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Samsara~愛の輪廻~Ⅳ  作者: 二条順子
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05.別れてもなお(1)

「ママ、どうしてるかなぁ… 」

独り言のように呟くと、舞は古ぼけたクマのぬいぐるみを抱きしめた。

「きっと、幸せに暮らしてるよ」

「そうだよね、パパみたいなオジサンとちがって、あんなかっこいいイケメン

と結婚したんだもんねぇ~」

「こらっ、オジサンは、ないだろ!」

眉をひそめる父親に向かって舞はぺろっと舌を出した。


去年の夏、耕平はボストンを引き上げ古巣の成都医大に戻った。

亜希が健介と結婚し有賀めぐみとして新しい人生を始めたように、帰国した

彼も新たな人生をスタートさせた。半年前、耕平は杏子と籍を入れた。

杏子との間に愛情が芽生えたわけでも、彼女に迫られたわけでもない。

二人の関係は相変わらず冷え切ったままである。入籍の決心をさせたのは、

息子の勇樹だった。元々、子煩悩な耕平は生後まもなく杏子の実家に預けられ

たまま、両親の愛情を知らないで成長する我が子が不憫でならなかった。

にもかかわらず、ずっと頑なに杏子との結婚を拒んできたのは亜希への想い

である。彼女が確かな幸福を手にしない限り、自分だけ家庭を持って子供と

ぬくぬくと暮らすことなど耕平には到底考えられなかった。

あの日、“花嫁の父” がするように、純白のドレスに身を包んだ亜希の手を

取りバージンロードを歩いた。そして、大切な愛娘を花婿に託すように神父の

前で健介に彼女を委ねた。耕平にとってそれは単なる結婚式の儀式ではなく、

『この男なら必ず亜希を幸福にしてくれる』と実感し確信した瞬間でもあった。


杏子は入籍後も家事・育児の一切を放棄し、相変わらず仕事を優先させ東京・

NY間を往復する生活を続けている。結局、出産も結婚も亜希から耕平を奪う

ための手段に過ぎず、目的を果たし終えた彼女にとって家庭生活は何の意味も

なさない。むしろ煩わしいだけなのである。耕平もまた、息子の親権を得る

ために婚姻関係を結んだまでで妻不在の生活に何の不満もない。二人の子供と

暮らせることに喜びを感じている。

九歳になった舞は、父親の再々婚相手を “あの人” と呼び母親として認め

ようとはしない。愛する母を父から奪った女への彼女なりの精一杯の抵抗なの

だろう。元々子供が苦手で自分の血を分けた勇樹にも、さして愛情を示さない

杏子は、そんな舞の態度にも平然としている。二人の間に『継母の継子虐め』

のような陰湿が関係がないことを、むしろ幸いの事と思っている。


「ダメダメ! そんなにいっぺんにお口に入れちゃあー!」

勇樹の手からチョコレートを取り上げると、舞は慣れた手つきで汚れた口元を

拭いてやった。杏子に強い拒絶反応を示しても、二歳になる弟のことは可愛がり

良く面倒を見ている。勇樹の中に同じ年で逝った亮の姿を重なり合わせているの

かもしれない。

長野のマンションで過ごした親子四人の幸せな日々が、耕平の脳裏を掠めた。



* * * * * * * 



「ねえ、耕平、ゴールデンウイーク、思い切って二人でヨーローパヘ行かない?

結婚式しなかった分、ハネムーンくらいは、ぱぁーと豪勢にいきたいじゃない」


ニューヨークから戻ったばかりの杏子は休日だというのに、家事一切を通いの

家政婦に任せ、朝からずっとパソコンに向かっている。

「そんな金も暇もないね。第一、休みの時くらい少しは子供と時間を過ごすこと

考えたらどうなんだ?」

「あ、これなんか格安よ。イースト・コースト発ロンドン経由でパリ、モナコ

八日間…」

夫の言葉に耳をかさず夢中で格安ツアーを検索している。

相も変わらず、すべてが自己中心の妻にうんざりした様子で耕平は自室に引き

上げた。

入籍と同時に神奈川県内に4LDKのマンションを購入した。

杏子は最後まで都心のウオーター・フロントに拘ったが、予算内でこの広さの

物件を都内で見つけるのは不可能だと分かると、新築を条件に渋々承知した。

小田急線で渋谷や新宿まで一時間足らずで行けるこのマンションを、耕平は

けっこう気に入っている。


「パパ、わたしの ‘テディ’ 見なかった?」

血相を変えた舞が耕平の部屋に飛び込んできた。

「いや、知らないな。木村さんに聞いてみれば?」

「聞いたわ、どこにも見かけなかったって…。」

舞は半べそ状態になっている。

仕方なくリビングルームに引き換えし一緒にあたりを探し始めた。


「ピンクのクマのぬいぐるみ、見なかったか?」

杏子の背中に向かって言った。

「ぬいぐるみ?… ああ、あの汚らしいヤツ? 勇樹がいじって遊んでたから

今朝、ゴミと一緒に捨てたわ」

パソコンの画面から目を離そうともせずさらりと言ってのけた。


「ひどーい! あれは、わたしの宝物なのよ! 今すぐ返して!!」

眼にいっぱい涙を溜めた舞は杏子を睨みつけた。

「ごめん、そんなに怒らないでもいいでしょ。あんまりヨレヨレだったから…

今度ニューヨークで本物のテディ・ベアー、買ってきてあげるわよ」

それだけ言うと、椅子をくるっと回転させ再びキーボードに向かった。

舞は自分の部屋に駆け戻ると乱暴にドアを閉め中から鍵をかけてしまった。


やれやれと言うように耕平は大きな溜息をついた。

あのぬいぐるみは舞が描いた絵をもとに亜希が手作りたもので、彼女にとっては

まさに宝物だった。特に亜希と別れた後は寝る時も放さず、翌朝ぬいぐるみが

涙で濡れていることが何度もあったと、義母の志津江から聞かされたことがある。


「もっとちゃんと、舞に謝ってやってくれないか?」

「何なのあなたまで? たかが薄汚れたぬいぐるみの一つや二つで、そんなに

大げさにならなくてもいいでしょ!」

杏子には舞の小さな心を傷つけた意識などまるでなかった。

「あれは、舞にとっては大事な思い出がいっぱい詰まっていたんだよ。

古くてボロボロになっても、どうしても捨てられない物、かけがいのない物

って、人にはあるだろ!?」

杏子の言動にむっとした耕平は思わず声を荒げた。


「ははーん、分かったわ。そんなに剥きになるなんて、あれは “亜希ママ”

との大切な思い出の品なんだ… 図星でしょ? まったく、親子そろって

いつまで “あの人” を引き摺ってくつもりなの? もういい加減私の事を

母親だと認めさせてよ。世間体ってこともあるし、物心ついた勇樹の教育上も

良くないわ!」

杏子は一気に捲し立てた。

(母親と認めてもらいたいなら、母親らしいことの一つでもしてみろ!)

喉まで出かかった言葉を呑みこんだ。これ以上杏子を刺激すれば、子供の前で

醜い夫婦喧嘩になるのは目に見えている。


「あ、あの… お部屋でさっきからずっと携帯が鳴っていますが…」

二人のやりとりを聞いていたのだろう、ばつ悪そうに家政婦が耕平に言いに

来た。

電話は、自分の後任に推薦した医大の後輩、沢村からだった。

彼がボストンに発つ前、何かトラブルが発生した時は健介にアドバイスを求める

ように言っておいた。妻の出産で一時帰国しているので、ぜひ会いたいと言う。





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