第1話 掃討戦 密偵 VS 不良冒険者
今回からフレア視点となります。
初回は説明回で、少々短めとなっております。
歌が聴こえる
懐かしい声が不思議な詩を奏でる
あぁ、これは子供の頃に歌ってもらった――
ガタンと小さくはない振動が伝わり、不意に目が覚める。
むぅ、もっとあの歌を聴いていたかったのに……。
現状を確認すると、私は箱馬車の中に一人で寝ていた。
いつも、ライブで見せ物の仕事をした後は、お兄様の膝枕で甘えさせてもらっていたから、癖で寝てしまったのね。
うん。だんだん思い出してきた。
今日は12月24日。お兄様が『クリスマスライブ』なるものを企画し、民衆相手に媚を売ってきたところだ。
『クリスマス』というものが何かは分からないけれど、今日は私にとっても一つの区切りである。
何せ、あのおっぱいお化けとお兄様の(ほぼ一方通行な)協力関係が、終焉を迎える日なのだから!
「申し訳ありません、フレア様。障害物の除去までもうしばしお待ち下さい」
「いえ、皆様、この寒い中ご苦労様です。漏れのないようにお願いします」
「お任せ下さい」
小窓から御者の方が報告してくる。
この人はおっぱいお化けこと、グレイシア・ガラティーンの実家、ガラティーン公爵家の密偵さんだ。
何度か私達を尾行していた事があるので覚えています。
そして、現在この馬車の周囲に展開している護衛も、ガラティーン公爵家の密偵さん達ですね。
練度から察するに、この御者を務めている密偵さんが彼らの上司と言ったところでしょうか?
なんて事を考えているうちに、襲撃者は全員捕まったようです。
まぁ、第一騎士団にすら入れなかったボンクラ貴族の冒険者崩れでは、二大貴族の片翼たる公爵家の密偵達を相手に、何も出来ないのは当然ですね。
「お待たせしました。あと2度ほど途中停車すると思われますが、どうかご安心下さい」
「はい、お任せいたします。よしなに」
御者が障害物の除去を伝えると、再び馬車は進み出します。
あと2度あるという事は、私は順調にお兄様のお言い付けを果たせているという事ですね。
簡単に言ってしまうと私は囮です。撒き餌とも言います。
今日、12月24日は私こと、フレア・クレフーツの『クリスマスライブ』があると同時に、王立キャメロット学園では年末の舞踏会が開かれています。
その舞踏会に、私達兄妹を参加させたくないという方々がいらっしゃるので、私がこうしてライブ会場から馬車でまっすぐ舞踏会会場を目指しているんです。
こうする事で、敵の足止め要員を引き付けている……という名目で、顎で使われる下っ端までも残らず捕らえています。
その為の、ガラティーン公爵家の密偵さん達です。
襲撃者のほとんどは、学園を卒業した後、第一騎士団にすら入れなかった無能な元貴族で、仕方なく冒険者になった者ばかりです。
先祖の功績以外に誇れるものがないにも拘らず、自分は偉いんだぞー凄いんだぞー、と勘違いしちゃった愚か者達です。
そういうお馬鹿さんばかりなので、今の境遇は現政権が自分達を恐れて不当に評価した為だ!なーんて、アホな世迷言をのたまう、品性下劣丸出しのガウェインとかいうクズに利用されるんですよ。
そんな無能でも、群れると一人二人は取りこぼしかねませんからね。
こうやって、私という餌で釣り上げて、密偵という影で活動する事に長けた方々に残らず捕縛してもらっているという訳です。
お兄様が言うには、「ウィリバルトとかヨアヒムとか、特にメルカッツみたいな奴がいるかもしれんしな」との事。
メルカッツって誰ですの?
その間に、お兄様は別ルートで会場を目指されています。
はっきり言って、馬車を使うよりも、お兄様の身体能力を駆使して最短距離を駆け抜ける方が早いですしね。
おっと、どうやら第二波が来たようですね。
ライブ会場から舞踏会会場まで馬車で向かう道中、足止めするのに適している場所は全部で三箇所。
最初の襲撃の位置と規模から、三箇所全てに人員が配置されていると、御者をやっている密偵さんは考えたのね。
私としましても、お兄様と一緒に会場に向かいたかったのですけれど、万が一にも取りこぼしがないようにと、私はこの囮役をお兄様に託されました。
勿論、ただの誘蛾灯としてではなく、護衛の皆さんではどうにもならない手練が現れた時の戦力としてです。
その為に、馬車を牽いているのはただの馬ではなく、お兄様の愛騎であるニィルと、私の愛騎である天ちゃんです。
どちらも魔法でただの馬を装っていますが、矢の5,6本射掛けられたところで驚いたりしません。
ですが、馬車の中から感知できる敵と友軍の動きから察するに、私の出番はなさそうですねー……。
第一騎士団の選考基準には、礼儀作法なんかもありますから、そっちで落とされた腕自慢なんかがいるかもしれない。
……と警戒していたのですが、そういうのは普通に冒険者として稼げますし、最初からあちらに参加していないか、こと影での戦なら密偵さん達の方が上だったかですね。
しかし、こうもする事がないと、余計な事まで考えてしまいますねー……。
確かに、今日であのグレイシア・ガラティーンとは縁が切れます。
いえ、完全に切れる訳ではありませんが、お兄様があの女の視線に汚される機会は減ります。
まったく、ボンコツ王子に振り向いてもらえないからと言って、お兄様に乗り換えようだなんて虫が良すぎます。
ですが、代わりにあのアイリーン・アシュフォードがお兄様に秋波を送るという事態に!
あの人はいけません。あの人は正真正銘の淑女です。それでいて夜は娼婦という、典型的ないい女ですよ、きっと!!
私も『王都三大美姫』なんて呼ばれてはいますが、実際に結婚するならその誰よりも彼女が一番ですね。間違いなく。
彼女を妻に出来た男性は、どんな凡夫でも有用な人材になる事でしょう。それくらいの可能性を秘めた方です。
……まぁ、流石の彼女も、『下衆』という言葉の方が凛々しい男が相手では、食い物にされるだけでしたが……。
それでも、彼女が本気で落としにかかったら、お兄様でも意識せざるを得ません。
ましてや、お兄様は元々情の深いお方。一度は見捨ててしまった彼女達に対して、罪悪感というものを持っています。
そんなの放っておけばいいのに……。
お兄様には、明確に優先順位というものがあります。
一番は私達家族です。まぁ、論じるまでもありませんね。
次は使用人の皆さんです。我が家は小身の貴族です。領地もなければ、役職も持たない下級官吏の男爵家です。
それでも、貴族である以上は使用人を抱える、という見栄を張らなければなりません。
ですので、自然と使用人の数は少なく、また、私達家族と密着するように暮らします。云わば、第二の家族ですね。
最後は従業員です。
お兄様が雇っている従業員は、表向きは風俗営業と言える事業に従事しています。
『ライブスタッフ』に使用人喫茶『ノーブル』、そして、スラム街にある高級娼館『胡蝶の夢』などがあります。
まぁ、そのどれもが宣伝だったり情報収集の為の諜報員だったりするんですけどね。
雇用主と従業員という形態とは言え、役に立ってくれている彼ら彼女らの生活くらいは保護したい。というのがお兄様の考えです。
そんなお兄様ですから、一方的に利用してくるおっぱいお化けは見限りますし、その身に起きた不幸を一方的に利用させてもらう最終兵器さん達には、利用した分は返したいと思ってしまわれます。
だいたい、従業員と同等の扱いですね。自力で解決できない現在の境遇から、救い出すだけで私は十分だと思うのですが。
因みに、かつてはおっぱいお化けもそのあたりの扱いでしたが、いよいよどうにもならなくなり、アイドル興行という見せ物を行う際に見限りました。
そして、お兄様の意図している彼女らへの返礼とは、『房中術』による治療です。
あれはいけません。あれを受けてお兄様に転ばない女性はいません。
あー……いえ、どうでしょう? 意外と転ばないバカも多いかも?
真っ当な感性の持ち主なら第一段階の『手合わせ』でほぼ間違いなく転びますが、自尊心の肥大したバカ女なら或いは……。
まぁ、どちらにせよ、アイリーン・アシュフォードほどの女なら、理解するでしょう。
あれがただの治療法でもなければ、夜の生活を豊かにするーなんて術でもない事が。
あれは、お兄様が何処かから見つけてきた術で、『気功』とかいう胡散臭い術に、『房中術』という更に胡散臭い術を応用した、天才と紙一重の狂人がその類稀なる英知の限りを尽くして生み出した結晶だそうです。
発想が斜め上過ぎて、私どころかお兄様ですら理解に苦しんでいます。
ただし、効果は問答無用です。問答無用で両者の精神を繋ぎ、交心させます。
第一段階の『手合わせ』ですら、ぼんやりと相手の心に触れている事が、自分の心が触れられている事が分かります。
第二段階の『梔子』ともなれば、相当に凄い事になるそうです。
…………はい。当然ながら、私は第一段階しか経験した事はありません。
……うぅ、私は妹だから、どんなに頑張ってもお兄様と結婚する事は出来ないのにーッ!
結婚どころか、一線を越える事すら出来ませんよ!!
……お母様はその辺に意外と理解があるので認めてくれますが、お父様は常識人で……でも、頼み込んだら意外と頷いてくれるかも?
あれ? そうなると、我が家で一番の常識人は、常識に囚われないお兄様だったと? なんて事でしょう……一番の障害が愛しいお兄様ご自身だったとは……。
なーんて、取り留めもない事を考えていたら、第三波も全員取りこぼす事なく捕らえたようですね。
「フレア様。もう間もなく学園に到着いたします。準備の方はよろしいでしょうか?」
「はい、問題ありませんわ」
今頃、お兄様は公爵達との打ち合わせを済ませて、鼻歌でも歌いながら茶番劇を楽しみに待っていらっしゃる事でしょう。
「フレア様。学園に到着いたしました」
馬車が止まり、小窓から御者を務めてくれた密偵さんが報せてくれます。
護衛の一人が馬車の扉を開けて下さいます。
流石は公爵家の密偵さん。使用人としての仕事も出来ますね。
「ご苦労様でした。それでは、私も参ります。皆様も大変でしょうが、引き続きよしなにお願い致します」
馬車から降りて、御者を務めてくれた方にお礼を言います。
彼らはこの後、馬車を駐車して、更に影の仕事をやってもらう事になります。
「お任せ下さい。我々はガラティーン公爵家に仕える者ですから。それでは、先を急ぎますのでこれにて失礼致します」
そう別れを告げると、彼らは粛々とそれぞれの仕事を成しに向かいました。
さて、それでは気持ちを切り替えて、お兄様に託された仕事、第二段と参りましょうか。
そうでなければ、嫉妬が抑えられませんもの。
拙い作品をここまでお読みくださり、ありがとうございます。
密偵 VS 不良冒険者
と言いつつ、彼らの戦闘は全く描写されませんでした。
ファーレンハイトやメルカッツ級のボンボンはいなかったという事です。