第25話 血の雨降る六月 (6)
大変長らくお待たせしました。
「それにしても、あのニールにお説教されるとは思いませんでした」
「お嬢様ー。俺、これでも士官教育を受けてきたんですよー? ぺーぺーの頃とは違うんですって」
沈み込む雰囲気を変えようと、ニールを相手に軽口を叩いてみる。
ニールもこちらの意図を察してか、それに乗ってくれました。
「その割に、副団長殿はあっさりと逆らいましたよ?」
「あー、お嬢様には言い難いんですが、副団長派ってガウェイン坊ちゃんに期待していた派閥でもあるんですよねー……」
「は!?」
思わぬところから出てきた兄ガウェインの名。
そこから類推? いや、邪推と言うべきでしょうか?
とにかく、思い浮かんだ事に絶句する。
それを何か勘違いしたのか、ニールが語る。
「ほら、第一王子の道楽に付き合って戦死したじゃないですか?」
曰く、公爵令嬢との婚約を破棄し、他の女と結婚するために出征したバカ王子。それを心配して同道したるは、義侠心溢れる我等がガウェイン公子。
しかし、娘との婚約を破棄された頑固親父公爵は怒り心頭、麗しの公子出征に際して、配下たる騎士団の出撃を禁止。
結果、奮戦空しく麗しの公子は帰らぬ人となり……。
「その場に自分達が居合わせていればー、とか愉快な勘違いをしているみたいでしてねー。お嬢様達に思うところのある連中なんですよ」
然も楽しそうに語るニール。
やだー、私は単に兄の身代わりとしてシンパであった彼らを差し出し、アイリーンさん達の思う存分に仕返しをさせるつもりかと思っていたのに、事実はもっと酷いじゃないですかー……。
「そ、そうなの……」
「まー、あの坊ちゃんが義侠心とか友情に厚いとか、絶対ありえませんけどね~」
「あの、一応あれでも兄なので……」
「おっと申し訳ありません、お嬢様。何にせよ、これで面倒だった副団長派もおしまいです。徒党を組んでの抗命、及び指揮権の奪取なんて、訓練中の事とはいえ厳罰は免れません」
つまり、今回の選抜合同訓練は、合同訓練に見せかけた粛清の理由作りだったと……?
政治怖ッ!?
と言いますか、指揮権は奪取されたんじゃなく返上したと言うか一時預けたと言うか……あ、物は言いよう、慈悲はないですか……。
軍事法廷怖ッ!
合同訓練一つで様々な思惑が入り乱れる。
誰が何をどこまで企み、それをまた誰かが利用して目的を達する……。
当主になるって、大変だとは思っていましたが、想像を遥かに超えて大変そうです……。
それにしても、世間的にはそういう事になっているんですね。
兄の、ガウェインのやった事を隠蔽する為に、ガラティーン公爵家は他家に対してどれほどの信用を失ったのでしょうか……。
失ったものを埋め合わせようと、新たな政略結婚を用意されましたが……それに頼らず、以前と同等以上の力を取り戻すには、並大抵の事では成しえないんでしょうね。
それを成し遂げるためにも、今は一つずつ着実にッ……!?
「全員止まって!!」
なんて事を考えていると、撫でるような寒気が首筋を過ぎり、慌てて両手で手綱を引いて馬を止める。
幸か不幸か、私の乗馬技術では駈歩が限界なため、馬はゆっくりと止まってくれました。
そして、先程の話が功を奏したのか、今度はニールだけでなく二人の護衛もすぐに従ってくれました。
「あら、残念。気付かれてしまいましたか」
何事かニールが尋ねる間もなく、涼やかな女性の声が風に乗って届く。
聴こえてくるはずのない声に驚き、その声の主がいるはずの遥か後方に眼をやると、未だに治まる様子も見せずに土埃が舞って……。
「まさか!」
先程確認した時と比べて、舞い上がる土埃の規模が変わっていません。
いまだに殿軍が奮戦している? 被害も出さずに?
そんな訳がありません。
もしそうなら、ブリジットさんが先行してくるはずがありません。
つまり、あの土埃は偽装工作。
実際のところは、殿軍部隊は既に全滅。追撃に移ったアイリーンさん達は私達を捕捉し、ブリジットさんが足止め。その間にアイリーンさんは先回り、ここで網を仕掛けていた。
「そんなところでしょうか?」
こちらの所見を述べると、前方の地表が一部崩れだし、ぽっかりと穴が開く。
そして、汚れ一つないローブを纏ったアイリーンさんが、その中から階段を上るように姿を現す。
やはり、紺色のローブの下にはクレフーツ家のお仕着せを着用し、更にはブリジットさんとお揃いの胸当ても装備している。
そして、右手には見た事もない長杖。
これまたキャストンさんが作ったトンデモ装備でしょうね……。
「お見事ですね。どうやって罠を見破られたのか、後学の為にお教えいただけますか?」
悠然と佇む黒髪の美しい少女が尋ねてくる。
「『伏兵も罠もない』とは試験開始前の言でしたが、『伏兵も罠も仕掛けない』とは仰っていませんでした。そして、何より、そういう意識の外、言外に罠を仕掛けるのがキャストンさんの得意分野だからです!」
それに対し、私は少し得意気に語る。
あの人のやり口は今まで散々見てきました。
それでも未だに引っかかるんですけどね……あれ、私って実は成長しない人ですか!?
「いえ、それもそうなんですが、どうしてこの辺りに罠が仕掛けられていると思われたのですか?」
「……え? 何となく? 何だかこう、ヒヤッとした……から?」
どこか困った風に尋ね返してくるアイリーンさんに、少し得意気に返した回答が空振りに終わった挙句、上手く言語化できない感覚をボヤッっとしたニュアンスでしか伝えられない私。
六月なのに、やけに肌寒い風が二人の間に吹いた気がします……。
「って、そうじゃない! ニール、今すぐこの辺りを迂回して脱出地点を目指しなさい!」
「へ? お嬢様、滑ったからってそこまでしなくても……」
何を勘違いしたのか、生暖かい眼差しを向けてくるニール。
「違うわよ!? あなたが本気でやれって言ったんでしょうが! この試験は開始した時点で合格の目は無かったのよ!」
「そうですね。その点で言えば、グレイシア様の策は見事でした。あれを実行され、獲物に散開されては、こちらの目的が達成されなかったでしょうから」
……獲物って言いましたよね、今……。
あのお淑やかなアイリーンさんの口から獲物って……。
それはさておき……。
「……負けるにも、負け方ってものがあるわ。いい、ニール。指揮官以下全員未帰還っていうのと、一兵でも生きて情報を持ち帰らせるのと、どっちがより増しかは今更言うまでもないわよね」
「なら、尚の事」
「今のアイリーンさんはブリジットさんが追いつくまでの時間稼ぎをしているの! 一対一なら時間稼ぎくらい出来るから、さっさと行きなさい! これは命令です!」
「ッ! 総員、この場より散開して離脱! いいか、訓練だと思うな! 実戦だと思えよ! お嬢様、ご武運を」
『命令』とはっきり口にした事で、ニールは全てを引っ込めて応じてくれました。
……そう言えば、はっきりと『命令』した事はありませんでしたね……。
ただ私の言う通りにさせるだけの『強権』ではなく、全ての責任を負うという『宣言』でもある『命令』。
なるほど、本気ではないと言われるはずですね。
ここを大きく迂回して、三方に散らばるニール達を見送りながら、私は乗っていた馬から降りる。
「妨害をしなくて良かったのですか?」
「ご冗談を。それで隙を晒しては本末転倒。後から来るリジーと一緒に、脱出地点手前に先回りすれば良いだけの事」
む。確かに道中で散開させても、ゴール地点が決まっている以上、最終的にはそこで待ち伏せされればおしまいですね……。
いや、でも……。
「整然とした撤退ならば、それもありでしょうが……今回は完全に壊滅してからの散逸です。ある程度戦場を離脱できれば生還と判定しても良いのではありませんか?」
「……残念ながら、そのようですね……これで、こちらの大目標は潰えましたか……」
意外にも、こちらの希望的な意見が受け入れられ、アイリーンさんは心底残念そうでした。
はて? 試験としては不合格。彼女らの本来の目的であろう、騎士達の心を折る事はほぼ出来ていると思われます。
であれば、何故にそこまで残念そうなのでしょう?
「お尋ねしても良いでしょうか? お二人の目的は、今後の訓練を円滑に進める為に、騎士達の心を折る事だと思うのですが、どうしてそこまで落ち込んでいらっしゃるのでしょう? 目的はほぼ達成できていると思うのですが?」
傍らに佇む馬に優しく手を副え、離れるように促しながら尋ねてみる。
「いえ、非常に個人的な事ですが、この試験は私達の実力試験でもあったのです」
あー……なるほど。
彼女達にとって私達を不合格にするのは、出来て当然の事であって、それ以上の合格ラインが定められていたんですね。
差し詰め、本気を出さずに余裕で私達を壊滅させろ、みたいな?
それは確かにゴール地点手前での伏兵は、余裕のある行動とは言えませんねー。
「……なるほど。ええ、そうですね。確かに壊滅しました。これ以上ないくらいに。見る影もないくらいに。騎士が500人もいて、女の子二人を相手に壊滅。ええ、いい笑い種です。確かに、品行方正とは言い難い者ばかりです。いい気味と言われても仕方ありません。……ですが、それでもガラティーン公爵家の看板を背負っている騎士達です。彼らへの侮辱は我が家への侮辱と受け取ります」
アイテムボックスから長杖を取り出し構える。
「ご理解頂けたようで何よりです。それで、如何なさいますか?」
艶然とした今日一番の微笑み。
しかし、その瞳は決して笑ってなどおらず、私と同じように長杖を構える。
「決まっています。勝負に勝って後悔させます!」
「望むところです!」
『水の矢』『石の矢』
同時に放ったのは、それぞれが主とする属性の初級魔法。但し、共に無詠唱。
この一週間に受けたフレアちゃんの講義は、無駄ではありませんでした。
真っ直ぐに飛ぶ二つの魔法は正面から衝突……する事はなく、すり抜けるようにすれ違う。
それはね、いくらなんでも弾数三発で全部が衝突するなんて事はないだろうけど、まさか一発も相殺しないなんて!
しかも、魔法を撃った次の瞬間には、アイリーンさんが回避行動に出て射線から外れ、私の魔法は当たりそうにありません。
こちらは魔法発動後の硬直で動けないのに!?
魔法によって作り出された石の矢が被弾し、ダメージを受ける。
しかし、予想に反してダメージは低く、魔法防御を突破される事もありませんでした。
『砂球』
しかし、安心するのも束の間。
射線から外れたアイリーンさんは、そのままこちらに駆け寄りながら次の魔法を、これまた無詠唱で撃ってくる。
私の知る限り、アイリーンさんは典型的な後衛型魔法士。つまりは固定砲台でした。
……ですが、あのキャストンさんがそれをよしとする筈がありません。
現に、絵物語の騎士に憧れを抱き、それを志していたブリジットさんは……背後から奇襲をするわ、牽制に魔法を撃つわ、と実戦的に変わっていました。
それと同じように、アイリーンさんも変わっているはず。
即ち──
『水球』
──彼女もフレアちゃんや私と同じように、白兵戦の出来る魔法士になっている筈。
ある意味一番使い慣れた『水球』の魔法で水を作り出し、風呂敷を広げるように伸ばして『砂球』の魔法を包んで迎撃。当然、こちらも無詠唱。
そして、突き出される長杖の一撃を、同じく長杖を振るって弾き返す。
予想以上に重いその一撃に、戦慄を覚えた……。
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
遂に、漸く、グレイシアの戦闘が始まりました。
実力の伯仲した両者の戦闘。
その結果は……サイコロの神様次第です。




