休日は暇のようで案外忙しい
突然だが、休日ってのは暇である。長期なら尚更だ。
宿題はやってしまったし、家事はイサメが全てやってしまっている。やるべき事が無い。なんもない。
趣味がない俺にとってやる事と言えば……勉強、昼寝、漫画───といった感じで、とてもバリエーションに富んでいる。あと泣けてくる。
でもまあ、暇だが……夏休みも残り1週間を切ってしまったカレンダーを見て、無意識に溜め息が出た。
なんせ学校は苦痛だからな。自分では図太いと自負しているが、やっぱり悪口とか無視は心にくる。
アーヤダナーヒキコモッテタイナー。
ふと時間を確認すると、11時を回っていた。そろそろイサメが昼食の準備に入る時間だ。
ゴロゴロと漫画読んでるのもアレだし、手伝おうかな? なんせ今の俺は紛れもなくクズに近い存在だ。
部屋ではぐーたら。
家事は人任せ。
お外には出ない。
そして、ヒモ。
そう。ヒモ。
ワンモア、ヒモ。
ヒモヒモヒモヒー。
軽くゲシュタルト崩壊を起こしてしまった。
恐くて聞けてないが、ナイトの稼ぎがとんでもないらしい。しかもこの屋敷は水道も電気も自分達で賄っているとの事。アパートの家賃も半年先まで払ってしまったとか。
あと、この屋敷には家賃なんてものも存在しない。まあ魔物の巣窟に家を建てる奴なんていないよな、普通。
これでは俺は親から仕送りしてもらってるのに出費が無い。このまま頼りきりなのは良くないのではないか?
俺は考え、手伝える事は何か無いかと、とりあえず厨房に足を踏み入れる。
「………」
イサメが黙々と調理に勤しんでいた。
あまりの迫力に声を掛けられないでいると、イサメがこちらに気付いてくれた。
「ダリア様、どうされましたか? 昼食なら12時になりますが……」
「あ、うん。なんか手伝おうかな、って思って」
「なっ!? お、お気持ちは嬉しいのですが、お怪我をされては困りますし……」
複雑な表情であたふたするイサメ。
不器用だけど一応2年と数ヶ月は自炊の経験あんだけどな。怪我も全然気にしないのに。
右往左往するイサメを見ていたら、天井から何かが降りてきた。羽のようにフワリと華麗に着地したのは、ナイトである。
ナイトの登場にはまだ慣れない。いきなり空間転移で現れるんだもの。
「じゃあダリア様、ボウリングしましょうよ! 一緒にボウリング!」
「ボウリング?」
キラキラと目を輝かせるナイトに、首を傾げて答える。
それは王都に遊びに出るという事か? それじゃあ時間が掛かって昼食に間に合わないよな。でも屋敷にボウリング場なんて無いし……やっぱり王都か。
「どうですか?」
ナイトは腰を曲げ、目線を合わせて聞いてくる。
「それは……つ、つまり、アレか。王都で……」
口に出しにくい単語だが、意を決して唱える。
「……デート、みたいな?」
ナイトが爆発した。
頭が。
───イサメに聞いたが、どうやら屋敷の一角をぶっ壊してボウリング場を設けたらしい。ナイトはそこでボウリングをやろうとしてたみたいだ。
しかし俺の呪文で再起不能になってしまい、ボウリングは中止となった。
イサメはイサメで首を縦に振らなかった。頼めば手伝えたかもしれないが、ぐいぐいと攻め込めない性格上、俺は厨房を後にするという結果に終わった。
いまだに慣れない高級感溢れる長い廊下を歩きながら高い天井を見て、ふと外に目をやる。
ルシファーが麦わら帽子を被って庭園の手入れに没頭していた。しかも俺に気付いて一礼してきた。いったいどんな感覚してるんだ、あの堕天使。
そういえば、シロとの絡みが一番少ない気がする。どこにいんだろ。
「コロネいる?」
「ああ」
近くに飾られた壺の中から黒猫が出てきた。この猫さんも独特な現れ方するよな。
「シロってどこにいるの?」
「シロか? こっちだ」
左右に揺れる尻尾を目で追いながらコロネに付いていくも、直ぐに足を止めた。
「この部屋に彼女がいる」
「ありがとう。入っていいのかな?」
「喜ぶだろうな」
「そ、そうなの?」
「喜ばない方が不自然だ」
俺が来たぐらいで喜ぶ方が不自然だと思うけど。まあ、入っていいなら入ろう。
引き手に手を掛けたところで、いや待てよ、と脳が囁いた。
用も無いのに来たら迷惑じゃなかろうか。俺はなんとなく来ただけ、談笑しに来たとかではない。来るなら来るで何かあった方が良いんじゃないか?
手をこまねいていると、コロネが不思議そうに聞いてきた。
「どうした?」
「あ、いや……考えてみたら、シロに用がないんだよね」
「なぁに、気を使う必要は無い。ダリア様が足を運んでくれたのだから、シロは発狂───いや、発光ものだろう」
「そ、そうか」
発光すんのか。なんか眩しそうだな。
まあ、大丈夫ならいいかな。とりあえずノックしてみよう。
「あの、もしもしダリアです。シロさんいますか?」
ドアに向かって呼び掛けると、
「うっわ、まぶっ……!」
メッチャ光った。
建具と枠の隙間から溢れる光がメッチャ眩しい。なんだコレ。中で何してんだよ。
あまりもの眩しさに目を半開きにしていると、しばらくして光りが止み、ドアが勝手に開いた。
「……どうなさいまして?」
若干うわずった声で、中からシロが出てくる。
裸の等身大の人形を白1色で塗り潰し、モデルのような細身に、のっぺらぼう。それはもう、シンプルの結晶とでも表現したくなるくらいにシンプルで白い。
とにかくシンプルで白い。シロはシンプルで白いんだ。
突然だが、俺の頭は混乱している。
「……えっ?」
シロを見て、俺は言葉を失った。だって中から出て来たのはシロではなく、全く別の、俺の知らない女性だったのだから。
俺の目に映ったその女性は、整った顔があり、しなやかな髪が流れ、清楚とお洒落が同居したようなお嬢様っぽい服を着ていた。
誰だこの人。
バッ、と勢いよくコロネに顔を向ける。コロネに目の前の女性が誰なのかを聞く為だ。
……いや。聞かずともなんとなく察しは付く。目の前にいる女性はシロだろう。
変化系の魔法に化ける魔法があった気がする。多分シロはその系統の魔法を使って変身しているんだろう。確認の為だ。
「あの……コロネ? この人って……」
「シロだ」
あっさり返された。やっぱこの女性はシロであってるみたいだ。
「シロは少々特殊な類いの魔法が得意でな」
「うふふ。どうやらサプライズは成功みたいですわね」
シロは得意気な顔をし、クルリとその場で1回転をした。
「どうかしら? ダリア様の好みを掛け合わせたこの容姿ッ! 清楚で美脚で巨乳ッ! これ以上ないってくらいの完成度だと思いますの」
シロはこれ見よがしに胸を持ち上げたり、スカートをヒラヒラさせて美脚を披露してくる。
清楚な人はそんな下品な事しないと思いますの。
てかいつの時代の好みだよ、それ。多分小さい頃の好みだろうが、覚えてない。
しかも俺のタイプが清楚で美脚で巨乳って、3分の2が下心剥き出しじゃねーか。俺はもうちょい謙虚だよ。鎖骨から谷間がマイブームだよ。
「どうですの? 感想をお願いしますわ」
言いながら、シロがスカートをヒラヒラさせて懇願してくる。
「……因みにシロだが」
その様子を半ば呆れた感じで傍観していたコロネが、急に語り出した。
「緊張のあまりにこれまでダリア様に距離を置いた位置までしか近付けず、何か緊張を和らげる手がないものかと日夜葛藤と戦い、ようやく巡ってきたこの対面も───見ての通りテンションに任せて荒ぶっている」
「そ、そうか」
「見ろ、シロの瞳のハイライトが濁っている。それが証拠だ」
「ちょっ、何をワケの分からない事を言っていますの!? 緊張なんてそんなもの……」
シロと目が合った。確かにハイライトが濁っているような気がしないでもない。
「う"お"っえ"ぶっ……う"え"っ……!」
目があった瞬間、シロが物凄い勢いでむせた。四つん這いになっておもむろに口元を手で覆う。
「ごふっ……おえ……っぷ……」
なんだよそのリアクション。目が合っただけで舌打ちとか悪口ならされた事あるけど、そのリアクションは初めてだわ。
ある意味ショック。
「……懺悔しますわ」
なんかシロが懺悔するみたいです。四つん這いのまま。
「私、シロこと白井さんは、ダリア様の近くにいるだけで緊張のあまり脈が倍速するほどの愚か者ですの。心を操作するのに長けた私が自分の心に惑わされるなんて……情けない話ですわ。
……でも聞いて欲しいんですの。今むせてしまったのは、別にダリア様を愚弄するものではなくって、溢れ出る後光にやられてしまっただけですわ」
シロは生まれたての子馬みたいなおぼつかない足で立ち上がり、口から垂れたヨダレを親指でカッコ良く払う。
もはや清楚のせの字も見えなくなってきたな。
とその時である。俺の右手が少女のような小さな手が優しく握ってきた。見ると、
「お、はよう……」
掠れた声で、リュウが眠そうな目を擦りながら俺を見上げていた。寝巻なのは寝起きだからだろうな。
「あ、うん。おはよう」
「……ダリア、あそぼ? トランプやろ───」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい!」
リュウの遊びの誘いをシロが遮り、眉をしかめてリュウを指差す。
「ダリア様は今、私とお話の最中ですの。もう少し待っててもらってもヨロシクて?」
「……お話? ダリアぁ、ボク、邪魔……?」
「いや、邪魔じゃないけど、着替えとか顔を洗ったりしてきたら?」
俺がそう答えると、リュウは小さく頷いた。
正直ね、君の寝巻が着崩れして目のやり場に困るんですよね。まあ俺はクールでポーカーフェイスでニヒルに黄昏たりするのが十八番なのでどどど動じたりなんかしないが。
目が泳いでるなんて、べべべ別にそんな事はないのだよ。
「……ん、分かった。着替えて、くる……」
リュウは踵を返し、小走りで廊下の角に消えていった。
「あぅ……!」
角を曲がった時にコけたみたいだけど。大丈夫かな。
リュウを見送ったのを見計らい、シロが、
「……ふ、ふふふ。本題に戻れますわね」
キメ顔で発光した。眩しい。目がショボショボする。
「この失態を置いておくワケにはいきませんわ! ダリア様、無礼を承知で言わせてもらいますけれど、昼食までの時間を私に下さい」
「えっ、なんで?」
「私とゲームを行ってもらいたいのですの。それで私の本力をご覧に入れて差し上げますわ。私の実力を垣間見れば、きっとダリア様もお喜びになってくれる筈」
「へ、へー。ゲームって、何?」
「んふふ」
良くぞ聞いてくれました、的な笑いと表情をするシロ。たっぷりと間を置き、叫んだ。
「隠れんぼですわ!」
「か、隠れんぼ?」
シロが大仰な事を言うからどんなゲームを仕掛けてくるのかと身構えていたら、普通に庶民的な遊びだった。
やってもいいけど、こんな広い屋敷で隠れんぼなんてしたら、捜し出すのに昼食までどころか1日は時間掛かるよな。それは勘弁願いたい。
「べ、別にいいけど……隠れる範囲絞らない?」
「心配いりませんわ。隠れんぼと言っても、一般的な隠れんぼではありませんの。ルールは……」
シロが説明しようとすると、それに重なるようにして足音が聞こえてきた。
「───隠れんぼ……面白い話ですね。なら、シロが負けた場合の罰を設けてはいかがです? それならばシロも俄然やる気になるでしょう」
静かな足取りで、六翼の堕天使、ルシファーが爽やかな笑顔でやって来た。
「罰……?」とシロは首を傾げ、直ぐに得意気な顔に戻す。
「ふふっ、上等ですわ! 要は私が負けなければ良いだけの事。乗ってやりますわよ!」
ルシファーに向かってピシッと指を差すシロ。隠れんぼに対する意気込みが伺える。
「それで、罰はなんなんですの? ダリア様が相手とはいえ全力で参りますので、負けはあり得ないですけれど」
「とシロが自信ありげに言っていますが、罰は何に致しましょうか?」
ルシファーがいきなり俺に話を振ってきた。罰とか急に言われても何も出てこないんだけど。
なので、「ま、任せる」といい加減な返事をしてしまった。
「分かりました。では私が代わりに」
そう言ってルシファーは頭をグルリと回して考えるような仕草をし、何かを閃いたのかシロに顔を戻した。
「じゃあシロ、隠れんぼで負けたら、今日1日ずっとゴライアスオオツノハナムグリに変身な」
ゴライアス……え、何それ?
閑話休題。
それでは、隠れんぼのルールを説明しよう。
30体ほど彫像を用意するから、その中からシロ本人を捜し当てろ、との事だ。
さっきの変身を見て分かる通り、シロは自身の性質や状態を変化させるのが得意で、分析能力に優れているらしいリュウでもシロを判別するのは困難を極めるらしい。
でもリュウのその分析能力がどれくらい凄いのか分からないので、シロの擬態能力がどれくらい凄いのか見当がつかないが。彫像と言うからにはパントマイムに自信があるんだろうな。
更にルシファーがルールの追加を提案。
「ダリア様、サイコロを振っていただけますか?」
「ん、なんで?」
「出た目の数だけ解答出来る、といった制限をかけた方が楽しめるかと」
「あ、うん。そうね」
俺は二つ返事で了承する。
えーと、つまり1の目が出たら1回しか答えられないから結構絶望的な確率になるわけだな。3%ぐらいの確率か。低いな。
「シロも異論は無いな?」
「意義無し、ですわ」
ルシファーの問い掛けに、ドアの向こうからシロの声が返ってくる。
シロは現在、自室で隠れんぼの準備中だ。なので俺達は部屋の前で待機している。
ルシファーからサイコロが手渡され、俺は近くにあった花瓶置きのテーブルの上に転がす。
回転が止まり、サイコロから解答数が告げられる。その出目は5。俺は5回の解答権を手に入れた。
「もう準備オーケーですわ」
丁度のタイミングでシロから合図が飛んできた。
部屋に入ると、
「うお……」
圧倒的な輝きの白色の部屋に一瞬目が眩んだ。少しだけたじろいだ後、部屋を見回す。
白一色の部屋だった。いや、窓はあるから白一色でもないが、にしても辺り一面真っ白だ。
で、俺の眼前には幾つもの彫像があった。土台の上に置かれ、彫像の全てが通常時のシロの形を型どっている。美術館にありそうな光景だ。
彫像達は胡座をかいたり、仁王立ちしたり、逆立ちしたり、と様々のポーズで姿勢を保っている。それは正に不動で、ピクリとも動かない。
この中からシロを捜すのか。骨が折れそうだ。
そんな事を心中に呟く俺の隣で、ルシファーが口を開いた。
「5回も解答権がありますが、ダリア様なら1回で十分でしょうね」
「いや、それは無理なんじゃ……」
「論より証拠です。直ぐに分かると思います」
論より証拠……ねぇ。あれだけ得意満面に断言してたんだから、1発正解は難しいだろ。運に任せても3%だし。
やるからにはシロ本人を当てたいけど、全く見分けがつかない。全部彫像に見える。
とりあえず一番近い彫像に近付き、見上げる。……やはりただの彫像にしか見えない。
試しに足に触れてみると、人肌みたいに柔らかくてビックリした。一瞬この彫像がシロ本人かと錯覚してしまった。
他の彫像を調べたところ、それも彫像とは思えない質感と柔らかさだった。彫像って聞くと硬いイメージしか持ってなかったから、なんか新鮮だ。
最初の1回くらいは適当に選んでみようかな、と考えながら隣の正座をしている彫像へと移動し、調べようとすると、
「……ん?」
気のせいか、ほんの少し動いたように見えた。俺はなんの気なしに膝小僧をチョップする。
「ひ……っ!」
反応が返ってきた。彫像の背筋がビクンと跳ねたのだ。
アレ……これ、本人じゃねーの?
俺は疑惑の目を向けながら彫像の正面に立ち、今度は彫像の膝の上に置かれた手に俺の手を重ねてみる。
「あぁ………っ!」
彫像は奇声を上げながら土台から転げ落ち、自動的に俺が勝利になるという呆気ない幕引きでゲーム終了。
で、宣言通りシロがゴライアス……ってのになった。
ゴライアスなんとかって虫なんだな。勉強になったよ。役に立たないけど。
「───こちらでしたか、ダリア様。昼食のお時間にございます。冷めてしまう前にどうぞ」
金髪メイドが昼食の鐘を鳴らしに来たのは、それから直ぐの事だった。
☆
ふと俺がリンゴが食べたくなったのは、おやつ時である昼下がりの頃だった。
イサメとナイトは買い物に出ていて屋敷にはいない。
ルシファーは地下に大図書室を造るとか言って屋敷の真下に空間を掘り広げている。なんでも、自分の部屋に本を置きすぎてスペースが無いんだとか。
外に出てないのに本って買えるの? と聞いたところ、ナイトに大量買いさせてるとの事。なるほど。
シロはゴライアスなんとかかんとか。
で、今、俺の部屋にいるのは、ベッドに座るリュウと揉みくちゃにされているコロネだけだ。
リンゴ……確か冷蔵庫かどっかに置いてあったよな、と記憶を手繰り、向かおうと漫画本をベッドに投げて立ち上がる。
「……あぅ!」
ベッドに座っていたリュウに漫画本が直撃した。慌てて振り替えると、リュウが涙目で額を抑えている。
「え、何ぃ……?」
「あ、ゴメン……癖でつい。いや、君にぶつけるのが癖なんじゃなくて、ベッドに投げるのが、ね?」
わざとじゃない事を目で訴えると、リュウは許してくれた。
「うん……大丈夫だよ。どこ行くの?」
「ん? 厨房」
「ボク、も」
よいしょ、とリュウもゆっくりと立ち上がり、俺とリュウは厨房へと移動した。
厨房に着くと、俺は棚から果物ナイフと皿、冷蔵庫からリンゴを取り出す。そして俺達は俺の部屋にUターン。
「……ねぇダリア、鬼ごっこ、しよ?」
リンゴの皮を剥いていると、リュウがなんか言ってきた。
「鬼ごっこ?」と俺は頭上にクエスチョンを浮かべる。
「……うん、鬼ごっこ。ボクが追っかける」
「リュウって運動得意なの?」
「……得意だよ? ボク、速いよ?」
「へー」
俺は全然信じてないのでざっくばらんに返すと、頬をぷくっと膨らませて不機嫌になってしまった。
「……む。本当、だもん……!」
まあまあ、と機嫌を取るために切れたリンゴをなん切れか皿に乗せてリュウに差し出す。すると、俺に向かって口を大きく開けた。
「え、何してんの?」
「……あーん」
「え?」
「……あーん」
つまり食べさせてって事か? マジかよ。俺には難易度たけーよ。絶対手が震えるよ。
「……じゃあ、鬼ごっこしよ? ボクが勝ったら、あーん、して……?」
「え」
「ダリア、さっきからそれしか言ってない……。じゃあ、ボクが負けたら言うこと聞くよ……? なんでも」
「え、な、なんでも?」
「うん、なんでも……」
なんていかがわしい単語を使ってきやがるんだ、この銀髪娘は。
しかしまあ、俺はリュウには負け続けてるから1回ぐらいは白星を付けておきたい。
リュウは時折、遊ぼうと言って勝負を仕掛けてくる。と言っても鬼ごっこみたいに身体を動かす遊びではなく、チェスやオセロ、トランプといったテーブルを囲んで座りながらやる遊びだけだ。
俺も暇な時が多かったので何度も勝負に応じたが、俺はリュウに1勝も出来ていない。ぶっちゃけ完封に近い負け具合だ。
だが今回、リュウは提案してきた。鬼ごっこを。
足を動かし、
腕を振り、
体力を使う。
子ども達の屋外における、最もポピュラーな遊びだ。
それを、リュウが仕掛けてきた。
あのリュウが、だ。
とりあえず数歩歩いただけで転倒。
何も無いところで転倒
階段からも転倒。てか転落。
歩く時は怪我人みたいに地面を擦るように歩き、口を開けば『抱っこ』か『疲れた』の一言。体重4kgほどのコロネも重いと言って数秒で下ろす。
そんな彼女が運動が絡む遊びを所望してきた。
勝ちフラグ確定の勝負を受けるのは気は引けるが、勝負に乗ってやろうじゃないか。断ったら断ったでリュウが悲しそうな顔するしな。
「分かった。鬼ごっこやるか」
「うん……!」
「で、どこでやるの? やっぱ外?」
「ん……どこでも、いいよ?」
それ一番困るんだけど。
「じゃあ、そうだなぁ……」
俺はリンゴを一口かじり、窓の外に目をやる。
今日も今日とで外は暑そうだ。屋内だったら廊下だろうと冷房効いてる場所がほとんどだから、屋内でいいんじゃないだろうか。
「ちょっと鬼ごっこ出来そうな場所探すか」
「うん、分かった」
立ち上がり、俺は部屋を出ようとする。
「おっと……!」
果物ナイフをテーブルの上に置いたままだったなのを思い出し、果物ナイフを回収。
片付けておかないとイサメが怒るからな。
☆
俺達が今居る場所は、屋敷に隣接した別館の玄関ホール。そこで俺とリュウは並んで立ち、目の前には金髪メイドことイサメが淑やかに佇んでいる。
なぜイサメがいるのかと言うと、鬼ごっこが出来そうな場所を適当にブラブラしながら探していたら、買い物帰りのイサメとナイトに出会したからだ。
それで鬼ごっこの事を話したら、「何かあったら危険です」と言われ、イサメが付いてきた。
ナイトは暑いし疲れたし汗は谷間に溜まるし汗臭いし服は汚れたし空は青いし、とか言ってシャワーを浴びに行っている。
「───では、鬼ごっこのルール説明を、僭越ながらわたくしがさせて頂きます」
そうイサメは前置きしてから、一本調子だが懍とした声調で説明に入る。
「鬼はリュウ殿。ダリア様にはリュウ殿から一定時間逃げて頂きます。制限時間は60秒。開始地点ですが、ダリア様が最上階、リュウ殿は今立っているこの場所からのスタート。宜しいですね?」
「うん」と俺は返し、
「分かった……」とリュウも頷く。
イサメの言った最上階というのは、文字通り最上階である6階の事である。
この玄関ホールだが、凝った造りをしている。リュウのスタート地点である1階から俺のスタート地点である6階まで床も天井も無く、連続したスペースとなっている。吹き抜けと言うやつだ。
1階から6階までぶち抜かれているので、それぞれの階に移動出来るように折れ曲がった階段が幾つも設けてある。あと螺旋階段もある。
俺は長い階段をヒイヒイ言いながら登り切り、胸まで伸びた落下防止用の手摺に寄り掛かって1階を見下ろす。
見上げた時はこの開放された空間に吸い込まれそうだったのに、見下ろすと高過ぎて足がすくむな。これはこれで吸い込まれそうだ。
見下ろしていると、どこから持ってきたのか、イサメがやたらデカい重そうな銅鑼を涼しい顔で引っ張って来た。
「わたくしが銅鑼を叩きますので、それが鬼ごっこの開始と終了の合図となります。宜しいですね?」
イサメが最後の確認を取ってきたので、俺は軽く頷いて返す。
60秒……か。へへ、チョロいな。俺だって登り切るのに結構掛かったんだから、リュウが走ったとしても……まあ絶対追い付けないだろうな。
それに魔法による身体強化は無し。素の身体能力での勝負だ。7歳児同等とはいえ、ハンデを貰ってるのだから華奢な銀髪少女に負ける通りなどない。
……まあ、懸念があるとすれば、リュウの頭から伸びた角と尻から生えた尻尾がとある種族に酷似してい……いや、止めておこう。例えそうだったとしても、この距離を詰めるのは無理だろう。
俺は呑気に、悠々と、背伸びをしながら脱力して構えていた。
だが、俺は見てしまったんだ。
リュウが真剣な形相で軽くジャンプしたりストレッチをしているのを。
「では、参ります」
イサメが橦木を振りかぶった瞬間、リュウがただならぬオーラを纏ってクラウチングスタートの姿勢に入ったのを。
そして鳴らさせた、ゴォン、という銅鑼特有の音は、6階にいる俺の頭をつんざき、一瞬視界が揺れた。
うっさ! 銅鑼って頭ガンガンするな。
「……あれ?」
揺れた視界は直ぐに戻り、1階に顔を戻すと───そこにリュウは居なかった。そう、居ないのだ。
「ちょ、ちょちょちょっ……」
え、どこ行った? 消えた? あれ? 俺は予想外の事態に首を勢いよく左右に振って1階を見回す。
不意に1階のイサメと目が合った。イサメは俺がリュウを見失ったのが分かったのか、手を動かしてリュウの居場所を教えてくれた。
場所は……え、3階? 可笑しくない?
まあ、端的に言おう。僅か数秒で、リュウは3階の踊り場まで迫っていた。いやマジで。
リュウはいつもの病弱っぷりから想像が出来ない程の速さで、風を切るかのように軽快な走りをしていた。感動するくらいに。
あの長い銀髪が床と平行になっているのだ。いやマジで。
ペースを保ったままリュウは4階に続く階段に差し掛かり───飛んだ。そう表現させるぐらいの勢いで、颯爽と階段を駆け上がり始めた。
もう、ね。軽く6段ぐらいは飛ばしてるんじゃないかな。
見とれていると、リュウはあっという間に5階に到着。そこでリュウは更にブッ飛んだ事をしでかした。
5階に到着するやいなや、おもむろに手摺の上に立ち、
「とぅ……!」
可愛らしい掛け声で、
リュウが飛んだ。
いや、マジだって。
その跳躍は高さ4mはあろう6階の床にまで届き、アクロバティックに身体を捻らせ、俺がいる6階に足を付けた。
「……ダリア、あと30mくらいだよ?」
リュウがそう告げてきたことで、俺は理解した。
あ、やっべ。早く逃げないと捕まるじゃん。
普段のリュウからは掛け離れた動きに思考が停止して行動が遅れたが、俺は急いで逃走を開始した。
しかしどこに逃げる? 高低差の不利は否定されたし、長い廊下に逃げたら絶対追い付かれそうだ。曲がり角が多い場所も……まあ無理だな。俺が足を挫きそうだ。
……いや待って、これ負けんじゃね? 嘘だろ。
か、活路はないか? なんかないか?
「───ダリア様、残り40秒になります」
唐突にイサメが残り時間を教えてきた。しかもその声が発せられたのは、1階からではなく6階から。
顔を向けるとイサメが懐中時計を片手に、隅に飾られているなんか良く分からない形の像の上に直立していた。
いつ上がって来たんだよ、とか思ったが、逃げるのに集中しなければならなかったので、直ぐに頭を無に切り替える。
何も考えずに螺旋階段に向かい、駆け下りる。転ぶと怖いからちゃんと手摺に捕まって。
駆け下りる。
駆け下りる。
ひたすら駆け下りる。
目が回るな、これ。
3階付近まで来たところで、背後から気配が近付いて来た。
「……諦めるんだよ、ダリア」
リュウである。
背後に顔を向けると、眼前までリュウが迫っていた。しかもこの銀髪娘、また斬新な追い方をしている。
手摺の上を器用に滑り降りているのだ。さながら、ビッグウェーブに挑むサーファーだ。それぐらいの迫力がリュウから滲み出ていた。
「残り30秒になります」
イサメから時報がなり、
「……ダリア、捕まえ───っ!」
リュウが腕を伸ばして来た。
俺は負けじとばかりに身体を仰け反らせ、伸びてきた腕を間一髪のところで回避。
「おぷっ……!」
リュウはバランスを崩して手摺から落ち、そのまま螺旋階段を痛そうな音を響かせながら転げ落ちて行った。
これは大変だ、と心配になり様子を見に行こうとすると、イサメが俺の前にいきなり降ってきて行く手を塞いだ。
「お逃げ下さい。お気持ちは分かりますが、リュウ殿ならこの程度では傷一つ付きませんから」
そう言ってイサメは下を見下ろし、釣られて俺も1階を見下ろす。と、確かにリュウはピンピンしていた。そういえば前もリュウが階段から落ちた時あったな。泣きかけてたけど無傷だった。
何事も無かったかのようにリュウは平然とし、膝を曲げてカエルのようにしゃがむ。そして俺の居る位置に狙いを付け、地面を蹴り上げた。
それはもう、さっきのとは比にならない程の跳躍だった。
リュウは10mは超えよう高さを軽々と飛び越え、俺の眼前に姿を見せる。
「ま、マジかよ……」
と俺が目を白黒させている間に、
「……やあ、ダリア。やっと、捕まえたよ」
呆気なく胸に飛び込まれた。
「……ボクの勝ちだね」
「そ、そうね」
俺の頭は停電状態だが、抱き付かれて再認識できた事がある。服の上からでも結構ボリュームあるな、とは思っていたが、やっぱり結構ボリュームがあった。何がとは言わないが。
しかし……アレだな。今リュウに抱き付かれてるけど、対人恐怖症を患っているせいか、なんか背筋がゾワゾワするな。
シロに触った時はそんなベッタリ触ってなかったし、彫像だと思って触ってたから別段なんとも無かったが、これは……なんか肌寒くなるな。
「あ、あの……リュウ? 離れてもらってもいい……?」
「……むー。ヤダ」
「さ、さいですか……」
説得失敗。すると、イサメが無理矢理リュウを引き剥がした。
「ダリア様のご迷惑ですよ、リュウ殿」
「ぶーぶー。少しくらいいいじゃん……」
「いけません。ダリア様が困っています」
リュウはイサメから俺に視線をスライドさせる。俺と目が合い、露骨に出てしまった不快な空気を感じ取ったのか、肩を縮めて顔を伏せた。
「……ダリア、ごめんなさい……気を付けるよ。……邪魔だったら近付かないし、視界にも入らないから……」
お、おい止めろ。なんでそう自分を追い込むんだよ。
リュウが嫌いな訳じゃないんだよ。人に触れたり触れられたりするのにちょっと抵抗があるだけなんだよ。
今、若干身体が震えてるけど、急に抱き付かれてビックリしただけだから。言うなれば武者震いだから、これ。何も気負う必要はないんだよ。
寧ろリュウは好きだから。全然嫌いじゃないから。
……とまあ、心に浮かんだ事がスラスラ出ればリュウの機嫌も直せるのだろうが、言葉が喉につっかえて何も出てこない。
「ダリア様……」とイサメが声のトーンを落とす。
「リュウ殿も悪気があった訳ではありません。愚行だという事は重々承知しておりますが……何卒」
イサメは膝をつき頭を垂れ、リュウもぺたりと座り込む。
お、おい。これじゃあ俺が冷酷非道みたいな感じになってるぞ。なんでそう直ぐに頭を下げるんだよ。余計に言葉が出なくなるよ。
し、しかし、ここで何か気の効いた事を言わなければ。
一言でいい。何か励ませる一言を放つんだ、俺!
「……あ、あのさ、リュウ」
やっとの思いで名を呼ぶと、リュウが微かに反応を見せた。
「……な、何?」
「や、柔らかくて、良かったよ」
この瞬間、俺は自分がただの変態である事を悟った。
☆
その後なんとかリュウを褒め倒す事に成功した俺は、自分の部屋でリンゴにナイフを入れながら脳内会議に没頭していた。
沈思黙考に浸っているが、部屋に居るのは俺だけではない。イサメとナイトとリュウもいて、4人でテーブルを囲んでいる。あと猫さんが俺のベッドで丸くなっている。
リュウは俺のナイフ捌きをボーっと眺め、
イサメも俺のナイフ捌きを見ているが、指を切るのを心配しているのか、何やら落ち着かない様子で、
ナイトはもの凄いペースでクロスワードを解いている。
で話を戻すが、脳内会議の議題とは、モチのロン俺の人間嫌い対人恐怖症についてだ。
ライブで分かる通り、人が近くにいるくらいじゃ別になんとも無く、生活に影響が出るレベルではない。人混みは好きじゃないけど。
だから今まで気付かなかったが、どうやら俺はナイトに絆創膏を貼ったり、リュウに抱き付かりたり、そういう過度のスキンシップで拒絶反応が出るらしい。
まあナイトに絆創膏貼るのは過度では無いから、リュウに抱き付かれた時ほどの武者震いは発動しなかったが。変な汗は出たけど。
それに加え、俺の精神的な障害。所謂コミュニケーション障害。俺の場合はどもり症や口下手だ。そもそも会話自体に劣等感を抱いている。
イサメ達とはどもりながらも話せているが、学校だとまず声を出さない。息を殺している。同級生との会話もない。
……まあ学校の話はどうでもいいや。とにかく、俺のこの症状がどうやったら和らぐのかを考える方が先決だ。じゃないと社会不適合者の烙印が押されてしまう。
そう思いリンゴの皮剥きで俺のイマジネーションの活性化を図り、何か良い手が無いものかと考えていたが、全然ダメだった。
このままではイサメ達を召喚できただけで夏休みを終えてしまう。
可笑しい。俺は……変わろうとしてた筈なんじゃないのか。てか俺の何を変えれば良いんだ……。
何か……何か閃け……。
そんな心ここにあらずな俺を唐突に呼び戻したのは、リュウだった。
「……あーん」
「……え?」
「……ボク、勝ったんだよ?」
リュウは袖を引っ張りながら大きく口を開く。そういえばそんな難易度の高い約束してたな。
その瞬間、ボキッとペンが折れる音が室内に響いた。それはクロスワードを解いているナイトの方から出た音だった。
ナイトはドスのきいた声で、
「え? ちょっとリュウ? 『あーん』って何?」
「先程リュウ殿がダリア様と鬼ごっこをされたのですよ。その時の賭けでございます。リュウ殿が勝ったらリンゴを食べさせてあげる、と」
そう冷静に返したのはイサメ。
「な、何よその賭けは!? ふざけないで! リュウ、私とも鬼ごっこしなさい! 私にも勝ったら折れてあげる」
「……ヤダ。疲れる。死ぬ。それに、ダリアが勝負に乗ったんだよ……?」
「だ、ダリア様を盾にしないでよ!」
語気と表情に荒ぶりを見せるナイトに反応したのか、ベッドで寝ていたコロネの耳がピクリと動いた。
「おい、五月蝿いぞナイト」
ベッドから一瞬で消えたコロネは、いつの間にかナイトの頭に乗っていて、長い尻尾でナイトの顔を叩いた。
「あだっ……!」
強めに入り、ナイトは顔を抑える。
「ムキになるならお前もダリア様に頼めば良いじゃないか」
「わ、私はそんなんじゃないの!」
「……あ、分かった。羨ましい……とか?」とリュウが煽り気味に言う。
「う、羨まし……くなんか───羨ましいわよ!」
ナイトが叫んだ。
だが机を叩こうと降り下ろされた拳は、叩き付けられる前に隣にいたイサメに止められてしまい、口封じの為にリンゴを丸々一個を容赦なく突っ込まれた。
「……全く、ダリア様の御前だといいのにはしたない……。だらしがないのは胸だけにしてほしいものです」
イサメにいちゃもんを付けられ、ナイトはリンゴを皿に置いて反撃に出る。
「ちょ、胸は関係ないじゃん! 大体ね、イサメだって人の事言えるの? あなただって相当よ?」
「いえいえ、わたくしのは結構控えめですよ。ナイト殿に比べれば」
「あなた王都に出てるんだから分かるでしょ? 周りと比べてみなさいよ。イサメもあるわよ?」
「いえいえ、わたくしのは結構控えめですよ。ナイト殿に比べれば」
強い口調のナイトと、それをしれっと流すイサメ。止めに入った方がいいかな? 良いよな?
俺はどうしたものかと右手がオロオロと挙動不審に動き出し、やれやれと言った感じでコロネが溜め息を吐いた。
刹那、
「───ダリア様、失礼します!」
切れの良いノックと共に、廊下から冴え渡る声が部屋に流れてきた。ルシファーの声だ。
「……あれ? ちょ、開かね。なんでよ」
しかしルシファーはドアを開けられないでいる模様。鍵かけてない筈だけどな。
見かねたイサメがスッと立ち上がり、出入り口に向かう。
「なんだコレなんで開かねーんだよ。設計ミスか? くそぅ、誰だよこんな雑な仕事した奴は。さてはかーちゃんだな?」
「ルシファー殿、それは引き戸です。何を下らないボケをされているのですか?」
「げっ! かーちゃん!?」
「………」
「いや待てって違うんだって。今テンション上がり過ぎててさ。あ、イサメ、翼が枠に引っ掛かって入れないからさ、ちょっと引っ張ってくんない?」
「邪魔なら手羽先にしてしまうとかどうです?」
「おい止めろ。りんぷん撒くぞコノヤロー」
と出入り口の方から賑やかな会話が聞こえ、
「ダリア様、失礼します」
間もなくして満面な笑みのルシファーが部屋に入ってきた。
ルシファーは俺を確認すると一目散に俺の元まで来て、膝を突く。
「ご報告があります。先日より進めておりました工事がたった今終了致しました」
「あ、ああ。そういや地下を掘ってたんだっけ? 図書館? いや、図書室だっけ?」
「地下は進行中です」
「そうなの? じゃあ、何完成したの?」
俺の問いに、ルシファーは待ってましたと言わんばかりに白い歯を輝かせた。
「露天風呂です」
☆
露天風呂。落ち着いた風情のある屋外の風呂の事である。アイテール王国ではあまり見なく、発祥は東の国だそうだ。
その露天風呂はルシファーが手入れをしている庭園の一部を開拓して造られ、今俺は露天風呂の洗い場でルシファーに背中を流してもらっている。
背中を洗われるのは少し抵抗があるが……まあリュウの抱擁ほどじゃない。耐えられる。てか、こんな至近距離で背後に居られる方が抵抗ある。意識しているからかもしれないが。
「くぅー……! 私ごときが、まさかダリア様の背中を……もう思い残す事はありません」
ルシファーの涙声が俺の背中に突き刺さる。俺の背中を洗うぐらいで泣くなよ。
言っておくと、俺が頼んだ訳じゃない。人に頼み事をする勇気がそもそも皆無。実はルシファーがハイテンションで、
『お背中を流す役目を!』
なんて言ってくるもんだから、断るのも忍びないので頼んだ。
───ルシファーが部屋に乱入してきた後、俺は別に露天風呂に入る気はなかったが、珍しい物見たさとルシファーに促されたので心が変わり「じゃあ入るかな」と表明。
そこからは皆の行動が速かった。
ナイトとリュウは着替えを取りに行き、イサメは俺の着替えを用意した。で、皆して風呂に入りに来た。そう、皆である。
俺がいる男湯の一頻り高い竹柵を挟んだ向こうには───あの高い絶壁の向こうには、女湯がある。あるのです。
イサメもナイトもリュウも向こうにいる。いるのです。言い忘れてたけどシロも追加。
ルシファー曰く、露天風呂は俺専用に造ってたらしく女湯を造る気はサラサラ無かったらしいが、ナイトとリュウに親指を下に向けられてブーイングされてしまい、ガラスのハートがブロークンしたそうだ。
まあそんな事はどうでもいい。過程なんてどうでもいい。重要なのは、あの絶壁の向こうにロマンがある、という事だ。
ロマン……。いい響きだが、口惜しい。だって俺は、絶壁を超える術を持っていないのだから。
それ以前に覗きは犯罪だ。
「……ダリア様、少し失礼します」
鏡に写る自分の緩んだ顔を殴りたくなる思いで見ていたら、急にルシファーが手を止めた。
「下劣極まりない会話が隣から聞こえて来るので、ちょっとシメてきます」
「えっ」
隣って事は女湯か。耳良いな。俺何も聞こえないんだけど。
ルシファーは6枚の翼を雄々しく広げて竹柵に向かって歩を進め、翼を使って飛ぶのかと思ったら、普通にジャンプした。
ルシファーは竹柵を意図も簡単に乗り上げ、女湯に向かって怒号を浴びせる。
「うっせーぞゴラ雌豚共! テメーらがうっさくてゆっくり風呂に浸かれねーじゃねーか! 冷水ぶっかけんぞ!」
「───ちょ! 何堂々と覗いてるのよ!?」
「───ルシファー殿、世間でそれは覗きと言われ、立派な犯罪です」
「は、何? 自分の裸体に価値があっと本気で思ってんの? 馬鹿じゃないの? 別にお前らの裸見ても欲情しねーし。だって堕天使だから。石鹸ぶつけんぞ」
「───ホンット、一言一言癪に触るわね」
そんなルシファーと女性陣の会話に俺は耳を澄ましつつ、湯船に浸かる。因みにコロネも入ってる。猫も風呂入れんだな。
「大体お前らさぁ、あの高い丘を越えよう、とか何アホな事言ってんの? 逆だろ? 男が女湯を覗くのが普通だろ? シャンプーぶつけんぞ」
「───それ言い出しっぺはナイトですわよね? 胸筋見たいとかなんとか」
「───ち、違うし! そんなん言うワケないし!」
「───ボク見たいよ……?」
「───いけませんリュウ殿。貴女には刺激が強過ぎます」
「仕方ねーな。そこまで言うならサービスだ。俺の裸でも目蓋の裏に焼き付けておけ」
その瞬間、ゴツンという鈍い音と一緒にルシファーが背中から豪快に落下した。どうやらタライが頭に直撃したみたいだ。
「───お見事ですわ、イサメ!」
「───正当防衛です」
「───自業自得よね。でもさ、覗いた時点でルシファーの方が血迷ってるわよね」
女湯から拍手喝采が聞こえて来る。
「───あれ? ねぇ、リュウが沈んでるんだけど?」
「───……あー……もう、ダメ……」
「───これ、のぼせてるんじゃありませんの?」
「───顔が真っ赤でございますね。リュウ殿を連れて先に上がります」
向こうではリュウが湯あたりしたみたいだ。身体が強いのか弱いのか分からない奴だな。
「おぅ……くっそ……頭、打った……」
竹柵の下ではルシファーが嗚咽を漏らしながら後頭部を抑えて踞っている。
そんな堕天使を一瞥し、黒猫が一つ溜め息。
「何してるんだか……」
「でも、アレだよな」
「……ん? どうしたダリア様?」
「あーいや……」
賑やかだなって思っただけだよ。




