39.再治療(2)
「ケン、ごめんね。ひどいことばかり言って…」
「君が謝ることなんか何にもない。悪いのは全部、俺だから…」
「私、どうかしてた。身体だけじゃなくて心まで醜く崩れていたのね」
「メグ…」
「再治療、受けることにしたわ」
「そうか、よかった、ありがと…」
「でも、条件が二つあるの…」
めぐみは電話口で安堵する夫の言葉を遮った。
「…あなたがそれを承知してくれたら、あすからでも治療をはじめるわ」
「条件?」
「一つは、今度の治療には『臨床試験中』の抗癌剤を使ってほしいの」
「けど、あれは合併症のリスクが高い。それに副作用のより強く出る可能性が
あるんだ」
初回の治療には安全性の高い『標準的治療法』が取られた。『臨床試験中』の
治療法に比べリスクが少ない代わり完全な治療ではなく、現状ではすべての
場合が標準的治療法で治るわけではない。
「分かってる、でもどうしても今回で 〝完全寛解” にしたいの」
めぐみはきっぱりと言った。
「もう一つは… 私が無菌室にいる間、治療が終わって一般病棟に戻るまで
面会には来ないで。その間、あなたにはニュー・ハンプシャーに行ってて
ほしいの」
「メグ…」
「お願い、そうして… 亮がお腹にいる時ね、切迫早産で二週間入院したことが
あるの。無事に産まれて来てくれるか、不安で不安でどうしようもなかった。
そんな時、耕平さんがずっとそばにいて励ましてくれた。彼がお腹に手を当てて
話しかけると安心したように亮の心音が落ちつくの。
だから、あなたもそうしてあげて……」
「……」
健介は沈黙した。
「な~んて、善人ぶったこと言ちゃったけど、本音は、愛する旦那さまに
また、二日酔いのカエルみたいなひど~い姿を見られたくないだけ!」
電話の向こうの健介の気持ちを思いめぐみはわざとお道化て明るく言った。
「メグ…」
「私、頑張るから、今度は絶対元気になってみせるから…
愛してるよ、ケン」
それだけ言うとめぐみは電話を切った。
* * * * * * * *
めぐみの再治療は二月の上旬から一週間の予定ではじめることになった。
健介は臨床試験中の抗癌剤使用に最後まで躊躇していたが、めぐみの意志は
固く、結局彼女の意向を尊重することにした。
「いよいよだな…」
「うん、気分はもうすっかり 〝まな板の上の鯉” になってる」
めぐみは穏やかな微笑を浮かべた。
「つらくなったら夜中でも我慢しないでナース・コールするんだぞ。
熱っぽいと感じたらすぐにジョイスに知らせること、吐き気が酷い時は無理して
食べなくても…」
「ケン! そんなに心配しなくても大丈夫。それより、あなたの方こそ運転、
気をつけてよ。雪、ひどくならないといいね……」
早朝から降り出した窓の外の雪景色に目を遣った。
「毎日電話するから、からだ辛くなかったら声だけでも聞かせてほしい…
愛してるよ、メグ」
健介はめぐみを力いっぱい抱きしめた。
「ロミオとジュリエットを引き離すようなイヤ~な役目だけど、そろそろ
時間だから」
看護師長のジョイスが病室に現れた。
「じゃあ、行ってくるね」
「……」
健介は唇を噛みしめ無言で頷いた。
口を開くと堪えているものが一気に溢れそうな気がした。
例え面会が許されなくても病床に付き添うことが叶わなくても、めぐみの
出した二つ目の条件を受け入れるつもりは毛頭なかった。が、妊娠中毒症が
悪化し胎児への影響が出始めていると悲痛な声で連日のように電話をよこす
ジェニーをこれ以上無視することもできず、やむなくニュー・ハンプシャー
行きを決めた。
「大雪にならないうちに早く出発した方がいいぞ」
めぐみを見送ったあと無菌室の外でじっと動かない健介に声をかけた。
「心配するな、君の代理として俺がずっとそばに付いてる」
「先生…」
「帰国をちょっと延ばしただけさ。俺にとっても大事な〝元妻”だからな」
耕平は照れくさそうに笑った。
事務長に掛け合い無菌室に出入りできる特別許可を得た。
臨床試験中の抗癌剤の使用については健介同様、一抹の不安を抱いている。
出来る限り亜希のそばに付き添い見守ってやりたいという強い思いがあった。
「彼女の様子は逐一報告する。だから、安心して行って来いよ」
「ありがとうございます」
耕平に深々と頭を下げると、健介は後ろ髪を引かれる思いでボストンを
あとにした。




