広い世界
海まで行く途中、大きな樹の根元で野営をした。
下草を取り払って燃え広がらないように焚き火をする。火を絶やさないよう、代わり番こに不寝番をした。
朝になってから少し進むと、景色が開けた場所があり、遠くに海がちらりと見えた。
「海だ……!」
山と山の間に見える海は小さかった。
それでも陽の光に照らされた海はキレイだった。
その景色に励まされ、睡眠不足で怠いのも忘れて、早く海にたどり着きたいと歩くペースが上がった。
集落が少なくて人気のない谷を横切り、穴場の小さな入江を目指す。
だんだん潮の香りが強くなってきた。
「海の匂い……」
遠くから海鳥の声が聞こえ始めた。
「これが海の匂い……」
ナツキもヨウも、感慨深い表情をしている。
急斜面を辿る曲がりくねった道を下りて行くと、とうとう小さいながらも砂浜に辿り着いた。
小さな入江から見える海は大きく広がり、晴天に恵まれて穏やかだった。
遠くの水平線を眺めていると、自分はなんてちっぽけなんだろうと思う。
「世界って広いんだなぁ……」
ナツキが呟いた。
十数年間、ずっと屋敷の中だけで生きてきたナツキ。谷に来て、目の色の事を気にしなくても良くなって、様々な人と接することもできるようになって、ナツキの世界は広がった。
けど、それに比べ物にならないほど、本当に世界は広い。
谷の中だけでもナツキには広いと思えた世界だっただろうけど、海に比べたら谷なんてどうってことはない。
「こんなに世界が広いんなら、きっと、この世の中のどこかには、黒目黒髪じゃない人がたくさん住んでる場所があるんでないかって思わさるな」
「うん。そうだね」
そう思うことができる。
「きっと、そこでは、黒目の方が珍しいんだ」
「んだね、そんな場所、どっかにあるべね。……ふふっ、面白いね」
山の神の郷よりも色素が薄い人ばかりの街を想像して、楽しくなってくる。
そこでは、私もナツキも普通で、ありふれた人間で。うちの村なんか問題じゃないくらい大きな街の中で、私たちは普通に埋もれちゃうんだ。
どこへ行くにも人目を気にすることもなく、平気で旅行だってできる。目の色を誤魔化す眼鏡も必要ない。
そんな想像が私とナツキの心を和ませる。
ナツキと海を見に来られて良かった。
広い、すごく大きな海は、私たち人間の小さな蟠りなんか、大きな力で洗い流してくれた。
そして、生きていくのに必要な、大きな力をくれた気がした。
それから、ヨウとナツキは海で魚を獲ろうと悪戦苦闘し、結局足を滑らせて水浸しになって、2人で大笑いしていた。
浅瀬で良かったよ、ほんと。室内で過ごしてたナツキはもちろん、山奥で生まれ育った私もヨウも、泳いだことなんてなかったから。
2人は濡れた服を脱いで着替え、今度は貝殻を拾って歩く。私も貝殻拾いに加わり、キレイなのをお土産にしようって話になった。
寄せては返す波で遊んだり、砂で山を作ってたのが波に流されたり。
笑いが絶えない1日だった。
☆ ☆ ☆
その晩は砂浜に泊まった。もちろん、満潮になった海から離れた、奥まった場所で。波にさらわれてしまったら大変だし、獣よけの火が消えたらことだもんね。
朝になって、海から昇る太陽を眺めた。
「……帰ろっか」
「……うん」
誰からともなく呟いて、私たちは海で見た光景が言葉にしたらこぼれ落ちるんじゃないかって気がして、なんとなく無言で歩いた。
きっと、海を見に来たことは一生忘れない。
これから過ごす日常は変わらなくても、大きな海が私たちの心の持ちようを変えてくれたから。
【終わり】
お読みいただき、ありがとうございました。




