を荒げてひざまづく。
「次からはこのような失態は犯しません! ですから、見捨てないで下さい!」
いや、だから大袈裟なのよね、君ら。ファッションセンスに疎い俺にどうこう言う権利は無いし、女性に意見するなんてもっての他だ。
ただ、あえて言わせて貰うなら、
「あの、さ。近所の迷惑になるから……」
ここ玄関なんですよ。ドア開けっ放しなんですよ。
☆
イサメは、街灯と月明かりのみが照らす人気の少ない夜道を歩いていた。
薄暗いと言うのにその存在感が失われる事が無いのは、メイド服のせいではない。肩まで伸びた金の髪とエメラルドの瞳は星の様に輝き、凛とした佇まいが気品を醸し出している。それは、荒野に咲く一輪の花のように。
その手には、レジ袋が握られていた。ダリアがふと呟いた『アイスが切れてる……』と言う言葉を聞き取り、買ってきた次第だ。主人の喜ぶ姿を想像すると、自然に身体が踊ってしまう。
(いけないいけない。こんな腑抜けた顔では、ダリア様になんと言われるか……)
気を取り直し平静を保とうとするも、やはり口角が上がってしまう。が、急にイサメの表情が不穏なものに変わった。
「……確かにこいつぁ、上玉だな」
物影からケラケラと笑った身なりのだらしない男が現れたからだ。
(ん……? 何処かで見たような……)
男の顔を見た途端、頭に何かが甦り、思考を始める。
……確か、ナイト殿が持ってきたヴィジランテ関係の書類の中に、奴の顔があった。ヴィジランテで悪名を轟かせ過ぎて追われる身になった、A級の賞金首だったはず。
名前は……
「渡辺カロス……だったでしょうか?」
「お、何々? 俺の事知ってる感じ?」
嘲笑いながら大手を振る渡辺カロス。小者臭がぷんぷんする。あと一つ、この男には思い当たる事があった。
「弟さんにでも、仕返しを頼まれたのですか?」
「あん? あんなクズと一緒にすんじゃねーよ。つーか、なんで兄弟だって知ってんだよ?」
「ふふ、分からない方がどうかしています。渡辺カルレと貴方、お二人からは醜悪さが滲み出ていますからね。見ていて気分が悪い。わたくしが笑っている内に消えて頂けませんか?」
適当に言葉を並べて挑発すると、渡辺カロスが目を細めて、声のトーンを下げる。
「お嬢さん度胸あるねー。そいつをぶち壊してオモチャにするのが楽しいんだよなぁ、これが」
渡辺カロスがわたくしの顔を舐めるように見つめ、いやらしい笑みを作る。
気持ち悪い。渡辺カルレの兄だと言うのも納得する。邪魔だから片付けたいが……まあ、賞金首だし身体が変形しても問題は無いだろう。付き出せば金銭に交換出来る。
しかし、
「はぁ……」
手に下げたレジ袋を見て溜め息が出る。
ダリア様、帰るのが少し遅くなりそうです。
「今の溜め息は何かな?」
「アイスが溶けてしまうので、早く用件を済ませたいのですが」
目の前で勝ち誇った顔を続ける渡辺カロスに向かって、歩を進める。あの顔が気持ち悪いから、まずは顔面に一発ぶち込む。
「威勢がいいねー! もしかして俺に勝てるとか思ってんの? 馬鹿だねー。俺の事知ってんでしょ? 俺結構強いんだぜ? 昔はヴィジランテでもA級の籍に身を置いてたん───がっ!?」
ごちゃごちゃ喧しいので顔面に右ストレートをぶちかました。
その衝撃で渡辺カロスの身体が浮き上がったが、直ぐ様片足を掴み、一本背負いの要領で地面に叩き付ける。
「その姿はお似合いですよ」
気絶して動かなくなった渡辺カロスの頭に足を乗せ、踏み付ける。よくこの程度の実力であれだけの虚勢を張れたものだ。
ふと、ダリア様がこいつの弟から金銭の貸し借りを───否、ダリア様が一方的に貸していたのを思い出し、兄の渡辺カロスの財布から1万を抜き取る。
まあバチは当たらないだろう。それでも、窃盗紛いの事をしたのは気が引けたが。
「さて……」
辺りを見渡す。動揺の空気がそこらを漂っている。
恐らく、渡辺カロスが連れて来た身を隠すのもロクに出来ない下等生物共だろう。気配の数は5人。
実を言うと、店を出た辺りからこの気配には気付いていた。尾行されているのは分かっていた為、わざわざ遠回りして人気の少ない道に入ったのだ。
尾行しているのを気付かれた、とは考えなかったのだろうか。行きと帰りで道が違うのだから、少しは勘付きそうだが。
まあ結果がこれだ。人数がいるから油断したんだろう。
少し待ったが、一向に姿を現す気はなさそうだ。渡辺カロスが一瞬で敗北した事で、出ようか出るまいか迷っているのだろう。
来ないならこちらから行く。コロネ殿とナイト殿がダリア様のお側に居るが、危害が及ぶ事が万が一にも考えられる場合には、全力で対処する。
───20秒。
残党狩りを開始してから、全員を地面に突っ伏させるまでに費やした時間だ。
下等生物共はその辺の木に括りつけ、身動きを封じる。まあ、しばらくは目を覚まさないだろう。
あとはナイト殿に任せるつもりだ。彼女は様々な魔法を修めている為、こいつらを運ぶのなんて朝飯前だ。ヴィジランテに引き渡すのも小指でこなすだろう。
では、帰りましょうか。
「……1分30秒」
も、掛かってしまった。ダリア様を待たせている。競歩で帰ろう。
☆
「……え、あの、わざわざ買って来てくれたの?」
「ご、ご迷惑だったでしょうか?」
アパートに着いて直ぐにアイスを差し出したら、ダリア様から驚嘆の顔を頂いた。……早計だった。ダリア様にお尋ねしてから買いに行くべきだった。
「そ、そうか。あれ聞こえてたのか。なんか……ごめんな。買いに行かせたみたいで」
ダリア様の声が小さくなる。
ああ、なんという失態。主人に気を使わせて何がメイドだ。これではわたくしもあの下等生物と変わらないではないか。
「いえ、わたくしが勝手にしたまでの事。ダリア様が気にやむ事ではございません」
床に膝をつき、頭を下げる。わたくしにはダリア様に会わす顔が無い。
「いや……違うな。こういう時はあれか……」
ダリア様が顎に手を当て、少し険しい表情で呟いている。そして、わたくしの目を見つめて来た。
「……イサメ、買って来てくれてありがとう。みんなで食べようか」
歪な笑いだった。
しかし、喜んでくれたようで鼻血が出そうになった。勿論自重した。
いつか、その歪な笑いではなく、本当の笑顔を見させて頂きますよ、ダリア様。




