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Samsara~愛の輪廻~Ⅳ  作者: 二条順子
43/44

43.愛の奇跡、再び

明日から二度目の外来による抗癌剤治療がはじまる。

隔週ごとに抗癌剤の量と種類を少しづつ変えながらの通院治療をこれから先、

少なくても半年から一年は続けなければならない。


「また二、三日は辛くなるな」

「うん、でもケープで美味しいものいっぱい食べてリフレッシュできたから、

大丈夫!」

食後の珈琲を飲みながらめぐみは親指を掲げて見せた。

「メグはホント強くなったな」

「そう、これからもどんどん強くなっていきますよ。そのうち角が生えて

くるかも…」

「おっかねぇ~!」

健介は甲高い声を出した。

二人で交わすこうした他愛もない夫婦の会話の中に、何でもない日常に、

生きる喜び小さな幸せを感じるようになった。これから先もこんな風に

穏やかで平凡な毎日がずっと続いてほしい・・・

そんなめぐみの幸せな気分に水を差すような携帯の着信音が狭いアパートに

鳴り響いた。発信先を確認する夫の顔が一瞬強張る。最後まで無言で相手の

話を聞いていたが、「わかった」と一言だけ発すると直ぐに電話を切った。


「いよいよ、なのね?」

さりげなく聞くめぐみに健介は黙って頷いた。

三十七週に入り母体の体重増加が著しいため促進剤を使って陣痛を促し分娩を

開始することになった。二、三日中には出産になるだろうとジェニーが伝えて

きたことを伏し目がちに話した。


「私は大丈夫だから、タクシーで通院できるから。そばに付いててあげて…」

努めて冷静を装ったつもりだが、声が上擦るのが自分でもわかった。

この日が来るのは覚悟していたはずなのに、笑顔で送り出すつもりでいたのに…

涙が零れそうになるのを堪えめぐみは奥の寝室に駆け込んだ。


「すまない、君にこんな辛い思いをさせて…」

健介は震える妻の肩に手をおいた。

「わかってるの、あなたが私のことをどんなに愛してくれているか、

あなたがどんなに苦しい思いをしているか。私が泣いたらあなたを

もっと苦しめてしまうことも。でも、でも…」

めぐみは夫の胸に顔を埋めた。

夫の血を分けた子供が自分以外の女の腹から産まれようとしている。

子を産めない妻にとってこれほど屈辱的で残酷なことはないだろう。

その屈辱に必死で耐えているめぐみの心中を思うと、健介の胸は張り裂け

そうになった。


「許してくれ、メグ… 君を愛している、誰よりも何よりも君のことを

愛してるんだ! 俺には君しかいない…」

「私も、あなたを、世界中の誰よりも愛しているの! ケン…」

健介は渾身の力を込めてめぐみを抱きしめた。

最愛の女に対する溢れんばかりの想い、感情の高まりが彼の脳幹を刺激し

電流のように全身の末梢神経の隅々ににまで伝わっていく・・・

それはまるで眠っていた細胞を覚醒させ再生させるかのように、失われた

下半身の感覚を蘇らせほとばしるような力をみなぎらせていく・・・

そして・・・

愛し合い求め合い互いを想い遣る二つの魂と肉体は再び一つに結ばれた。

あの悪夢のような事故で損なわれた健介の肉体は愛する妻の美しい躰の

中で完全なる復活を遂げた。



* * * * * * * 



窓のブラインド越しに微かな灯りが洩れてくる。

朧げな月の光は間もなく目映い朝の光に変わるだろう。

このまま夜が明けなければいい。最愛の女と享受した豊潤な時、甘美な

余韻にもう暫く浸っていたい・・・

腕の中で眠るめぐみの寝顔にそっと頬を寄せた。

彼女の肌のぬくもりが伝わってくる。その柔らかなぬくもりは健介の全身を

心地よく包んでいく・・・

彼は異変に気づいた。感じるはずのない腰、大腿部、足の指先にまで温かな

感触が戻り、やがて、それは徐々に確かな感覚となって甦ってきた。


「メグっ!!」

思いっきり自分の太ももを抓った健介は思わず妻の名を叫んだ。

「ケン、どうかしたの!? 大丈夫なの!?」

「感じるんだ! 動くんだ!」

驚いて起き上がっためぐみの前で足を持ち上げる動作をした。

事故以来、微動だにしなかった下肢が確かな動きを見せた。

信じ難い光景を目の当たりにしためぐみは、夫の太もも、膝、足先を

懸命に擦る。

「ほんと、動いてるわ! 感じるのね、ケン?」

「ああ、感じる。君の手のひらの温もりがはっきりと伝わってくるよ」

健介は自分の掌を妻の手に重ね合わせた。

「よかった、よかったね。きっと、ううん、絶対また歩けるようになるね」

「ああ、メグのおかげだ。君がまた奇跡を起こしてくれたんだ!」


夫を想う妻の深い愛情で奇跡の生還を果たした健介は、今度は最愛の妻、

めぐみへの限りない愛によって損失した下半身の生命を見事に再生させた。













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