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Samsara~愛の輪廻~Ⅳ  作者: 二条順子
42/44

42.退院(2)

はじめての外来治療を終えて帰宅しためぐみは窓際の揺り椅子にもたれかかり

ぼんやりと夕焼け空を見ていた。

膝の上では抗癌剤のボックスが規則正しい電子音を刻んでいる。


「横にならなくても大丈夫なのか?」

「うん、平気。無菌室のに比べたら、ずうっと楽だから」

「じゃ、何か食べられそう?」

「…」

めぐみは首を横に振った。

「どんな気分? 吐き気とか、頭痛は?」

朝からほとんど何も口にしていない妻を気遣った。

「なんか… からだが気だるくって、熱っぽくて、ムカムカして、まるで

つわりの…」

と、言いかけて口を噤んだ。

淋しげな表情を浮かべる妻の心の内を思うと健介は堪らなくなり話題を変えた。


「メグ、この週末ケープへ行ってみようか?」

「ケープへ?」

「うむ、アレックスからメールがあってね、リズも君の退院を知って、とても

会いたがってるそうだ」

「そうね、入院中にもらったお花やカードのお礼も言いたいし…

それに、三月最終のウィークエンド、今からリザーブしておかないとね」

めぐみの顔に笑みが戻る。

「そっか、春休みだったね」

「ええ、いっしょにクッキー焼いたり、ショッピングしたり、海へ連れて行く

約束もしてるんだ。今の小学生ってすごいのよ、自分の携帯からメールを

送ってくるの」

声を弾ませ嬉しそうに話す。


耕平が勇樹と自閉症施設に体験入学している間、舞の面倒を見ることを

引き受けている。別れてから三年、幼女からすっかり少女に変貌した

〝娘” との再会を彼女は心待ちにしていた。



* * * * * * * 



  『耕平さん、


   無事、退院しました。〝元夫” の手厚い看病のおかげです!

   通院の抗がん剤治療、週のはじめの二、三日はちょっとキツイけど

   次の週には元気全開! あなたがこっちに来る週は治療がないので

   舞のことは責任を持って引き受けますからご心配なく。

   二人で一緒にいろんなことするの、今からとっても楽しみにしてます。

   耕平さん、本当にありがとう・・・

   あなたがそばにいてくれたから、私、ケンを許せる気持ちになれたの。

   ジョイスに言われたわ、優しくて素敵な二人もの旦那さまに愛される

   私は〝超幸せ者” だって。私も心からそう思います。

   

   じゃ、春休みの再会、楽しみにしてますね。        亜希 』


(よかったな・・・)

送られてきたメールを読んだ耕平の顔が綻んだ。


「パパ、ちょっと来て! 水着も入れておいた方がいいかな?!」

一か月も先の旅行の準備をはじめた舞が耕平を自室に呼びつけた。

「ハワイじゃないんだ。ケープ・コッドで海水浴はまだ無理だよ」

「あっそっか、残念だなあ… ビキニ着てママと二人ビーチ歩いてたら

超カッコいい外人にナンパされるかも、と思ったのに…」

「バーカ、そんなのまだ十年早いぞ!」

最近すっかりおませになった娘を笑顔で諌めた。

「じゃあ、ビキニは夏までのお預けにして、女二人のショッピングも

悪くないな… ああ、早く逢いたいなぁ~!」


舞はブツブツ独り言を言いながら嬉しそうにスーツケースに物を

詰めている。亜希との再会を心待ちにしているそんな娘の姿を

耕平は目を細めて眺めていた。



* * * * * * * 



土曜の昼下がり、健介の車はサガモア・ブリッジを通過した。

二人がケープ・コッドに来るのは去年の年末以来だった。


「ケン、左に曲がって」

『リズの家』の近くまで来るとめぐみは急に海が見たいと言い出した。

「まだ、寒いぞ」

「降りなくても、窓からだけでいいの」

「わかった」

真夏は海水浴客でいっぱいになる駐車場に車を停めた。


「おお、冬場の波はやっぱ凄いなあ~!」

豪快に舞い上がる白い波しぶきに健介は思わず声を上げた。

「うん、でも私はやっぱり、秋の海が好き」

「今年もまた見に来ような」

「来れるかな…」

車窓から厳しい冬の海を眺めながらめぐみはぽつりと呟いた。

「来れるさ、どこに居ても、二人で毎年ここで秋の海を見る約束だろ」

「そうね!」

健介の言葉に力強く頷いた。



「メグ、おめでとう! 思っていたよりずっと元気そうで安心したわ」

「ありがとう、なんとか無事に戻ってきました」

家の前で待ち構えていたリズが二人を暖かく出迎えた。


「今日は特に、腕によりをかけて作ったのよ。さあ、たくさん召し上がれ!」

テーブルの上にクランベリー・マッフィンの入ったバスケットを置いた。

めぐみはその中の一つを掌にのせると、にっこりとほほ笑んだ。

「どうかしたの、メグ?」

「いえ、あんまり綺麗な形をしているから…」

純一が届けてくれた、あの 〝不揃いのマッフィンたち” が頭に浮かぶ。


「あ、そうそう、マッフィンで思い出したわ。ジュンがね、突然やって来て

いきなり、クランベリー・マッフィンの作り方を教えてほしいって、頭を

下げるの。どうしたのって聞いたら、急にどうしても食べたくなったって。

芸術家の卵だけあって、ちょっと変わったところがあるのかなと思ったわ」

その時の様子を思い出したのかリズは可笑しそうに笑った。

「でも、やっぱり才能があったのね…」

「……」

「…パリのコンクールで彼の絵、ほら、いつかここに見せに来たでしょ、

あの絵が新人賞を取ったのよ」

「そう、あの絵が…(あなたに見せたい!どうしても見てもらいたい!)」

電話の向こうで興奮気味に話す純一の声が耳元に甦る。

「まだ若いのに大したものよね。今日あなたがここに来るからって、

誘ったのだけど、出発の準備に追われて大変みたいなの」

「出発?」

「ええ、なんでもポールの薦めで一年ほどパリに行くそうよ。

来週早々に発つらしいわ」

「そう、純一くんがパリに…」


切ないまでに一途に純真に自分を慕ってくれた青年の、あの眩いばかりの

笑顔がめぐみの脳裏を過ぎった。



* * * * * * * 



降り出した雪が滑走路をの上をうっすらと覆いはじめた。

三月の雪はこの地方では珍しくない。

搭乗ロビーに設置された大型スクリーンからニュースが流れてきた。

この冬最後の寒気団がニューイングランド地方に近づいているらしい。



あの日もこんな風に小雪が舞っていた・・・

ロビーの椅子にもたれ純一は静かに目を瞑った。

ギャラリーの出逢いからアトリエの別れまでの一年が走馬灯のように

頭の中を駆け巡る。彼女と過ごした時間、交わした会話の一つ一つが

まるで映画のシーンのように瞼の裏に焼き付いている。

彼女を忘れるために、悶々とした想いを断ち切るためにパリ行きを決心した。

決して実ることのない、短くて儚い一方通行の恋だったかもしれない。

が、純一にとって生まれて初めて本気で女を愛することの悦びと苦しみを

知った真剣な恋だった。


搭乗案内を告げる最終のアナウンスがロビーに流れる。

携帯電話の電源を切ろうとして、ボイス・メールが入っているのに気付いた。


  『 ごめんなさい… もう決して電話しないって、私の方から言ったのに…

    でも、リズから聞いて、どうしてもお祝いが言いたくて…

    良かったね、純一くん。パリに行っても 〝あなたの絵” を

    描き続けてね。〝不揃いのマッフィンたち″ とっても美味でした。

    ありがとう。じゃ、身体に気を付けて… さようなら       』


(めぐみさん・・・)

純一は携帯を握りしめた。

メールを開き愛おしい人の声をもう一度聞いた。

そして、意を決したようにメッセージを消去し足早に搭乗ゲートの中に消えて

行った。    





   


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