第7話 いのちの価値
「さて、どうしたもんかね?」
そう仰るキャストン様の足元には司祭用の僧衣を着た50歳くらいの男性が一人、気を失ったところを縄で縛られ転がされています。
「えっと……その方、一応司祭様なのですが……」
「知ってる。ついでに言えば、投げ飛ばしたくらいは問題ない。私怨を言わせてもらえれば、命も取っておきたい所だけど、エレインさんに迷惑がかかるからやらない」
「そうですか……」
「キャス様、縛り終わったよー」
そう報告してくるのは、司祭様の護衛だった私兵四人を縄で縛っていたリジーです。
何があったのかと言えば……。
乱暴な客人の来訪に、怯えながらもエレイン様が向かいました。
私達は恐がるエステルちゃんの傍に、結界の維持も兼ねてフレア様を残し、エレイン様のあとを追う事に。
寝室の扉を開くと、玄関から突き飛ばされたようにエレイン様が倒れてこられ、私が助け起こそうと駆け寄ったところ、ダミ声で「使用人風情がワシの邪魔をするな!」と怒鳴られ……。
次の瞬間には、私を捕まえようと伸ばされた腕が、逆にキャストン様によって捕らえられ、いつぞや見たように僧衣を纏った人が宙を舞い、床に叩き付けられた後、流れるような動作で蹴り飛ばされていました。
それを眺めるしかなかった護衛達も、慌てて剣を抜くものの、三人は一瞬でキャストン様に殴り倒され、瞬く間に同僚が倒された事に硬直した最後の一人を、リジーが最近教わった投げ技で投げ倒しました。
こんなに派手な音を立てて、聴覚が常人より優れているというエステルちゃんが恐がっていないか、と寝室の方を見てみれば、何時の間にやら音を遮断するという結界がこの空間を覆っていました。
あの指を鳴らす動作、詠唱の代わりですらなく、単に「結界を張りますよ」っていう合図だったんですね……。
その後は、キャストン様がアイテムボックスから出した縄で僧衣の男性を縛り始め、リジーが代わろうとしたところ、「女の子が触っていい男じゃない」と断られたので、リジーは残りの護衛達を縛る事にしたという訳です。
「おー、お疲れさん」
「むふー」
労いの言葉をかけながら、キャストン様がリジーの頭を……って、あら?
キャストン様に頭を撫でられても何ともない?
おかしいですね? 私が撫でられた時はもっと……あ、いえ、何でもありません。
「さて、この狸オヤジをどう使い潰すかね?」
潰すのが前提なんですね……。
「あ、あの、助けて頂いたのはありがたいのですが……こんな事をして、大丈夫なのですか?」
そう心配そうに尋ねてきたのは、一連の事態を呆然と眺めるしかなかったエレイン様です。
「『大丈夫か』と問われれば、『大丈夫です』という答えしか持ち合わせていませんが……逆に尋ねます。貴女はどうしたいですか?」
「どう……とは……」
淡々と尋ね返すキャストン様の問いに対して、エレイン様は答えを返しあぐねているご様子。
「端的に言ってしまえば、自分はこの男をどうにでも始末できます。加えて、個人的にきっちりと落とし前を付けておきたい理由があるので、このまま野放しにするという事は出来ません。その上で、貴女はこの男にどんな目に遭って欲しいですか?」
それはまさに、悪魔の囁きと言っても過言ではない問いだったのでしょう……。
エレイン様は如実に狼狽えられました。
「あの、キャストン様はこの司祭様をご存知なのですか?」
エレイン様が落ち着くまでの時間稼ぎの意味も込めて、質問する事にしました。
「……ジョセフ・ジャギエルカ。ジャギエルカ伯爵家の当主にして、現時点では一応パニア教旧派に属する司祭だ」
「伯爵家の当主なのに、この歳で司祭? それって、低過ぎない?」
司祭様の名前を聞いた途端、エレイン様の緊張が更に高くなりました。
ですが、それ以上に、リジーの言う通り、伯爵家の当主という立場にありながら、この歳で司祭でしかない事に驚きが隠せません。
我が国では、伯爵という爵位にあれば、漏れなく領地が付いてきます。
そして、伯爵領ほどの大きさであるならば、一つの司教区として司教が一人配属されます。
伯爵家の当主がこの年で聖職に就いているとなれば、当然、自領の司教となっているものですが……。
「この男は、司教座一つと引き換えに田舎の自領に戻らず、王都で色々と便宜を図ってもらっているんだ」
それ自体は特に問題がある訳ではありません。
一般的ではないですが、そこそこの地位で満足して、余力を好きな事に傾注する貴族も若干数います。
その最たる例が、マーリン学園長であり、目の前のキャストン様ですね。
…………まぁ、このお二方は極端過ぎますが……。
ただ、キャストン様の話し方から察するに、このジャギエルカ伯爵は……いえ、エレイン様の萎縮した反応も合わせて考えると、この男こそが諸々の元凶なのでしょう。
「つまりは、あの男の同類である……と?」
エレイン様の方にちらりと視線を向け、確認するためにキャストン様に尋ねる。
すると、まるで……と、申しますか、さも「あまり思い出させたくなかった」と言いたいかのように、苦々しい表情をしながらも首を縦に振るキャストン様でした。
気を遣って頂けるのは非常にありがたいのですが……いえ、そうですね、これは私にとっては明確な進歩なのでしょう。
これまでの、「お客様に対する配慮」から「身内への気遣い」くらいには、キャストン様の心を見せて頂いているのですから。
ですが、そのせいで、私達に対する気遣いと、エレイン様に対する配慮が衝突し、なかなか話が前に進めずにいます。
……なるほど、私達がこの場に居なければ、キャストン様は自己嫌悪しつつも適当にエレイン様を言いくるめ、目的を達成させようとします。
そして、こうなる事をある程度見越していたフレア様は、私達にエレイン様の事情を予め気付かせておいたという訳ですか。
良くも悪くも、誰に対しても「知らずに済むなら、知らない方が良い事」を教えようとしませんからね、キャストン様は……。
であれば、私達がするべき事は一つ。
リジーの顔を見てみれば、しっかりと頷いてくれます。
流石は、私以上に私の事を理解してくれる幼馴染です。
「エレイン様。ご挨拶が遅れましたが、私はアイリーンと申します。今はキャストン様のご実家である、クレフーツ男爵家で見習い使用人としてお世話になっております」
「同じく、ブリジットと申します」
私達は使用人ですので、キャストン様達が紹介しない限り、エレイン様に自ら名乗って挨拶するなんて事はありません。
それを、エレイン様もご存知だからか、私達が挨拶した事に驚かれます。
「そして、少し前まではアシュフォード侯爵家の長女。アイリーン・アシュフォードと名乗っておりました」
「私はバーナード伯爵家の次女でした」
「え!?」
まぁ、それは驚きますよね。
男爵家の娘が侯爵家の上級使用人を目指す事はあっても、その逆はありえませんからね、普通は。
「私達も……『魔薬』によって玩ばれた事があります」
随分と軽くなったものの、やはりあの頃の事を思い出すと、どうしても……なので、溜めを作って一気に言い切りました。
その言葉を聞いて、エレイン様はキャストン様を疑うように見ます。
一方で、キャストン様はというと……そんな顔をしないで下さい。
これは私が……いえ、私達が勝手に決めた事なんです。
貴方がやりたい事をやり易くする為に、私達がただ庇護されるだけのお荷物にならない為に、この情報をエレイン様に開示するべきだと判断したのです。
「キャストン様は、そんな私達をあの地獄から、そして、死罪という結末から救い出してくれました」
「とは言え、その恩返しという理由だけで貴族籍を抜いて傍にいる訳じゃない」
「そうですね……色々な思惑が絡んでいたりしますが、ただ単純に私達がキャストン様の傍に居たいから傍にいる……それが一番の理由です」
「…………」
私達が意図する事……つまり、エレイン様の置かれた状況をある程度こちらが把握している上で、キャストン様なら信用しても大丈夫だという事が伝わったのか、エレイン様は何かを思い出しているかのように沈黙なさいます。
「キャストン様。私達へのお気遣いには感謝いたします。ですが、貴方様がなさりたいと思う事に、今それは必要ではありません。どうか、貴方様の心の中をエレイン様にもお伝え下さい」
締めくくりとして、リジーと二人で頭を下げて懇願する。
それを受けて、キャストン様は溜息を一つ吐く。
そして、懐からガラハッド君の手紙を出し、それをエレイン様に手渡される。
「彼女達が言うように、自分はこちらに伺わせていただく際、ある程度貴女方の置かれた状況を察しました。中をご確認下さい」
エレイン様が手紙を読み終えるのを待ち、キャストン様は説明を再開されます。
当初はガラハッド・エレイシスの遺品を渡し、転居を勧めるだけのつもりだったそうですが、実際に訪問してみればそれだけでは不十分だという事が分かったそうです。
それと同時に、彼がエステルちゃんの治療の為に完成させた薬、ひいては錬金術の研究内容それ自体が、私達を治療する薬の開発に役立つと判断されました。
そこで、エステルちゃんの命を救う事とお二人の保護を対価として、その研究内容を譲ってもらうつもりだったそうですが、一つ問題が発生しました。
「それが、その遺書です。自尊心の高い後輩が、頭を下げて最期に頼んできた事を無下にはできません」
苦笑を浮かべながらも、そうきっぱりと言い切るキャストン様。
何だかんだ言って、同じ『妹を大事にする兄』として、ガラハッド君に思うところがあったのでしょう。
「また、そこの司祭の存在がガラハッドの出征に深く関わっている以上、放置も出来ません。なので、彼の遺した研究内容をお譲り頂く対価が見当たらないのです。……特に、ご主人とご子息、親子二代に亘って続けられた研究を、金で譲って頂くというのも気の引ける話ですし……」
「!? な、なぜ、それを?」
「3歳でエステルちゃんが倒れてから、四年間一人で研究したにしては、資料が多過ぎるんです。資金が豊富にある訳でもない在野の錬金術師、まして10代前半の子供が一人で出来る量ではありません」
…………あれ?
それをキャストン様がおっしゃいますか?
「そんな事まで分かってしまうんですか……確かに、あの研究は主人が……エステルの父親が始めたものでした。ですが、研究資材を自分で調達しに行った際、魔物に襲われ……。彼がこの研究を始めたのも、私の境遇を知っての事でした」
そして、やはり私達の推測通り、エレイン様はかつてジャギエルカ伯爵家に今の私達と同様に、見習い使用人として住み込みで働いていたそうです。
そこで、あの魔薬を無理矢理飲まされ、私達がされたように、そこに転がっている司祭に……。
ただ、一つ私達と違う点があるとすれば、私達にはキャストン様がいましたが、エレイン様には誰も助けてくれる方がおらず、子供を身篭って放逐されるまでの二年という長きに亘り、地獄で過ごしてこられた事です。
事情が事情だけに、ご実家を頼る事もできず、手切れ金代わりに渡された端金でガラハッド君を産み、何とか母子二人で生活していた時に、一人の冒険者と出会い、紆余曲折の末結婚に至ったそうです。
ガラハッド君もそんな義父に懐き、錬金術の手解きを受けていたとの事。
確かに、そんな大切な研究内容をお金で如何こうしたくはないですね……。
「それでしたら、エレイン様にはクレフーツ男爵家で働いてもらうというのは如何でしょうか?」
「……研究内容を譲ってもらうのに、労働を課すとか意味が分からんのだが?」
まぁ、普通はそう思いますよね……。
「えっと、非常に申し上げ難いのですが……現在、私とリジーは『二人合わせて半人前』という評価をハンナ様から頂いています。そして、残る使用人は執事のハンス様と、家政婦長のハンナ様のお二人のみと、十分とは言い難い状態です」
お一人腕の良いハウスメイドの方が居たそうですが、少し前に実家に帰る事になったとかで、辞められたそうです。
「そこで、経験者であるエレイン様を即戦力として雇用なさると良いかと。貴族の『家』に雇われる事に抵抗を感じるのでしたら、キャストン様個人に雇用して頂ければよいですし、何よりエステルちゃんもクレフーツ男爵家のお屋敷で面倒を見れば、エレイン様も働きやすいかと存じます」
「それはそうかもしれんが……」
「失礼を承知でお尋ねいたしますが、エレイン様。現在の経済状況は十分でしょうか?」
正直、エステルちゃんを一人あの寝室に残して、仕事に行くというのは心配でたまらないように思います。
「……正直に言えば、息子が学園に通い始めてからは、実習で得た収入を送ってもらって生活していました……。当然、これからの当てもありません」
魔物との実戦を行う実習授業。
魔物を倒した際に手に入るドロップ品は、評価に必要な提出分を除けば、そのまま自分の物にして良いので、それを売って仕送りしていたのでしょう。
「じゃあ、アイリの案は渡りに船?」
「……はい。エステルと一緒に住まわせて頂けるなら……」
「という訳です。これなら、お二人ともキャストン様の保護下に入っていますし、どの道エステルちゃんの治療にはキャストン様に負担がかからないよう、長期的に当たるようにフレア様も仰っていたんです。患者が同じお屋敷に居た方が良いのではありませんか?」
私の提案にぐうの音も出ないといったご様子のキャストン様。
あと、この方が気になさる点と言えば……。
「キャストン様は、薬を完成させたという名誉が欲しいのですか?」
この言葉に、はっと気付かれるキャストン様。
「いいや。そんなものは要らん。むしろ、金を払ってでも他人に押し付けたい」
そ、そこまで言いますか……。
「ふむ、名義は全部ガラハッドに……特許権を相続させ……」
あ、何か企んでいる時のとても悪い顔です。
拙い作品にここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
公開が一日遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
二日ほど、まったく執筆に時間が割けなかったのが原因です。
何とか、この遅れた分を取り戻したいところです。
アイリーン視点も残すところ2,3話まで来ました。
最終話はこの作品初の戦闘シーンもあります。
今回の冒頭のような蹂躙戦ではなく、ちゃんと戦闘になっている戦闘シーンです。
真っ当な戦闘シーンをどれだけ描写できるか分かりませんが、期待しないで待って頂ければ幸いです。




