第8話 おかしなひと時の始まり
普段よりちょっと長くなりました。
「よし。これで行こう」
考えが纏まったのかキャストン様は一つ頷き、紙を取り出し筆を踊らせていらっしゃいます。
ややあって、三組の書類が書き上がります。
「これを確認した後、問題がなければ記名してください」
差し出された書類の一組目は、一般的な雇用契約の書類でした。
多少細かい気も致しますが、エレイン様を使用人として個人的に雇用する為の条件が、不備なく記載されています。
これなら、いますぐ文官として働けますね……まぁ、性格的に無理でしょうけど……。
二組目は……私も初めて見る雇用形態の契約書でした……。
いえ、仰りたい事は分かるんですよ?
「あの、これは一体?」
エレイン様もよく分からなかったのか、キャストン様に尋ねます。
「あぁ、そちらは、ご息女を我が家で生活させる為の理由付けです。難癖をつけてくる輩もいるでしょうから、彼女も自分が雇用している事にして、保護責任を付加した方が良いでしょう」
「いえ、キャストン様、その目的は分かるのですが、問題なのは『治験』というのが何なのかという事です」
条件を要約すると、寝ているだけで給与が発生する事になるのですが……。
「『治験』というのは、酷く乱暴な言い方をすれば人体実験だ。正確に言えば、『治療の臨床試験』だがな」
「なさるんですか? 人体実験」
「する訳ないだろ? 俺は本職の錬金術師でもなければ、薬剤師でもない。非臨床試験が終われば、自分の身体で試すさ」
それもどうなのでしょう?
「ま、さっきも言った通り、ただの建前だ。重要なのは『あの子に関して言いたい事があるなら、まずは俺にどうぞ』と出来れば良い。そうすれば、このオッサンが何を喚こうが正面から叩き潰してやる」
そう言って、キャストン様が示したのは転がっているジャギエルカ伯爵でした。
「キャス様。結局、この男は何をしに来たの?」
「ん? あぁ、こいつか。おそらくだが、時間稼ぎの為の身代わりに、エレインさん達を捕まえようとしたんだろう」
「身代わり、ですか? それは……」
確かに、ガラハッド君は神子の従者の一人という立場でしたが、だからと言ってエレイン様達に責任を取らせるなんて事は出来ないと……うん? 時間稼ぎ?
時間さえ稼げれば良いという事?
「つまり、エレイン様が魔人薬の服用者だったと告発して、大きな騒ぎを引き起こし、一時的に世間の目をそちらに逸らさせる……という事ですか? 自分がした事を棚に上げて?」
「な!?」
「あわよくば、アーサーを殺したのも、神子ではなくその息子だったのだ……ってところかな?」
私の推察に驚愕の声を上げるエレイン様。
それを肯定、補足するように続けるキャストン様。
「ま、余り詳しい事は言えないんだが、そこの男はいまボールス枢機卿に潰れられては困る立場にある。準備が整うまでは、あのご老体に是が非でも枢機卿猊下でいてもらいたいのさ」
「……枢機卿の代替わり……いえ、ただの代替わりなら、キャストン様が口を噤む事はありませんね。もっと重大な何かがあるんですね?」
先程、「現時点では一応パニア教旧派に属する司祭」と仰っていましたから、もしかして新派に宗旨替えとか?
まぁ、確かに厳格な旧派に比べたら、柔軟な新派の方がこの男には残念ながら都合が良いかもしれませんが……。
「そういう事だ。正直、ここに来るのがコイツだとは思わなかったんだが、因果なものだな……まぁ、この男の処遇は今後のコイツ次第という訳だ」
完全に、路傍の小石を見る目で、そう締めくくるキャストン様でした。
「あの、それではこちらは?」
「見ての通り、ご子息の開発した薬に関する権利とその相続です」
エレイン様が尋ねたのは最後の書類でした。
内容は、ガラハッド君が遺した製法から作られた薬を売却した際に生じる売上げの内、純利益を特許料として、開発者であるガラハッド君の取り分とする……という趣旨です。
そして、その権利をエレイン様に相続させるというのです。
「製法は手に入ったので、多少手を加える必要はあるでしょうが、こちらが望んでいる薬の開発は大きく進展します。これはもう、全てご子息が、いえ、ガラハッド親子が二人で開発したと言っても良いでしょう。というか、そういう事にします」
あ、本当に名誉とか栄誉とか、お金を払ってでも押し付けるんですね……。
「ですが、それではそちらに何も益がないように思いますが?」
「いえいえ、自分にとっては、この薬が一番大きな利益を齎してくれる事になります」
「はぁ? そうなんですか?」
まぁ、そうですよね……治療の為とは言え、何とかして多数のご令嬢と既成事実を作らせ、キャストン様をガラティーン公爵家の婿養子にしたいあの事件の関係者。
そんな重責まで背負いたくないキャストン様にとって、最大の焦点とも言える『既成事実』を作らずに治療できる……その可能性を持つこの薬は、まさに値千金と言えるでしょう。
あ、私ですか?
私はもう貴族籍を抜いていますし、何処までも付いていく所存なので、どう転ぼうがお傍に置いて頂けるなら十分です。
「ええ。問題がなければご記名を」
「な、なんだ、これは!?」
エレイン様に記名を促したところで、縄で縛って転がしていたジャギエルカ伯爵が目を覚まします。
「ち、面倒臭い時に……」
「き、貴様! ワシを誰と心得ておる! このような事をして、無事に済むと思うなよ!!」
拘束から抜け出ようと足掻く男が、その視界にエレイン様を捉えます。
「エレイン! 何をしておる! 早くワシを助けんかッ!」
「くッ……」
案の定、エレイン様に怒鳴り散らすものの、ガラハッド君が無理に出征した背後に、この男が関わっている事をあの手紙で知ったからか、これまでのように怯えた態度は見せません。
「何だその目は? 貴様、自分の立場というものを理解しておらんのかッ!!」
「はいはい。その言葉はそっくりそのまま返しましょうか、司祭殿」
喚く伯爵の視線を遮るように、キャストン様が間に入って立ち塞ぎます。
「何だ貴様は! ワシを司祭と知っての狼藉、ただでs」
「はいはい、同じ事を繰り返すだけなら、喧しいから暫く黙っておけ」
大声で怒鳴るしか能がないのか、同じ事を繰り返し怒鳴り散らそうとしたところ、すかさずキャストン様が頭に大きな袋を被せて聞こえてくる声を小さくさせました。
「さて、邪魔が入ってしまいましたが、契約の内容に不満がなければご記名下さい」
そして、未だに騒いでいる伯爵は一顧だにせず、エレイン様に確認するキャストン様。
「あ、あの……本当に、この男を敵に回しても……大丈夫なのですか?」
「……そうですね、この男が全身全霊を賭けて自分の邪魔をしようとしても、路傍の小石ほどの障害にもなりません。出てきたところで取り除くだけです」
念を押すかのように問うエレイン様に対し、きょとんとした顔を見せて答えるキャストン様。
あれは、ジャギエルカ伯爵程度は『敵』たり得ないという判断だった為、『敵に回す』と問われて一瞬戸惑ったのでしょう。
「……分かりました。そちらで働かせて頂きたく思います」
キャストン様の言い回しが若干伝わり難かったのでしょうが、他に頼る当てもないのでしょう。
三組全ての書類の記入欄に記名されるエレイン様。
これで、エレイン様はキャストン様が雇用なされた使用人となり、その全責任はキャストン様に帰属する事となりました。
早い話、エレイン様やエステルちゃんが問題を起こせば、全てキャストン様が責任を負うという事です。
逆に、彼女達に何かすれば、それは彼に宣戦布告したも同義となります。
尤も、現時点でキャストン様の恐ろしさを知っている人間は、あの事件の関係者以外ではそれほど多くありません。
スレイプニルを従えている事が広まれば、キャストン様の名前に『抑止力』も備わってくるでしょうが……。
「……確かに。それでは、早速だが転居の準備をしてくれ。この家は……借家だな? 心の準備をさせてやれないのは心苦しいが、いつまでもそこの贅肉を転がしている訳にもいかないからな」
「はい。持ち出せる物は全て持ち出しておきます」
「まずは、娘さんに事情説明してくれ。それと、研究資料なんかもそちらで一端全部持ち出してくれ」
記名を確認し、早速主として指示を下すキャストン様。
エレイン様は一礼し、寝室へと向かわれました。
「さて、そういう訳ですので、本日はお引き取りください。司祭殿」
尚もジタバタと足掻きながら喚いていた伯爵。
その頭をすっぽりと覆うように被せていた袋を外して宣告するキャストン様。
「き、きさ、きさま……このような、ことをして……タダですむと、おもうなよ……」
真っ赤な顔で息も絶え絶えに悪態をつく伯爵。
頭に袋を被せられて、息苦しい状況でも喚き続けていましたからね……無駄だと悟って体力を温存しておくという知恵は……ないんでしょうね。
「そ、そもそも貴様は何なのだッ!?」
普通はこの状況下でそんな事を問われても、益がないので答えないと思うんですよね……普通は。
「この通り、本日付で貴方が捨てた女性とその娘の主となった、キャストン・クレフーツと申します。彼女らに関して、何か仰りたい事がございましたら、クレフーツ男爵家の長男である自分にどうぞ。……無論、表向きの飼い主でも本当の飼い主でも、お好きな方に相談して頂いて構いませんよ」
ですが、キャストン様は答えます。
ご丁寧に、エレインさんとの契約書まで見せて煽ります。
要約すると、「ちゃんと、喧嘩を売るなら俺に売れよ? それが出来ないんならすっこんでろ」と言ったところでしょうか?
ただ、最後の『本当の飼い主』というのが気になりますね……この男、本当に宗旨替えしているのかもしれませんね。
「ぐ……ん?」
あ、伯爵の視線が私とリジーを捉え、それがあの男と同じ色を帯びてきました。
あの舐め回すような不快感を煽るいやらしい視線。
ところが……。
「ぎゅぷッ?!」
「おい、コラ……うちの者にその汚ぇ視線を向けるんじゃねーよ……」
私が身構えるよりも早く、キャストン様が伯爵の顔を踏みつけていました。
え、えーっと……?
「ち。もういい。二度と俺の前にその汚ぇ面を晒すんじゃねぇぞ?」
「き、貴様、覚えていろよッ! ワシにこのような狼藉を働いた事、必ず後悔させt」
そういうと、キャストン様は伯爵とその護衛達を玄関から蹴り出してしまいました……伯爵が喚きましたが、一切取り合わずに……。
「二人とも、大丈夫か?」
「あの、えっと……いったい、なにが?」
「ん。ボクは……大丈夫。ちょっとビックリしたけど」
リジーはキャストン様の行動の真意が分かったようで、普通に受け答えしています。
いえ、ビックリしているのは私もなんですよ?
おそらく、キャストン様は自分を的と認識させる事で、伯爵の行動を誘導しようとしたんです。
その為に、魔人薬を投与されたエレインさんを自分の身内とし、それが発覚した際の責任を全て自分が負う形になさった。
そうすれば、あの伯爵の事ですから、エレインさんを第一級禁制品の使用者として告発すれば全て片が付く……なんて安易に考えるでしょう。
……と、申しますか、あの目はそれをネタにキャストン様を脅し、私やリジーをも手に入れようと考えていたと思います。
…………ん? あれ?
それではまるで――
「ほ……とりあえず、大丈夫なようだな」
「え?! あ、はい!」
「二人には先に屋敷に戻って、部屋の準備をしてもらおうと思っていたんだが……こうなると、二人だけで帰すのも危ないか……一先ず、フレア達と合流するか」
そう告げると、エレインさんの後を追って寝室へと向かわれました。
「行こう、アイリ」
「え? あ、ねぇ、リジー……」
「うん?」
ある考えに捕らわれ、呆然としていたところをリジーに促されます。
そして、思わずリジーに尋ねます。
「あれって、その……私達の為に……策を台無しにしてでも、怒ってくれた……のかしら?」
「うーん……ボクにはキャス様が何をどこまで狙っていたのかは分からないけれど、そうだと思うよ」
「そ、そう……」
……おかしいです。
アシュフォードの娘として、感情で策を台無しにするなど、唾棄すべき事であるはずなのに……。
あぁ、でも、思い出してしまう……あの盤上遊戯の大会で、捨て駒を使わなかった彼を……。
そう、結局私は、いえ、アシュフォードの人間は、軍略一族を名乗りつつ、『人の情』を尊いと感じてしまうんですよね。
そうでなければ、アシュフォード家は今頃存続もしていなかったでしょうし……。
その後、皆さんと合流し、持ち出す私物は全てエレインさんのアイテムボックスに収納。
エステルちゃんをキャストン様が背負い、クレフーツ家のお屋敷へ。
急な使用人の雇用に最初は驚かれたものの、秘かに一番喜んでいたのはやはり家政婦長のハンナ様でした。
早く、『一人でも半人前』位には扱われるようになりたいです、とほほ……。
さて、私がキャストン様と今のような関係にいたるきっかけとなった、エステルちゃんとの出会いの話は以上です。
あの後、フレア様からも聞きましたが、キャストン様にとって、小さい子供というのは保護すべき対象であり、あの状態のエステルちゃんを前にすれば、その為の最善手をひたすら模索し続け心理的な隙が大きくなるそうです。
もし、エステルちゃんがもう少し元気であったなら、命に別状がなければ、あそこまで取り乱す事はなかったとの事。
確かに、この姿を見ると、それも頷けてしまいますね。
「さてと。それじゃ、俺はそろそろ出かけるとしますか」
「えー、兄上、もう行っちゃうの?」
「はっはっは。弟よ、お前ももう5歳だ。何時までも俺に甘えてばかりでは、男が廃るぞ?」
と、言いつつ、膝の上に座るクリフトン様の頭を撫でるキャストン様。
「キャスにーさま、いつかえってくるの?」
「そうだなー……未踏ダンジョンにも行くから、一週間くらいかな?」
「うー……」
もう片方の膝の上には、あれから光と味覚を取り戻したエステルちゃんが座っています。
その分、聴覚は『人より優れている』という程度まで落ちたそうですが……クリフトン様と一緒にお勉強している姿を見ると、むしろそれで良かったのではないかと思えます。
「お、エステルは偉いなー。お姉ちゃんだから、寂しくても我慢できるなー」
そう言うと、エステルちゃんの頭を撫でるキャストン様。
「むー、ボクも兄上が帰ってくるまでガマンできます!」
「クリフ、小さいから泣いてもいいよ? おねーちゃんがいい子いい子してあげる」
「エステルだって小さいじゃないかー!」
と、こんな感じでよくじゃれあっています。
先日8歳になったエステルちゃんですが、ずっと寝たきりだったせいか、それとも体質故か……5歳のクリフトン様と同い年くらいに見えます。
「それじゃあ、二人の事は任せるな」
何時の間にやら、キャストン様の膝から降りて、奥方様達に微笑まれながらじゃれているクリフトン様達。
その隙に席を立ち、こちらに来ていたキャストン様に、頭を撫でられながら頼まれました。
動物や子供に特に好かれるというキャストン様の不思議な撫で技術……私にだけその効果が過剰に出ていた理由も今となっては取り除かれ、安心してこの心地好さに身を委ね……たらダメですよ、私!
「は、はい! こちらの事はお任せ下さい!」
今の私はメイド! 使用人! お仕事中!!
蕩けて惚けていちゃダメよ!
「はは。リジーも頼むな?」
「ご褒美に抱いt」
「却下です」
「ぶー……」
……と、まぁ、こちらはこんな感じです。
そちらはそろそろ五月の闘技会の準備に追われている頃でしょうか?
大変だとは思いますが、どうかお身体を壊さぬよう、ご自愛下さい。
「シア? どうかした?」
「あ、いえ、あちらはいいなーと……」
「うん? 誰からの手紙?」
「えっと、その……彼女から、です」
「あぁー……ま、本人が今幸せそうならそれでいいけど……それより、黄昏るくらいなら、手を動かして。今月も……書類は山積みよ」
「…………アイリーンさんの淹れてくれた紅茶が恋しいです」
拙い作品にここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
次回は遂に、漸く、やっと、この世界の核心にせまります。
この章のタイトル、その真の意味が明かされる! ……かも?




