33.忍び寄る影(3)
「ケン、残念だが、やはりAMLだったよ…
今からそっちに詳しい結果を送る。君の意見も聞いて今後の治療方針、最善の
治療法を決定するつもりだ」
翌日、めぐみの主治医から結果報告の電話があった。
AML(急性骨髄性白血病)の診断が確定した。
半ば予想していたとは言え主治医から送られてきたデータを見て愕然となった。
見慣れているはずの無機質な数値の並びが、これほど残酷で無情なものに感じる
ことは今までなかった。だが、感情に流されている暇はない。こうしている
間にもめぐみの体内の白血病細胞は増殖を続け彼女の身体を蝕んでいる。
「メグ、検査結果が出たよ… また暫く入院になりそうだ」
「また、再発したの?」
「いや、今度はAAじゃないんだ…」
「……」
めぐみの顔に不安の色が走った。
「…骨髄の中で正常な白血球が造られなくなってね、異常な細胞が増殖して、
つまり…」
「ケン、はっきり言って! それって、白血病ってこと?」
口籠る夫を直視した。
「うむ…」
健介は静かに頷いた。
「けど、白血病は一昔前のような不治の病なんかじゃ決してない! 今じゃ、
絶対治る病気なんだ。ただ、体内の悪い細胞を死滅させるために強い抗癌剤を
大量に投与しなくちゃならない。そのため、かなりキツイ副作用が現れる。
正常な細胞も同時に破壊してしまうから、免疫力が低下して感染症にも罹り
やすくなる… でもメグなら絶対がんばれる。がんばってくれるよな?」
めぐみの手をしっかりと握りしめた。
「どれくらいの入院が必要なの? ワシントン行きはどうなるの? あなたの
仕事は?……」
めぐみは両手で顔を覆った。
「そんなこと、メグは何も心配しなくていいんだ。少し延期すれば済むこと
だから。それより今は治療に専念して、元気になることだけを考えよう。
いいね?」
諭すように話す健介にめぐみは小さく頷いた。
* * * * * * *
AMLに対する治療は、大別すると化学療法と移植療法の二つに分かれる。
骨髄移植はHLA(白血球の型)が一致するドナーからの正常な骨髄を体内に
入れ破壊された骨髄と入れ替える療法だが、血縁者からの提供が得られない
時は骨髄バンクから提供者を探すことになる。一致するドナーが見つかった
場合でも、実際移植するまでに少なくても数か月以上を要する。
血液疾患の病歴や頻度の輸血歴がある場合は拒絶反応や合併症のリスクも
高くなる。化学療法は数種類の抗癌剤を投入することにより白血病細胞を
死滅させる最も一般的な治療法である。
化学療法の中の寛解導入法という完全寛解(骨髄の中の白血病細胞を5%
未満の状態にする)を目的とする治療がめぐみの治療法に選ばれた。
一週間から十日前後、連日二種類以上の強力な抗癌剤を血液中に投入し
全身の白血病細胞を一気に死滅させるため、かなり激しい副作用が伴う。
正常な白血球も破壊されるため感染症を予防するために隔離された無菌室の
中で実施される。早ければ約三週間後には完全寛解になるが、一回の治療で
完全寛解にならない場合には二回以上繰り返されることになる。
めぐみは週明けに入院し即、治療を開始することになった。
健介はワシントン行きをとりあえず一か月延期しボスジェネラル近くで
月極のアパートを借りることにした。
「やっぱり、樅ノ木じゃ 〝ご利益” なかったね…」
めぐみはツリーに吊るした例の短冊を取り外しながら呟いた。
朝早くからドアのリースやツリーに飾られたオーナメントなどのクリスマス用
の装飾品を片付けている。短冊にはワシントンでの新生活に向け二人の健康と
健介の仕事への願い事が書かれていた。
「明日、俺も片付け手伝うからあんまり無理するなよ」
「うん、わかってる…」
短冊を手にした悲しげな横顔が健介を堪らない気持にさせた。
「じゃ、行ってくるよ。なるべく早く戻るようにするから」
めぐみの背中にそう言うと、アパートの契約手続きのため健介は一人でボストン
へ向かった。




