第10話 ただそこに立てるという奇跡
おかしなひと時編最終話です。
1話分としてはこれまでで最長となります。
「ガキがそんな顔で泣くなよ」
それは、『あの日』夢を諦めた子供にかけられた言葉。
「思いっきり泣いて吐き出しておけ」
それは、『あの日』初めて出会った赤い髪の男の子がかけてくれた言葉。
「泣き疲れて眠った子供を置いて行けないだろうが」
それは、『あの日』その後の人生を支えてくれるはずだった言葉……。
光が収まり、目を開けると……いえ、目を閉じた状態でも、次に放り出された空間が異質である事は理解できました。
あの夜空のような空間でも、幼いキャストン様とモンスターが戦っていたあの空間ですら、私は暖かい何かに包まれていました。
ですが、今いるこの空間では、それを感じられません。むしろ、刺すように冷たい不気味な何かに、空間が占められているように感じます。
「侵入者ヲ発見。侵入者ヲ発見」
そして、先程の空間でも聞いた、あの不安を煽るような甲高い不協和音が鳴り響く中、血肉の通わぬ不気味な声がどこからともなく聞こえてきました。
私はその声を聞いて思い知らされます。あの暖かい何かが私の心を守ってくれていたのだと……。
「はっ。俺が侵入者だってんなら、テメーがやってんのは不法占拠だろうが」
不気味な声に恐怖で心が萎縮していた中、聞き慣れた声が私の心に一片の温もりを与えてくれました。
もしやと思い辺りを見回すと、私が『洗礼』の儀式を受けたアシュフォード侯爵領にある聖堂、その内部とそっくりな空間が広がっています。
そして、その中を迷いなく講壇に向かって歩を進めているのは、あの男の子が手にしていた赤い槍を片手で肩に担ぎ、機動性と静音性を重視した皮革製らしき胸当を身に付けたキャストン様でした。
「ま、それも今日までだ。手前もリソースに変えてやるから、とっとと出て来やがれ!」
光の女神を表す象徴を睨みつけ、啖呵を切るキャストン様。
「コレヨリ侵入者ヲ排除シマス」
その声に応えるように、やはりステンドグラスから光が差し込み、その中から……。
「……ちょっとデカくない?」
透明な水晶のような物質でできた、馬の胴体に頭部のない人間の上半身をくっつけたような、全高5mにも達する巨大なモンスターが現れます。
その前脚と胴体側面を保護するように二対四枚。人型の背中にも羽のように一対二枚、本来の使い方である両腕に盾として二枚、最後に胸当代わりのような一枚。パニア教の象徴が描かれたカイトシールドのような物体……先程見たモンスター計九体が張り付いていました。
「ま、野生のドラゴンに比べれば、この程d……なぬ? 大技禁止? 流れ弾も? 避けずに斬り払えと? 全部? え、なにその縛りプレイ? 聞いてないんだけど?」
一瞬、感心したように対峙するモンスターを見上げた後、特に気負った様子もなく槍を構えたキャストン様。
ですが、次の瞬間には……あれ、もう誰かと会話していますよね?
「そのお約束な切り返しを実際にされる羽目になるとは! そりゃ聞かなかったし言わなかったけど、『今日DT卒業します』とか言わねーだろ普通ッ!?」
DT?というのが何かは分かりませんが、情報不足により何らかの問題が発生した模様です。
しかし、敵はそんな事情を斟酌してくれません。
前脚にある二枚の盾状モンスターが、その側面から三対六本計十二本の触手を作り出し、一斉にキャストン様に襲い掛かります。
慌てる事もなく、高速で迫り来るそれらを手にした槍で薙ぎ払い――
「ま、確かに、これ以上この気色悪い触手プレイ野郎が、アイリの精神に触れるとか勘弁ならねーのは事実だ。流れ弾も何もかも全部斬り落として封殺してやらぁ! やり込みゲーマーのボスチク作業舐めんな」
え? わ、私ですか?
「そうだよ。ここは君の精神世界でも奥の奥。認識できる中では最奥と言える場所だ。これより奥に行くと、もう無意識の濁流に飲み込まれて再浮上は叶わない……どころか、君を精神崩壊させてしまいかねない。そんなギリギリの場所だよ」
え!? この声はさっきの?
「やぁ、また会ったね。と言っても、ここに俺はいないんだけど。自分の恋人の中に、他の男が入り込むのを許容できる男は普通いないから、キャストンを介して声だけを送っているのさ。だから、そんなにキョロキョロ見回しても、俺は見つからないよ」
辺りを見回してみても、あの……おかしな人は見当たらず、本格的に戦闘状態に移行したキャストン様くらいしかいません。
強いて言えば、あの槍から声が届いているような気がします。
……それにしても、恋人ですか……私が、キャストン様の……そう告白され……はぅッ!?
思い出したら、凄く恥ずかしいです! 絶対、今の私幸せすぎて顔面が崩壊していますよ!
「さて、君は先程、一つの知られざる真実を知った」
へぅッ?!
見えていないのか、それとも気付いていない振りをしてくれたのか、声の主はそのまま話を続けてくれます。
……おそらくは後者ですね。うぅ……。
「あれはキャストンをはじめとした、極少数のイレギュラー……例外にのみ起こる現象だ。君をはじめとしたほぼ全ての人間は、あれを認識する事無く『洗礼』の儀式を通じて、精神の奥深くにアレを植え付けられる。支配者にとって都合が良いようにね」
コホン……。
例外……『転生者』という人?の事でしょうか……?
「その辺の事は俺から言うべきではないだろうな。そうだな……俺が教えても構わないのは……例えば、支配者にとってどうしても不都合な事が起きた時には、あそこでキャストンが相手をしている奴の同類が、各人の精神の内側からその記憶に蓋をしたり、都合が良いように改竄していたりするって事かな」
それは、つまるところ、パニア教に入信した全ての人間の精神に、あのモンスターが棲み付いていると……?
「もし、この精神世界に来てから、急に思い出した大切な記憶なんてものがあったら、それはこうして精神世界に入って直接閲覧しない限り、思い出せないように改竄されている可能性は大だ」
!! そ、れは……。
あの日、私は人生を大きく左右する二人の人間と出会いました。
一人目は私の婚約者。
初めて出会った婚約者は、綺麗な顔をした男の子。私より一つ年上なだけなのに、読み書き計算を既に修め、更には古語まで話せる神童だという話。
ですが、二人きりにされた途端、その子は私の胸を無遠慮に撫でて……。
「……チッ。恥らうどころか、嫌がる素振りも見せないって事は本当のガキか……。おい、お前。俺はガキには興味がない。婚約者だからって、俺に付き纏うなよ」
と、言うだけ言って何処かへ行きました……。
当時六歳だった私には、彼が何を望んでいたのかは分かりませんでしたが、彼に嫌われた……いえ、興味を持たれなかった事だけは理解できました。
それと同時に、「恋をして、愛しあった殿方の隣に立ち、互いに支えあう仲睦まじい夫婦」という夢が潰えた事を直感的に理解しました。
二人目に出会ったのは婚約者の妹。その日の主役でした。
お人形のように人間離れした可愛らしい彼女に、私は一瞬で魅了されました。その日、六歳の誕生日を迎えた彼女も彼女の兄と同様、読み書き計算を既に修めている神童だとか……。
彼女との会話では、折々に彼女の婚約者であるアーサー殿下への慕情が見受けられました。
あぁ、この子は私と違って、ちゃんと恋をしているのだと……そう理解した時には、浅ましい事に彼女の恋を私の夢の代替にしていました。
「自分の分も彼女に幸せな恋愛をして欲しい」なんて、実にそれっぽい小賢しいイイワケです……。
そう、いくら私でも、まだ六歳の子供。
こんなあっさりと自分の夢を諦められるはずがありません。
グレイシア様にだって羨ましいと思いはしましたが、だからと言って自分の分も……なんてイイワケを思い付けるほど成長もしていません。
何より、『あの日』私の人生を最も大きく変えた、三人目がいたはずなのです。
それを今の今まで思い出せなかった……それの意味するところは――
「さてさて、これで君はあの男が何を相手に戦っているか理解できた事だろう。その上で確認するけど、それでもあいつの隣に立ちたいかい? あいつはそれを望んでいない。いや、むしろ、君達を背に庇い、独りで戦うつもりだ。隣に立たず、その背を支える事をこそあの男は望んでいる……そうは思わないかい?」
確かにそうです。
キャストン様は何かというとお一人で抱え込んで、他人を頼ろうとしません。
それは、単純に頼り方を知らないというのもありますし、頼る事を弱みだと考えているからというのもあります。
そして何より、あの方は恐れているのです。自分の隣に立ってくれる者が傷付く事を……。
ですが、そんな事は知ったことではありません!
私は、他の誰の為でもなく、私自身の為にキャストン様の隣に立ちたいのです!
1番になりたいんです。他にも好きな子がいて良いですけど、リジーもいないと嫌ですけど、1番は私が良いんです!
何も出来ず抗わず、その背中に隠れて泣いて、守られるだけなのはもう嫌なんです……。
「その為には、例え相手が神であれ、いいえ、私の大事な記憶を勝手に弄った存在など敬うに値しません!」
「はっ、その意気やよし! 使いたまえ、君に渡した最後の金貨を!!」
その瞬間、最後に残った金貨が輝きだすと同時に、目の前に「ユニバーサルリソースを用いて存在を強化しますか?」という問いが浮かび上がります。
私が迷わず「はい」と答えると金貨は光と共に弾け──
「おめでとう。この瞬間を以って、君は自己を確立した。これで支配者を前にしても、そう簡単に人形にはされないだろう」
その声に導かれるように目を覚ますと、私は身体を得てこの空間に立っていました。
「アイリ?! なんでここに!? え、いや、そりゃ確かにここはアイリの精神世界だけど、今まで……お前が何かしたんだな?」
どうやら、キャストン様にもはっきりと私が見えるようです。
「異常事態発生。異常事態発生。識別こーどB46‐1575。固体名あいりーん・あしゅふぉーどノ支配接続ガ切断サレマシタ」
私が傍観者ではなくなった事で、あのモンスターにも何らかの影響が出たようです。
「守護者を倒していないのに接続が切れただと!?」
両者にとって、私がここに在る事は余程の事態らしく、軽い混乱状態となっているようです。
「キャストン様。お叱りは後で! 指示をお願いします」
「う、ぐ……アイリは後衛、極力距離を取って何よりもまずは心を強く持って自分の身を守れ! このクラスの守護者と直接やりあうにはまだ早い! それから、ここはお前の精神世界だ、お前があいつを強く拒絶するだけで奴は不利になる!」
「はい!」
私の申し出に一瞬逡巡をみせるものの、それが過ぎれば捲くし立てるように指示が飛んできます。
私から大事な思い出を奪い続けてきたあのモンスターを拒絶する。実に簡単な指示ですが、連携訓練などをしていないので、下手に手を出さない方がよいのは確かです。
とはいえ、他に何か出来る事は……。
「緊急事態ニツキ、コレヨリ最終形態ヘ移行シマス」
モンスターの方も、両腕の盾が先端部分を左右に開いて、その間から光の刀身らしきものを発生させ、羽のように背中に付いていた盾も外れて宙に浮かび上がると、同じく先端部分を左右に開きます。
「あちらさんはいよいよ後がないって訳か。ま、あの形状からして遠隔攻撃をしてくるんだろうけど……こっちも長引かせたくないんで……な!」
槍を構え直すとすかさず正面から突撃するキャストン様。
それに合わせてモンスターも突撃し、追随するように二枚の盾がその後を追います。
激突した……そう思った時には甲高い破砕音が鳴り響き、モンスターの出した光の刀身は二本とも破壊され、更には赤い槍が胸当の一枚を貫いていました。
その代わりに、前脚にある二枚の盾から触手が飛び出し、キャストン様の身体を捕え……ようとしたみたいですが、既にキャストン様の姿は地上になく、圧倒的な跳躍力で全高5mにも及ぶモンスターの頭上にありました。
身動きの取れない空中、更には槍を手放した事もあってか、宙に浮かんでいた二枚もその先端部分に光の刀身を発生させ、キャストン様を斬り刻もうと襲い掛かります。
「キャストンさ……ま?」
危ない! と思い、思わず声を発しましたが……。
「言っただろ、長引かせたくないって……接続の切れた今なら、この守護者に見られても支配者に情報が伝わる事はないから、いくつか手札を切らせてもらった」
驚いた事に、キャストン様はまるでそこに足場があるかのように、空中に立ち止まっているのです。
そして、襲い掛かってきた二体の盾状モンスターを拳で難なく破砕してしまいました。
「大地よ! その大いなる力を以って、我が敵を貫け! 『アーススパイク』ッ!」
モンスターの足が止まり、原理は分かりませんがキャストン様が空中に浮いている?今ならば、巻き込む事もないだろうと詠唱の短い下級の攻撃魔法を撃ち込みます。
杖や指輪などの補助具もありませんが、ここは私の精神世界。私の意志力が力になるのではと思ったところ、ちゃんと魔法は発動してくれ、モンスターの前脚付近の床から岩で出来た棘が、前脚の盾二枚目掛けて何本も突き刺さり、モンスターが動けないようにその脚を穿ちます。
「あまり無理はするな!」
「は、はい!」
ですが、キャストン様の言う通り、これ以上は無理だと判断します。
どういう訳か下級魔法一発で、私の魔力はほぼ底を尽いたように思います。
その分、威力は通常以上だったと思いますが……。
その後、胴体側面の盾が先端から長大な光の刀身を生み出したり、両腕の盾は刀身の代わりに光矢を撃ち出したりしましたが、空中を駆け回るキャストン様に悉く折られ撃ち落された上に、私の魔法によって前脚を地面に縫い付けられ、機動力を失ったモンスターは一方的に屠られました。
「ふぅ……思いの外あっさりと片付いてしまったな……」
モンスターが光となって消え、落ちた槍を拾ったキャストン様がそう零されながら、こちらに近付いて来られました。
「あの、その……」
「まぁ、なんだ……ありがとう、助かった」
怒られるかもしれない……そう思って身構えていたら、不意に頭を撫でられました。
それと同時に思い起こされる『あの日』の思い出……。
その日、公爵家の長女が六歳の誕生日を迎え、多くの貴族がお祝いしている中、私はいつしか会場から遠く離れた庭園に一人でいました。
「ガキがそんな顔で泣くなよ」
すると、目の前に赤い髪の男の子が現れ、突然そんな事を言いました。
私は『ガキ』と呼ばれた事で、婚約者の言葉を思い出してしまい……。
「泣いてないもん」
と、泣き出しそうになるのを堪えて言い返しました。
それに対して、男の子は溜息を一つ吐き、どこかへと行ってしまいます。
強がってはみたものの、突き放した挙句に放置された事実が、尚一層私の心に寂しさを募らせました。
ここにリジーがいてくれたらと、何度思った事でしょうか。
「ほらよ」
そうこうしている内に、またも突然かけられた言葉と共に、目の前に焼き菓子の盛られた皿が差し出されました。
「これは?」
「ん……泣いている子供にはとりあえず甘いものかなって……違ったか?」
自分と大して変わらない年頃の男の子が、まるで大人みたいに子供の自分をあやそうとしてくれている。
その事実に、「あぁ、自分はガキと言われても仕方がないな」とも思いましたし、自分と同じくらいの子供なのに、泣いた時の私をあやそうとするお父様みたいな困った顔をしているのがとても滑稽で……。
私の感情はぐちゃぐちゃに入り乱れて、男の子にしがみついて大泣きしてしまいました。
「思いっきり泣いて吐き出しておけ」
優しく頭を撫でられ、安心してしまった私は、心の泥を吐き出すように更に泣き続けました……。
目が覚めると、空は赤くなっており、耳にはお母様の子守唄のように優しい旋律が流れ込んできます。
「それ、なんてうた……?」
「お、起きたか」
意識がよりはっきり覚醒してくると、私は男の子の膝を枕に、頭を撫でられていました。
「あれ……もうこんな時間? ずっとこうしてくれていたの? どうして?」
この男の子もここにいるという事は、彼女のお祝いに来たはず……自分にばかり構ってはいられないはずなのに……そう思って尋ねてみたら──
「泣き疲れて眠った子供を置いて行けないだろうが」
と、何でもない事のようにあっけらかんとした答えが返ってくる始末。
この時、私はこの男の子に強い父性を感じ……初恋とその失恋を同時に自覚しました。
私はもう婚約者のいる身……大好きな両親の期待を裏切れない私には、この男の子と愛し合う未来は訪れない。
その事実に気付いた私は静かに涙しました。
男の子は何も訊かず、ただ優しい旋律を奏でながら、私の頭を撫で続けてくれました……。
それでも私は思ったのです。
この初恋を支えに、生きて行こう。
きっと、私がこの男の子に追いつけるくらいの淑女になれば、ガウェイン様も私を認めてくれるだろう……と。
「キャストン様……だったんですね……」
「うん?」
私の記憶を改竄していたモンスターを倒し、こうして何の問題もなく頭を撫でられ、完全に取り戻した『あの日』の思い出。
おそらく、あの時の子供が私だと、ずっと忘れないでいたキャストン様。
それを忘れて、グレイシア様の恋を邪魔する悪者と辛く接した事もある私。
穴があったら入りたい……なんて程度では済まない罪悪感でいっぱいです……。
いえ、それ以前に……。
「申し訳ありません、キャストン様……やはり、私は貴方に愛される資格がありません……」
「ほぁッ?!」
今まで、キャストン様の優しさに甘えきっていましたが、私はどう足掻いても複数の男に穢された女。
まして、他の女性も巻き込んで復讐にはしったどうしようもなく醜い女です。
今更、人並みの幸せを得ようなど、烏滸がましいにもほどがあります……。
「どうぞ、これからは性欲の捌け口とsアイタァッ!?」
それでも、せめてこの方の傍に居たいと、温もりが欲しいと思い、下種共に覚えさせられた言葉で願おうとしてみたら、問答無用で頭に平手を垂直で落とされました。
「うん、とりあえず落ち着け。だいたい事情は分かった。だから一先ず落ち着け。な?」
あ、これは割と本気で赦さない時のキャストン様です。
「よし、歯を食いしばれ。一発キツイの入れて目を覚まさせてやる」
うぅ……そうですよね……こんな穢れた女、もう抱く価値もありませんよね……。
いえ、それでも、一度は抱かれ、愛を囁いて頂けたのです。
この方と愛しあう事などないと思っていたのに、一度はその機会に恵まれたのです。
これ以上望むべくもありませんよね。
「どうぞ」
覚悟を決めて、でもやっぱり恐いので目を閉じます。
すると……。
「んッ!!?」
く、唇に軟らかい感触が?! ま、まさか、キス!?
……と、期待して目を開けてみれば……。
「目は覚めたかね?」
「……なんですか、これは?」
「見ての通り、俺の指だが?」
そう、私の唇に押し当てられていたのは、キャストン様の指でした。
「もう! 何なんですか、期待させておいて!!」
「ほう、何を期待していたんだ?」
「うぇッ?! そ、それはその……」
唇……と正直に答える訳にはいかず、さりとて拳と答える訳にもいきません。
どちらの答えを出しても、いいように手玉に取られるだけです。
「自分の気持ちが分かったなら、余計な事は考えるな。俺はお前が欲しくなったから、お前の全部が欲しくなったから、好きだと告げた。それ以上、何が要るんだ?」
「それは……良いんですか? 私、かなり腹黒いですよ?」
「知ってる」
「意外と我侭ですよ?」
「それも知ってる」
「結構嫉妬深いですし、根に持つ性格ですよ?」
「よーく知ってる」
「それからそれから……」
「あのな、アイリ。俺は房中術でお前の治療を始めてから、ずーっとお前の精神世界を旅してきた」
「え!?」
突然の告白に、思考が停止する……。
「俺の房中術は少し特殊でな、俺の命その物を加工して相手に送っている訳だが……そうして送り出されたのが、今の俺という訳だ。肉体の治療と同時に俺が精神世界を旅し、その中で起きている事件を解決する。そうする事でお前達の『心の傷』に影響を与え、快方に向かわせているって訳だ。あ、勿論、治療を受けるお前達が俺を受け入れてくれないと、奥の方には進めないがな」
それは、つまり……。
「本気で見せたくない!って所には入れないし、『見せたい』『知ってもらいたい』『理解して欲しい』ってところにしか入る事は出来ない。そして、ここはお前の意識の最奥。そんなところまで入れた俺は……まぁ、お前の全てを知っていると言っても過言ではない」
「いやぁぁぁぁぁぁッ!?」
ないです! それは流石に恥ずかしすぎますッ!
「いやーって、そう言われてもな……招いたのはアイリだしな?」
「それは、そうかもしれませんが……あの本当に?」
「そうだな、おねしょを幾つまでしていたとか、恥ずかしいけれど本当は責めらr」
「分かりましたもういいです本当にもう分かりましたのでどうかご容赦をッ!!!」
何と申しますか、もう一杯一杯です、本当にもうこれ以上は私の精神がもちません!
「ふむ。まぁ、そういう訳なんで、俺はお前に惚れている。お前が必要だ。お前なしでは割と生きていけなかったりする。よって、俺の女を貶すな。それがお前自身でも本気で怒るからな」
「あ、あぅッ!?」
な、なんですか、急に!?
こんな事、今まで言ってくれなかったじゃないですか?!
「それは……えーっと、あれだよ、ほらアレ。男は一度抱いた女を自分の女だと思うって奴だ。うん。もう俺の女だし、恥ずかしい事とか言っても大丈夫だろうと、そういうアレだ。うん」
あ……そうか……。
キャストン様だけが私の恥ずかしいところを知っているから、敢えて今まで隠されていた胸の内を見せて下さっているんですね。
『適当に飯を食って帰った』だの、事実を混ぜた誘導は上手いくせに、こういうあからさまな嘘に見せかけた、真実を伝えるのは下手なんですね。
「何が可笑しいんだよ?」
「ふふ。いいえ、何でもありません」
思わず笑ってしまったらしい。
「ふぅん……ま、いいや」
「キャストン様」
「うん?」
隙だらけになったキャストン様に抱きつき、先程の仕返しを敢行する私。
「もう、二度と放しません。覚悟してくださいね?」
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
予定より2日も遅れてしまいました……。
その代わり、9000字オーバーと、ほぼ2話分の文字数となっております。
章題の『おかしなひと時』、これには恋愛成分大目の『お菓子な一時』という意味と、『愛の伝道師』という『おかしな人(と会った)時』という意味、そして、この世界の真実の一端に触れた『おかしな(空間にいた)一時』という三つの意味がありました。
恋愛成分としては、エレイン親子との出会いがきっかけとなり、その後は一昔……いや、二昔前くらいのギャルゲーかな?
毎日顔を合わせる事で徐々に……というパターンでした。
因みに、エステルの治療や狸親父の末路は次のブリジット視点で扱います。
そして、遂にあの男が本編にまで侵食してきました。
あまり茶化すとメンタルHPの低いキャストンがマジギレするので、かなり自粛していましたが、あの後散々イジラレていた事でせう……。
この作品の黒幕については、もう皆さん予想されていた事とは思いますが、そいつです。
そう、作者です。何せ考えたのは私ですからねー。これはもう、作者と言って過言ではありません。
さて、次はブリジット視点、その後にグレイシア2周目という予定ですが、ブリジット視点の前後に1話ずつ閑話を入れさせて頂きたく思います。
主に未登場のキャラ達がこの頃何をしていたのか、という話です。




