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最弱の代行者  作者: ひとみ
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水面下の静かな波紋

◇ヒト科ヒト属人間種

・世界にいっぱいいる。


◇ヒト科獣人属獣人種

・総称獣人。

・獣の身体を持ち、犬や猫が二足歩行したような容姿を持つ者がいれば、耳や尻尾だけ者もいる。品種にばらつきがある種族。

・身体能力に優れている。


◇ヒト科妖精属妖精種

・通称エルフ。

妖精(エルフ)大妖精(ハイエルフ)黒妖精(ダークエルフ)の3種が確認されている。

・耳が尖っているのが特徴で、他の人種より寿命が20年ほど長い。

・魔法適性が高い。


◇ヒト科竜人属竜人種

・最上位の人種。

・絶滅危機。

・優れた身体能力と魔法適性と知恵を持つ。


◇魔物科ヒト属吸血鬼種

・人間と大差無い容姿と知恵を持つ魔物。

・再生能力を有し、生命力が高い。

・王国に住まう伝説級の魔物。

王都アイテールの西区の一画。辺り一面に花が咲き誇り、一年中花を咲かせるそのお伽噺に出てきそうな場所は王都の観光名所とも知られている。


景色により風合いを持たせる休憩所が点々と置かれ、花畑の中に唯一そびえる白い建物があった。館と言える外観だが、頭のように出っ張った部分には赤い十字架が彫られている。


その建物の前に、荘厳で豪華な雰囲気を持つ1台の馬車が止まった。同行していた銀の甲冑を着た4人の騎士が馬車の脇に並び立ち、右拳を胸に当てて敬意を示す。


中からまず降りて来たのは、白髪オールバックに黒い背広を着た老紳士。老紳士が馬車を降りて馬車に向かって頭を垂れると、直ぐに若い男性が降りてきた。黒髪で白を基調としたシンプルな服装の男性だ。


アイテール王国第二王子───西園寺・デュオ・ディエルである。


見た目こそは飾らないが、纏う空気は気品に溢れ、思わず頭を垂れてしまうような堂々とした風格を持っている。


「コウジよ、ヤスユキが治療を受けているのはここか?」


「左様で」


ディエルの問いに、影のように後ろに立つ老紳士が頭を垂れて答える。


「吸血鬼2人を相手取ったと聞いているが、それを軽傷で済むとは……大した男だな」


「レベル測定会場に急行した『百鬼』の報告では、一般の参加者の中に高位の召喚獣を召喚した者が居たそうですな。残念ながら魔力を使い果たし力尽きたとの事ですが……」


「そうか……」


ディエルの肩が落ちる。


昨日起きた吸血鬼による王都襲撃は瞬く間に全国に広がった。


マルーシ街半壊に続き王都では約300人の死者を出した。10年ほどでは無いにしろ、“悪夢の再来”との報道が各地でされている。


やはり厳重に警戒していた王都内で吸血鬼が出現したの響いた。国の顔に泥を塗られては言い訳もできない。


だがマルーシ街の被害と王都300人の犠牲で吸血鬼2体を退治できたのは大きいだろう。これで逃がしていたら国の威厳に関わっていた。


「……殿下」


吸血鬼を退治できたのは喜びたいが、犠牲者を考えると素直には喜べない。犠牲が必要なのは分かってはいるが、もっと上手くものを運べた筈だ。


吸血鬼の出現はマルーシ街に被害が出る前から分かっていた事だ。その時に退治していれば被害はほんの僅かだったかもしれない。


「殿下!」


「おおっ!?」


後ろの老紳士───コウジの一声で、思考を巡らせていたディエルが背筋を震わせながら振り返った。


「どうしたのだコウジ? そんなに声を荒げて」


「そのような険しい顔で面会されては、ヤスユキ殿も気が休まりませんぞ?」


「う、うむ。そうだな。つい考え事をしていた」


「ここは病院ですからな。そんな顔では患者に悪い影響を与えてしまいますぞ?」


「む。それでは私の顔が病原菌みたいな言い草だな」


「これは失敬」


ほほほ、とコウジが顎髭を触りながら笑ったが、ディエルは鼻を鳴らして流した。


他愛もないやり取りだが、ディエルにとっては存外重要なやり取りだった。


第二王子であるディエルを小馬鹿にするような態度を取る者は少ない。言い変えれば、親しく接してくれる者が少ないのだ。


貴族達は笑顔を振り撒いて接してくれるが、それは表面上だ。第二王子の地位に引け気味になっているか、関係を結んでなんとか権力を握れないかと企ているのがほとんどだろう。


そういうのは気疲れしてしまう。コウジのように身分に関係の無い振る舞いには安らぎがあるのだ。


「まあいい。行くぞコウジ」


「はい」


「そなたらはそこで待機していろ。病院にそのような物騒な格好で入っては患者が驚いてしまう」


「はっ!」


ディエルに言われ、騎士達は右拳を胸に当てながら浅く頭を下げる。


病院の玄関。分厚く透き通ったガラスの扉をコウジが開けて先に入り、ディエルが後に続く。


中に入って直ぐ、幾つかの驚きの声が上がった。待合室の席に腰掛ける診療待ち、又は処方箋を待つ患者から上がったものだ。


皆が皆、目を丸くして思わぬ来場者に釘付けになる。国の第二王子が来たのだから無理の無い反応だ。


「最上ヤスユキという人物と面会をさせて頂きたいのですが、宜しいですかな?」


コウジは柔らかい口調で、焦点が合わず明らかに動揺している受付の女性に話し掛ける。と、やや間があってから、受付の女性は慌てて書類を漁り出した。


「も、申し訳ございません! す、直ぐに確認します!」


取り乱す女性を見て、ディエルが溜め息を吐く。


「おいコウジ。あまり急かさせるでない。戸惑っているではないか」


「そのようなつもりは決して無いのですが……。殿下の来場に驚かれているのではないですかな?」


「む、そうか。確かにそうだな。先に連絡を入れておくべきだったな」


常識に欠けていたな、とディエルは自分を恥じる。しかし、連絡を入れずとも似た反応が返ってきていただろう。第二王子の肩書きは他を遠ざけてしまう。


「あ、あの……」


恐る恐るな感じで女性が切り出す。


「最上ヤスユキさんですが、今日退院予定になっています」


「ほう」


「……おや? 殿下、噂をすれば、ですぞ」


コウジが言い、ディエルがその視線を辿ると、見覚えのある男がこちらに向かって歩を進めていた。


髭面に剛毛の髪。歳のせいか所々白髪が混じっているが、闘志の篭った瞳と独特な佇まいからは若々しさを感じる。白髪がお洒落に見える。


常人では無いのが外見から滲み出ているその人物こそ、『一隻眼』の異名を持つ最上ヤスユキその人である。


数々の戦場を潜り抜け、歳相応の歴史を積み重ね、余程の事では動じないと自負する彼も、


「で、ディエル様……?」


ディエルを前にしたら、肩に掛けていた鞄もズリ落ちるのであった。


だが直ぐにヤスユキは調子を戻し、鞄を肩に掛け直す事はせずに床に置き、右拳を胸に当てて一礼をする。


「ディエル様、一体どうされたのです? 体調でも優れないのですか?」


「そなたの様子を見に来たのだ。連日に渡るレベル測定での魔眼の行使。それと昨日の吸血鬼との戦い。労いの言葉を掛けさせてくれ」


「わ、私なぞの為にご足労を……身に余る光栄です」


とヤスユキは深く頭を下げ、


「しかし、吸血鬼に関しては私の活躍ではありません。召喚魔法を使い吸血鬼を凪ぎ払った方のおかげです。私は吸血鬼に防戦一方でしたので」


「謙遜はよせ。そなたが居なければ被害は大きいものになっていただろう。それに……」


「殿下、場所を変えた方が宜しいかと」


ディエルは話を続けようとしたがコウジにそう言われて、ここがまだフロント前だと気付いた。


3人は花畑の中にあるテーブルの設けられた屋根付きの休憩所に移動し、ディエルが周りの花を眺めながら口火を切る。


「ここはいつ来ても絶景だな。……して、ヤスユキよ。そなたは身体には痛手をあまり受けていないのだな? 見たところ外傷が少ない」


「はい。それについては問題ありませんが、魔眼の使用で魔力の消耗がかなり酷い状態です。吸血鬼戦でかなり応えたみたいで……」


「そうか。2体も相手にしたんだからな」


「消耗しきった魔眼の力については自然回復を待つべきだと医師に言われております。人工的に回復させるのは難しいそうで、自然回復の方が速いと」


「なるほどな」


ディエルは相槌を打ち、コウジが用意した紅茶を一口飲む。


「魔力もかなり消耗しきっているので、しばらく自宅療養という形を取ろうかと。その報告をしに今から王城に向かうところでした。今の私では仲間の足手まといになるので」


悔しそうに、そして情けなさそうにヤスユキは顔を伏せる。


「ふむ、そうか。そなたには兵のレベル測定で東奔西走させていたからな。丁度休みを取らせようと思っていたところだ。まあ十分に身体を休めるといい。総団長には私から伝えておく」


「はっ。ありがとうございます」


ヤスユキは立ち上がって足を揃えて見事な一礼を見せる。


「ディエル様の温情に応えられるよう、国の為に力の限りを尽くします」


「ああ。そなたには期待しているぞ。まあ病み上がりなのだから力量を高めるのも程々にな───と、すまないなヤスユキよ」


ディエルが腕時計に目を落として言う。


「談笑をしたかったところだが、これから昨日の吸血鬼襲撃の件について城で会議があってな。あと公民館の損害や被害者の書類をまとめねばならん。ヤスユキ、私との茶にわざわざ付き合わせて悪かったな」


「いえ、とんでもない。寧ろ私なぞの為に貴重な時間を割いていただきありがとうございます」


「なに、私が好きで来ただけだ。では失礼する」


ディエルはそう言って立ち上がり、休憩所の側に待たせていた馬車の中に消えていった。



 ☆



私が最上ヤスユキの自宅に到着したのは夕方頃。


第二王子との話を終えた後、病院で最後の精密検査を受けた。昨日から何回か検査は受けているが、特に異常は無く、今日のも魔眼と魔力の消耗以外は異常が無ったから自宅療養という形で退院する事になった。


で、吸血鬼の襲撃があった昨日の話。私はルシファーの指示に従って最上ヤスユキの遺体を捜し出し、その姿を、その性格を、その記憶をコピーし、手負いのフリをして駆けつけた『拳帝』率いる特殊部隊に事情を説明した。


『一隻眼』の信頼は大したもので、参加者が死に際に覚醒して神獣を召喚して吸血鬼を凪ぎ払った、と説明しても誰も疑わなかった。いや、何人かは疑問を持ったかもしれないが、判断材料が無かった。


そのまま私は病院に運ばれ、今に至る。


でもまさか第二王子が直々に面会に来るなんて予想していなかった。精力的な人なんだろう。


若いながらも、第二王子は中々に目を見張る佇まいを持っていた。流石は国を背負う人物といったところだろう。


「……さて、ここからですわね」


静かに呟く私。


鍵を懐から取り出して鍵穴に挿して玄関を開ける。


「おーい、帰ったぞー!」



さて、突然だが、最上ヤスユキは妻子持ちである。妻は専業主婦で、子供は小学生が2人で夏休み。そうなると当然、妻か子供が出迎えてくれるだろう。


だが玄関の照明は落ちたまま。それ以前に玄関に鍵が掛かっているのが不自然、という事になる。


買い物に出掛けている、と考えるのが妥当な線だ。しかし、リビングの上に置かれていた奇妙な手紙のおかげでその線は消えた。


手紙の差出人は不明。封を切って中身を確認すると、


『家族は預かった。返して欲しければ“メゾン・オパール”という場所に来い。勿論お前1人でだ。誰かを呼んだ場合、家族の命は保障しない』


「……ぶっ!」


書かれていた内容を見て思わず吹いてしまった。


……なんですのこれ? ありきたり過ぎません?


ルシファーに「『一隻眼』は吸血鬼の主犯にとっては危険因子だから直ぐに刺客がくる」と言われていたから驚きはしないが、おびき出し方が幼稚過ぎる。


とりあえずさっさとメゾン・オパールに向かって用を済まそう。ダリア様の容態が気になり過ぎて腹が(よじ)れる。早く屋敷に帰ろう。


まあ、ダリア様はイサメと天使達が付いているから大丈夫だろう。寧ろリュウの方が危ないかもしれない。


リュウの落ち込み具合は尋常ではなかった。いつもならあざやかな虹色を放っているのに、ルシファーの言葉を聞いた後は精気を失っていた。


「………」


……考えるだけ無駄ですわね。


とにかく、目先の課題をクリアするのが先決だ。



───メゾン・オパールに着く頃にはすっかり日が暮れていた。街灯と月明かりだけがその建物を照らしている。メゾン、というから集合住宅だろう、ここは。人が住んでいないのか窓からの光は無く、外壁にはヒビのような割れ目が見える。一見するとお化け屋敷だ。


メゾン・オパールを囲う門も錆び付き、鍵も機能しておらずあっさり中に入れた。


中は暗く、やはり人の気配がしない。───訂正、常人ならばその気配を察知できない。だが私は普通に察知できる。


1…2………3人、ですわね。


流れる魔力から、3人全員が相当な手練れだと分かる。私にとっては小虫程度だが。まあ『一隻眼』を確実に仕留めるには妥当な戦力だろう。


「おい、さっさと出てきたらどうだ? 俺の家族は無事なんだろうな?」


私がそう言うと、前方から何かが飛んできた。てかナイフが飛んできた。


私は人指し指と中指でナイフを難なく挟み、目を細めて飛んできた方向を見据える。


「挨拶かこれは? 随分とまあ……物騒な挨拶だな。早く出てこい」


今度のは警告の意味を込めて言った。すると、暗闇の中で何かが蠢いた。物陰から人影が出てきたのだ。かと思ったら、その人影は一瞬で消えた。


消えたと言っても、ただ速く動いているだけだ。鈍器を片手にその人影は一直線に私に向かって来る。


私はナイフを持ち変えてその人影からの攻撃に備えようとしたが、それより先にナイフは叩き落とされ、腹部に強烈な殴打を受け、


「ごふっ……!」


嗚咽を漏らしながらゆっくりと地面に伏した。



「───あっれー?」


頭上からこちらを馬鹿にしたような声高が響いてくる。


「ちょ、弱くない? 『一隻眼』ってこんなに弱いの? なんか残念だなー」


腹部を抑えながら見上げると、口角が異常なまで吊り上げた男性が私を見下ろしていた。


因みに、これはやられたフリである。痛くも痒くもない。余裕で返り討ちにできたが、まずは敵を調子に乗らせた方が良いだろう。その方が私の問い掛けに対して口を割りやすくなるだろう。


だが見下ろされるのは癪だから睨む。


私を見下ろして良いのはダリア様だけでしてよ! そんな事を叫びたい気分だが、自重しておく。


「……な、なんだ貴様は…!?」


私の問いに答えるかのように照明が点けられた。辺りの景色に色が付き、そして奥の階段から女性が降りて来た。


「ノンが3つでノンノンノン。貴様ではなく、貴様らが正しいですよ、最上ヤスユキサン」


私の目の前まで歩み寄って来た女性が奇妙に微笑む。紫色の髪が無造作に伸び、骨に皮だけが貼り付いたような細身の女性だ。


女性はその場にしゃがみ、奇妙な笑みを歪ませて鋭い八重歯を光らせる。


「いやー、スミマセン。残念ですけど、アナタを始末しないといけないんですよ。いやー、マジスミマセン。ワタシ達も仕事なのでカンニンして下さい」


全く説得力の無い謝罪だ。まあただの会話なんだろう。


「にしても柩さん、こいつ弱くないすか? クラスレジェンドっすよね?」


私に殴打を見舞った男性が愚痴を漏らす。“柩”と言うのはこの女性の事だろう。


「んー、仕方ないんじゃないですか獄クン? 魔眼も魔力も消耗しきってるんですから。その辺の一般人にヘッドロックを掛けるより余裕ですよ」


紫髪の女性───柩がヘッドロックのジェスチャーを交えながら言う。男性の方は“獄”と言う名前らしい。


「ああそれと、最上ヤスユキサン。家族は無事ですよ。確かアナタを迎えに病院に行った筈ですから。でもまあワタシ達がちょっと裏工作をして入れ違いにさせちゃったんですけどね」


テヘッ、と可愛らしく自分の頭をコツく柩。気持ち悪っ。そんな事をして許されるのはダリア様だけですわ。


「俺を呼び出して……一体何が目的なんだ?」


私は眉間にシワを寄せ、怒りを露にする。


「ん? 目的ですか? 『一隻眼』を倒した。十分な目的じゃないですかね? なんてったってアナタに勝ったと言うの名誉が手にハイるんですから」


「嘘吐くなよ。そんな自己満で動くタマには見えないぞ。……で、俺を呼び出してなんの用だ? 誰かに頼まれたのか?」


「あー、やっぱ分かります? ワタシ達、アナタを始末する為に雇われたんですよ」


その瞬間、冷気が、私の身体を通り過ぎた。


紛れもなくこれは殺気だ。間違いなくこの人達は最上ヤスユキを殺しに来ている。


「いやー、ホントスミマセンねー。折角吸血鬼との戦いで生き残れたのに。まあ家族へのユイゴンがあるなら聞いときますよ?」


殺気と一緒に同情されてしまった。既に最上ヤスユキは死んでいるから遺言なんて残せないが。


遺言……。遺言……ね。


最上ヤスユキの家族は、一体どんな気持ちになるんだろうか。


柩の言う通り、最上ヤスユキは吸血鬼の戦いでは生き残った事になっている。病院にいる時に家族にも私は連絡は入れた。凄く心配してくれた。


自分がとんでもなく罰当たりな事をしている気がする。いや、死人の存在を借りている時点でもう罰当たりなのだが。


ダリア様の為とはいえ、人の気持ちを無下にしている事を改めて認識すると……気が滅入ってしまう。


「ありませんか? 遺言ありませんか?」


ん? ん? ん? と柩が食い気味に聞いてくる。血気の皆無な顔付きに目の下のクマ。気息奄奄な印象を持ったが、そんな見た目とは裏腹にテンションが高い。


勝ちを確信しての態度か、それとも柩の性格か。まあ後者だろう。私には分かる。


そう、私には分かる。


目の動き、声の調、脈の速さ、息づかい、首の動き──とその人の持つ特有の癖を読み取り、心を見透かす。だからこそ断言できる。


これ以上の茶番は無意味だ、と。


最上ヤスユキが圧倒的に不利な状況にあり、柩達が圧倒的に優位に立っているこの状況を利用すれば良い情報を引き出せるかと思ったが、無意味だ。


こんな茶番で時間を要するより、私が反撃しながら一気に心を読んで情報を得てしまった方が早い。


ルシファーの未来透視は起こりうる未来を見るだけだから、細部の情報までの流石には透視できない。


例えば、今の状況だと柩達がそうだ。吸血鬼の主犯に雇われた暗殺者。それ以外の情報は無い。だから心を読んで情報を得る必要がある。


まあルシファー曰く、そんな情報は必要ないらしいが。予期せぬ事態が起きても誤差の範囲らしい。


だが、誤差は無いに越した事はない。


そういう訳で、無駄な芝居を打つ必要はない。それに、そろそろホームシックになってきたところだ。てかダリア様が本当に気になる。


因みに、ルシファーのシナリオをザックリと表すとこんな感じになる───


『一隻眼』は吸血鬼の戦いでは軽傷で済んだが病院へ。

『一隻眼』は魔眼の行使ができなくなり、魔力も消耗。

病院側は様子見の為に『一隻眼』を1日の入院をさせる。

病院側は『一隻眼』の魔眼は自然回復が一番の治療方法だと判断。

『一隻眼』は自宅療養の為に帰宅。

『一隻眼』の家族が変な奴ら(傭兵か暗殺者)に拐われる。

『一隻眼』は怒って変な奴らを倒しに行く。

『一隻眼』は変な奴らに敗北。


───見事にこの予知が的中している。この“変な奴ら”に該当するのが、言わずもかな、柩達だ。


メモ帳にはまだ続きがあり、私はこの後もそのシナリオに沿って行動すればいい。簡単明瞭な話だ。


このメモ帳、結構な文章量だが、ルシファーは未来透視をしてから書いている。あんな短時間で書く素振りも見せずに書ききってしまうのが、ルシファーのとんでもないところだ。


まあ余談はそれくらいにして、


「………」


私は服に付いた埃を払いながら静かに立ち上がり、しゃがんだままの柩を見下ろす。


「遺言……か。残念ながら残せないな」


「それはワタシ達に抗うおツモリですか?」


「まあ、そう取ってもらって構わない」


「そうですか……」


残念そうに肩を落とし、酷い猫背の柩が立ち上がる。抵抗なんて無駄なんだから止めとけよ、と言いたげな態度だ。


「魔眼を使えなければ魔力も無く魔法も使えない、と変な先入観を持ってるなら止めておけ。俺は強いぞ? 心して掛かって来い」


手首をクイッと動かして挑発すると、バンダナを深く被り直した獄が笑い声を漏らした。


「ひひっ! そうでなくちゃあ面白くねぇ───ッ!」


身を低くし、獄が突進してくる。中々の速さだが、私からすれば亀が歩いてるようにしか見えない。イサメの方が速い、とてつもなく。


獄は突進の最中に長い鉤爪を一瞬で装備し、私の喉元を正確に狙ってきた。



「───あぐぁ……!?」



避けるのも面倒なので、手刀で返り討ちにした。



鉤爪は粉々に砕け、手刀を脳天から喰らった獄は顔面を豪快に地面に叩き付け、小さなクレーター作り上げた。


「なっ……!」


柩は今まで絶やさなかった笑みを崩し、後ろに飛んで私との距離を取る。


妥当な判断だ。優位に立っていたと思っていた状況が覆ったのだから。私の今の一撃がそれを物語っている。


一般人より軽く摘める筈だった最上ヤスユキに軽くいなされた。柩の心中はそんなところだ。


「余力を残していましたか。オドロきです。獄クンがアッサリ返り討ちにあうなんて思ってませんでしたよ」


柩はそう言いながら右手を顔の高さまで上げ、指を2本立てた。


あれは何かの合図だろう。おそらく、未だにこの場に姿を見せない3人目に向けて発せられた合図だ。


最上ヤスユキの反撃を視野に入れていたのだろう。魔眼も魔力も使えないとはいえ、相手はクラスレジェンドなのだから警戒をしておくに越した事はない。


さて、何をしてきますのやら。


(あくた)クン、出番ですよ」


柩が右手を振り下ろし、突如として煙霧が床から立ちのぼり、辺り一帯を瞬く間に覆った。


かなり深い煙霧だ。視力が役に立たないくらいに深い。


私はその変化になんのリアクションもせず、相手の出方を伺───おうとしたが、深い煙霧に乗じて逃げれたらルシファーに馬鹿にされてしまう。私から打って出よう。


私は左手を軽く上げ、指を鳴らす形にする。


私が今からする攻撃方法は至ってシンプルだ。ただ指を鳴らした時に生じる音で衝撃波を起こし、周囲の物体を吹き飛ばす。それだけ。


音を出すなら拍手でも問題ないが、指パッチンの方がカッコいいじゃん、と私の中の私が囁いていたりいなかったり。


とりあえず、ご賞味あれ。


───が、私が指を鳴らそうとした丁度のタイミングで、前方に黒い影を確認した。その影は深い煙霧を掻き分け、ボヤけていた輪郭が鮮明になっていく。


獄だ。私がその姿を認識した時には、彼は既に私の眼前で鉤爪を振り被っていた。


「くたばれ───っ!」


迷いなく、吸い込まれるように、私の喉元に鉤爪が伸びる。


刹那。


パチン、と私が鳴らした軽快な響きがこの空間を支配し、


「ぐぁ……!」


獄が吹き飛んだ。



響きは室内に立ち込めていた煙霧は浄化させるように隅々まで晴れ渡らせる。その晴れた視界の先には、柩と獄、そして3人目が壁に叩き付けられた姿があった。


間髪を入れずにもう一度指を鳴らすと、3人は壁にめり込んだ。


「ぐっ……!」


柩が悲痛に似た声を上げながら、壁に貼り付いた身体を力任せに剥がし、身体を床に打ち付ける。


柩は身体を震わせながら、手を付いて立ち上がろうとしては挫き、足で身体を支えようとしてはやはり挫き、そんなおぼつかない動作を繰り返してゆっくりと立ち上がった。


衝撃波で吹き飛ばす事で肉体にダメージを与えたが、それだけではない。音波が柩達の身体を内から壊し、目には見えないダメージを与えている。それも相当なものを。


獄と3人目が壁にアートのように貼り付いたまま動かないのを見ると、柩との力量差が伺える。


「……アナタ、なんなんですか……?」


肩で呼吸をする柩のその言葉は、様々な感情が混じっているものだった。


「『一隻眼』がこれほどの力を持っているなど……そんな情報は聞いていません。クラスレジェンドに名を連ねたばかりではその実力もさほど驚異ではありません。例え全快であったとしても、ワタシ達3人が負ける通りは無いのです」


柩はそこで言葉を切り、深く息を吸って小さく吐いた。


「……アナタ、なんなんですか?」


と、2度目の問い。


「まあ、なんですか……ワタシの脳内では、アナタが『一隻眼』最上ヤスユキでは無いとの結論が出ているのですが……?」


「……ふむ」


私の変身は完璧に近い。状況次第だが、月を介して情報をかき集める事のできるルシファーではまず見破るのは不可能に近い。解析や分析の能力に特化したリュウでも困難を極める。


だからこの短時間で私を最上ヤスユキでないと答えられた柩は評価できる。まあこれだけの圧倒的な差を見せれば当然かもしれないが。


「どうしてそう思う?」


「……『一隻眼』は剣を好みます。なので、戦闘方法は剣を使ったの近接戦にカタよります。なのにアナタは……身体のどこにも剣を下げていない。それに指を鳴らすだけで衝撃波を放つコウゲキを使えるなどとは聞いた事がないし、何よりアナタの強さはアットウテキ過ぎます」


圧倒的。やはりそこに行き着いたらしい。


「……『一隻眼』から確実な勝利を得る為に事前から情報はシイれていました。が、アナタの力はその情報からあまりにも、大きく、イツダツし過ぎています」


柩は一息吐き、千鳥足で壁のアートと化している3人目に歩み寄る。


3人目の首から下がった飾り───金や銀の宝石を施したネックレスを手に取り、私に見せてきた。


「これは、古代遺産“開幕の狼煙≪イニティウム・フームス≫”。“叡智の結晶≪アルス・マグナ≫”の1つです……」


「“叡智の結晶≪アルス・マグナ≫”……だと?」


私は思わず眉を潜めた。


その言葉を知っていたので別に反応を起こす気は無かったが、最上ヤスユキの人格をコピーしている為に最上ヤスユキの仕草が表に出てしまった。


最上ヤスユキが息を呑む。あれはそういう代物だ。



古代遺産とは魔王に対抗する為に造られた道具や武器、兵器の事だ。中でも“叡智の結晶≪アルス・マグナ≫”は、その名の通り当時の叡智を集結させて造り上げられた群の事を言い、単騎での都市制圧を可能にさせると言う。


これは最上ヤスユキの知識に記載されていたものだから真偽の程は不明だ。実際に単騎で都市制圧ができるのかは効力を見た事が無いからなんとも言えない。


だが、あの数珠の古代遺産の原物も“叡智の結晶≪アルス・マグナ≫”に当たるかもしれない。都市制圧と言う意味では、精神操作で都市を丸ごとを操る効力がある。



「さっきの煙霧は……この“開幕の狼煙≪イニティウム・フームス≫”が発生させました。敵と判断した者にのみ視界遮断の……影響を与え、使用者本人には身体を霧状にまで……分解できる能力を授けます。つまり大気に紛れられるワケ……ですね」


柩は長台詞を弱々しい口調で漏らしながら、その場に座り込む。


「……よいしょっと。クラスレジェンドとはいえそう簡単に突破できるものではありません。しかし、アナタは意図もカンタンに無効化し、同時にワタシ達をチンモクさせた。リカイに苦しみます……」


柩はしばらく床の木目を眺めてから、虚ろに光る瞳を私に向けた。


「……アナタ、なんなんですか?」


と、3度目。


だんまりを決め込んでいたからそろそろ返さないと可哀想だ。だが1つだけ先に言わせて欲しい。


「お前、良く喋るな」


「喋るのがスきなんですよ……。時間を稼ぐ意味もありましたが……アナタを退くスベを何も持ち合わせていません」


諦めた様子の柩だったが、途端に顎に手を当てて宙空に視線を固定した。何かを閃いたらしく、だらしなく口が開いている。


「……1つ、ありましたね。まあ……退くスベではなく、アナタとタイトウになれる術ですが」


「ほう、なんだ?」


「ワタシ達の利用価値、ですかね。アナタならワタシ達を殺すのは容易でしょう。しかしアナタからは敵意も殺意も感じなく、それどころかワタシの長話にアイヅチを打ってくれていました。何か目的があると見ました」


柩は呼吸の為に一拍置き、


「……で、アナタ、なんな───」


4度目を言おうとしたが、私は右手を上げて制止した。


「雑な推論だったが、まあ判断力と決断の速さは評価しよう。お前は頭が回るみたいだ。確かに俺は最上ヤスユキではない。最上ヤスユキは既に死んでいる」


言って、私はまず首を270度回した。


ゴキッ、と骨が鳴り、次いで右足の関節を外し、左足の間接を反対に曲げる。更に次いで、肩、腕、手首の間接を外し、腰を360度捻る。


そんな人外染みた行為を何度か続けて、私の間接が正常な位置に戻った時には、


「───だからあなた達は無駄足を踏んだと、と言う事ですわね」


最上ヤスユキの姿では無く、その最上ヤスユキの容姿とは全く似つかわない私の姿があった。


清楚ッ! 美脚ッ! 巨乳ッ!


3拍子揃った完璧な姿。私の最も得意とする、言わばもう一つの身体だ。ダリア様の好みを兼ね備えた完全体……の筈、だと信じたい、気がする。


……そう言えば、この姿をお披露目したらダリア様が驚かれましたわね。


そう考えたらこの姿が憎たらしくなってきた。後でダリア様に褒められてメッチャ発光したけど。


因みに、あの人外染みたやり方でなくとも変身はできる。ただ柩に私の異様さを見せ付ける為だけにやった。


「……いやぁ、まさかこんな美人さんが化けていたなんて、にわかにはシンじがたいですねぇ」


柩が目を丸くして私を舐めるように観察している。


「ふふ。では早速、段取りとさせていただきましょう」


にこやかに微笑み、懐からベルを取り出して鳴らす。と、私の目の前に白くて丸い手のひらサイズの発光体が幾つか現れた。


発光体は、ぐにゃり、と粘土をこねるかのように歪み、四角い白いテーブルと椅子2つへと変形した。そしてもう一度ベルを鳴らすと、テーブルの上にティーセットを備え付けられた。


「さあ、どうぞお掛けになって下さいな。簡易的なものではありますが」


ティーカップに紅茶を注ぎ、机に置く。


「……これはまた、用意周到ですネ……ん?」


身体の異変に気付いたらしい柩は、自分の身体をあちこち触り出した。


「……治癒魔法ですか。マッタく気付きませんでしたよ」


「あの状態ではお話は弾みませんもの。あなたのお仲間さん達にも掛けていますわ。直ぐに意識も戻るでしょう」


柩から座る素振りが見えないので、警戒を解く意味で私から先に腰掛ける。


「さあ、あなたもどうぞ。大切な取引相手に、これ以上危害は加えませんわ」


「取引相手……ですか」


歯切れの悪い柩。強ばめたその表情は、苦汁を飲んだかようだ。


まあそんな反応を取るのも無理は無い。取引なんてする必要無いのだから。私が出した要求は飲まねばならない。それは決定事項だ。


今自分達を守るものは、自分達の利用価値しかない。


柩にはおそらく、まだ仲間がいると見ていいだろう。それに柩達を雇った国の重鎮である吸血鬼がバックにいる。他にもコネクションがあるだろう。


だが柩がそれを持ち出さないのは、私の得体が知れないからだ。晴れぬ懸念が渦巻いている。


『最上ヤスユキを殺害したのはこの人かもしれない』

『吸血鬼を始末し、あの公民館にいた300人を殺害したのはこの人かもしれない』

『もしかしたらワタシ達の依頼主が、情報が漏れるのを恐れてワタシ達を始末する為にこの人をこの場に向かわせたのかもしれない』

『ワタシ達の利用価値はなんだ?』

『強さといい変身能力といい、この人はイレギュラー過ぎる』


柩は私に恐怖を感じている。だから無駄な情報の漏洩は愚策と判断し、何も発言しないのだ。



柩が大人しく座ったのを見て、紅茶を差し出す。


「毒は入ってないので安心して下さいな」


「ど、どうも」


柩は紅茶を受け取ったものの、恐怖が先行している為か口に運ぼうとせず、私の顔をチラチラ見て、私の言葉を待っている。


私はマイペースを貫き紅茶を一口飲むも、だがしかし、早く話を終わらせなければダリア様の看病を出来ないので、早速話を始める。


「───ではまず、あなたが気にする、私が何者なのかをお教えしますわね。私については、ただの取引相手、とでも思っていただければ結構ですわ」


「ただの取引相手……デスカ」


と柩は復唱し、続ける。


「“ただの”……そんな人がこの場所に来るなんて思えませんがねぇ」


そんな含みのある言葉に、私は「ふふ」と見透かすように笑って返す。


「では早速、あなたに頼みたい事があるのですが……」


言って、私はチリンチリンとベルを鳴らすと、テーブルの脇に大きめの発光体が出現した。発光体は風船のように大人一人が入るくらいにまで細長く膨らみを見せ、破裂。


そして中から出てきたのは、1つの遺体───最上ヤスユキの遺体である。吸血鬼との戦闘で負った切り傷が幾つもあり、首と胴体が綺麗に横断されている。


「ご覧の通り、最上ヤスユキの遺体になりますわ。昨日の吸血鬼騒動で命を落としましたの」


「……この遺体は……本人みたいですね」


「本人ですわよ? 調べて貰っても構いませんわ」


「いえ、止めておきます」


柩は最上ヤスユキの遺体を一瞥し、私に向き直る。警戒している証拠だ。気を抜いてはいけない、と柩の心の声が聞こえる。


何せ柩の向かいに座る私は得体の知れない相手なのだから。


「ふふ。では、最上ヤスユキの首は柩さん達に差し上げますわ。それが依頼主からの仕事内容なのでしょう? 無事に依頼達成で何よりですわね」


「……それだけですか?」


「まだありましてよ? あと、私の存在は伏せたままにしていただければ助かりますわ」


「その言い方だと、アナタの事をバラしても良いのように聞こ───い、いえ……聞かなかった事にしてクダさい」


「賢明な判断ですわ。なるべく水面下で行動したいんですの」


私が放ったドス黒い殺気に当てられ、柩は顔を真っ青にして視線を反らした。


「それにしても、あなた達は結構深く今回の件に関わっていますのね」


そこで私は間を置く。


柩の視点が私に戻ったのを確認してから椅子に座り直し、紅茶を片手に妖艶に微笑みながらジッと柩の瞳を見据え、


「……“第一王子”の依頼は全て破棄し、私に雇われません? “陽を喰らうもの(イクリプス)”の副団長さん」


「……アナタは、いったい……本当になんなんですか?」


柩のその表情、鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔は、かなり印象的だった。



 ☆



私は、屋敷に戻ると直ぐにダリア様の所へ向かった。


場所は5階。大理石の床が足下に伸び、白いタイルが壁を敷き詰めている。壁は所々窪んでいて、その中からに備えられた間接照明が淡い光を灯していた。


そんな廊下を突き進んで行くと、分厚い扉の前に到着した。シンプルな色合いの扉だ。


1度深呼吸をしてから、ドアノックを鳴らす。


「……失礼しますわ」


忍び込むように入る。と、屋内とは思えない、ここだけ世界が切り離されたかのような、幻想的な空間が広がった。


例えるなら、太陽が顔を見せたばかりの雲の上の世界。


天井には星のようなものが浮かび、下を見ればまるで雲の上に立っているような錯覚を起こす。屋内だと言うのにそよ風が吹き、奥には太陽らしきものが見える。


この部屋はそこまで広くはないが、この壮大さを見ると空間認識が麻痺してしまう。


部屋の中心にはベットが置かれ、それを見守るようにして4人の影がベットを囲んでいた。


4人。ルシファーの使役する三天使と、後の1人は床に膝をつき、ベットに寝た人物の手を───静かに眠るダリア様の手を握っていた。


その背中を、私はとても小さく感じた。彼女の背丈と反するように、とても小さい。


私はダリア様に歩み寄り、その背中に話し掛けた。


「ナイト、ダリア様はどんな感じですの?」


「極めて良好だよ、うん」


そう軽い口調で答えたのはナイトではなく、ベットを挟んだ向かい側に立つ、長い金髪を後ろで1つに結った長身の男天使───ガブリエルだ。


背に生えた翼は大きくが広がり、腕に走った稲妻模様の刺青が光っている。ダリア様に治癒魔法を掛けているみたいだ。


「命に別状は無いよ」


自慢気にガブリエルは言い、ダリア様の額に手のひらを乗せている女天使が言葉を繋げる。


「なぁに、直ぐに目を覚ますじゃろうて。肩のキズも塞がっておる。安心せい」


水色の髪でお下げをつくり、和服のようなドレスを着た彼女はミカエル。喋り方が特徴的だ。


彼女もガブリエルと同様に翼を大きく広げていて、頭の上の水色の光球から流れる光の粒でダリア様の身体を包んでいる。


それでもリュウは舌を噛みきろうとしたり、頭を壁に打ち付けたりして暴れた為、ルシファーがリュウに対して行動の制限を掛けた。


そして、


いらない子なんて必要無いでしょ?

ボクに価値なんて無いんだよ?

なんで死なせてくれないの?


リュウは自分の存在意義についての問いを投げつけ、それに他の代行者達が答える形の長い問答が繰り広げられ、最後はリュウが折れて言葉を発するのを止めた。


その時の問答でナイトも自分の存在意義を、正義を失い、答えをすがるようにダリア様の側から離れなくなった。自分はいったいなんなんだろう、と。



イサメは話を終えると、焦点の合ってない目線を天井に固定した。


「……こんな時の対処法を、わたくしは持ち合わせておりません」


イサメの言葉は誰かへ答えを求めるように聞こえたが、それに私が答えられる訳も無く、その言葉は行き場を無くして宙へと消えた。



次はどう言葉を切ろうかと互いを見合わせる中、私がその役を買って出た。


「……お2人はダリア様の看病をするべきですわ」


「しかし……」とイサメ。


「いいから行って下さいな。リュウは私が見ておきますわ」


「………」


イサメは無言のままお辞儀を1つし、踵を返して廊下の角に消えて行た。


「ルシファー、あなたも行きなさい」


「んだとコノヤロー」とルシファーが喧嘩腰に片眉を上げる。


「お前まさか、俺がリュウの部屋に入るのをビビってるとか思ってんじゃないだろうなぁ? ん?」


そう言いながらルシファーは天使の翼から羽根を1枚抜き、私の顔を叩いてきた。


「空元気ですの?」


「ばっかテメー。俺はいつでも元気だよ。あり余ってどうしようかと思ってるところよ」


「じゃあリュウを励ますのも訳ないですわね」


扉を開けてルシファーの腕を掴んで中に引きずろうとすると、


「あ、待ってシロ待って。準備があるんだってば」


ヘタレかこいつは。


部屋に入るの抵抗するその姿は、さながら、注射を打つ前の駄々をこねる子供だ。まあ容赦無く引きずり込んだが。


ルシファーの腕を引きながらドアを潜ると、そこは殺風景な部屋だった。照明は点いてはおらず、月明かりのみが部屋を照らしていた。


部屋の真ん中には球体をくり貫いた形の揺りかごがポツリと置かれ、その中に抱き枕があるだけ。他には何も無い。寝るだけの部屋だ。


視線をスライドさせると、部屋の隅に、影の一番黒い場所に、月明かりから逃げるように、リュウが踞っていた。


リュウは膝を抱えて顔を伏せたまま微動だにしない。


虹のように鮮やかに光っていた銀髪が色素が抜け落ちて白へと染まり、リュウが帯びていた柔らかい独特の雰囲気は、死を呼び寄せていそうな不快なものに変わっていた。


直視したくない程、無惨な姿だ。


リュウの状態の確認を終えると、リュウと壁の隙間から何か黒い小さな影が出てきた。


「帰ったかシロ。お帰り」


コロネだ。影が濃い場所にいる為、その赤い瞳が暗闇の中にぼんやりと浮いているように見える。


「ただいま帰りましたわ」


「ルシファーもようやく来たか。昨日からずっと部屋の前を右往左往してたよな、お前」


「バカヤロー。お前、それじゃあ俺がストーカーになっちまうだろうが」


「……で、コロネがリュウを見ていたんですの?」


「ああ、ずっと見張ってるぞ。見てないと何をしでかすか分からないからな」


とその時。私の横を、ルシファーが通り過ぎて行った。物凄い速さの競歩で。



「おーっと手が滑ったぁああ!」


明らかにわざとな感じで、リュウの頭に平手打ち喰らわせた。


「………」


リュウは全く動かず、沈黙で答える。


「あのーリュウちゃん? もしもーし、聞こえてないのかなぁ?」


「………」


「おいゴラ。チビ助、面を上げろ。でなきゃテメーの角をへし折るぞ」


「……うるさい……」


「マジごめん……」


ルシファーはリュウの一言で制され、覚束ない足取りで戻ってきた。


ルシファーの象徴であり、いつも雄々しく自己主張している六翼が、その一言で情けなく萎れてしまった。


短い会話だったが、唯一発したリュウのその一言は、私が今から送ろうとした励ましも説得も無意味だということ痛感させた。


空気が重い。この部屋だけではなく、屋敷全体が重い。


今を変えられるとすれば……やはり、


「ダリア様が……お目覚めになるのを待つしかないですわね」

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