第10話
「あの男の提示した治療法というのが『房中術』というものでな……説明を受けたのだが、その時点で既に連日連夜の会議で休む間もなく、極限状態と言っても過言ではなかった……」
「『防虫術』……ですか?」
虫除けの魔法か何かでしょうか?
それと愛人というのに一体何の関係が?
「そんな状態でマーリン先生との小難しい魔法理論談義やら何やらを大量に聞かされても……正直、理解しきれん」
確かに、この国で一番の魔法研究者でもあるマーリン学園長と、この世界にはない理論で魔法?らしきものを生み出しているキャストンさんの二人が交わす専門的な話なんて聞かされても、理解できるかどうか……それも休みなしの極限状態でなんて、無理かと思われます。
「結果的に分かったのは……あの男と一晩共にすれば、『魔人薬』の影響が取り除かれるかもしれないという事だ」
いえいえいえいえ、そこが分かりませんよお父様?!
そこ、一番大事なところなんじゃないでしょうか!?
と申しますか、そういう被害に遭った女性達の治療法が男性と一夜を共にするってどうなんですか!!?
そして、虫除けは何処にいったのですかぁッ??!
「って、『技術的には可能である事が証明された』って、どういう事ですか!?」
「少しでも早く会議に出す為に、あの一件のすぐ後に実験を行った。被験者はアイリーン殿だ。その結果、確かに彼女の『魔人薬』汚染の数値は下がった」
あの後すぐって、「やる事が山積み」って言っていたのは、そういう事だったんですか!?
私をボロクソに振っておいて、アイリーンさんとそういう事をしていたんですか?!
「第一段階の治療として、患者と施術者が両手を繋ぎ、施術者の正常な体内魔力を患者に流し、その分患者の汚染された体内魔力を施術者が受け取るという『房中術』を試みた。これにより、患者の汚染濃度が減少し、施術者の汚染濃度が上昇した事が確認された」
ふふふ、どうせ私はイジメられっ子の悪役令嬢……って、へ?
「あの、一晩を共にするって、手を繋ぐだけなんですか?」
「そんな訳がないだろう」
あっれ~?
「最終的にはお前が想像した通りの事をする事になる可能性もあるが、恋人でも夫婦でもない男女が、まして、このような事件の被害に遭った女性が、いきなりそんな事を出来るはずがないだろう? むしろ、男性恐怖症となっている者が殆ど、いや、程度の差はあれど、全員が心に傷を負い、男に対して恐怖心を抱いている」
「あの、それでは、いくら『魔人薬』の影響を取り除けるとはいえ……」
「うむ。当然それも懸念された。しかし、この『房中術』というのは、そもそもが……何だったか? あー……あの会議の書類は内容が内容だけに、その場で処分する事になったから、思い出すのに時間が……」
お父様がつっかえつっかえ思い出しながら説明された事を纏めると……。
キャストンさんの行う『ぼーちゅう術』の治療は、主に三つの段階に別かれており、最初に手を繋ぐだけで済む術。次にせ、せせ、接吻をする事でできる術。
最後に、その、もっとこう、くんずほぐれつ……みたいな? ……うわぁーん! 兎に角、そういう事を必要とする術です!!
その何れにおいても、術を受ける者と施す者、互いに心を通わせなければ効果はないそうなので、最終的には彼女達の自由意志に任せる事になるそうです。
そういえば、「当人達が望んだ場合に限る」と言っていましたね。
元々は、何やら非常に危険な治療方法だったそうで、とても使える技術ではなかったとの事。
それを『ぼーちゅう術』なる全く別の理論を取り込んで再編した、バカと紙一重な方が編み出した治療方法だそうで、『両者が愛しあう』という条件の下、安全に施術できるようにした物だそうです。恐るべし、虫除け。
この『愛しあう』というのも、程度によって効果が変わるそうです。
早い話、「手を繋ぐだけのただのお友達」という程度でも、そこそこに効果があるらしいです。
なるほど。それならば、治療を受ける敷居はぐっと下がりますね。
なら、被害者全員が第一段階だけを受け続ければ良いのではないか、と会議で提案されたそうですが、ここでもまた問題が発生します。
「『魔人薬』の汚染だが、ある程度までの数値……いや、個人差があるそうだから、濃度と言ったか? 兎に角、ある程度の濃度なら、何もしなくとも自浄が可能という事が分かった。だが、逆にある一定を越える濃度となると、日に日に汚染濃度が増えていく事も分かった」
「それはつまり、第一段階だけで時間をかけて治療する。という方法を取れないという事ですか?」
「その通りだ。被害者は全部で26名。そのうち、日に日に汚染濃度が減少していく者は4名。変化のない者が7名。上昇していく者は15名。これは、『魔人薬』を投与された頻度によって決定されていると考えられる……」
投与された頻度という事は、それだけ頻繁に奴らの被害に……あれ? でも――
「その15名を、毎日増える分以上に治療して減らせば良いのでは?」
「無論、それも会議で出た意見だ。それに対するあの男の回答は、『不可能』だった」
第一段階の治療というのは、自分の正常な魔力を与え、与えた分だけ相手の汚染された魔力を受け取る。言ってしまえば、汚染の肩代わりだそうです。
汚れた雑巾で拭き掃除をしても、窓は綺麗にならないのが道理。
どこかで、雑巾を洗わないといけません。
それをキャストンさん一人で十五人分もやっていたのでは、とてもではないが時間が足りないとの事。
更に、現時点では変化なしの七人も、いつ悪化する分からない以上、悠長にもしていられないでしょう。
当然、施術者の数を増やせという意見も出たそうですが、こんな謎理論の治療法を一朝一夕で身に付ける事なんて、少なくとも私は出来ません。
その後も会議は紛糾したそうですが、結局の所、キャストンさんが色々と無理を重ねても、15名には第二段階まで施さなければならないだろうとの結論に至ったそうです。
それはつまり、十五人の女性がキャストンさんと、そういう関係になるという事で……。
え? 貴族の女性にとって、接吻は婚約とほぼ同義ですよ?
会議では、被害に遭った女性とそんな事が可能な関係になるのは、結局は無理ではないのか? と、一旦検討を打ち切られ、被害者達を隔離した後、彼女達の実家の怒りを抑える方法が検討され始めたそうです。
ですが、その予想は覆される事となりました。
その会議があった次の日。アイリーンさんとブリジットさんの両名から、最後まで治療を受けると連絡があったそうです。
しかも、他の被害者達も可能な限り説得するという、おまけまで付いて。
「彼女達がそういう結論に至った理由は……正確には分からん。アイリーン殿からは責任感や使命感のような物を前面に感じたが、それだけでもないような……」
アイリーンさんの考えている事、少しは分かります。
彼女の事ですから、最初の被害者である自分が恐れず告発していたら、少なくとも自分以外の犠牲者は出なかったのではないか……そうであるならば、他の被害者達が少しでも助かるよう、自分が実験台になるべきだ。と言ったところでしょうか。
何故そう思うのか。それは、私もそうだからです。
あの時、羞恥心に振り回されず、キャストンさんの言うように私が見せ物になっていれば、彼女達を犠牲にする必要はなかったのでしょう……。
間違いなく、キャストンさんはかなり早い段階からこの事件を感知していたでしょう。
そして、彼の頭の中には、アイリーンさん達を早急に助けるという選択肢も浮かんでいたはずです。
ですが、その選択肢は選ばれませんでした。と言うよりも、選べなかったのです。
彼の規格外さについつい忘れてしまいますが、彼はしがない男爵家の子息でしかありません。
それは、この事件のような『法秩序』が支配する領分に於いては、吹けば飛んでしまう程度の力しかありません。
彼が力尽くでアイリーンさん達を助けたとしても、上位貴族への暴行罪に問われたり……最悪、助けられたアイリーンさん達も事の露見を恐れ、ガウェイン達に口裏を合わせていた危険性があります。
と、申しますか、早い段階でそんな事をしたら、この父が全力で揉み消しに動いた可能性があります。
そうなったが最後ですねー……この公爵家が物理的に消えるまで、あの化物と戦争ですか……。
ですが、もし私が見せ物をやって世間に対して発言力を持っていれば、父がガウェインを見限り、こちらに付いてくれたかもしれません。
いえ、違いますね。父は必ず、こちらに付いていたでしょう。付かざるを得ないようにキャストンさんがするでしょうから。
まぁ、結局は「たられば」ですね……厳然たる事実として、私は見せ物を拒否し、アイリーンさんはあの舞踏会まで何も逆らえなかった……。
「多分、好きになってしまったんだと思いますよ」
「うん?」
「アイリーンさんです。キャストン様の事を好いてしまったのでしょう」
「むぅ……やはり、そう見るか?」
彼を婿養子にして、彼女達を使用人兼彼の愛人として我が家に受け入れるなんて言い出した父です。
何だかんだ言って、確信がないだけで、その可能性が一番高いと見ていたのでしょう。
「ブリジットさんは分かりませんけど、アイリーンさんはおそらく……まだ、はっきりと自覚しているかは測りかねますが。だって、考えてみて下さい、お父様」
『心を通わせなければ効果のない治療法』を提示するという事は、逆に言えば『心から貴女を救いたい』という遠まわしな告白みたいじゃないですか。
あの舞踏会の会場で泣き崩れたアイリーンさん。その心中はお気楽に過ごしていた私如きが、想像する事すら不遜でしょうが、さぞかし辛かった事でしょう。
傷付けられ、痛め付けられ、踏み躙られ、それでもどうにも出来ず、ただただ生皮を剥ぎ続けるように追い詰められる苦痛の日々。
そんな汚泥の中から突然救い出されて、自分の身が魔人薬に汚れる事も構わずに手を取られて、そんな事を言われた日には、女の子としては転んでしまっても仕方がないのではないでしょうか?
「無論、キャストン様にそこまでの考えはなく、ただの事実を述べただけでしょうが……」
「なるほど。まだまだ夢見盛りな少女からしてみれば、卑怯なまでの殺し文句とも言えるか」
そして、ここまで分かれば、見えてくるものもある。
一番痕が残らない解決法が私との結婚……いえ、ガラティーン公爵家の『婿養子』とし、彼女達を愛人とさせるのは――
「お父様。やはり、アイリーンさんはキャストン様との婚姻には首を縦に振らなかったのですね?」
「ああ。自分にその資格はないとな」
解決法の一つとして、当然、治療の過程でそういう関係を持つ事になるキャストンさんとの結婚というものもあっただろう。
そして、その最有力候補は、最も代わりの結婚相手を見つける事が難しいアイリーンさんだ。
だが、彼女は自らを最も罪深いとし、幸せになってはいけないとすら考えているだろう。
そう、彼女は、この国の貴族の頂点の妻となるはずだった彼女は、この国の貴族の最下層の妻となる事に、どうしようもなく幸せを見出してしまったのでしょう。
「故に、ガラティーン公爵家であり、私なのですね」
ガウェインの廃嫡は最早決定事項。そうなれば、次期当主は女である私となり、婿を取る必要があります。
ここで重要なのが、『婿養子』と『婿』の違いです。
『婿』はただの配偶者でしかありません。何があろうと、実権はないですし、ガラティーン公爵家に対する相続権もありません。
対して、『婿養子』は違います。婿養子は『婚姻』と同時に『養子縁組』も結びます。つまり、実権も持ち得ますし、相続権も与えられます。
キャストンさんが婿養子となれば、ガラティーン公爵家が心変わりし、愛人となった彼女達を排除しようとしても、キャストンさんは彼女達を社会的に護る事が可能となります。安心感が段違いですね。
そして、彼女達はどうやっても、結婚は難しいです。特に、あの舞踏会で矢面に立たされたアイリーンさんとブリジットさんは絶望的です。
彼女達があの場でさせられそうになった事は、幸いながらキャストンさんによって未然に防がれました。
私も彼女達が何をさせられる事になっていたのかは、想像の域でしか分かりません。
ですが、事実は知らなくとも、勝手な憶測は出来ます。そして、その当てずっぽうの憶測の中に事実が混ざってしまうのが厄介極まりないのです。
更に、他の被害者達も少し調べれば、近い時期におかしな動きをしていた事が判明してしまうでしょうから、アイリーンさん達と関連付けられてしまいます。
現に、新生徒会の役員に勧誘しようとして、所在が分からなくなっている彼女達は……と、私が勘繰ってしまうくらいです。
結婚相手として、彼女達の風評は致命的な傷を負った事になります。
21世紀の日本と違って、貴族の女性が結婚できないというのは、まさに針の筵と言えるでしょう。
ならば、愛人という立場でも良いので、せめて娘の好いた誰かの傍に、庇護下に置いて欲しいと思うのが、貴族なりの親心かもしれません。
ここでいう彼女達の好いた相手というのが、高い確率でキャストンさんになるであろう事は……まぁ、治療の為とは言え、彼に責任を取らせようという意図も多分に含まれているでしょう。
拙い作品をここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回、「胸糞?」編の最後となります。
治療法に関する、より詳細な情報は二人目と三人目の視点でそれぞれ語られます。