第1話 好色な視線と死んだ魚の眼
大変お待たせしました。
十五歳の春。
ボクは『王立キャメロット学園』に入学した。
正直に言うと、弟が生まれた事で次期当主という座から追われた……正確に言えば、解放された姉のように、ボクも士官学校に通いたいと思わないでもなかった。
因みに、両親も弟が生まれた事を喜んだが、結果的に誰よりも喜んだのは姉だったりする。
だが、あの状態のアイリ一人を学園に通わせるのも躊躇われたので、仮にボクにも選択肢があったとして、士官学校に進学したかは……。
いや、こういう中途半端な覚悟でいたから、結果としてボクは何一つ守る事ができなかったんだろう。
ボクらが十歳になる頃、アイリのお母さんが亡くなられた……。原因不明、治療不能の病で、眠るように息を引き取られたそうだ。
それ以来、アイリは人が変わったようになった。いや、以前からその兆候はあったものの、小母様を亡くした事でいよいよ以って表面化してきたと言うべきかもしれない。
本人は勿論、アシュフォード家の人達も気付いてはいないが、子供の頃からずっとアイリを見てきたボクには、彼女が異様なほどに婚約者に執着していると感じられた。
……そうだね、もっとはっきりと言ってしまおう。
アイリは好きでも何でもない相手を、無理矢理好きになろうと躍起になっていた。
そうする事が義務であるかのように、そうする事が小母様への手向けであるように……いや、アイリは婚約者と上手くいっていないせいで小母様が亡くなった……何故かそう思っている節があるから、贖罪のつもりかもしれない。
ボクからしてみれば、あんな状態のアイリに、何故聡明なアシュフォード家の人達が気付かないのか不思議でならなかったが、やはり男と女の違いなんだろうか?
そして、学園に入学したボクは、アイリの紹介でグレイシア・ガラティーン様と知己を得、実習では三人でパーティを組む事になった。
残念ながら、座学の成績によってクラス分けする為、二人とは別のクラスになってしまったが……。
グレイシア様はガラティーン公爵家の長女で、第一王子であるアーサー殿下の婚約者であると同時に、アイリの婚約者の妹でもある。
アイリが肩入れするのも頷けるほど、美しい方だった。
二人が並んで立てば、まさに太陽と月という表現がぴったりと当てはまり、実に絵になる。
……一年後、もう一人『月』と称される『お姫様』が現れる事になるが、アイリが『寄添う』と表現されるのに対して、フレアは『張合う』と表現される事に……。
そうこうしている内に入学して最初の山場、初の実習となる。
キャメロット学園が士官学校に対して、実習で唯一誇れる点があるとすれば、それは学園から特定の遠隔地へと一瞬で移動できる転送魔法の陣があるという事だろう。
この魔法陣により週に一日を丸々実習授業とし、学生にモンスター相手の実戦を経験させる事ができるという訳だ。
因みに、士官学校では行軍の演習も兼ねて、実習地まで遠征する事になる。
こんな便利な魔法陣、もっと普及すれば良いのだろうけど、残念ながら現在では失われた技術で出来ており、再現は未だに不可能だと言われている。
その研究開発の為に、元は魔法士の育成と魔法の研究機関であった学舎が傍に建てられ、成果が出ない為に閉鎖されるところを、時の学長が「貴族の一般教養を高めつつ、貴族間の関係強化を図れる場所」という名目で学園に鞍替え。
貴族達の寄付金や『声』を集めて、現在まで存続させる事に成功したという訳だ。
軍事に関わらず、学園の転送魔法陣を利用したいという声は多いが、残念ながらそれも魔法陣の起動に必要な魔力が足りずに、週に一回、学生達を往復させるだけで精一杯だそうだ。
一度に転送できる人数も三人が限界で、精々が戦時に伝令を送ったり、極少数の援軍を途切れ途切れに送るくらいしか出来ないらしい。
アイテムボックスのおかげで、それでも物資の輸送には便利だからか、こと国土防衛という状況には威力を発揮するけどね。
さて、話が大分横にずれたが、初の実習だ。
学園の実習はモンスター相手の実戦形式。一つ間違えば命を落とすので、実習での成績に応じて徐々に行ける実習場所が増えていくのだが、最初の実習は少し特別だ。
ゴブリンという人型のモンスターが現れる森なのだが、新入生が初の実習で行くにはかなり物騒だ。
ボク達みたいに領地持ちの貴族や、護衛を雇えるくらいに裕福な家ならば、入学前にある程度モンスターとの戦闘を経験させてもらえるけれど、そうでない者がいきなり人型のモンスターを相手にするのは厳しいものがある。
……まぁ、だからと言って、最初からゼリーやプリンといった、見た目可愛い安全な魔物を相手にさせて、モンスターとの戦闘を侮らせる訳にはいかない。
そういう奴が次にゴブリンを相手取ると、かなり高い確率で死亡するからね……。
それを防ぐ為に、最初の実習は1パーティに一人ずつ2年生を指導役として付き添わせ、安全を確保しつつゴブリンと命の懸かった実戦を経験させるという訳だ。
そして、ボク達の指導役になった2年生というのが、ガウェイン・ガラティーンだった……。
一言で言うなら、最低な男だった。
グレイシア様の兄でアイリの婚約者という事情により、全体を監督する生徒会役員でありながら、ボク達の指導役に就く事になった訳だが……ボク達が実戦経験者であるからか、特に危ない場面もなかったせいで、この男は一切戦闘に参加しない代わりに、無遠慮な視線をアイリ達に向け続けていた。
これまで、アイリはこの男からまったく相手にされていなかったと聞いていたのに、これはいったい何なのだ?
この2年ほどで、アイリの体付きは完全に女性のそれになった。
対して、ボクは二人に比べるとちんちくりんもいいところ。
ガウェインの視線がついついアイリに向くならまだ分かる。それでも、その好色さをもっと隠せと言いたいけれど……。
だが、それでも何故その視線が実の妹であるグレイシア様にまで向いているんだ?
実習の間、それに気付いていないのは当のグレイシア様だけだった。
幸いな事に、予想以上にグレイシア様の戦闘に危なげがなかったので、男の視線に気を散らされながらでも何とかなった。
……ひょっとして、学園に入るからと、つい最近になって護身用のレイピアを与えられたボクよりも、グレイシア様の方が戦闘慣れしている? 公爵家の長女なのに?
王妃教育の一環……な、訳はないよね?
アイテムボックスに溜まっていたドロップ品を提出し終え、無事に最初の課題を達成したボク達が一息吐いていると、見た事のない男子生徒が近付いてきた。
夕日に映える燃えるように赤い髪に、使い古した感じの胸当とブーツは皮革製。そして、真っ黒な槍を肩に担いだその男子生徒は……死んだ魚のような眼をしていた。
どう言い繕っても、その生徒の出で立ちは貴族のそれではなく、どこかの村の自警団といった具合。
例えばその手にある槍。
この国では鉱山が少なく、比例して鉄などの金属も産出量が少ない。それを補うために魔法技術を発展させ、『魔剣』の量産に成功した訳だが、『魔剣』と言うように剣である事が多い。
詳しい作り方は公表されていないが、前提としてある程度の金属量を必要とするらしく、穂先に少量の金属しか使わない槍は魔剣に適していないのだ。
……穂先を無理矢理長剣の刀身と同じ大きさにしてしまうなら別だろうけど、そもそも馬上でならともかく、この国では槍自体が歩兵……つまりは兵士の武器という認識なので、実用性の割りに貴族からは忌避されている。
これはボクのレイピアにも言える事で、レイピアの魔剣はない。にも関わらず、ボクがレイピアを持たされている事には訳がある。
レイピアは槍とは違って、護身用という意味が強い。
そして、ボクの家は戦闘一族とまで揶揄されるバーナード伯爵家。そこの娘が真っ当な武器を手にしていては、恐くて嫁の貰い手が激減するのだ……。
騎士としても令嬢としても、中途半端なボクにはまさにお似合いの武器という訳だ……。
鎧に関しても、金属製の物は非常に高価なのだが、他国より進んでいる魔法技術を用いて、皮革製品並みの防御力を誇る服や、いっそ障壁を展開する魔導具を身に着けて鎧の代わりにするのが貴族としては一般的だ。
つまり、武器も鎧も、見た目という一点で貴族が忌避する物を、平然と身に着けているのがその男子生徒だった。
「それで、貴女はここで何をなさっているのでしょうか?」
一応はグレイシア様に対して敬意が……うん、ないね。だって、目が全然笑ってないもの。
「え? えっと、課題を終えて一休み……でしょうか?」
「いや、それは見たら分かるよ。そうじゃなくて、なんで安穏とこのイベントをスキップしているのかという事を訊いているんだよ」
どうやら、二人はそれなりに親しいらしく、身分差というものを感じない会話を重ねる。
ところどころ古代語を使っているのが気になる程度で、ボクは特にどうとも思わなかったんだけど、一緒にいたアイリは二人のやり取りを聞いていてどんどん機嫌が悪くなっていった。
「第一王子は物の見事に出会いイベントを達成させられたぞ? 神子に対する公務だから仕方ないとは言え、お前も一緒に行くべきじゃなかったのか? 神子と第一王女の二人パーティだから、一人分の空きはあったろ?」
「うぅ……だって、凄く恐かったんですよ?」
二人の会話から察するに、グレイシア様の婚約者であるアーサー殿下も、今回の指導役の一人として参加していて、実の妹であるグィネヴィア殿下のパーティに付いていたようだ。
表面上は、異世界より召喚された神子に対して、王家が便宜を図った……という訳だが、史上二人目の神子という実に胡散臭い人物の真贋を見極める為に、王家が二人を動かしたというのが真相だ。
「まぁ、それは痛いほど分かるが、俺ですら『あ、これはアカンやつや』と思うくらいにはあの神子はアウトだ。黒だ。性根が腐ってやがる。早いところ何とかしないと、追い詰められる一方だぞ?」
「うぅ……はい」
驚いた事に、グレイシア様の頭を撫でる男子生徒に、大人しく撫でられているグレイシア様の姿があった。
尤も、ボクには「手のかかる妹をあやす兄と、半ベソかいて慰められている妹」という風に見えたんだけど……。
「何処の何方かは存じませんが、婚約者のある女性に軽々しく触れないで下さいッ!」
「きゃ?!」
と、非常に珍しい事に、アイリが感情も露に叫び、グレイシア様を抱きかかえて男子生徒から引き剥がし、その背に庇った。
アイリが感情のままに大声を出すなんて、小母様が亡くなられた時以来の事で呆気に取られてしまった。
精々、後からグレイシア様に苦言を呈するくらいかと思っていたのに……。
「あー……それもそうだな。悪かった。……いや、本当に悪かったよ……」
んん?
うーん? 最後の謝罪の言葉は、何だか先に出たものとは違うような?
「確かに、自分が傍にいるべきではないでしょう。アシュフォード様、バーナード様、グレイシア様の事をよろしくお願い致します」
そして、これまでとはガラッと態度を変えて、名乗ろうとせずボク達にグレイシア様の事を任せようとする男子。
礼を欠いているとも言える行為だが、わざと名乗らない事で今後関わるつもりがないという意思表示でもあった。
「え、あの、ちょっと、キャストンさん?!」
「フレアはもう心配ないだろうから、俺はここで一抜けだ。何かあれば協力はしてやるが、あとは自力で何とかしてみろ。とりあえず、本来の予定通りに王子の婚約者として、慰問、視察の類には同行して隣の位置を確保しろ。民に顔と名前を売って売って売りまくれ。間違っても、あの神子にその位置を奪われるなよ」
言うだけ言って立ち去る男子生徒。
聞くところによると、王妃教育は学園入学前に第一段階を修了し、学生である3年間は一時中断。
『開かれた王室』を謳っている王家としては、この3年間に第一王子であるアーサー殿下と共に国内の視察や慰問を繰り返し、グレイシア様の顔と名前を国民に覚えさせるそうだ。
最終的な強権は王家が有しているものの、そう頻繁に振りかざして良いものではなく、あまりに国民の声を無視してしまうと、南のガリア王国のように、教会勢力が民衆を扇動して事実上のウェストパニア教国の属国になりかねない。
或いは、イーストパニア法国の属国や、最悪分裂する事だってありえるのだ。
それを防ぐ為にも、民衆からの人気というものにも気を配っているのだそうな。
結論から言うと、グレイシア様はこの民衆の人気獲得競争で、酒月 聖に敗北した。敗因はアーサー殿下の裏切りとも言える行為。
即ち、視察や慰問にグレイシア様を連れず、酒月 聖を連れて行くようになった事だ。
その後、フレアが酒月 聖の人気を全部さらって行くのだが、それはまた別の話だ。
立ち去る男子生徒を無言で見送って……無言で見送るなんてどうしたのか、とアイリを見てみれば──
「アイリ?」「アイリーンさん?」
「……え? あ、あれ?」
うっすらと涙を浮かべ、呆然と見送るアイリがいた。
ボク達に声をかけられ、漸く気が付いた様子。
「私はいったい……あの、何かありました?」
「それは、こっちの台詞。あの男子生徒と何かあった?」
「男子生徒……そうです、あの不躾な方はどこに?」
まるで、立ったまま眠っていたかのように、事態を把握していないアイリ。
ボクの問いかけにも、一瞬意識を失いかけた……。
「彼はクレフーツ男爵家のご長男で、キャストン・クレフーツさんです。その、これまで色々とお世話になっていまして……おそらく、寮へ戻ったと思いますよ」
「そうですか……では、グレイシア様。今後は殿下以外の殿方との接触は極力控えてください。何処で誰に見られ、どんな誤解を与えるか分かりませんので」
「え!? いえ、それはそうかもしれませんが、その」
「身の回りのお世話でしたら、私どもで承りますので、ご安心下さい」
アイリが同意を求めてきたので、一応頷いておくが……どうにも違和感が拭えない……。
どんな?と問われても、明確に言葉にする事が出来ないけれど……一つ、特筆すべき点があるとすれば、この日を境にアイリから憑き物が落ちたかのように、婚約者に対する執着が薄くなった。
実習中のあの態度に幻滅したのか、それとも……赤い髪の悲しそうな瞳の男の子、か……まさか、ね?
「兎に角、あのように品のない男性をグレイシア様の傍に置く事はできません。どうしてもと仰るのであれば、それ相応の立ち居振る舞いを身に付けるよう、彼に命じてください」
「それは………………無理です……」
「でしたら、諦めてください」
「……はい……」
『ゼリー』
不定形モンスター。大きな街の付近にある平原などに棲息するモンスター。
半透明でぷるぷるした体?を持ち、跳ねるように移動する。
特に害もなく、放置しても問題はないのだが、一般人でも倒せる程度の力しか持たないため、冒険者の登録試験などで討伐されたり、行きがけの駄賃とばかりに蹴散らされたりする。
また、見た目も愛らしいため、愛玩用モンスターとしての需要がそこそこあり、そのモンスターエッグ目当てで乱獲される事もある。
尤も、どれほど乱獲されようが、いつの間にか元の生息数に戻るため、需要と供給の調整に駆け出し以外が乱獲すると、顰蹙もサービスされる破目になる。
『プリン』
不定形モンスター。ゼリーの色違い能力違い。
……と言っても、やはり一般人でも簡単に倒せる程度でしかない。
こちらも、駆け出し以上の乱獲はオススメされない。
『モンスターエッグ』
愛玩用アイテム。一部のモンスターが極々稀にドロップする。
卵を孵すと討伐されたモンスターが産まれる。
産まれたモンスターは孵した相手を主とし、懐くようになる。
但し、産まれたモンスターに戦闘能力は全くなく、戦場に巻き込まれようものなら、呆気なく塵に還る。
一度産まれたモンスターは、卵に戻す事でアイテムボックスに収納する事も可能である。
拙い作品にここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
お待たせして、本当に申し訳ありません。
更新が大幅に遅れた理由は活動報告に書いた通りなのですが、それ以外にも内容を一回没にして、全部書き直していたりします……。
こんな感じに、ブリジットは口数は少なめですが、色々と考えていたり観察したりしています。
『ゼリー』や『プリン』というのは、某ス○イムや某ポ○ン、某プ○ル的なモンスターです。
通常ドロップは端金にしかなりませんが、卵目当てに厳つい冒険者が彼らを乱獲する姿は、子供達への教訓として絵本も出ているほどです。




