第3話 不思議の国のブリジット
お待たせしました。
思ったよりも長くなったので、二話に分けました。
その為、一話分としては若干短いです。
年が明けて1月。
ボクはどういう訳か、病床に臥せっている。
風邪を引いた訳でも、怪我をした訳でも、ましてや妊娠した訳でもない。
あの騒動があった日からだんだん起きているのが辛くなり、騒動から三日後、王城から叔父の屋敷に移った時には、もう日中の半分は寝たり起きたりという有様だった。
次の日には、事件を聞きつけた父が所領から王都の屋敷に駆けつけてくれ、そちらへ再度移動したのだが……もう、いつ倒れて眠りこけるか分からない状態なため、日がな一日ベッドの中という訳だ。
勿論、宮廷魔法師や医者にも診てもらったが、原因は全く不明。
魔薬の影響も疑われたが、アイリをはじめとした他の被害者達には、こんな症状は出ていない。
尤も、魔薬については情報が全くないといっても過言ではないので、どちらとも言えないそうだ。
一番詳しそうなのがキャストン殿な訳だが……父が彼に診てもらう事を快く思っていない。
まぁ、先にアイリが小父さん相手に一戦やっちゃってるからね。
ボクがそれに続く事を警戒している父としては、仕方がないのかもしれない。
とは言え、ボクの状態は一向に良くならない。
このまま手を拱いているくらいならばと、漸く彼に協力を要請し、今日診察してもらう運びとなった。
……うん? 待てよ?
という事は、この部屋に男の子が来るという訳か?
掃除……は、使用人達がしてくれているから大丈夫だけど、ボクの部屋、変じゃないかな?
ちゃんと、女の子の部屋になってるかな?
着ているのも子供っぽい寝巻きだ……もっと、大人っぽい物は……ある訳がなかった……。
「愛してください」と言った手前、こんな格好で迎え入れるのは問題じゃないだろうか?
うわー、どうしよう?
「お嬢様、キャストン・クレフーツ様がお見えになられました」
そんな風に焦っている内に、どうやら待ち人が来てしまった。
「どうぞ」
「失礼します」
なるようになれと、平静を装って返事をする。
彼は短く断りを入れてから、メイドの開けた扉から入室する。
「本日はお忙しい中、ご足労頂きありがとうございます」
「……いえ、お気になさらないで下さい。お加減は如何ですか、ブリジット様」
社交辞令に一瞬の間があった。まぁ、そりゃそうだよね。
何せ、目の下までシーツに隠れて挨拶するなんて、礼儀知らずもいいところ。
これが、本当に体調を崩しているならともかく、そんな話は聞いていないはずだしね。
これというのも、子供っぽい格好を見られたくないという、ボクのなけなしの乙女心の為せる業だ。
それにしても、『ブリジット様』か……公的にはその呼び方が正しいんだけど……何だかヤダな……。
よし。とりあえずの目標は、『リジー』と愛称で呼んでもらう事にしよう。
「それでは、診察いたしますので、左手をお出し下さい」
適当に二、三通過儀礼的な社交辞令を交わした後に、彼が切り出してきた。
貴族間の礼儀としては少々性急かもしれないけれど、ボクも……というか、バーナード家の人間もこの辺は端折りたがるから、きっと彼もこういうやり取りを面倒だと思っているんだろうな。
そんな事を考えつつ、どうぞと差し伸べられた彼の右手に自分の左手を乗せる。
すると、彼の手から暖かい魔力にも似た何かが流れ込んで来……あれ? こんな時に急に眠気が……。
あー、彼に寝顔を見られるのはまだ恥ずかしいなー……。
◇
誰かが私の世界に侵入してきた。
扉をノックする音に起こされたから、居留守を決め込む。
そうして放っておいたら、扉を蹴破って乗り込んでこられた。
まったく、どこの誰よ。
乙女の世界に無断で踏み込んでくるのは?
まぁ、扉どころか、壁をぶち破って散々暴れまわっていた山賊どもに比べたら、まだ紳士的と言えるかしら?
ま、何にせよ、そんな輩は彼女に掃除してもらいましょう。
それでおしまい。私はもう一度安息の眠りにつけるわ……。
◇
気が付いたら、そこは……辺り一面、子供の描いた絵のようになっていた。
地面も空も、明らかに本物ではない……いったい何が?
とりあえず、空は黒いから、夜……なのかな?
「ここがブリジット・バーナードの精神世界か……」
辺りを確認している中、聞き覚えのある声が聞こえた。
声のした方を確かめてみると、思った通りキャストン殿がいた。
その姿は、普段の実習で見かける物とほぼ同じ鎧姿だった。
ただ一点、手にしている槍だけは、いつもの黒い槍ではなく、赤い槍に変わっている。
「……にしては、心象風景が子供の落書きみたいだな……彼女は意外と子供っぽいのか?」
うん、意味はよく分からないけれど、謂れのない評価を下された気がする。そう、ボクは子供っぽくなんてない。ちゃんとした淑女として、相応の扱いを希望するところである。ぱ、パジャマは……気のせいだ。
断固抗議すべく接触を図ってみたものの、どういう訳かボクの声は彼には届いていないようだ。
それどころか、ボクの身体自体まるで存在していないかのように、ボク自身にすら確認する事が出来ない。どうなっているんだ?
「ま、それはこの際関係ないか……」
ぐ、彼の中で、ボクは子供っぽいという図式が成り立ってしまったようだが、確かに今はそれどころではない。
目的地があるのか、しっかりとした足取りで歩き出したキャストン殿に、ボクも付いて行く。
ボクよりも、この現象に詳しそうな彼に付いて行く方が良いだろうから。
それほど時をおかずに、進行方向から何らかの音が聞こえてくる……こう、重い物を叩くような?
更に進んでいくと、木にぶら下がった……何だろう、肉の塊?を……殴っている?人間大の不思議なウサギっぽい何かに遭遇した。
何が不思議って、後ろ足で二足歩行している上に、薄い桃色のドレスっぽい服を着ているからだ……。
判然としないのは、どれも風景と同じく、子供の描いた絵みたいな姿をしているせいだ。本当になんだ、これ?
「…………なんだ、これは?」
どうやら、キャストン殿も似たような感想を抱いたようだ。
「トラウマであると同時に精神的支柱になっている……このウサギっぽい何かは、ブリジット嬢にとって余程大きな存在という訳か」
違ったらしい……。ちぇ。
それにしても、ボクにとってそんな大きな存在なんてあっただろうか?
虎馬というのが何かは分からないけど、ボクにとって大きな存在と言えばアイリかなぁ?
キャストン殿の声が聞こえたのか、ウサギっぽいやつがこちらに振り向く。
すると、非常に好戦的なのか、毛を逆立てていきなり襲い掛かってきた。
一足飛びに右の……前脚?で殴り掛かり……って、え?
あの前脚には、まるで籠手のような何かが装着されている……?
「む?」
ボクには、目で追うのが精一杯なウサギの猛攻を、避け、或いは槍の柄で受け流し、時には拳で叩いて軌道を逸らし、最後には蹴りに蹴りを合わせて相手を軽く弾き飛ばすと同時に、自分も衝撃を利用して後ろに飛んで距離を開けるキャストン殿。
今の、何?
「今の拳筋……本物には大分劣るが、このウサギはフレアか?」
あ! そうか、この風景はあの日のものか!
となると、あの木にぶら下がっている肉の塊っぽいのはケイ・エクトル?
……うん、まぁ、確かにこんな感じだったよね。
にしても、ボクには離れた場所から見ても目で追うのが精一杯だったのに、それでも本物のフレアと比べると劣るんだ……。
「偽物に躊躇する理由はないが、精神的支柱となっているものを消すのは拙いな……本物なら喜んで道を譲ってくれそうなものだが……仕方ない。戦意を圧し折るしかないか」
そう零すと、槍を構えるキャストン殿。
対するフレアモドキも、未だに戦意は消えていない。
でも、確かにあのウサギがフレアだって言うなら、おかしいよね?
だって、あのフレアだよ? 実兄にベタ惚れのフレアだよ?
キャストン殿に対して戦意剥き出しとか、ありえないよね?
「む?」
そう考えていたら、フレアモドキは何かに驚いたかのように、辺りをキョロキョロと見回す。
当然、その戦意も霧散している。
どうしたんだろ? 今になって、目の前にいるのが誰か分かったとか?
「なんだ? 突然俺に対する非戦闘コードが出たぞ? どうなっているんだ?」
意味はよく分からないけれど、キャストン殿の方でもフレアモドキの戦意が消えた事を理解したようだ。
その理由までは分からないようだが、構えを解いてフレアモドキに近付いていく。
それに対し、フレアモドキの方はまるで怒られるのを恐がっているかのように、ビクビクと怯えている。
何だか、ますますフレアっぽいな。
「ここを通っても良いか?」
キャストン殿はそう尋ねてフレアモドキの頭を撫でる。
すると、怯えていたのがまるでなかったかのように、甘い雰囲気を出すフレアモドキ……。
うん。そうだね、こいつは間違いなくフレアだ。
それはそれでいいんだけど、ちょっとイラッとした。
ボクの苛立ちが伝わりでもしたのか、ビクっと震えて辺りを見回すフレアモドキ。
まぁ、フレアならボクがどう足掻いたところで敵う訳がないから、そんなはずもないんだけどね。
「それじゃあ、ここは通してもらうな」
フレアモドキの頭をポンポンと、子供にするように軽く叩いて告げるキャストン殿。
辺りを見回していたフレアモドキも首を縦に振る。
すると、彼女を含めて、周囲の風景が歪み始め、闇に落ちていくかのように消えていく。
残っているのは、キャストン殿と……一応ボクの意識だけだ。
それにしても、このキャストン殿も、ボクの知っているキャストン・クレフーツとは若干違うような?
まぁ、ボクもそれほど彼を理解している訳じゃないから、何となくの違和感でしかないんだけどね……。
◇
バカな?! そんなバカなッ!?
私にとって、最恐の存在であると同時に、最強の存在でもある彼女が敗れた?
いえ、事態はそんな生易しい話じゃない。
単に、より強大な力に屈したのならまだしも、最狂とも言えるフレアが道を譲る?
そんなの、私は知らない。
私の世界の住人は、私の知っている行動しか出来ない。
私の世界の住人が、私の知らない行動をするなんて有り得ない。
にも拘らず、フレアは私の知らない行動をとった……。
誰かが、私の世界の住人に入れ知恵したとしか思えない……。
だけど、そんな事が出来る存在なんて……。
まさか、もう一人の『私』?
拙い作品にここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
体の要と書いて『腰』と読みますが、まさにその通りですね……。
若干、まだ腰が痛いですが、座れないほどではなくなりました。
……まぁ、次は花粉症が直撃するんですけどね。あ、作者はスギ花粉は平気ですが、ヒノキ花粉で沈みます。
そして、トドメに黄砂が……あれは立派に人を殺せる自然現象だと思います。




