第28話 血の雨降る六月(9)
非ッ常にお待たせして申し訳ありませんでした。
雨が降る
赤い赤い生命の雨が
湿った土が命を吸い大地を朱殷に染めていく
花が落ちる
赤い赤い牡丹の花が
ぽとりと落ちては昏い昏い呪詛を吐く
不意に風が吹く
季節外れの冷たい風が
気付けば牡丹の花は枯れていた
風の音に耳を傾けると──
“寝言は寝て言え”
「ひゃいッ!」
「うわ!?」
なんだか怒られたような気がして慌てて上体を起こしました。
はて、私は一体……?
「あの、大丈夫ですか?」
「え?」
事態を全く理解できないままでいると、声をかけられました。
そういえば、私以外にももう一人分声がしていましたね……。
声がした方を目で追いかけ、声の主を探すと……。
「お加減はもうよろしいのですか?」
と、気遣わしげな表情を浮かべて尋ねてくるクレメンテ君がいました。
……と、言いますか、えっと、これは、ひょっとして……。
「あの、もしかして、ずっと膝を……?」
「え? あ、はい、その、恐縮です」
顔を赤らめながらも、返ってきたのは肯定を意味する頷き。
周辺の状況から察するに、私はあろう事か年下の男の子に膝枕されて、間抜け面を晒して盛大に寝こけていたと!?
うわぁぁぁぁん! 穴があったら入りたいぃぃーーーーッ! むしろ、今すぐ穴を掘って埋まりたぁぁぁぁいッ!!
「まぁ、お骨折り頂き申し訳ありませんでした。さぞや、重かったでしょう?」
だがしかし! パニック起こせば起こすほど発動する王妃様スマイル! 王妃修行は伊達ではありません!
……これで、少しでも寝顔を上書きできればいいな~……とほほ。
「い、いえ、そんな、滅相もありません! 決して、重いなんて事はありませんでした!!」
何やら、クレメンテ君の方も慌てふためいている様子。はて?
まぁ、それはそれとして、今の内に状況の整理をしましょう。……私自身の精神の均衡を計るためにも。
現在地はおそらく訓練地の周辺。すぐそこにそれらしきテントがあるし、間違いないはず。
時刻は夕暮れ……周囲に人の気配はなし……護衛もいない?
前後の状況から察するに、私は気を失ってクレメンテ君に膝枕されていた……なんで?
「うふふ、お気遣いありがとうございます。クレメンテ様は紳士ですのね」
確か、私はあの書類……斬首刑の執行命令書に署名捺印し、すぐさま受理印も捺し……刑は即時執行される事になったのよね……。
どの道、お父様の跡を継いで領主となるなら、避けては通れない道。今ここでその覚悟を示せと言われれば、代案もない以上否という訳にはいきません。
であれば、せめて命じた者の責として、彼らの最期を見届けようとして……あぁ、思い出した……。
「そ、そんな事は……」
責任者として刑に立会い、彼らにせめて最期の言葉を遺す機会を与えようなどと考えたせいで、私は生まれて初めて本物の悪意というものを浴びたのでした。
死を目前にした人間の憎悪……それを甘く見ていたと言われても仕方がありません。
結局、彼らの憎悪・悪意に呑まれた私は、責任者という立場にあったにもかかわらず、ただ立ち竦む事しか出来ず……目の前で彼らの首が落とされました。
そして、その首は血溜まりの中にあってなおも恨みの篭った視線を向け、呪いを吐き出し続けている気がして逃げ出したのでした……。
挙句、初めて触れた人の『死』と『悪意』に押し潰され……その、えっと……吐いてしまいました……。
「謙遜する必要なんてありませんわ。私など、いざとなれば狼狽えるばかりか、お見苦しいところを見せてしまい、クレメンテ様のお手を煩わせてしまいました……」
本当に、「穴があったら」どころか、「自分で穴を掘るので埋葬してください」と言いたいくらいです……。
「違うんです!」
「へ?」
ところが、大きな声を上げて否定するクレメンテ君。
思わず間の抜けた声が出てしまいました。
「あ、いや、あの、すみません、怒鳴ってしまって……」
「いえ、大丈夫ですわ……あの……?」
「えと、グレイシア様の反応は当然のものだと思います」
「え?」
「ぼ……いえ、私も吐きました。それも、戦場で……目の前で誰かが死んだ訳でもなく、護衛達に囲まれながら、安全な場所から戦闘を眺めているだけだったのに……」
「あ……」
そうでした。
私が目を覚ますよりも前に戦闘は終わっていましたが、それでも千人以上が命を掛けて剣を交え、百人以上の死傷者を出しているほどの規模です。
当然ながら、同じ訓練地にいたクレメンテ君達も戦闘に関わっています。
まだ14歳の多感な時期に戦場を経験する……これがどれほど彼らの心に影を落とす事か……。
「申し訳ありません、クレメンテ様。我が家の不祥事に、教国の皆様を巻き込んでしまい……」
緑の広がる地面の上ですが、居住まいを正して謝罪を口にする。
「いえ、ぼ……私達は巻き込まれた訳ではありません。むしろ、利用させてもらった立場なのです……」
「利用……ですか?」
罪悪感……とは違いますね。
不明を恥じ入るかのようにクレメンテ君が続けます。
「私の元に集ってくれた者達は、皆一廉の者達ばかり。剣折れ、糧秣尽き、加護を失い、多くの戦友が倒れ、それに倍する民を護れなかった戦場……そんな地獄から生還してなお、心折れぬ精鋭達です」
大陸最大の国家、ウェストパニア教国において、選び抜かれた僅か1,000名の聖騎士で構成される最精鋭騎士団。それが【聖光騎士団】であり、その残存50名がクレメンテ君の指揮下にある集団の正体です。
寄せ集めの民兵に鎧を着せたなんちゃって軍隊ではなく、大陸でも最強クラスの戦闘集団ですね。同数で戦えば、我がブリタニア最強を誇る第二騎士団ですらどうなるか……。
「そんな彼らの旗頭となるのが僕の役割ですが……この通りの未熟者。戦場なんて経験した事はありません」
教国からこのブリタニアへ脱出する道中にも、モンスターに襲われ、命を落としかけた事もあると語るクレメンテ君。
居留地が襲われ、隣人の死を身近に感じた事もあるそうです。
「だから大丈夫。僕だって、若造なりに『死』というものに慣れている……と、思っていたんですが……師匠達の見立て通り、戦場を目の当たりにして不様を晒したという訳です」
今回の騒動は、『問題のある騎士達の処分』という一石を投じて、様々な成果を得ようと画策されたみたいです。
私への試験である同時に、クレメンテ君への試練でもあったようです。
「『死に慣れた』などと勘違いしているうちはまだまだ。若は黙ってそこから戦場をご覧下されば、自ずと分かりましょう」とロドリーゴ様に言われたそうです。
この分では他にも目的がありそうです。
一石二鳥どころか、三鳥、四鳥と狙う。
これがお父様達の仕事だというのなら、やはり私はまだまだですね……。
「なので、こちらに迷惑をかけたなどとお気になさらないで下さい。ぼ……じゃない、私にとっても得る物のある事でしたので」
そう言うと、どこかぎこちなく笑うクレメンテ君でした。
この短い間に、何度も「僕」と言い掛けて「私」に言い直しているところを見るに、彼も『人の上に立つ者』としての勉強に苦労しているようです。
「……まだまだ知るべき事が多くて大変ですね。お互いに……」
同じように、こちらも苦笑を浮かべながら言葉を返す。
ある日突然、「大人になれ」と周囲からせっつかれるようになった少年が、こうして傷付きながらも前に進んでいる……。
それに比べれば、二度目の人生であり、はじめから貴族として育てられた私がめげる訳にはいきませんよね。
フラッシュバックする斬首の光景を紛らわせるように、クレメンテ君とたわい無い会話をする。
……そう言えば、誰が私の代わりに刑を取り仕切ったのだろう?
ニール……が取り仕切るには越権行為になってしまうし、第二騎士団のブラッドリー団長やロドリーゴ様では筋違いという事になってしまいます……。
何方であれ、今回の件は私の落ち度である以上、代わってくれた方に累が及ばないようにしないと……。
はぁ……本当に、まだまだです……。
思春期ボーイ「言えない。グレイシア様の寝顔を拝見できて役得だったなんて、口が裂けても言えない!!」
拙い作品にお付き合いくださり、ありがとうございます。
おかげ様で生きております。
いや、熱中症で一度死に掛けましたが、こんなに遅れた理由には関係していませんのでご安心を。
遅れた理由1
今更ながらにドラクエにハマっておりました。
いや、11ではなく、ビルダーズに。
あれはヤバいですね。普通に3徹とかしてしまいました……。
滝とか作れたらもっと良かったんですけどね~。
……あ、いや、それだと今以上にハマっていただろうからダメか。
遅れた理由2……というか、本命
どうやったって、作者の能力以上のものは書けないという現実。
前回、グレイシアとクレメンテの仲をほんのり進展させる予定だったのですが……。
「『末っ子型箱入りお嬢様』が『年下の男の子』を異性として認識するきっかけって何だ?」というところで躓いてしまい、3ヶ月掛けても結論が出ずに後回しにし、そして今回同じく3ヶ月掛けて結論が出ませんでした。
知らないモノ、想像する事さえできないモノは書けないって典型例ですね。
作者の想像力では、どうやっても男に都合の良いものしか出てこず、進展はほぼなしという事になりました。
……まぁ、クレメンテの見せ場は(もっとずっと後に)ちゃんとあるので、そこで吊橋してもらいましょう……。
次回は別視点が1話分入り、その次で六月のラストとなります。