第6話 賢者と悪巧み
エレインさんやエステルちゃんがキャス様に雇われた次の日、ボクは久し振りにキャメロット学園を訪れた。
勿論、既に学籍を返上しているボクは制服姿ではなく、クレフーツ男爵家の使用人として、キャス様の付き添いとして来ている。
今日の付き添いはボク一人だ。
昨日に引き続き二人とも遊ばせている訳にはいかないし、何よりエレインさんという即戦力の使用人を迎え入れた事で、いよいよボク達への使用人教育が本格的に始まったというのもある。
フレアにいたっては昨日の時点で学生寮に戻っているから、今頃は授業中だろう。
……因みに、同じ学生であるはずのキャス様が授業を受けていないのは、昨日お屋敷に戻ってから発した「あ、それと学園はもう卒業資格もらえるから」という一言に尽きる。
通常より1年早い卒業は文字通り不意打ちと言え、男爵家を継ぐ準備はおろか、ガラティーン公爵家が婿養子に取る根回しも何もかもが全く進む暇も無く、更には家督を弟のクリフトン様に譲るとまで宣言してしまっている。
学園卒業後に跡継ぎ以外は貴族籍を外される──正確に言えば、跡継ぎも貴族籍から外れるのだが、その後に親から爵位を相続されたり、複数の爵位を持つ貴族なら、一部を譲渡されたりする──から、諸々外堀を埋められる前に、貴族籍そのものを返上する腹積もりが透けて見えるね。
……宰相閣下達が頭を抱える光景が眼に浮かぶよ……。
それはさておき、学園と言っても敷地は相応に広い。
流石に王城ほど広くはないけれど、王都でも上位に入る広さだ。
そんな中で今日訪れているのは、学生が来る事はまずないと言える区画。つまりは──
「ちゃーっす」
「おぉ、お主か。丁度良いところに来たのう」
キャス様の軽すぎる挨拶?に鷹揚と応える、深緑色のローブを纏ったお髭が特徴的なお爺ちゃん……。
って、いやいや、その人賢者様だから。他国からは賢聖と謳われる大賢者だから。この国の影の重鎮だから。
「そっちの案件は見て分かりましたが、こっちも急ぎなんでそう時間は取れませんよー?」
「うむ。儂もさっさと済ませて研究室に篭りたいので手早く行こうかの」
二人の何とも気安いやり取りに、ボクと先客……学園長室に詰め掛けていた九人の男女が目を点にして驚いている。
そう、キャス様はマーリン学園長に会いに来たのだ……約束も何もなく、突然押しかけ案内も付けず、勝手に学園長室へ乱入するという暴挙でもって……。
いや、流石にこれはないと思う……何がって、平然と対応する学園長にだ……。
「ブリジット君も息災そうで何よりじゃ」
「お久し振りです」
好々爺然とした柔和な笑顔で、ボクの様子を認める学園長に会釈を返す。
「うむ? 幾分か……いや、良い事じゃな。して、今日はどうしたのじゃ?」
「あの、マーリン様?」
「お主らの持ち込んだ案件は、こやつに任せるのが手っ取り早いというのは、お主ら自身が一番分かっておるじゃろうが?」
「あー、やっぱりそれ系の案件ですか?」
何かを感じ取ったのかボクを訝しむものの、良い変化だろうとそのまま流される。
まぁ、分かってはいたけど、この方も只者ではない。
それはそれとして、先客の中で代表らしき男性が抗議するかのように、学園長に話しかけるもあっさりと一蹴される。
キャス様も、彼らの事を知っているのか、事情を分かっている様子。
……露骨にキャス様を警戒している女性が一人いるし……。
「ま、とりあえずはこちらの用件を聞いてください。三大頂点の密偵衆の方々も是非に」
その一言にざわつく彼ら。というか、ボクもビックリだよ。
え、王家や二大公爵家の密偵を知っているの?
「ほっほっほ。やはり分かるか?」
「えぇ、大半の顔に見覚えがありますし」
うん。密偵殺しと言っても過言ではない台詞だね。
ボクなんか、こうして見知った今でも、彼らの顔を忘れそうなくらい特徴が掴めないのに……。
なるほど、確かに昨日の密偵とは出来が違うな。
「それで、どんな用件なのじゃ? 一昨日の写本のような案件なら大歓迎じゃが?」
「片方は似たようなものです」
「ほほぅ! という事は2つあるという訳か」
「はい。まずは、『カルボネック山』への転送魔法陣を使用させて頂きたいのです。これはもう今すぐにでも」
「ふむ? ダンジョン化した山じゃの。そこそこに難易度の高い実習地じゃが、なんでまた? お主ならば、スレイプニルの足で一日と掛からん距離じゃと思うが?」
キャス様の事情をある程度知っている学園長からしてみれば、当然の疑問だろう。
カルボネック山は学園の実習地の一つではあるが、関係者以外立ち入り禁止という訳ではない。
正確には、山一つ分の立ち入りを監視するなんて、無駄も甚だしいという事だ。
「カルボネック山には、魔人薬の治療に必要な材料を採りに行きます」
その一言に、同席させられている密偵達がまたもざわつく。
そりゃ、彼らもその職業上ある程度は事情を知っているだろうし、特にガラティーン公爵家の密偵達にしてみれば、この時点で治療薬なんて完成されたら、キャス様を婿養子にして諸々責任を引き受けさせる……なんて事が難しくなる訳だしね。
「ほう……。各研究機関でもまだまだ先が見えんというのに、流石と言うべきかのう?」
「いえ、残念ながら、これは俺が見つけた訳ではありません。……ガラハッド親子の研究内容だったんです。俺はそれを拝借しただけに過ぎません」
「ガラハッド・エレイシスか……彼はどちらかと言うと錬金術に傾倒しておったが、親子揃ってか……惜しい人材を亡くしたの……」
マーリン学園長は学園の教師となる以前、軍務省の魔法技術開発研究所で研究者として勤めていたから、錬金術には否定的……と思われがちだが、奥方は当時の国立錬金術研究所の所属研究者なので、錬金術にも理解がある。
まぁ、それ以前に、前途有望だった研究者を、それも、平民出身という資金的に不利な状態をひっくり返すほどの才能があった人物の喪失を嘆いているのだろうが。
「ま、そういう事であるなら構」
「お待ち下さい! それでしたら、是非に国立の研究所に情報を提供してお任せ頂きたく思います! クレフーツ様には、開発よりも現在の治療を優先して頂ければと」
学園長が許可を出そうとしたところで、密偵の一人が口を挟む。多分、ガラティーン公爵家の人なんだろうなー……。
先に割り込んできたのはこちらだとは言え、それを学園長自身が認めている中、その学園長の言葉を遮って意見を述べるなんて、主の顔に泥を塗るに等しい行為だけど……そこは自分の(物理的な)首をかける事で済ませようとか思っているんだろうな……。
主家に尽くそうとする姿は立派だね。……まぁ、あんまり意味はないだろうけど。
「……だ、そうじゃが?」
幾分。若干。本当に僅かながら、不快さを示すものの、学園長はそう尋ねる。
「残念ですが、この薬は今すぐに必要なのです。というのも、この薬の本来の効能は魔人薬を治療するものではなく、その手がかりとなるものに過ぎません。自分は、この薬をガラハッドの妹に提供する事を条件に、彼の遺言によって製法を譲渡されました。それを他者に譲る訳には参りません」
勿論、これは事実ではあるが、同時に建前でもある。
キャス様の本音を言えば……「アホか。足を引っ張り合うだけの各研究所に情報を提供してみろ。最悪、焼失なんて事態になりかねん。その間に外堀を埋めようとか、片腹痛いわ」と言ったところだろうか?
この場合、故人の遺志で提供されたという点と、その故人がある程度自業自得とはいえ、王国側の理由にほぼ巻き込まれるような形で亡くなっている事、更には遺族に支払われる見舞金がまだ払われていないという事実が重い。
それらの事情をぶん投げて、いいから寄越せ! と強権を揮える立場にある人物がこの場にいない現状、もうこれ以上彼らの都合を反映させる事は出来ない。
「また、これを得る際に教会派の貴族と揉めました。おそらく、今日にでもボールス枢機卿の所に泣きついているでしょうが、相手が自分だとなれば自重を命じられる事になります。なので、明日には新しい飼い主のライ」
「待て待て待て。お主、今さらっと儂を面倒臭い事案に、それも宗教絡みの政治問題に巻き込もうとしたな?」
「ち」
「こやつらを利用して儂まで巻き込もうなど、油断ならん奴じゃのう……儂はそういう煩わしい面倒事に関わりたくないから実家を潰しまでしたと言うに……」
このやり取りで一番驚いたのは間違いなく密偵達だろう。
主の顔に泥を塗ってまで果たそうとした忠義が、逆に利用されて更なる上塗りになるところだったのだから。
まぁ、そんな厄介事に巻き込まれたくない学園長が途中で止めるのは間違いないけど、これで彼らは下手に口を挟めなくなった訳だ。
どんな風に悪用されるか分かったものじゃないしね。
「ま、事情は概ね分かった。お主は現状学籍が残っておるし、ブリジット君の分も問題はない。何せ、今年は例年以上に中途退学した者が多いからの。魔法陣の使用制限にはまだ余裕がある。して、もう一件の方はどんな話じゃ?」
そう言うと、一筆したためながら、これ以上面倒な話は聞きたくないとばかりに水を向ける学園長。
「これを作って欲しいと言いますか、やって欲しいと言いますか……」
「どれどれ……これは……本気、なのじゃろうが、しかしこれは……」
キャス様の取り出した巻物を紐解き、中を検める学園長。
その表情は次第に困惑に変わっていく。
「出来ませんか?」
「む。可能か不可能かで言えば、技術的には可能だろう。多少時間は掛かるがの。じゃが……こんなものをどうするのじゃ?」
「今ここで明かす事は出来ませんが、探し物が見つからなかった時の保険と言ったところです。使わずに済めばいいんですけどねー……」
二人が何について論じているのか、ボクには勿論、完全においてけぼりにされた密偵達にも分からない。
まぁ、碌な物じゃないんだろうなー……。
「問題はその一歩手前というか一歩先というか……その辺りの技術を流用してもらいたいんですよ」
「む? それはどういう……? ほぅ、なるほどの……東側の抑えにしたいという訳じゃな?」
「えぇ。西に目を向けている現状、背後になる東で問題を起こされると溜まったものじゃありませんからね。王家に打診すれば、喜んで研究費用も出してくれますよ」
巻物を読み進め、何かに気付いた学園長。
ボクには『西』がウェストパニア教国、『東』がイーストパニア法国を指しているという事しか分からないが、密偵達はある程度見当が付いたみたいだ。
……いや、ひょっとしたらボクの見当は外れているのかも?
「じゃろうな。応じれば態のいい人質。応じなければもう切り捨てて考えざるを得ない。である以上、相手方は応じざるを得んな。どう転んだとしても損はないし、最悪でもこれ自体は医療技術に転用できる新技術じゃ。儂が引き受けるのに問題はないが……これなら、お主の方がより確実に実用化出来るのではないか?」
「まー、そうなんですけど……」
いやいや、稀代の大賢者より上手く出来ると言われて、あっさり肯定しちゃうとか、恐いもの知らずだなー……。
というか、人質とかさらっと恐ろしい単語が出てきたけど……。
「場所とか時間とか他にも色々とあるんですけど……まぁ、もうちょっと実家で過ごそうかと……」
「ほ?」
ん? んん? んー……あぁっ!?
「なるほどのぅ。何があったのかは敢えて訊かんが……なるほどのぅ」
「うぐ……」
前例のない『2年で卒業』という話にばかり気を取られていて気付かなかったけど、キャス様が後を継がないとなれば、当然クレフーツ家のお屋敷からも出るという事。
対して、ボク達はあくまでクレフーツ男爵家の見習い使用人。
実家の権勢を使ってまでその立場に捩じ込んだ以上、キャス様がお屋敷を出たとしても後を追う訳には行かなかった……。
そして、キャス様は昨日までは確実にその状況を狙っていた……。
危なかった……本当に危なかった……。
昨日、アイリが頑張ってくれたおかげで、何とかその事態は回避出来たという訳だ……。
「ま、諸々承知した。そちらの要求を受けても良いが……ま、分かるじゃろ?」
「えぇ。ただでやってもらおうなんて虫の良い事は考えていませんよ」
そこで、二人の視線は密偵達の方を向く。
うーん……二人とも、政になんか関わりたくないって姿勢だけど……悪巧みとかさせたらなかなかのものだと思うんだよなー……。
ほら、密偵達も引いてるし……。
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
目が痛い。鼻がもげる。喉も焼ける。
おのれ、ヒノキめ……orz
さて、漸くブリジット編も後半に突入しました。
突入と同時に廃スペック爺さん'sの一人が登場。
これ見よがしな伏線を埋設していますが、これの回収はほぼ最終局面です。
爆発した頃に、「あぁ、そういえばこんな地雷埋めていたな」と思い出して頂ければいいくらい、埋まりっぱなしになりますので、お気になさらず。




