第7話 密偵衆の受難
お待たせしました。
「まぁ、こやつらの問題を片付ける前に、一つ謝らねばならん事がある……」
「あー、ひょっとしなくても、卒業に関する事ですか?」
一つ咳払いをしてから切り出す学園長。
その内容が予想できたのか、確認するキャス様。
「うむ。飛び級で卒業させるなど前例がない上に、表向きお主の成績は平均以下となっておるからな。一部の教員から反対意見が出ておる」
学園は毎年実習以外の成績で所属クラスを変えている。
そして、各学年3つあるクラスの内、キャス様は1年次も2年次も一番下のクラスだった。
まぁ、これは多分に処世術によるところが大きいだろうけどね。
何せ、クレフーツ男爵家は掛け値なしの土地なし役なし資産なしの小身貧乏貴族だ。
上を目指すつもりなら学園での成績は重要だが、そうではないのなら大身の貴族子女に上位を譲った方が揉めずに済む。
あ、因みに、フレアは学年総合5位という成績だ。上位四人はいずれも家柄が良い子女で……まぁ、そういう事だ。
揉め事も若干起きているそうだが、ほぼ独力で片付けていると、グレイシア様やアイリが以前言っていた。
「ま、そういう事でしたら仕方ありませんね。そちらの要求する試験でも何でも受けましょう」
「流石に理解が早いのう。では、近い内に卒業試験を行うので……」
「あ、ただ自分だけが試されるのは癪なので、こちらからも反対なさっている教員方に出題させて下さい」
えーっと……どういう事?
「ほっほぅ、面白そうじゃの。お主がどんな底意地の悪い問題を出すのか楽しみじゃ」
「あっはっは。そんなまさかまさか。学園長の決定に臆せず反対意見を述べる、貴重な教育者の皆々様です。きっと、成績底辺学生の出す問題など、余裕で正解してくれますよー」
後で聞いたところによると、あの一件でガウェインに便宜を図り、ボク達に手を出していた教員は一掃された。
だいたいが貴族籍を失った元貴族の次男、三男だったので、不幸な事故や不治の病に……というありきたりな最期で済ませたらしい。
だが、それ以外にも色々と問題のある教員というのは残っているそうで、この際だから『能力に問題あり』という解雇理由を作ってしまおうというのだ。
……結論から言えば、学園は大分風通しが良くなったそうだ……。
それはさておき、キャス様の卒業が話題に上ってからというもの、またもや密偵達の落ち着きがなくなった。
まぁ、それはそうだよね……。
残り一年の間に、何とかガラティーン公爵家の婿養子にしようとしている相手が、あっさり射程圏から脱出したのだ。
今すぐにでもこの情報を持って帰りたいところだろうが……。
「さて、それではいよいよこやつらに関してじゃが……」
まぁ、今更ここから逃げ出す訳には行かないよね?
彼らはボク達が……というか、キャス様が来た時点で誘いを固辞し、退出しておくべきだった。
それが、欲を掻いて少しでも情報を集めようとした為に、もう逃げられないところまで追い詰められてしまった。
キャス様の性格が悪いというのもあるだろう。根性も悪いし性根も悪い。
彼らの運が悪いというのもあっただろう。間が悪いとも言える。
だが、一言で纏めるならば、相手が悪い。これに尽きるだろう……。
「察するに、『気』の使い方を習いたいというところでしょうか」
キャス様の一言に動揺する密偵達。
『気』
あの事件の折、キャス様達が明かした魔力とは別の力。
今の所、キャス様とフレアの二人しか使えず、マーリン学園長が研究中との事。
ボクも覚えたいんだけど、魔人薬の影響があるうちはダメって言われた。
完治する前に習い始めると、変な癖を覚えてしまうんだって。
だから、今は基礎となる身体作りなどに精を出している。近接格闘もその一環。
「うむ。特定の人物に対して尾行、監視、調査といった活動が見破られ、正体が露見してしまうのは、『気』という技術を理解、体得していないが故のものと判断。教えを乞うて来たのじゃが、儂自身他人に教えられるほど精通しておる訳ではない」
「そこへのこのこと自分が来たという訳ですか。まぁ、自分もまだ修行中の身ですが、基礎を教えるくらいは構いません」
「では?」
「えぇ、引き受けますよ。まずは下心などではなく、本当に相手の立場になって考え先を」
「あ、そのネタは既にやったぞい」
「……ち」
……多分、『気』は気でも、『気遣い』みたいな事を言おうとしたんだろうな……。
密偵達も……うん、ボクの語彙では表現不可能な雰囲気になっている。
「とはいえ、先程も申し上げた通り、今日はあまり時間もないので……」
その言葉に一部から安堵の吐息が聞こえるが……。
「超促成突貫調練と参りましょう」
と言って、アイテムボックスから小さな黒板を取り出すキャス様。
それに対し、『促成』で『突貫』な上に超まで付いてしまう調練に不安を隠せない密偵達。
その様子に頓着する事無く、黒板にほぼ同心円の三重丸を書いたキャス様は、それを彼らに見せる。
「まずは基本中の基本となる座学から。適当に書きましたが、この丸は人間だと思って下さい。この一番真ん中の円。これが『気』と呼んでいるものです。これはその人間の生命力そのもの。使うなり奪われるなりして減れば、自然回復するのに相応の時間が掛かる上、回復したとしても以前ほどの量はありません。基本的に、これを消費するような使い方はオススメしません。早死にしたいなら構いませんけどね」
まさに、それを消費する形で治療しているのがキャス様で、一方的に貰う形で治療されているのがボク達だ。
その辺の事について、キャス様は何も言わないけれど、ボクはフレアから聞いて知っている。
「ま、これを直接行使しよう何て、余程修練を積まないと無理なんで、今は気にしなくて構いません。次に、その一つ外側の層。これは『気息』と呼んでいるものです。これを一言で言ってしまえば、余っている『気』です。もう少し詳細に説明するなら、『気』という塊から漏れ出た部分です。一般的に使用するのはここの部分ですね。これなら、全部使い切ったとしても死ぬ事はありません。倒れるくらいで済みます。ここも時間経過による自然回復が可能です」
ボクの場合、この部分が汚染されている為に、現状で『気』の……『気息』の使い方を覚えてしまうと、悪い癖が付いてしまうのだそうだ。
その上に、下手をすれば魔人薬の影響が一生治らなくなる場合もあるそうだ。
「最後に一番外側の層。ここは『体内魔力』と呼んでいるものです。まぁ、これに関しては今更説明するまでもありませんね。さて、『気』を行使するに当たって、一番最初の関門。それはこれです」
そう言うと、キャス様は黒板に書いた三重丸。その外側二層を塗り潰した。
「通常、『体内魔力』と『気息』はこのように混ざり合っており、この状態が一般的には個人の持つ『魔力』として認識されています。まずはこれを先程の状態に移行させ、『気息』を感知出来なければなりません。さて、本来であれば、それを習得するには肉体的であれ精神的であれ、長期間に亘って苦行を積む必要がありますが、皆さんは三大頂点の密偵。現在の世界情勢を鑑みれば、そんな悠長な事は言っていられません」
一旦、黒板をテーブルの上に置き、準備運動をするかのように肩を慣らすキャス様。
それを見て、嫌な想像が過ぎっているのか、表情を歪ませる密偵達。
「幸いな事に、皆さんの内三名は女性。自分の房中術を介せば」
「嫌です!」
「この初期段階は到達できます。男性六名も」
「聞きなさいよ?!」
「極微量の『気息』を送り込み、『気息』の感知」
「無視するなぁっ!」
「の一歩手前、手がかりくらいは身体に覚えさせる事が可能です」
キャス様の台詞を、この学園長室に入った時から、彼を睨むように見ていた一人の女性が遮る……ものの、一向に介されなかった。
「ふむ? 確か、『気』を叩き込んで無理矢理習得させるのは危険なのではなかったか?」
流石に、学園長の台詞に割り込む事はしなかった。
「何の訓練も受けていない者や、騎士等の戦う事を生業とする者にこの方法は採れません。既に密偵として活動している彼らだからこそ可能な方法です。また、これはあくまで体得の為の下地を用意するだけであって、これだけで完成には至りません。そういう諸々の事情が重なって確保できる安全策です」
「なるほどの。まぁ、いずれにせよ、これまでの話を聞かせた以上、このまま彼らを逃がすつもりがないのであろう?」
「ま、そういう事です」
その瞬間、一斉に身構えた密偵達。だが、時既に遅く、キャス様を中心に凄まじい圧が拡がる。
それに飲み込まれたボクは何とも感じなかったのだが、密偵達は一斉に腰が抜けたかのようにへたり込む。
「うぅむ。確かに、用意のない者がこれを浴びれば、問答無用で『魔力』に含まれる『気息』が励起させられるのう。これを感知できれば、『体内魔力』と分離させる手がかりになるじゃろうな」
学園長も何事もなかったように感想を述べている。
「ふむ。ブリジット君が無事なのは、既に『気』の扱いを習得している……という訳ではなさそうじゃの。単純に、彼女には殺気を放っておらなんだか」
「はい。あれの影響がなくなるまでは……さて、これで皆さん、身体の内側で何かが暴れ回っている感覚があると思いますが、それが『気息』です。微量の『気息』に強烈な殺意を乗せて放つ事で、生存本能に問答無用で覚醒を促しました。忘れないように本能に刻み込んで下さい」
何でもない事のようにあっさりと告げるキャス様。
多分、やられた方は溜まったものじゃないと思うな……。
その証拠に、殆どの密偵達が顔面蒼白になって歯の根が合っていないし……。
「こ、このくらい、下水掃除に、比べたら……」
そんな中、一人だけ気丈に反発する声が上がる。さっきの女性だ。
「あぁ、貴女は……えーっと、そういえば、本名はお聞きしていませんでしたね? その節は自分の代わりに下水掃除を手伝って下さったようで、ありがとうございました」
「ぐぎぎッ」
いや、うん。そりゃ、密偵が本名を名乗る事はないと思うな……。
にしても、やっぱり面識、というか因縁があったんだね。
「まぁまぁ、お礼と言っては何ですが、自警団の戦闘力の秘密。その一端を教えて差し上げますので……」
「な、なにを?!」
そう言うと、キャス様は彼女の両手を握る。
多分、ボク達も治療として受けている房中術の『手合わせ』とかいう方法なんだろうけど……。
「はい、行きますよー」
「や、やめッ!?」
──暫しお待ち下さい──
「ふぅ。とまぁ、『気息』を体内で循環させる事で、感知能力を含む身体能力が飛躍的に上昇するという訳です」
ちょっとお見せできない具合に三人の女性が屍を晒している。
勿論、比喩的表現であって、本当に死んでいる訳ではない。ちょっと、察してあげて欲しい。
「キャス様。ボク達も治療として房中術を受けているけど、ここまでの状態になった事はない。どうして?」
「あぁ、目的が違うからだな。今回、『気息』が循環するという事を実感してもらう為、わざとこういう形になるように流し込んだ」
テーブルに置いていた黒板を取り上げ、新たに三重丸を書くキャス様。
但し、その新しい三重丸は、二つ目の丸が激しく波打っていた。
「治療目的だと、被施術者の負担が少なくなるようにする必要があるが、今回のように『気息』の流れを感知させる事が目的なら、被施術者に負担を掛ける方が感知し易いんだ。……まぁ、代わりに感度も相応に上がってしまうんだけどな……」
使用人として付き添っているボクが質問したのには当然訳がある。
「さて、全員ぶっ倒れたところで、自分はカルボネック山に行きます」
「うむ。この許可状を持って転送魔法陣に向かうといい」
女性密偵三人の意識を落とす間に、残っていた男性陣も一人また一人と気を失っていったからだ。
悲惨すぎる展開に、無言を貫けなかった……。
「ありがとうございます。彼らは一両日中には目を覚ますでしょう」
「うむうむ。こちらも面倒な仕事が片付いて助かったわい。儂は技術・理論畑の人間じゃから、こやつらのような直感・実践畑の人間を教えるのは難儀する事確実じゃ。研究がどれほど遅れる事になっておったか……」
「いえいえ。自分としても、今回の件はいずれ宰相閣下辺りに報告に行かなければならなかったでしょうが……正直面倒事が待ち受けている事請け合いな王城に出向くとか、御免被りたいので彼らが報告してくれるのは助かります」
「とは言え、今すぐに報告されると対策を取られる。1日ほどは遅らせたいお主としては、諸々ここで済ませる事が出来て大助かり……という訳じゃの」
「ま、そういう事です」
……うん。本当に酷い……。
宮廷で暗躍する狸や狐達が可愛く見えるくらい酷い話だ……。
まぁ、どの道、この国の目であり耳である彼らの生存率向上は急務だし、悠長に調練する時間なんてなかったんだろうけどね。
……バーナード家の密偵にも習得させたいところだけど、ボクはもうクレフーツ家の人間だし、お門違いだよねー。
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
……4月はヒノキ花粉のピークらしいです……。
目が痛い! 鼻が詰まる!!
ガスマスクが欲しいです……。




