30.真冬の暗雲(4)
「純一、くん?…」
めぐみはベッドの傍らに座る純一の顔を訝しげに見上げた。
明け方まで降り続いた雪はすっかり止み、窓のブラインド越しに
朝の光が洩れてくる。
昨夜のことが朧げに脳裏に甦ってきた・・・
チャイムの音がして辛うじて玄関までたどり着いた。
ドアを開けると、目の前に純一が立っていた。
「よかった。熱、やっと下がったみたいだ」
嬉しそうにめぐみの額に手を置いた。
「一晩中、付いててくれたの?」
純一は黙って頷いた。
「そう、ごめんなさいね。すっかり迷惑かけちゃって…」
「迷惑だなんて全然! 俺、夜型の人間だから徹夜は平気なんです。」
「うそ! 目がウサギになってる」
「え?」
充血して赤くなった目を慌てて擦る純一を見てめぐみはくすっと笑った。
「ありがとう、純一くん。一睡もしないで看病してもらったお礼に、何か
素敵なプレゼントしなくちゃね」
「お礼だなんて…」
とんでもないと言うように手を振った。が、純一は暫くしてから意を決した
ように切り出した。
「… じゃあ、一つだけいいですか?」
「?…}
「俺の、絵のモデルになってもらえませんか?」
「私が、モデル?」
「やっぱ、ダメ、ですか?」
驚いたように聞き返すめぐみの顔を覗き込んだ。
「そうねぇ… もし、未来の巨匠 〝仁科純一画伯” の個展に展示して貰える
なら、いいかも…」
めぐみは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ほんとに? もし、もしも将来、個展が開けたら、絶対めぐみさんの絵を
ギャラリーの中央に飾ります…」
「じゃあ、約束!」
照れくさそうに言う純一にめぐみはいつかしたように小指を彼の前に掲げた。
「すっかり熱も下がったようだね。もう大丈夫だ」
朝の回診に来た担当の医師はめぐみの胸に聴診器を当てながら言った。
「さっきやっとケンと連絡が取れたよ。携帯の電源が切れてたようで今朝まで
メッセージに気づかなかったらしい。今こっちに向かってるから、あと半時間
もすれば着くと思うよ。君も、一晩中ご苦労さんだったね」
中年の医師は純一の肩をたたいた。
医師の言葉に純一は急に夢から現実に引き戻されたような思いがした。
めぐみの夫と顔を合わせれば昨夜から今朝にかけて彼女と共有した確かな
時間が、蜃気楼のように消え失せてしまうような気がする。
再び眠りについためぐみに別れを告げ、純一はそっと病室をあとにした。
* * * * * * *
雪の残る道路を猛スピードで車を走らせていた。
昨夜めぐみに電話を入れたあと携帯を車に残したまま朝まで気づかなかった。
AA(再生不良性貧血)の再発は免疫療法が効果を成し今のところ血液細胞の
数値はほぼ正常値を保っている。幸い今回は大事に至らなかったものの、
肺炎などの感染症は命取りになりかねない。
凍結した路面に何度もハンドルを取られながら健介はケープ・コッドへの帰路を
急いだ。
「メグ、遅くなってごめん」
めぐみの顔を両手で挟み込むようにして口づけをした。渇きで荒れた唇が高熱の
後を物語っている。
「私の方こそ、びっくりさせてごめんね」
「電話した時、なんで黙っていたんだ?」
「だって、ケンのことだもの、熱っぽいなんて言ったら、無茶して雪の中
車を飛ばして帰って来るでしょ?」
夫を思い遣るめぐみの言葉に、愛する妻を裏切った後悔と自分への嫌悪感で
健介の胸は張り裂けそうになった。
「ああ、吹雪の中でもハリケーンの中でもすっ飛んで帰って来たさ…
だから、こんなことは二度とダメだぞ。体調の悪い時は絶対俺に隠さないって、
約束してくれるね」
「そうね、純一くんにもすっかり迷惑かけてしまったし…」
夫の言葉に神妙に頷くと純一の姿を探すように病室を見回した。
「そうか、君をここまで運んで一晩中付き添っていた青年はというのは、やはり
彼だったのか…」
画家志望だという仁科純一の、どこかナイーブではにかむような表情が
健介の脳裏に浮かぶ。彼の持つ神経質で繊細な感じがめぐみのかつての恋人、
木戸崇之の姿とふと、重なり合った。




