眼鏡の取り替え時
眼鏡がだいぶくたびれている。……というか、レンズにはかなりたくさんの傷がついてしまっていた。
この前、果樹園で下生えの草刈りをした時、同じ姿勢でいたために腰が痛くなってヒョイッと立ち上がったら、樹の枝に顔を突っ込んでしまったのだ。
まぁ、その前からの細かな傷もあったのだけれど、今回はやっちゃったなぁ……という感じ。
予備の眼鏡はないし、どうしようかなぁ。まだ使えるといえば使えるけれど、もし壊れたら……と思うと心許なくなってきた。次の休みのときに、叔父のところへ相談しに行ってみよう。
そう考えて、一旦、眼鏡のことは頭の隅に追いやる。今は目の前のことに集中しよう。
私は現在、薬草学の授業を受けているところ。目の前には乾燥された香草が細かくされたものが何種類か、それぞれ小さな小皿に少しずつのせられている。
「今日は香草茶を作ってもらいます。香草には様々な効能があるのは前に説明したとおりです。頭痛の症状を和らげる、気持ちを楽にし安眠に効果がある、喉をすっきりさせ咳を弱めるなど……」
コマツ先生の説明を聞く。
「……これらの小皿に分けたものはどれがどれかは教えませんが、自分の嗅覚と味覚で判断し、胃の調子を整える香草茶を調合してください」
まず匂いを嗅いで大方の見当をつける。香草は匂いが独特なものが多いので、これで大概は分かる。
それから、今まで習った香草の知識を思い出し、いくつか習った香草茶のレシピを頭に思い浮かべた。
胃もたれにはカモミールと薄荷、キリキリする胃痛にはフェンネルとカモミール、消化不良でムカムカするなら薄荷とレモングラス……。消化促進に生姜、消化不振にはシソやクローブも効く。香味野菜と言われるものも、乾燥させた状態で小皿にのせて置かれているので、種類は豊富だ。というか豊富過ぎる。人参も消化不振に効くんだっけ……? 先生は「胃の調子を整える」と言った。どう組み合わせるべきか悩む。
とりあえず思いついた香草全部を混ぜてみたら、味が大変なことになった。配分を考えず、適当に混ぜたせいだろうか……。ほぼ全員がそんな感じだったので、コマツ先生からは「飲みやすいレシピを考えてくること」と言われた。
☆ ☆ ☆
「は~、疲れた……」
薬草学の授業は2年生になってから応用が多くなったような気がする。……と言っても、簡単な香草茶の調合など薬草師でなくてもちょっと役立つ知識程度なのだが。
それに香草の使い方によっては料理に深みを加えることもあって、薬草師を目指しているわけでもない人たちも興味深く学んでいるようだ。
香草茶の配合を考えて試しにいれて飲んでみて、あの香草を減らしてあれを増やして……なんてやってたから香草茶ですっかりお腹はチャポチャポになってしまった。
頭を使いすぎたのか疲れてしまい、食堂の机に突っ伏した。
今は夕飯後で、お風呂に入る前の比較的自由な時間。
「せんぱーい!」
元気に駆け寄ってきたのはエミちゃんだ。
ごめん、今、エミちゃんに対応する元気残ってないから、そっとしといて欲しい。
「どうしたんですか?」
そっとして欲しいなんて口に出す前にエミちゃんがぐったりした私を覗きこむ。
「先輩、眼鏡が傷だらけですよ? 予備ないんですか~?」
いやいやいや! そんなにマジマジと覗きこまないで! 目の色バレちゃう。
私はぐったりとして声も出せずにいると、エミちゃんは眼鏡をとろうとしてきた。
ヤバい!
ババッと体を起こしてエミちゃんから体を離し、眼鏡がとられないようにする。エミちゃんは残念そうな顔だ。
「あーん! 眼鏡をとった先輩の顔を見たかったのに~ぃ」
「お風呂で見られるから!」
「だってお風呂場って湯気があって、ハッキリ見えないことも多いじゃないですかぁ~」
そんなに見たいか? 私の素顔なんて。
「いやいや、見ても面白くもなんともないから」
「えー? そんなことないですよ~」
なんて話をしてたら、コマツ先生が現れて叔父からの伝言を伝えてきた。薬草学の授業のあとに、コマツ先生に連絡を頼んでおいたのだ。
街まで行き来する用事のある先生に伝言をお願いして、ついでに返事をもらったそうだ。
「今度の土曜日、夕方にウノが来るって~」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
叔父さん、わざわざ来てくれるんだ。ありがたい。
「リウの叔父さん、来るのー?」
「楽しみ~」
コマツ先生と話をしてたら、アミとタキも加わってきた。お嬢もいる。そろそろお風呂の時間だと呼びに来たらしい。
それ幸いと、エミちゃんから逃げる。どうせお風呂でエミちゃんと一緒になるのだけど、至近距離で見つめられるよりは良いだろう。
☆ ☆ ☆
土曜日、叔父に会って眼鏡の話をする。なにせ山の神様特製の眼鏡だ。入手は簡単ではないかもしれない。
とにかく谷出身の行商で行き来してる人たちが来る時を狙って、谷に伝言を頼むことになった。手紙でもいいが、普通に郵便だとどこかに紛れ込んで、誰かに読まれても困る……ということも考えられたからだ。
「確かに予備もあれば安心だなぁ」
「うん」
そういう話はササッと小声で済ませて、後ろの方でワクワクして待っている屋根裏組とコマツ先生のところへ向かう。
食堂のおばちゃんも叔父とは顔見知りなので、叔父の分の夕飯も出してもらえることになり、みんなで食べることになった。
「その代わり、食器洗いぐれえして助けらいよ~」
「はいはい」
厨房に叔父が入ったせいで、食堂に来た叔父と顔見知りの先生方や寮監さん、叔父の伝説を知る男子寮の生徒たちが物見遊山に集まって遠巻きに叔父を見るなど、大変賑やかな夜となったのだった。