第23話 血の雨降る六月 (4)
大変長らくお待たせしました。
「本日は指導初日という事で、皆様の実力を測るための試験を行わせて頂きます」
周囲の戸惑いもどこ吹く風で説明するのは、この世界では珍しい濡羽色の綺麗な髪を、学園にいた頃とは違うゆるふわな三つ編みにしたメイド。
端整なその顔には慈母のような微笑が浮かんでいます……が、マリンブルーの瞳が決して笑っているだけではない事に、否が応でも気付かされました。
「試験内容は撤退戦。ここから西へ10kmの地点に指揮官が到達する事で合格。試験開始後5分経過でボク達が追撃開始。オススメは指揮官と直衛部隊を騎馬で全力疾走させ、残りが殿軍として迎撃。これなら確実に合格できる」
宣言の後を引き継ぐように試験内容を説明するのは、ライトブラウンのサラサラヘアをバッサリと切ってショートボブにしたメイド。
愛らしく幼さの目立った顔立ちの中にも、確たる芯のような何かがある事をそのハシバミ色の瞳が語っています。
……もう半年ほどになりますか……久し振りに顔を見た二人には、以前にはなかった覇気のようなものが見受けられます。
「という事ですが、準備はよろしいですか? ガラティーン様」
「え、あ」
懐かしい顔が、あくまで事務的に尋ねてきた事に一瞬戸惑ってしまった。
そのせいで……。
「メイド風情が何様のつもりか! 我々は第二騎士団との合同訓練に来たのであって、女子供のお遊びに付き合うために来たのではないぞ!」
と、騎士達が暴発する隙を与えてしまいました。
似たような光景を今週頭にも見ている身としては、彼らを抑えないといけないのですが、後手に回ってしまった私と、こうなる事を予想していた彼女達とでは反応速度にも自然と差が出てしまいます。
「ガラティーン騎士団。装備そこそこ。練度まぁまぁ。兵数は流石の公爵家。これだけなら二線級の評価ができたけど、特権意識が強く、柔軟性に乏しい。想定外な事態に陥ると思考停止し、まともに動く事もできずに甚大な被害を被ると思われる。総評、三線級」
「んな!?」
ブリジットさんの口から淡々と告げられるガラティーン騎士団の評価。
それはもう酷評と言うに相応しい内容で、文句を言っていた騎士達も呆然としました。
「これが、我々の主によるあなた方の評価です。因みに、第二騎士団の評価は一線級。あなた方と同じ訓練を受けても意味がないと判断いたしました。これを覆したいのであれば、どうぞ、試験に合格してください。そうすれば、午後からは第二騎士団と合流できるでしょう」
そして、その隙にアイリーンさんが更なるダメ出しをします。
と、申しますか……これは完全に掌の上で弄ばれていますね。
私が反応する前に、騎士達が激昂するのも計算されていたのでしょう……。
「ば、バカにしおって……」
「おやめなさい!」
「ッ!?」
剣の柄に手を伸ばそうとした騎士を鋭く叱責。
そうでもして私が主導権を取らないと、こちらは失点を積み重ね続ける事になってしまいます。
「しかしッ!」
「まま、先輩。ここは落ち着いてください。俺らの上官は誰ですか?」
それでもなお抗命しようとする騎士をニールが引き止めてくれました。
「ッ! も、申し訳ありませんでした……」
「次はないものと思いなさい」
「はっ!」
ここまでして漸く引き下がる騎士。
彼のいう『女子供』が今の上官だと思い出せたようで何より。
……まぁ、同時に、そんな女子供に命を預けるなんて、納得できていないという事も分かりましたが……こればかりは仕方ないですよねー。
戦場はやはり男の世界であり、そこに主家の人間というだけで何の実績もない小娘の指示に従え、と言われて「はい、分かりました」とはいきませんよねー。
彼らの本音としては、「旗頭としては必要」だけど、「小娘の指示に従うのは不安」。
総じて「口出しせずにお飾りとして大人しくしていてほしい」というところでしょうか。
「アイリーン様。幾つか質問、確認してもよろしいでしょうか?」
ですが、そういう訳には参りません。
ここで唯々諾々と雰囲気に流されては、女性の社会進出及び公爵家の体制強化による政略結婚回避!という私の目標が遠ざかります。
というか、この程度ですら乗り越えられないのなら話にならない。とばかりに、今後私の意見は黙殺される事になるでしょう。
なので、この場の主導権。最低でもこの選抜部隊の指揮権は保持しないとなりません。
そこで、小さく手を挙げてから質問の許可を取りました。
「はい、どうぞ」
待ってましたとばかりに即座に許可されます。
いえ、実際待っていたんでしょうけど。
「追撃に参加するのは何名でしょうか? また、目的地の間までに伏兵などはあるのでしょうか?」
物事には手順という物があり、回答は得られないものと思ってした質問だったのですが……。
「試験内容は撤退戦を想定したものであり、通常であれば追撃部隊の兵数や、退路の安全性などは不明と答える所ですが……今回は諸般の事情を鑑みてお答えさせて頂きます。追撃部隊は私ども二名のみであり、道中伏兵及び罠などは仕掛けておりません」
……考えうる限り、ほぼ最悪の回答が帰ってきました……。
諸般の事情ですかー……これ、詰みましたか?
「そうですか……」
「なお、治療態勢はほぼ最高峰のものをご用意致しておりますので、死なない限りは試験終了後に復帰可能です。皆様、思う存分に実力を発揮して頂いて構いません」
しかも、追撃とばかりに訊いてもいない情報が追加されました。
これ完全にダメなやつです……。
「……わかりました。でしたら、部下達と打ち合わせを行いたいので、試験開始まで少々お時間を頂けませんか?」
この試験が何を狙って行われるのか、それを考えればこの要望は通るはず。
「……いいでしょう。本来であればそのような時間は認めないところですが、今回は特別に10分だけ許可致します」
思った通り! 少し考える素振りを見せてから出される予定調和の許可。
だけど、絶妙に嫌な10分という制限!
もっと長いか、逆に短ければ或いは……とも思えたのに。
「ありがとうございます。隊長格全員集合!」
私の号令に従い、16名の騎士達が集まる。
ある者は素直に、またある者は足取り重く……まぁ、ほぼ全員が後者ですけどね。
集まった16人が序列に応じて並ぶ。
そんな彼らを前にして私は告げる。
「さて、各員言いたい事は多々あるでしょうが、私が提示するのはただ一つ。各小隊、いえ、各班単位で散開し、全力で脱出地点を目指しなさい」
△
あれが最も被害を抑える方法でした。
軍事的に考えれば、ブリジットさんが提示した『指揮官と直衛以外を捨て駒』にするのが正当なのでしょう。
ですが、被害を最小限に抑えるには算を乱して逃げる方が良いと考えます。運が良ければ、撤退時の騒乱に紛れて、追撃者が指揮官を見失ってくれるかもしれませんから。
ですがまぁ、当然この案に賛同する人間はいませんでした。
今現在隣で馬を走らせているニールですら、空気を読んで黙るしかなかった模様。
それでも、打ち合わせの時間が短ければ勢いで押し切ったり、逆にもっと長ければ説得する事もできたのでしょうが……。
10分という絶妙な時間ではいずれも叶わず、最終的に『これは我々の規律を確認する行軍訓練だ』という副団長の勝手な解釈が支持され、追撃のない貴重な5分が浪費される事になりました。
その結果が──
「ぎゃぁぁぁぁぁッ!」「痛い……痛いぃぃぃ……」「誰か……だれかぁ……」
──後方で繰り広げられる阿鼻叫喚でした。
その狼煙が上がったのは、試験開始から5分後……『か弱い二人のメイドを案内する』という建前で、スタート地点に残っていた5人の騎士が轟音と共に吹き飛んだ所から始まります。
500人が列を成して行軍するのです。5分程度では然して距離を稼ぐ事もできず、隊列後方に無数の魔法が着弾。
着弾と同時に巻き起こった粉塵が晴れると、そこには壊滅していた後方部隊があるばかり。
その事実を目の当たりにし、隊列前方で悠々と行軍していた副団長が、隊列の中央に配されていた私の許に慌てて戻ってきました。
そこで全軍を挙げて対抗するなり、足止めするなりすればよかったのですが、彼は戦力の逐次投入という、最悪の対応を採るのでした。
彼言うところの栄えあるガラティーン騎士団が、女子供に蹴散らされるのが信じられなかったようです。
LVという見た目に拠らない力がある以上、私でも単独でこの500人くらいは倒せるんですけどねぇ……。
結局、小出しに繰り出された隊列中央の部隊も、私の直衛であるニールの小隊を除いて壊滅したところで、残った隊列前方の部隊を副団長が率いて突撃。
私はニールの小隊に守られながら可能な限り全力でゴール地点を目指す事になりました。
いやー、もう、どうせ被害が大きくなるのなら、主催側の思惑に乗りつつ、私も地位の確立を目指す事にしたんですよ。
要するに、この試験における指揮権を副団長に返上し、かかる責任を全て負ってもらった訳です。
そして、私が当初下した決断に従っていれば……と思わせられたら儲けもの。
その為にも、ある程度の成果は出さないといけません……無理っぽくない?
直衛であるニールの小隊だけは私が指揮権を保持したので、まだ無事なのですが……残念ながら、ニールの小隊は騎馬隊ではなく混成小隊であるため、馬を潰すつもりで走る事もできません。
ま、そもそも私の乗馬技術では、そこまで早く馬を駆けさせる事が出来ないんですけどね。
「やー。それにしても、うちの嫁さんの後輩はとんでもないですねー」
「ドーラさん達と違って、キャストンさんによって鍛えられているでしょうからね」
以前見かけたアウロラさんの着ていたメイド服。どこかで見た覚えがあると思ったら、キャストンさんが作ったクレフーツ家のお仕着せと同じデザインだったんですよ……。
同じ物を奥さんが着ていた事を覚えていたニールは、アイリーンさん達がクレフーツ家のメイドである事にすぐに気付いたのでしょうね。
「知ってます、お嬢様? 俺達が嫁さん達と結婚する際、一番苦労したのは義両親の許可を得る事でも、上司や公爵様の許可を得る事でもなく、あの坊ちゃんと男爵夫人の許可を得る事だったんですよ?」
「あー……これでもかってくらいには分かりますねー……」
あの家では使用人も家族同然の扱いを受ける。
そして、キャストンさんも男爵夫人であるファティマ様も、家族を非常に大切にしている。
それはもう、筆舌に尽くし難いほどに……。
「そんな家のメイドが二人だけでこんなところに……それも、500人を相手に挑発するとか、どう考えても異常事態です。こりゃもう、素直に逃げに徹した方が良いんですが……」
「『特権意識が強く、柔軟性に乏しい。想定外な事態に陥ると思考停止し、まともに動く事もできずに甚大な被害を被る』ですか……」
「いやー。全くもってその通りになってますねー。ま、今回は俺の小隊以外、副団長派の人間ばかりなので、思う存分痛い目に遭ってもらいましょう」
暢気に話しているように見えて、脱落者が出ない程度には急いで逃走しているのですが……今、何と?
「あー、知りませんでした? うちも結構な大所帯ですから、団内に派閥があるんですよ。中でも一番酷いのが副団長の派閥なんです。半端に実力があるので性質が悪いんですよ。なんで、今回徹底的に叩き直してもらおうって事なんでしょうねー……」
「なるほど……」
それはこちらの予想とも合致する話ですね。
アウロラさんがクレフーツ家のお仕着せを持っていた。
それはつまり、クレメンテ君達はどこかで、おそらくは教国を脱出する辺りからキャストンさんと関わりがあったと見るべきでしょう。
そして、私が知る一連の絵図、勿論私に知らされていない部分も含めて、その大部分にキャストンさんが一枚噛んでいるのは間違いありません。
そんな彼が、見た目は可憐なメイドである彼女達に指導教官をさせる理由。
それは、見た目で侮った彼女達を相手に、500人の騎士が完膚なきまでに叩きのめされる事で、彼らがこれまでに培ってきた自信や自尊心、価値観を徹底的に破壊。今後の教導を素直に受け入れる素地を作る事を目的としているのでしょう。
「まぁ、即死しない限りはどんな怪我も直してもらえるので、この訓練期間で性根を徹底的に叩き直してもらえるでしょう」
加えて、クレメンテ君達が『怪我』に対して異常とも言えるほど警戒していたのは、アレのせいでしょうねー……。
この世界には回復魔法という物がありますが、大別すると二種類になります。
ひとつはゲームだった頃にもあった『HPが回復するだけ』の狭義としての『回復魔法』。
もうひとつは骨折や外傷なども治せる『治癒魔法』と呼ばれる回復魔法。
前者は防御力を貫通して負った『怪我』などを癒す事はできず、後者は完治に時間が掛かるという欠点があります。
……ですが、骨折や切り傷、擦り傷、火傷に打撲といった『怪我』全般を一瞬で治す魔法を作り出した人がいます……。
そう、壊れた物を直すという修復魔法を基に、人体を修復するという無茶な治癒?魔法を生み出した鬼が……。
但し、この治癒?魔法にも欠点があります。
それは……非常に痛いという点です!
怪我の具合によって完治するまでに掛かる時間が変わるのですが、修復している間は傷口を無理矢理抑えているのと同等の激痛が続くそうです。
おそらく、アイリーンさん達はこの魔法を習得し、クレメンテ君達もこの魔法の治療を受けたんでしょうね……。
そして、今大地に伏している彼らも、これからその洗礼を浴びるか、既に浴びた後なのでしょう……。
「どんな怪我も……ですか?」
「えぇ。四肢が千切れても直せるそうですよ」
えげつない使い方としては、ドラゴンの眼を潰した直後に修復し、瞬間的に二回分、眼を潰すに等しい痛みを与えるというものがありましたねー。
流石に今回は純粋?な治療行為に使うだけだと思いますけど。
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
今年も年度末は死ぬほど忙しい……。
これでインフル感染させられていたら本当にどうなっていた事か……。
3月15日までは忙しいですが、それ以降は更新速度を上げられると思います。
……多分、きっと、おそらく、メイビー。
次回、遂にこの作品でははじめてとなる、実力が拮抗した者同士の戦闘になる……と、思います。
そこまで行かなかったごめんなさい。




