閑話 女神
お待たせしました。
引き続き、クレメンテ視点です。
「さて、これで教国の詳細な情報は彼らの手に渡りました」
「そして、私はその情報を見返りに彼らを受け入れる大義名分ができ、君は表に名前が出る事無くこの情報を我々に報せる事ができた……そういう訳だな?」
貴重な情報が公爵の目の前であっさりと僕達に引き渡された。
それを公爵は慌てるでもなく見ていたが、これはそういう事でもあったのか……。
敵国の人間が保護を求めてきたからと言って、「はい、そうですか」と受け入れられる訳はないが、情報という手土産があれば話は別という訳か……。
「無論、それだけではありません。えー、こほん……ここにおわすクレメンテ・グレンデス様こそ、閣下のご息女、グレイシア様の伴侶に相応しきお方。ガラティーン公爵家の婿養子になさるがよろしいかと愚考する次第です」
……。
…………。
………………。
「「はぁッ!?」」
「ほぅ……」
「え? え?」
いやいやいや、こいつは突然何を言い出していやがるんだ?
見ろ、公爵も取り繕う余裕がないほど驚いているじゃないか!?
「ま、驚かれるのも無理はありませんが、先程彼らにお渡しした報告書をご覧頂けば、ご納得いただけるかと」
驚く僕らを余所に、涼しい顔で言い放つキャストン。
余り驚かなかった師匠がいち早く立ち直り──
「若、その報告書とやらを拝見させて頂いてもよろしいですかな?」
──と、尋ねてくるので、慌てて二つの容器を差し出す。
「ありがとうございます」と、一言入れてから、師匠は片方の容器を手に取り、中身を検める。
ついでなので、僕ももう一方の容器を開け、中の報告書とやらに目を通してみる。
その中身はというと、筒の中に紙が折れないよう丸められた形で収められており、取り出してみると一番上にあったのは大きな地図だった。
それには海岸線や大まかな地形まで記されているのだが、正直に言うと、僕は今まで教国全体の詳細な地図というものを目にした事はなく、これがどこまで正確なのかは分からない。
ただ……なんだろう、この地図の半分近くを占める斜線や縦線といった区分けは?
余白の部分に何か書いてあるな……えーっと?
・////部分:LV喪失地帯
・||||部分:器物喪失地帯
・∴∵部分:生命喪失地帯
・
・
……は?
『加護喪失地帯』だって?
それは、あれか? 僕らの加護が突然0になった居住地みたいな場所の事か?
え!? あんな場所がこんなに広範囲に広がっているのか?!
他にもアイテムボックス喪失地帯や魔力喪失地帯なんてものがあり、教国の約半分がこれら五種類の何れかに塗り潰されている……。
実際に体験していない残りの四つがどんなものかは想像の域を出ないが……これらの領域は、先程話に出てきた旧都トレドの目前まで迫ってきているようだ。
これが、あの魔族の女が言っていた『魔女の呪い』とも言うべき力の一端という事か……。
「やはり、トレドは陥落していましたか……」
そんな風に、あの森で見た魔女に改めて恐れを感じていると、隣から抑揚のない師匠の声がこぼれて来た。
「予想はしておりましたが、これではほぼ全滅ですな……」
「な!?」
「城壁に拠って防戦していたようだからな……終盤で包囲を突破できた少数だけが脱出でき、後は戦って死ぬか……」
「捕虜として、非戦闘員とともに後方へ送られた……と。援軍の望めぬ状況で篭城は下策、と教えてきたはずだったのですがな……」
「聖光騎士団の指揮権を団長が持っていればそうしただろうがな」
「領主ですか……」
「耳の痛い話ですな……」
三者三様に、あのキャストンですら沈痛な面持ちで語り合っている。
姉上は大人しく口を挟まなかったのに対し、僕は驚愕の声を漏らしただけであった。
「して、これが若と公爵閣下のご息女との婚約にどう繋がるので?」
は! そうだ! 問題はそれだった!!
「あぁ、それはガラティーン公爵家が抱えている問題に起因する事柄だから、爺さん達がそれを見ても理解は出来ないだろうさ」
おい! それじゃあ、僕達は何の為にこの報告書を確認したんだよ!?
……いや、まぁ、思った以上に大変な事が起こっているというのは分かったし、どの道確認する必要はあったんだけどさ……。
「という訳で閣下。まずはガラティーン公爵家で彼らの保護をしていただけますね?」
「……条件があります。あなた方が所有する教国の情報を提供する事。この条件を呑んで頂けるのであれば、我が家が責任を持って皆様のブリタニア国内における安全を保障いたしましょう」
と切り出した公爵の視線の先にいたのは……え、僕?
「若」
師匠までもが僕に判断を促してくる。
「少年。爺さんは保護者ではあっても、お前達の主ではないぞ。爺さんもお前さんに道は示してやれるが、最後にそれを進むか否かを決めるのはお前さんだ。分かるな、グレンデス家の当主殿」
「ッ!」
当主……?
あぁ、そうか……。
顔も碌に覚えていない父も、あった事のない弟も、偉大すぎる祖父ももういないんだった……。
そして、僕も居住地で暮らしていた『ただのクレメンテ』ではなく、グレンデスの家を背負って立つクレメンテ・グレンデスになったんだな……。
「姉上……」
ただ一人残った肉親である姉上に、確認するように声をかける。
すると、姉上は静かに微笑んでくれた。
そうだ。
僕がいま最も望んでいる事。それは姉上を守る事だ。
ならば、迷う事はない。
「公爵閣下。よろしくお願い致します」
「承りましょう」
◇
そして、翌日。
どういう訳か、僕はガラティーン公爵のご息女グレイシア様の婚約者候補として、急遽呼び出された彼女と会う事になった。
いや、だからなんでだよ?! 意味が分からないよ!?
あの後、手渡した報告書に目を通した公爵は、苦々しい表情を浮かべ、キャストンと何事か会話していた。
正直、その内容のほとんどは、前提となる情報を持っていない上に、僕達には分からないようにそれとなく交わされていたために理解できなかったが、こちらに確認された事もあるので、全く分からなかった訳でもない。
例えば、あの居住地において、突如加護を失ってしまった話などがそうだ。
キャストンの持ってきた情報によると、あの『喪失地帯』と名付けられた各種の地域は拡大しているようだ。
現に、一ヶ月前までは健在だった旧都トレドは陥落し、今ではあの辺りも『生命喪失地帯』という、大小を問わず生物が徐々に分解消失する危険地帯になってしまっているのだとか……。
これらの現象は、やはりあの魔女が原因であるらしく、このままでは教国どころか大陸中で女神の加護が失われ、人の住めない地になると予想される。
何せ、これらの現象はモンスターには一切影響がないというのだから、人類は神聖パニア教国が大陸を統一する以前、500年ほど前のモンスターに怯えて暮らしていた頃に逆戻りする事になる。
これを防ぐ為にも、この『呪い』とも言うべき恐ろしい現象を引き起こしている魔女を討伐する必要があるのだが、如何せん魔女が巣くっているのは教国だ。
ブリタニアが魔女討伐軍を起こそうにも、ガリアや法国に文句を言わせないだけの大義名分がない。
かと言って、最早死に体の教国が独力で討伐する事は不可能だ。
そこで僕のグレンデスという名が活きてくる。
グレンデス家は貴族ではないが、教国では下手な貴族よりも権威のある家だった。
何せ、祖父だけでなく、過去に枢機卿や大司教を何人も輩出してきた家なのだから、その生き残りである僕が故郷を魔女の手から解放するためと言えば、一応の大義名分にはなる。
この辺の事は、ブリタニアに来る前に言われていた事だ。
だから、僕が矢面に立つ分には構わない。むしろ、望むところでもある。
無論、僕の動機は「教国を救う」なんて馬鹿げた物ではない。
誰が好きこのんで、姉上を忌み子などと排斥する国を救うものか!
……が、あの魔女を倒さない限り、安心して暮らせる地がなくなるとあっては、姉上の安全も覚束ない。
何より、あの魔女は一度姉上を……である以上、戦場に立つ事に否やはない。
うん、思い返してみてもさっぱり今の状況が分からない!!
いや、待て。待つんだ、僕。
あくまで、婚約者候補だ。
婚約者となった訳でもなければ、ましてや結婚が決まった訳でもない。
公爵も、無理強いはしないと言ってくれた。
だいたい、相手の方が4歳も上なんだ。こんな子供、お断りに決まっている。うんうん。
僕だって、姉上のような淑女でなければ御免被る。
なるほど、確かに先日世話になったクレフーツ家のメイドであるアイリさんのような素敵な女性も世の中にはいる。
だが、僕の知る限り、世の女とはあのトーヤとかいう不審者にキャーキャー騒ぐ阿呆だ。
その点で言えば、アイリさんもあのキャストンに惚れていると言うのだから、残念至極。
べ、別に嫉妬じゃないぞ!?
これは、姉上こそ至高の女性だという証明以外の何者でもない。うん。
「お嬢様をお連れ致しました」
一人、思案している間に扉が叩かれ、待ち人の到着を告げられる。
両隣に座っている師匠と姉上も居住まいを正すので、つられて僕も背筋を伸ばす。
大丈夫、大丈夫。
「入りなさい」
公爵の許可を得て、扉が開かれる。
その先に立っていたのは──
「お父様、ただいま戻りました」
──姉上と同じ黄金に輝く髪を靡かせ、豪奢なドレスに負けない美貌を微笑ませ、優雅な所作で挨拶をする女神だった。
正直、何を話したのか覚えていない……。
あ、舞い上がって色々と失敗した事くらいは分かる。うん。
「実は、クレメンテ殿をお前の婚約者にと考えているのだ」
うッ!
そんな、こんな色々とやらかした後に言わなくても……。
「まぁ、お父様ったらご冗談を」
うっすらと上品な微笑を湛えて、やんわりとたしなめるグレイシア様……。
はぁ、やっぱり、まともに取り合ってもらえなかったなぁ……。
って、いやいや、元々こうなる事は予想済みだっただろ、僕!?
なんでガッカリしているんだよ?!
うぅ、にしても、グレイシア様、か……。
太陽のような黄金の輝きを放つ髪に、どこかおっとりとした雰囲気。
柔らかな微笑みに、慈愛に満ちた眼差し……まさに女神と呼ぶに相応しい。
え? 光の女神?
姉上を忌み子とか言う女神なんぞ知らん。爆ぜろ。
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
お気付きの事とは思いますが、クレメンテもシスコンです。
キャストン、ガラハッドに続く3人目のシスコンです。
そんな、割と重度なシスコンである彼がグレイシアに一目惚れした理由の大部分は第一印象です。
……ぶっちゃけ、グレイシアとアウロラって、少し似ているんですよね。
どれくらいかと言えば、アウロラの未来予想図がグレイシアっぽいって言える位には。
さて、そんな女の子が身体の大部分を食われて死んでいるところに遭遇した男が、何をしたかと言えば……。
ま、ただの自己満足なんですけどね。
さてさて、次回からまたグレイシアの視点に戻ります。
クレメンテが婚約者候補に取り立てられた理由は、きっと公爵が教えてくれるはず!
あ、因みに、この作品、シスコンはまだ未登場のキャラ達にもいます。
ヒント:アシュフォード侯爵家は3人兄弟妹で、バーナード伯爵家は3人姉妹弟です。




