第3話 手繰り寄せた見えない糸の紡ぐ物
「おにーちゃん、だぁれ?」
そう弱弱しい声を発したのは、両目を閉じ、ベッドに寝たきりの5歳くらいの幼い子供でした。
エレイン様とよく似た顔立ちの可愛らしい……ただ、それ以上に感じざるを得ない死の臭い……。
一目で何かの病を患っていると理解できてしまう影が、その子の魅力を、生命力を根こそぎ台無しにしています。
「はじめまして。お兄さんはね、キャストンっていうんだ。よろしくね、エステルちゃん」
そう挨拶して、彼女の紫紺色の頭を優しく撫でるキャストン様。
実弟であるクリフトン様のお相手をなさる時以上に、気を配って対応なさっているご様子です。
「わたしのことをしってるの?」
「あぁ。お母さんとお兄ちゃんが大好きで、頑張り屋さんのいい子だって大評判だよ」
「えへへ、そっかー」
くすぐったそうに笑うエステルちゃん。
布団から出てきたか細い手が、ふらふらと宙を彷徨い、その手をキャストン様の手が包み込む。
「ふわー……おにーちゃんのおてて、あったかいねー」
「寒いのかな?」
「ううん。あのね、わたしのおてて、いつもつめたいの……でも、おにーちゃんのおてては、おててだけじゃなくて……えっと、もっと、いっぱいぽかぽかするの」
「そうか。エステルちゃんが喜んでくれるなら、沢山こうしててあげるよ」
そう仰ると、キャストン様は頭を撫でていた手をエステルちゃんの頬に移し、そっと撫でてあげます。
「ひゃう……えへへー」
心地よさそうに喜びを表し、全身をベッドに預けるように弛緩していく様子のエステルちゃん。
どうして私達が彼女のお見舞い……いえ、診察をしているかというと……。
「こちらへ寄らせて頂く道中、おおよその事情は理解しました」
キャストン様の言葉に、如実に怯えるエレイン様。
「フレア」
「……はぁ、分かりました」
そして、キャストン様の呼びかけに対し、珍しく渋々従うといった様子で席を立ち、離れるフレア様。
それを確認すると、キャストン様はパチンと指を鳴らし……。
「え!?」
「……結界?」
キャストン様とエレイン様を包むように、何らかの結界が発動しました。
私達が驚いている間にも、フレア様が……。
「風よ」
と、呟いた途端、私達三人を覆うようにそっくりな結界が発動していました。
「お兄様が張ったのも、私が張ったのと同じ、音や振動を外に伝えない結界です。私としましては、貴女方に聞かせても問題ないとは思うのですが……まぁ、妙なところに気を遣うのもお兄様の性分ですので、仕方ありません」
フレア様の言う通り、エレイン様が結界の発動を見て驚いている様子は分かるのですが、何と仰っているのかまでは聴こえません。
「さて、何処まで話したものでしょうか……とりあえず、この家は監視されています。何処の手の者かは分かりませんが、王家やガラティーン家の密偵に比べると、腕は相当落ちますね」
いきなり衝撃的な内容でした……。
「それと、お兄様もエレインさんも、『ガラハッドが死んだ』と明言していなかった事には気付いていますね?」
そう訊かれて、首を縦に振る私とリジー。
「……こっちも結界を張っているので、声を出しても問題ありませんよ……」
……そうでした……。
「ま、いいです。それは、あちらで聞き耳を立てている方を気遣っての事です」
そう仰って、フレア様が示したのは、隣室へと繋がる扉でした。
他にもご家族が……確か、病気の妹がいるという噂でしたね?
「五感の一つ、うーん……或いは二つに異常があるのでしょう……エレインさんが言葉に気を遣っていたところから見るに、おそらくは目が見えず、その代わりに聴力が発達しているといったところでしょうか」
「あの……どうしてそんな事が分かるんですか?」
「そんなの、この距離で気を感知すればある程度分かります」
疑問に思って尋ねてみれば、何でもない事のように返されてしまいました。
ですが、これで一つはっきりしました。
彼女は私達に何かを伝えようとしています。
それを直接伝える事は、彼女が敬愛するキャストン様の意に反するのでなさいませんが、同時に自分に気付けた事くらいは考えて辿り着いてみせろ……とばかりに、私達が自力では得られない情報を開示なさいます。
……そうまでされては、考えない訳には参りません。
リジーと顔を見合わせ頷き合います。
「密偵……一流とは呼べないけど、それでもフレアが密偵と呼ぶ程度には腕がある人材。そんなのを雇えるのは大きな商会か……」
「或いは中堅以上の貴族ね。そして、ガラハッド・エレイシスの貴族に対する嫌悪を鑑みるに、貴族との間に何らかの確執が生じた事があると考えられるわね」
「とすれば、この監視者は貴族の都合で雇われている可能性が高い……」
直接その密偵を雇っているのが誰かは分かりませんが、最終的にはこの家と確執のあった貴族の下へと報告されているのでしょう。
ただ、その割にエレイン様の応対は、貴族を相手にするのに手馴れた感じを受けました……。
貴族と何らかの確執がある平民が、初見の貴族が相手とはいえ、気後れせずに対応できるものでしょうか?
「その方向からの検討は一旦保留して、次に行きましょう」
「なら、一番大きな手がかり……彼女はボク達と何らかの共通点がある」
「いえ、もっとはっきり言ってしまいましょう。エレイン様も私達と同様、あの『魔人薬』の被害者である、と……」
そう断言してフレア様を見てみれば、あからさまに顔を背けられました……。
「まぁ、フレアにあれだけ手がかりを見せられたら仕方がないと思う……」
決め手はフレア様の『この距離で気を感知すればある程度分かる』という言葉です。
これは、『離れた距離からでは気を感知しても詳細には分からない』という事ですが、逆に考えれば、離れていてもある程度は感知できるという事。
そして、こちらへ向かう途中にそれを感知したから、フレア様は私達に何かしら含みを持った視線を向け、直接対峙した際にはよりはっきりと感知できた為に、エレイン様を痛ましいと思ったという訳です。
「はぁ……少し手がかりを残しすぎましたか? そこまで想像できたのでしたら、もう一歩踏み込んでみてください。そうですね……彼女の実年齢は30歳に届くかどうかです」
「「え!?」」
結界の向こうにいらっしゃる、エレイン様のお顔をもう一度拝見します。
少し青みがかった銀髪が珍しい、整った顔立ちの20代前半の綺麗な女性です。
「いえ、驚くべきはそこではありませんね。むしろ、予想よりは実年齢と外見年齢に差はありません」
「! そうか、ボク達と同じくらいの子供がいるんだ……それで30歳と言うのは……」
「そうです、ガラハッド・エレイシスが養子でない限り、14歳前後で産んだ事になります……」
14歳……学園や士官学校の入学年齢がその年度中に16歳になる者ですから、それより若いという事ですね……。
平民だと、もう見習いとして働きに出て……『私達と同じ』!?
「まさ、か……」
「アイリ?」
「貴族、魔人薬、14歳で出産、エレイシスの名……私達と同じ『見習い使用人』」
「ッ! それは、つまり……ガラハッド・エレイシスは……貴族の私生児?」
平民に家名はありません。現に私も今ではただのアイリーンです。
では、ガラハッド・エレイシスが名乗っていた『エレイシス』という名は何処から来たのか?
彼は、魔法士としての才能を認められ、学園に特待生として入学しました。
その際、『ガラハッド』の名だけでは、他に同名の方がいた時に困ります。
現に、エレイン様のお名前は、アロンダイト公爵夫人……つまりはランスロット様のお母君と同じ名前です。
そこで、家名の代わりになるような名が必要になります。
大体は出身地や親の名前から取ってくるのですが、流石にキャメロットという名を名乗る訳には行きません。
あれは王家の持っている名の一つなので、誰であれ勝手に名乗ると不敬に当たります。と申しますか、大問題です。
そう、彼が名乗っていたのは母親の名前を拝借したものなんです。
父親ではなく、母親の名前……なくはありませんが、この場合父親の名前を借りるのがこの国では一般的です。
そして、母親の名を借りる場合の理由は、そもそも父親の名前を知らないか……そんな名前を名乗りたくないほど嫌っているかです……。
「この事に気付けば後は簡単な話ですね……。そもそも、魔人薬は禁制品。入手するにはどうしたって相応の金銭が必要です。ガウェイン、様達でさえ、平民被害者には使わなかったと聞きます……」
……キャストン様に治療して頂いているとは言え、今でもあの頃の事を思い出すと……。
「でも、エレインさんにはそれが使われた……誰が? 何の為に? と言えば……」
いけませんね。引き摺られてばかりでは、かける負担が増すばかり。
折角リジーが譲ってくれたのです、諸々を込めて答えを出しましょう……。
「勿論、どこかの貴族が、自分の欲望を満たす為……12歳でやってきた、平民出身の少女を下卑た欲望の捌け口にする為にッ!!」
殆どの貴族が長男しか後を継げず、他の者が他家に嫁いだり新たに一門を興したりするように、平民も家業を継げるのはだいたいは長男のみです。
農民にせよ、職人にせよ、商人にせよ、他の兄弟姉妹は基本的な教育期間が過ぎれば、余所に働き口を探す事になるそうです。
その教育期間が終わるのが12歳。
そして、平民女性にとって最も人気があるのが、貴族の使用人という職業です。
お給金が高く、お屋敷を出入りする上流階級との出会いにも恵まれているからだそうです。
「彼女は、貴女達が迎えていたかもしれない未来の姿です。魔人薬は完全に避妊できる訳ではありません。あくまで、投与された人間を内側から作り変え、妊娠し難くなるというだけの事」
私達が答えに辿り着いたからか、フレア様が種明かしをするかのように説明し始める。
「エレインさんは……残念ながら、もう中身が半分一般的な人間ではなくなっています……その証拠に、彼女の加齢速度は通常の人間よりも遅くなっていますし、髪の色も青みがかっています。それでも、彼女は後天的に肉体が作り変わっていったから、この程度で済んでいるんです」
「……これが、魔人薬が定着した状態……なんですね」
私達も、キャストン様の治療を受けていないと、こうなってしまうという事ですか……。
そして、『彼女は後天的に肉体が作り変わった』からこの程度で済んでいる……。
それはつまり、先天的に影響を受けていたらこの程度では済まないという事ですね……。
「はい。ここまで状態が進行すると、もう元には戻せないでしょう……その代わりに、安定した状態でもあるので、ある程度妊娠し難いのも緩和されます……尤も、彼女の場合はそれが災いした訳ですけど……」
「それで、ガラハッドを身篭ってしまったと」
「おそらくは……無論、彼の前に死産も経験しているかもしれませんが……」
それ、は……ありえなくはない、ですね……。
「と、そろそろ終わるようです」
フレア様の言葉に促され、キャストン様達の方を見てみると……。
何やら、エレイン様が泣いていらっしゃり……。
「いいですか、今お教えした事は心の中にしまっておいて下さい。必要な時にどうするかは、貴女達が自分で判断してください」
「「え?」」
フレア様はフレア様で、この話は終わりとばかりに結界を解除なさいます。
そして、遂にキャストン様の張った結界も解除され……。
「では、ご息女の診察をしますね」
「お願いします……娘を助けて下さい」
と、深々と頭を下げるエレイン様。
え、診察って? 助けるって?
あの、もしかしなくても……房中術ですか?
拙い作品にここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
寒い日が続いております。
こちらでも雪が降り、朝は布団から出るのが辛いです……。
皆様も、風邪など召されませんように。




