第11話 目覚める姫騎士
お待たせしました。
今回でブリジット編は最終話となります。
「あー……そろそろ機嫌を直してくれんかね?」
そんな声が私の頭上右側から聞こえてきます。
「ほら、人の目も増えてきた事だし」
確かに、少々騒がしくなっている気もしますが、こんな機会はそうそう巡ってくるものではないので、ここは聴こえない振り一択です。
まぁ、簡単に現在の状況を説明しますと、本日の授業が終わった学園内で、キャス様の左腕を私が、右腕をフレア様が抱き付いて専有している次第です。
私が表に出ている状況。合法的にキャス様の腕に抱き付いていられる状況。更には、移動に支障をきたすために、1秒でも長くキャス様の温もりを堪能できるとあっては、この状況を維持したいと言うもの。
それは反対側を専有しているフレア様も同様で、私が左腕に抱き付いているのを見て、一瞬の躊躇もなく反対側の腕を抱きかかえられました。
何故こうなったかと言えば、カルボネック山の山頂、登ってきた方向とは反対側の峻険な崖へと飛び込み、死を意識した私が『ボク』を押しのけて表に出てきました。
代われと要求されていますが、貴女は告白できたのでよろしいでしょう?
今しばらくは私の時間です。
そして、理屈は分かりませんが、空中に見えない足場があるかのように、キャス様はカルボネック山を下山したのですが……。
そんな事が出来るなど、全く知らなかった私は腰を抜かしてしまい、防寒具や装備一式をしまった後も、こうしてキャス様の腕にしがみ付いて転送魔法陣をくぐって学園まで帰還したのです。
転送魔法陣のある部屋の出入り口ではフレア様が待ち構えておられ、この状態を見てすぐに、私を引き剥がすよりも、自分もこの役得に浴した方が良いと判断なされた結果、現在に至るという訳です。
因みに、フレア様が都合よく待ち構えている事が出来たのは、授業時間中に私達が転送魔法陣のある部屋へ入っていったのを感知し、放課後までに帰ってくるのを感知していなかったからだそうです。
行き先が分からない以上、帰ってくるのを待っているのが確実という事ですね。
そういう訳で、制服姿の女子生徒と、メイド姿の私を両腕にぶら下げているキャス様は、まだ学園の敷地内という事もあって非常に目立っているという次第です。
とは言え、兄妹が腕を組んでいたり、使用人と腕を組んでいるくらいで目くじらを立てるような者はいないので、目立つくらいは我慢して頂きたく思います。
……私にグレイシア様やアイリほどの凶器があれば一考もするのですが、ないですしね……。
「な、なにをしているのですかッ!?」
はて? どこかで揉め事でしょうか?
神子一派がいなくなった後でも揉め事が起きるとは、生徒会のグレイシア様達も大変でしょうね。
って、あら? キャス様の歩みが止まりました。
キャス様の温もりを全力で感じるために、閉じていた目を開けると、そこには私達の行く手を塞ぐように立っている男子生徒の姿がありました。
制服から察するに、1年生ですね? フレア様に想いを寄せる方が、兄妹と知らずに文句を言いにきたのでしょうか?
それも変ですね? 何せ、クレフーツ兄妹は学園で3番目に有名な兄妹ですし……。
「バーナード伯爵家のご令嬢に使用人の格好をさせ、そればかりかそんな、そんなけしからん事をッ!」
……なんと、私ですか?
「はぁ……こういう面倒臭い系お約束イベントを起こしたくなかったから、さっさと帰りたかったのに……」
あぅ! 仰る意味は半分ほど分かりませんが、呆れたような視線が刺さります。
でもでも、こんな機会は本当にないんですよ?
「仕方ありませんわ、お兄様。これまではグレイシア様やアイリーン様が特に目立つせいで、ブリジット様はご自覚がありませんでしたもの」
「お前も目立っている原因の一端を担っているからな?」
「さて、何の事やら?」
私の訴えかける視線にたじろぐキャス様。
そこへすかさずフレア様の擁護?らしき言葉が入りますが、キャス様の切り返しも尤もな話で……。
「わ、私を無視するなぁッ!」
地団駄を踏むと言う分かり易い動作で不満を表す男子生徒。
やはり、お呼びではないという事をご理解頂けませんでしたか……。
それにしても、私が直接キャス様と触れ合えると言う、非常に貴重な一時を邪魔してくれるこの方はどちら様なんでしょうね?
え? 『ボク』が去年の初実習で引率した1年生ですか?
でも、派閥は違うのでしょう?
あぁ、派閥が違うからこそ諦めていたのに、家格だけで言えば明確に差があるクレフーツ男爵家のキャス様と腕を組んでいるからやるせない……という事でしょうか?
あ、ちょッ?! 私はまだキャス様に告白できていませんのよ!?
◇
「ボクはただのメイド。誰と勘違いしているのか知らないけれど、今のボクはクレフーツ家に仕えるただの使用人でしかない」
抵抗する『私』を押しのけ、キャス様にキャンキャンと吠える1年生にぴしゃりと叩き付ける。
暗にボクが既に貴族籍にない事、望んでこうしている事を仄めかす。
遠巻きに見物している他の生徒達がこの言葉にざわめく。
それは目の前の1年生も例外ではない。
「な、何を仰っているんですか、バーナード先輩?」
「ボクはただのブリジット」
首を横に振り、ダメ押しとばかりに事実を告げる。
「…………そうか、そういう事か……はは、なんだ、簡単な事じゃないか……ははは……」
「あらあら、完全に壊れましたね」
「壊れたって、単にフラれただけだろ?」
? 誰がフラれたのだろう?
もしかして、ボクが今日キャス様に告白してフラれた事を知っているのだろうか?
まぁ、それで諦める訳ではないから、知られていても構わないけどね。
「甘いですわ、お兄様。嫉妬の感情に男も女もありません。だいたいが理不尽極まりないものです。そもそも、あの類に絡まれて、一度でも真っ当な解決を迎えた事がございますか、お兄様?」
「ぐうの音も出ないほどの正論だな、妹よ……」
「ぼ、僕を無視するなぁッ!!」
キャス様もフレアも、隠す事無く普通に会話していたから、1年生に丸聞こえだったしね……。
「キャストン・クレフーツ! その女はお前のような貧乏男爵家には荷が重かろう? 私の妻に……いや、それではバーナード伯爵家の不興を買うか? まぁ、いずれにせよ、領地で囲っておけばいいんだ。だから、貴様の連れているメイドを私に寄越せッ!」
……は? 何を言っているんだ、この1年生は?
──プツン
うん? 今、何か聴こえなかった?
「あーぁ……素直に諦めるなり、堂々と挑むなりしていたら無事に済んだものを……自分に都合が良いように思い込んだせいで、虎の尾を踏んでしまいましたねー、彼」
やれやれと言わんばかりに溜息を吐いたのはフレアだった。
気が付けば、ボクが抱えていたはずのキャス様の腕はそこになく、ボクとフレアの間に立っていたはずのキャス様の身体もそこにはなかった。
「黙れ、クソガキ。真っ当に想いを告げる事も出来ないなら、せめて力尽くで奪うくらいの気概を見せろ」
キャス様の声と共に、風が吹いたかと思うと……。
「ひッ?!」
男子生徒の頬が薄皮1枚分、綺麗に裂けていた。
それに気付いた彼は、腰を抜かして尻餅をついてしまった。
ほぼ間違いなくキャス様が何かをしたんだろうけど、残念ながらボクにはキャス様が一歩前に出たくらいしか分からなかった。
「俺が掻っ攫ってきたご令嬢達に用があるなら、先に俺をどうにかする事だな」
その宣言と共に、キャス様がこちらに向き直り、本日三度目のお姫様抱っこをされ、それを見た女子生徒からは黄色い声が上がる。
……どうしてこうなった?
……まぁ、いっか。今はこの役得を存分に、三度目にして漸く思う存分にこの体勢を味わえるのだから、細かい事は後回しだ。『私』が代われと煩いが、君は先程まで甘えていただろう。
そう開き直って甘えると、黄色い声は更に大きくなり、ただの声ではなく声援と言えるものに変わっていた。
本当にどうしてこうなった?
「はぁー……やっちまった……」
校門付近まで来ると、学園関係者の数はぐっと減り、疲労感の滲む声をキャス様が吐き出す。
「全部お兄様がなさった結果ではありませんか? それがお嫌でしたら、今後はご自重下さい」
後ろから付いてきていたフレアがそう返す。
「うぅ……」
「えっと……どういう事?」
校門に辿り着くとお姫様抱っこは終わり、地上に降ろされたので、何が起こっているのか尋ねてみる。
「早い話が、『アイリーン・アシュフォードとブリジット・バーナードは俺が嫁にしたから、文句のある奴は掛かって来い!』と、お兄様が大々的に喧伝したという事です」
「…………はい?」
「嫁は言いすぎだ! 身柄を預かった……くらいのはずだぞ」
えっと……それが事実であるなら、むしろ望むところであるのだが……。
「はぁ……安心しきってお兄様に甘えているブリジットさんの様子を見れば、真っ当な人間はそう考えます。お兄様のそれは、現実を受け入れられず、自身に都合の良いようにしか解釈しない愚か者のそれです」
「うぐ……」
「まぁ……自己評価が低くて、現状を認識できていない方がいらっしゃるようですけど……」
はい。すみません……。
フレアの話を要約すると、あの年の瀬の一件以降、案の定ボク達の噂が学園を通して国中の貴族に広がった。
ボクとアイリ以外の被害者達に関しては、表舞台に出なかった事もあり、誤情報を幾つか流す程度でどうにでもなったようだが……やはり、一瞬とはいえ表舞台に立ったボク達二人に関しては、色々な憶測が飛び交ったそうだ。
中にはかなり痛い所まで冗談半分に推測されたものもあったようだが、グレイシア様の取巻きのはずなのに、神子に加担して不興を買い、実家から離縁された……というのが大方の予想とされた。
ところがだ、そんな渦中の人物であるボクが、メイド服姿のルンルン気分でキャス様と腕を組んで、のこのこと学園に現れた。
いや、これはどちらかというと、『私』のせいであって……勿論、目的を果たしたら、さっさと帰るつもりだったよ、ボクは。うん。
……まぁ、それはともかく、ボクのそんな現況を目の当たりにして、学生達の間で沈静しかけていたあの一件は、再度燻り始めたという訳だ。
例えば、フレアが言うところ、ボクに想いを寄せていたらしいあの1年生は、ボクが実家から離縁されただけでなく、罰としてクレフーツ男爵家に払い下げられた……みたいな事を考えたらしい。
これは、ボクが嫌々キャス様と腕を組まされていた……そうであってほしいという彼の願望に起因する考えだそうな。
そんな感じで、再度あの一件に関する話題が燃え広がるのは好ましくないため、キャス様は種火に油を注いだ上に、大鋸屑まで大量投入して一気に燃え尽きさせつつ、文句があるなら全部自分の所に持って来い!という対処に打って出たとの事。
でも、それって……。
「この際ですから、妹も俺の嫁宣言なさいませんか、お兄様?」
「いや、する訳ないだろ?」
「ぶー」
兄妹が二人揃って戯れているものの、そこに混ざる余裕はなく……。
「そんじゃ、俺達は帰るよ」
「はい。次に学園にいらっしゃるのは……」
「卒業試験を受けに来る時だろうから、その時には一学生としてだな」
「あぁ……なるほど、それは風通しも良くなりそうですねー」
澱みなく交わされる会話の数々に、仲の良さを感心しつつ、果たしてボクは姉や弟とここまで互いの事を理解し合えているだろうか?と疑問を覚える。
それでいて、アイリとなら近い事が出来ると気付いてしまい、姉弟に対して薄情かな?と不安も覚える。
そんなどうでもいい事を考えていないと、自分に都合の良い考えに囚われてしまいそうで……。
「ほら、帰るぞ、ブリジット」
ボクの頭を埋め尽くそうとする、都合の良い幻想を追い出す作業に躍起になっているうちに、二人は挨拶を済ませそれぞれの帰路へと着き、ボクは出遅れてしまっていたようだ。
そんなボクに対し、キャス様は手を差し出して待ってくれていた。
「あ、はい?」
その手を殆ど反射的に取り、キャス様の体温を感じてしまい、幻想は加速度的にボクの頭を占領しようとする。
「あ、あの、キャス様!」
「うん?」
勢いに任せて真意を尋ねようと、思わず口が動いてしまったが……思い出したくもない嫌な記憶を無理矢理掘り起こしてでも、それに待ったをかける。
ボクを、『ブリジットを嫁にした』というのはあくまでフレアの意訳であって、キャス様自身は『身柄を預かっている』程度の認識でしかないんだ。
なのに……
「ふむ……よく分からんが」
左手はボクの手を握ったまま、胸板にボクの頭を押し付けるように右手で抱き寄せられ、後頭部を中心にあやすように撫でられる。
この体勢なら、きっと学園の門衛達からもボクの泣き顔は見えない事だろう。
そう、淡い期待と、それを抑えつけるために掘り起こした記憶と、その他様々な事で混乱したボクは、訳が分からなくなって涙を零してしまっていた。
「ゆっくりやっていけばいいんじゃないか?」
「ゆっくり?」
それは多分、混乱して泣いてしまったボクに対して、一つずつ順番に処理していけ、という助言のつもりなんだろうけど……そうだね、初志貫徹という言葉もある通り、ボクはゆっくりとキャス様の『大事な存在』になっていけばいいんだよね……。
「うん。そうする」
「おう。そうしろそうしろ」
あやすような撫で方から、元気付けるような撫で方になる。
ちょっと髪が乱れるけれど、気持ちが良いのでされるがままにする。
焚き付けたのはキャス様自身だから、覚悟してください……落とすまで、諦めませんよ?
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
この日を境に、とあるメイドさんの朝駆けが始まります。
「夜明け直前の奇襲は戦術の基本」と言っていたとかいないとか……。
親友に一歩譲りつつも、邁進する彼女の『戦』がどうなるのかは……作者もまだ知りませぬ……(汗)。
さて、次回は1話分、教国組のその後を書いた後、漸く彼女の修行編というか苦労譚が始まります。
もう少々お待ち頂ければ幸いです。




