間話 陽を喰らうもの
渡辺カロスが太陽の光を浴びたのは、およそ2週間ぶりの事だった。
それまで彼は、カビ臭い、土臭い、鉄臭い、食事も睡眠も不十分な暗き牢獄で精神をすり減らしながら過ごしていた。
A級の指名手配犯として捕らえられた渡辺カロスの刑は、終身刑。家畜が住むような場所で死ぬまで生きる筈だったが、無様な死に際を飾りたくなかった彼は脱獄を決意。
そんな折、急展開が起きた。突然看守が来たかと思ったら、釈放の通達を言い渡してきたのだ。
予想外の事態に困惑状態のまま外に放り出され、しばらく立ち往生していると、
「───はいはいハジめましてぇ。ワタナベカロスさん? で、ヨロしいですかぁ?」
陽気な声と共に背後から長身の女性が現れた。
「誰だよあんた。何者だ?」
「“柩”とモウしますぅ。以後お見知りおきを」
女性が大袈裟に手を動かしながら一礼する。
紫色の長髪は鳥の巣のように無造作に伸び、薄手の服からは身長に比例してなさそうな細身が目に見え、虚ろな眼の下には深いクマを作っている。
生気を無くしたような容姿から想像できないテンションの高さだ。
「ヒツギ……? 変わった名前だな」
「ノンが3つでノンノンノン」
柩は小馬鹿にしたように笑いながら指を振る。
「チガいますよ。カタカナな発音じゃなくって平仮名な感じでおネガいしますぅ。“木”の隣ににカタカナの“コ”を反対にして置きまして中に“久”しぶりをぶち込んで“柩”でぇす。イケてるでしょ?」
「……その柩さんとやらが俺に何用だよ?」
「おっとっとぉ、セッカチさんですねぇ。そんな事では女性にモテませんよ? ニシシ」
「俺ぁ今気が立ってんだ。おねーさんよぉ、言葉は選んだ方がいいぜぇ?」
「おお、それはコワい。ですけどねぇ、渡辺クンも立場を弁えた方がいいですよぉ?」
柩がピエロのように奇妙に笑う。
瞬間、渡辺カロスの喉元に冷たい何かが当たった。
「あん……?」
渡辺カロスが首と目を動かしてその正体を探ると、ナイフだった。そこで彼はようやく気付いた。誰かに背後を取られている、と。
柩は目の前にいる。ならば、第三者というのが尤もだろう。
音も気配も何も感じ取れなかったのは、牢獄生活のせいで劣った己の視野のせいだけでは無いだろう。確かに疲労はあるが、脱獄を考えるくらいには余裕があった。
だが背後を取られた。強者にしかできない所業だ。
「ニシシ……」と柩が呆気に取られている渡辺カロスを見てほくそ笑み、
「ではご紹介しましょう。今、現在、アッサリと貴方の命を掴んでしまったその人は、獄クンでっす! はい拍手拍手!」
猿のおもちゃみたいに大きく手を叩き出した。
獄と呼ばれた人物が渡辺カロスの喉元からナイフが離し、馴れ馴れしく肩を組む。
黒いバンダナで頭の天辺から目元までを覆い、口の端が異常に吊り上がっている。狂気が見え隠れしているような人物だ。
「けものへんに言葉の“言”に“犬”と書いて“獄”クンです。カワイイでしょ?」
「ハーイ今ご紹介に預かりました獄でーす! 宜しくね、渡辺カロス君」
「気安く触んじゃねーよ」
「アハハ! 協調性が無いねー。だから負けちゃうんだよー。えっと確か……メイドに一撃で負けたんだっけ?」
「いえが3つでいえいえいえ。獄クン、アレ実は二撃らしいですよぉ」
「嘘でしょ!? 二撃で負けちゃったの? うっわマジかー! 瞬殺されたって聞いたから一撃かと思ったよー! 変な勘違いしてゴメンねー」
「……舐めてんのか? あ?」
煽りなのか挑発なのかコミュニケーションなのかは不明だが、渡辺カロスにとっては不愉快な言動だった。
だから自然に手が出てしまう。近くにいた獄の胸ぐらを掴んで持ち上げる。
「なんの用かは知らねーが、戦いてーなら相手してやるよ」
「怖いよー助けてよー殺されちゃうよー。柩さーん、俺死んじゃうよー」
模範過ぎるくらいに棒読みの獄。殺気を向けられているのに危機感の欠片もない。
「えーっ! チガいますよぉ。そんな戦うなんて物騒な事をする為に渡辺クンの脱獄の手助けをしたんじゃありませんよぉ」
「ちょっと待てよおねーさん、今なんつった?」
「えーっ!」
「……その後だ」
「チガいますよぉ」
「テメェ……」
「あ、ハイ。ノリ悪いですねぇ。脱獄の手助け、ですか?」
「どういう事だ? 俺は釈放されたんだぜ?」
渡辺カロスは眉をしかめながら獄の胸ぐらから手を離す。
「いやぁタイヘンですねぇ。こんな立派な監獄を脱獄しちゃうだなんて信じられませんねぇ。やるなー」
柩が渡辺カロスの言葉に無視して続ける。
「いやぁ看守も5人くらい殺っちゃったんですもんねぇ。オトコだなぁ」
柩が徐々に歩み寄る。
「オマケに他の囚人も何人か逃がしちゃったんですか? こりゃスゴい! 事件ですよ! 事件! 今度捕まったらスゴくオモシロい事になりますね!」
そして柩が、渡辺カロスの目の前で、目の下に影を作りながら不適に笑った。
「これ、渡辺クンがやったんですよ」
「て、テメェ……ら、まさか──!?」
渡辺カロスは確信した。
そう、
「はい。ワタシ達がそのように工作しました。獄クンが看守を始末しながら渡辺クンに通達を届けてぇ」
「柩さんが裏で色々やってたんだよねー、アハハ! マジ爆笑過ぎるくらいヌルい仕事だったわー」
「あと朗報ですがぁ、軍がどれだけ捜査をしてもショウコは出ません。渡辺クンの以外はね。だって渡辺クンがやったんですからトーゼンですよねぇ」
「んな事できるわけがねぇだろ。……つーかよ、いい加減俺の質問に答えろや」
渡辺カロスの緒がついに切れた。額に血管を浮かべて怒りを露にし、柩のボサボサの紫の髪を容赦なく鷲掴む。
迂回して道草を食ったままで一向に進む気配のない本題。
言葉のボールを返さない柩に対し血がのぼりやすい渡辺カロスが激昂するのは当然の結果である。
「ニシシ、セッカチさんですねぇ」
しかし柩は全く動じない。それどころか呑気に腕時計を確認している。獄に関してはアリの行列のど真ん中に石を置いて遊んでいる始末だ。
「おっとっとぉ、思いのほか話がハズんでしまいましたね。応援が来てしまいますねぇ。じゃあ渡辺クンの問いにコタえましょうかぁ」
柩は渡辺カロスの手を振りほどき、彼を見据える。
「アナタを勧誘しに来ました、渡辺クン」
「は?」
「イエスかノーで答えて下さい。ワタシ達の仲間になるのか、それともならないのか」
「端折ってんじゃねーよ。テメェら何者だよ?」
「“陽を喰らうもの(イクリプス)”と言えば、指名手配犯だった渡辺クンなら分かるんじゃないですかぁ?」
「“陽を喰らうもの(イクリプス)”……?」
確かにその名前には聞き覚えがあった。
陽を喰らうもの(イクリプス)
表立った話は無いが、裏では名の知れる最凶最悪の傭兵団である。団員数は少ないものの、全員がクラスレジェンドに足を突っ込んだ手練れ揃いだ。
と噂されている。
その実体は曖昧で、水面に浮かぶ月を掴むぐらいに信憑性がないのが裏でも一般的である。ただの噂に過ぎないのだ。
「……んなもん噂だろ」
「噂なんてのは誰でも立てれますからね。まあちょっと今人員不足でしてぇ……だから勧誘しに来ましたぁ! ───で、どうしますぅ? イエス オア ノー?」
「信じろってのか?」
「別にそれでも構いませんよ。イエスならワタシ達はハッピーになりますし、ノーなら渡辺クンを捕まえて軍に引き渡して報償金が貰えてどちらにしてもハッピーですからぁ」
「………」
渡辺カロスは考える。
柩の話はどこが本当でどこが嘘かの見当はつけられないが、獄の実力は本物だろう。2人の得体はしれないが牢獄から出してくれたのもまた事実。
「……分かった」
これがしばらく思考した渡辺カロスの答えだった。
顔は笑っているものの、殺気に満ち溢れた眼で眺めてくる柩を前にしたら、どうしても“ノー”が言えなかった。
赤のランプが高速で点滅して危険を知らせていたのだ。
「本当ですかぁ!? いやー良かったです!」
答え聞いた瞬間、柩は喜びを示す。
「実は実験の為に渡辺クンの能力が欲しかったんですよぉ」
「あ? 実験?」
「この王都でイベントあるらしいんですよねぇ」
「知らねーなぁ」
「あるんですよ、明日。だから渡辺クンには明日頑張ってもらいますから、そのおツモリで」
「何すんだよ?」
「それはですねぇ───」
柩が言いかけたところ、軍の気配を察知した獄が合図を出した。
「渡辺クン、取り合えずこの場はハナれましょうかぁ」




