表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Samsara~愛の輪廻~Ⅳ  作者: 二条順子
3/44

03.愛の奇跡(1)

「ごめんね、ケン。四日も独りぼっちにして、淋しかったでしょ…」


健介の顔を両手で包み込むように撫で額にそっと口づけをした。

そしていつものように、CDプレーヤーのスイッチを入れフルーツスタンドに

立ち寄って買ってきたばかりの新鮮なグレープフルーツの皮を剥きはじめた。

病室の中に軽快なジャズのBGMが流れ、甘酸っぱいシトラスの香りが立ち

こめる。この三か月間、ほとんど毎日続けているめぐみの日課だった。


昏睡状態に陥った愛する人を目覚めさせるため、ありとあらゆる事を実践した

人たちの体験談をネットや書物からかき集めた。

好きな音楽、好みの食べ物、肌の触れ合い、常に語りかけることによって、

眠っている聴覚、嗅覚、触覚を刺激し何とか健介を呼び覚まそうと、めぐみは

藁にも縋る思いだった。


「…春のケープも素敵よ。でも、やっぱりひとりじゃ、つまんなかったわ」

ベッドの傍らに座り健介の手を握りしめると、自分の頬に押しあてた。

生身の人間のぬくもりが伝わってくる。

自発呼吸をし外傷もなく血色の良い綺麗な顔を見ていると、今にも

「おはよう」と言って起き上がってくるような気がする。



あの日、健介はいつものように病院を出て家路を急いでいた。

十二月に入ったばかりの小雪の舞う風の強い日だった。

小さな女の子は、クリスマスプレゼントの包みを両手に抱えた母親の傍を離れ、

ふらふらと建設中のビルの前に飛び出してきた。おりからの突風に呷られ

ビルの屋上から何かが落下するのを眼にした健介は、反射的に子供の身体に

覆いかぶさった。次の瞬間、落下物の建築資材が彼の全身を直撃した。


健介は奇跡的に一命を取留めた。が、意識は一向に戻る気配がない。

昏睡の原因は何か、この状態がいったいいつまで続くのかは、医療関係者にも

明確な答えは出せない。

意識と才覚にかかわる神経回路があるとされている脳幹の機能に障害を受けた

可能性が高いと、主治医から説明された。

脊髄にも損傷を受けているが、意識が回復するまでは、どの程度深刻なのか

正確には判らないと、彼は伏し目がちにめぐみに伝えた。



「あ、そうだ。お土産があるんだ…」

めぐみはバッグの中から砂の入った小瓶を取り出し蓋を開けた。


「…あそこの浜辺のよ。ほら、ケープの海の匂いがするでしょ?」

健介の鼻先に瓶を近づけ、白い砂を手のひらに握らせた。

すると、めぐみの目を疑うような事が起こった。

ほんの一瞬、健介の指が微かに動いた。いや、動いたような気がした。


睡眠・覚醒のサイクルが保たれている植物状態の患者は、刺激に反応して眼を

開いたり、顔をしかめたり、泣いたり笑ったりすることもあるそうだが、昏睡状態

の健介はどんな刺激に対しても、これまで一度も反応したことがない。


「ケン! 聞こえるのね!? 分かるのね、ケン!? ケン!…」

健介の瞼が左右に揺れ、長い睫が小刻みに震えている。

懸命に口を動かし何かを言おうとしている。

めぐみは必死で彼の名を呼び続けた・・・


そして、ついに彼の唇がめぐみにもはっきり判るように “メ、グ、…” と

動いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ